今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

因は常に自分に有り

(写真:モスさん)

■自業自得

「自業自得」と言う。
自分の受ける結果は、突き詰めてみれば全て自分の業(たね蒔き)と言うこと。
本来、「業」には、善業もあれば悪業もある。そして、善業は良い結果を生み、悪業は悪い結果をもたらす。
だから自業自得は、よく世間で言われるように、悪い報いを受ける場合に限ってのことでない。我々が今受けている果報、分かりやすかく言えば運命は、全て自分の種まきが生み出したものである。

■幸せの道理

もちろん、それは広く世の中にも認知されている。
良い結果には、それをもたらした原因がある。だから、成功した経営者の講演は皆んな聞きたがる。そこで教えて貰える経営のヒントは、成功と言う結果をもたらした種まきだからだ。
健康長寿県があれば、お金を使ってでも調査する。何を食べているか、どんな生活を送っているか、原因を同じにすれば、長生きと言う結果は等しくなる。
また、腹が立っても安易に人を殴りつけないのも、店先の欲しいものを黙って持って来ないのも、それでもたらされる悪い結果を恐れるからである。
そして、最近無軌道に犯罪的行為に走る人が増えたことも、身勝手な人間が増えたと言うより、原因に対する結果を想定する力を欠いているからだと言えよう。

■自分だけの因

良い結果を受けた時は、それまでの種まきが思い出されて誇らしい気持ちになる。
毎日遅くまで働いた甲斐があったとか、たゆまず勉強した結果だったとか。
だが悪い結果が来た時に、そこまでストレートに原因と結果の関係を受け入れているだろうか。
例えば、お客さんからクレームが入って、上司から叱られた場合はどうだろう。
すぐに怒り出す短気なお客さんを原因にして自己の正当性を主張したり、難しいお客さんを担当していることを理解しない上司に怨みを抱く。
しかし、そこで自分の努力不足を反省し、次からどのような応対をすれば良いかと向上に努めてこそ、お客さんからも上司からも信頼が得られる。
都合の悪い時に、すぐに犯人探しをして自己の正当性を主張する心ばかりが知らされるが、そんな心を捨て、自分がそこに至った原因を突き詰めることが、次のステップへと道を開くと自戒したい。
全ては自己責任なのだ。

■楽になる秘訣

えっ、それは余りに聖人君子過ぎるだろう。
人間業ではない。
そう思えるのも事実。
もちろん、言って相手に改善を促せるのなら否定するものでないが、自分の原因が大きかったり、あるいは言ってもどうにもならないことなら、いっそ自分の非を認めてしまう方が楽である。
気に入らない隣人や家族、毎日接している分だけ、ネガティヴな感情を溜め込みやすい。
当の相手に言ってもどうにもならない場合が多く、あとは自分の言い分を味方してくれる人を探すばかり。
言わば愚痴友達である。
しかし、愚痴を言って一時的に楽にはなるが、根本が解決されないから、すぐに怨みつらみの感情に身を焼かれる。
だが、フーッと楽になる時がある。
それは、素直に自分の悪い種まきを認めた時である。
怨みつらみの感情の苦しみより、自分の悪い種まきを認め、反省をする時の良心の呵責の方がずっと楽である。
自分の悪い所を認めてしまうと物凄く苦しいように思って、なかなか素直に反省する勇気を持てないが、実は苦しみから逃れる一番早い術なのである。
怨みつらみは悪い種まきであるし、反対に反省は良い種まきに数えられるから、苦しみが無くなり、楽になるのは当然と言えば当然である。