今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

成長とは、考え方×情熱×能力#91

(写真:墨絵回廊 その1)

スイカとミントと恋敵

「ふう、少し暑いですわね。」

歌陽子のかつての学友、桜井希美は細くて伸びやかな四肢の持ち主である。ノースリーブの青いドレスに薄い透明なショールをふわりと羽織り、手に持ったハンカチでひたいに滲んだ汗を拭く姿がとても美しくスッキリしている。

「少し暖房が効きすぎているのではないかしら。」

「あ、うん。」

希美に気の無い返事をする高松祐一。
今、彼の心にかかっているのは、とある女性のことだった。
自分に絡んでくるオリヴァー・チャンを鮮やかなアイキの技で投げ飛ばした、かつてのフィアンセ東大寺歌陽子。その姿が強烈に祐一の脳裏に焼き付いていた。
祐一は、激しい闘志をむき出しにした歌陽子に、すっかり気を飲まれてしまった。
しかし、控えめで慎ましやかな外見の裏にも、祖父の正徳、父の克徳から受け継がれた東大寺の血が流れているのだ。歌陽子にあのような激しい面があっても不思議ではない。

そしてあの時、ことを収めようと軽々しく「フィアンセ」を名乗りでたことを祐一は後悔していた。
東大寺家の後継ぎである歌陽子の立場をわきまえず、かつてのフィアンセの立場を振り回したことが先代老人の不興を買った。
そして、「歌陽子の相手には器量不足」と決めつけられ、我と我が身が情けなくなった。
だが、それ以上に歌陽子のことをどう思っているかと聞かれると、正直答えに窮する。
歌陽子は幼いころから、兄妹のように育ってきた。だから、異性としての感情は薄い。
それより、目の前の希美や松浦由香里の方が女性として魅力を感じる。
歌陽子は、一言で言えば「未成熟」だった。
だが、歌陽子の火のつくような感情の放出や、目の覚めるようなアイキの投げ技は、祐一の彼女に対する評価を一変させた。
まだ、恋未満である。
しかし、その扉を開く何かを祐一は予感していた。

「祐一さん、希美さん。」

ポンポンと弾むピンクのマリが転がってきた。いや、それは愛くるしい笑みを浮かべた由香里だった。

「あ、由香里さん、歌陽子さまはどうされて?」

「ごめんなさい、どこにもいらっしゃらないの。向こうであの失礼な外国人に会ったんだけど、あの人も知らないって。」

「それより、由香里さん、あなた、何をお持ちになっているの?」

「あ、これ、あちらで配っていましたの。とても美味しそうなのでしょ。」

「あ、スイカ。」

それは、食べやすいサイズに切り分けられた三角のスイカ。厚い皮の船に乗った、真っ赤な果肉が天に向かって肩を並べている。

「わあ、きれいですわね。」

「あ、ほんとだ。一つもらってもいいかな。」

沈んでいた祐一も、少し興をそそられたようだった。

「もちろんですわ。さ、どうぞ、祐一さん。」

祐一が手を伸ばしてスイカを一切れ掴むと、果肉の冷気が伝わってくる。

「あ、これ、よく冷えてる。」

そして、祐一がスイカに口をつけた途端、果肉から冷気をたっぷり吸い込んだ汁がほとばしりでた。そして、心地よい歯ざわりと同時に口に広がる豊かな甘みと、さらに清涼感。

一体、これはなんなのか。
なんの変哲もないスイカと思い、口に含んだその食感は祐一の思いを裏切った。

「そうか、ミントか!スイカに、ミント。これはいいね。」

少し落ち込んでいた祐一を高揚させたその果実を、由香里も口に含んでみた。
そして、目を丸くして、口もとをほころばせた。

「ああ、身体がスッとしますわ。身体の中を冷気が駆け抜けるようです。」

「ほんとですわ。なんて美味しいの。」

希美も頰を抑えて由香里に同調した。

「どうですか?師匠の農園のスイカは。」

そこに、声をかけてきたのは、若手農業塾生のリーダー、環木森一郎。

「あ、君は。」

「あ、どうも、フィアンセさん。」

つい、恋敵の祐一に嫌味を言ってしまう森一郎。

「フィアンセって、どう言う意味ですの?」

不思議そうに声をかけてくる由香里に、

「なんでもないよ。気にしないで。」と苦笑いでごまかす祐一。

そして、汗ばむほど強めた暖房に、一陣の冷気が混じり、サラサラと流れる小川を模した文様がスポットライトに映し出された。

(#92に続く)