成長とは、考え方×情熱×能力#86
異形の宴
「あ、あわわわ。」
あわわの擬音は漫画の中だけかと思っていた。だが、その口から発せられた「あわわ」はまぎれもない歌陽子自身の言葉。
目の前に転がった女性の髪の毛の塊に、すっかり度肝を抜かれて、その場から急いで逃げだそうにも、腰が立たない。
(だ、だけど、ここはもうダメ。すぐに逃げないと・・・。)
そう思って、厨房のフローリングの床にお尻を引きずって、足と手だけでそろそろと後退りをした。
ガクガク震えが来て、心臓は早鐘を打つ。
怖い髪の毛の塊を見ないように、ギュッと目をつぶって歌陽子は、少しずつ入り口に向かって身体を後退させ始めた。
やがて、手を伸ばせば入り口のドアに届きそうな位置までやってきた。
(あと少し)
歌陽子は、必死で入り口近くのストッカーにつかまってなんとか立ち上がろうとした。
その時、低い声でこう呼びかけられた。
「こら、お前・・・。どこへ・・・行く。」
「ひ!」
恥ずかしげもなく、叫び声をあげて、そのまままた、腰を抜かして座り込んだ。
ズルリ、ズルリ。
血肉を引きずる生々しい音が聞こえてきた。
見れば、
あ、あれは、
あの髪の毛の塊にいつの間にか手が生えて、こちらめがけてズルリズルリと近づいてくるではないか。
「しく、しく、しく」
泣き声がする。
そう、あの髪の毛の塊が静かに嘆きの声をあげていた。
その進み方がもはや尋常ではなかった。
頭を左右に大きく振りながら、蛇が身体をくねらせるように進んでくる。
これは、もう人間じゃない。
東大寺家に巣食う魑魅魍魎が、今日集まった様々な人間の思惑や、欲や恨みに触発されて現世に姿を現したのだ。
ズルリ、ズルリ、いやらしい音を立てながら、それはあっという間に歌陽子の鼻先にまで到達した。
手の生えた髪の毛の塊。
腰を抜かして動けない歌陽子の足元にしっかり取り付いた。その気味のわるい手が、ズボンからシャツへ、シャツから首筋へと這い上がってくる。
歌陽子は凍らされたようにまんじりともすることができなかった。
そして、人相が変わるほど顔を引きつらせなががら、押し寄せる恐怖に為すすべがない。
やがてゆっくりともたげた髪の毛の中に生涯忘れられないだろうものを見た。
それは、
必死で何かから逃れようとする、女の泣き顔。
「た、助けてえ・・・。」
「へ?」
(#87に続く)