今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

成長とは、考え方×情熱×能力#88

(写真:オレンジ・トゥ・パープル その3)

安希子、オールドデイズ

「嫌いなら・・・、なんで10年も付き合ってるのよ。」

安希子が、東大寺家に初めてやってきたのは10年前、彼女が18、歌陽子がまだ10の歳だった。

歌陽子は、正直言って安希子のことが昔から苦手だった。
まだ、安希子は18の若さにも関わらず、いつも気配りが行き届いていて、屋敷内の隅々までよく目を配っていた。その時に屋敷にいたベテランの家政婦たちも、いつの間にか安希子に一目を置くようになった。
いつもしゃんとして、佇まいを崩すことがない。任された仕事は完璧にこなすのに加え、人の仕事には決して差し出口を挟まない。
それでいて、手の足りないところへは、いつの間にか手を回してフォローをしている。
歌陽子の母親の志鶴は、そんな安希子をとても重宝がり、いつも手元に置いて可愛がっていた。

克徳も、安希子の能力を認めて、東大寺グループでそれなりの仕事を与えようと考えたことがあったが、安希子自身は志鶴に恩義を感じてか、ずっと女主人のそばに仕えることを望んだ。
克徳は、安希子の才能をたいへん惜しんだが、志鶴と安希子の気持ちを慮って、それ以来そのことには触れなかった。
その代わり、安希子21の歳に東大寺家のハウスキーパーの立場を与え、屋敷の家事一切の取り仕切りを任せた。
それ以来、来る日も来る日も広大な東大寺家の屋敷を走り回って、安希子は屋敷の中を完璧に保った。まるで、彼女自身の佇まいのように。

その屋敷には、グズで泣き虫の子供が一人いた。小学生になっても、母親にいつもまとわりついている。未だに、夜一人で寝ることができない。
そのくせ、すぐ何かに夢中になって、食事も中途半端なまま他ごとを初めては家政婦たちを困らせていた。学校の宿題も始めてはすぐそわそわし始め、たった1ページを仕上げるのに、2時間以上かかった。あげくに勉強を見ていた家庭教師が音をあげて、代わりに宿題をやって提出する始末。
こんなダメッぶりを発揮している子供はさぞや学校では肩身が狭かろうと思いきや、豈図らんや、「お嬢様」といつも取り巻きに囲まれて、上にも下にも置かれない扱いなのだ。

その子供、東大寺家の歌陽子は、安希子にとって我慢ならない存在だった。
努力も我慢も知らず、甘やかされてグズグズの性格に育ってしまった。安希子からすれば、落伍者の典型に思えてならなかったが、実際は一族の威光をかさに着て、ますますチヤホヤされている。
裕福でない家庭に生まれ、真剣に努力しながらも、経済的な理由で高校を出てすぐ働かなくてはならなかった安希子。
しかし、努力は決して裏切らないと教えられ、自分の積み重ねてきた種まきだけを灯りに生きてきた安希子。
そして、あの東大寺家で認められ、やっと居場所を見つけた安希子。
その大切な居場所に、さも当たり前のように存在し、当然のように周りに奉仕を要求する歌陽子のような子供は、安希子にとって自分の世界に巣食う異分子に他ならなかった。
しかし、賢い安希子は努めてそんな感情は表には表さなかった。
歌陽子とも、他の家族同様従順に付き合うふりをした。

まだ、子供の歌陽子にとっての安希子は、また何でも言うことをきいてくれる大人が一人増えただけだった。
いつものように好きに振る舞い、困った顔をする安希子にも全く頓着しなかった。
その冷静さを保っている顔の下、安希子が密かに爪をといでいることを幼い歌陽子は知る由もなかった。

やがて、安希子が東大寺家に来て半年後、用事で急に来られなくなった家庭教師に代わり、安希子が歌陽子の宿題を見ることになった。
例によって歌陽子は最初から上の空で、鉛筆を取ろうともしないで安希子に話しかけたり、他の遊びを持ちかけた。
一時間後、たまらず、

「お嬢様、どうするんですか?全く宿題ができていませんよ。明日、先生に叱られますよ。」と言う安希子に、

「大丈夫、また安希子さんがやってくれるんでしょ。だから、ぜえんぜえん困らないもの」と歌陽子が言った。
まだ、若い安希子は、歌陽子にとっては大人と言うより小娘だった。

しかし、安希子は固い声を出して歌陽子に言った。

「お嬢様・・・。」

「ん?」

読みかけの本から目を上げずに歌陽子は答える。

「お嬢様は、本当にこのご一家のお子さんなんですか?」

「え?・・・、どうして?」

あまりに思いも寄らない言葉を投げかけられ、その場に固まる歌陽子。

「だって考えても見てください。お父様もお母様もあんなに優秀な方なんですよ。お二人とも優秀な大学を卒業してらっしゃいます。それに比べてお嬢様は、勉強はダメ、運動もダメ、ダメダメづくしで、あまりにかけ離れています。優秀なご両親のお子様なら、優秀で当然です。でも、お嬢様はとてもその血を引いていらっしゃるとは思えません。きっとお生れになった病院で取り違えられたんですわ。」

「ち、違う!違うわ!」

必死で否定する歌陽子。

「そうですか?じゃあ・・・。」

そう言って、安希子は歌陽子に近づくと数本の髪の毛をむしり取った。

「いっ・・・。」

「お嬢様、この髪の毛をDNA鑑定にかけます。そうすれば、お嬢様がこのうちの子供かどうか分かります。そして・・・、私は100パーセント、他の家の子だと思っています。」

「や、やめてよお。」

だんだん歌陽子は涙目になった。
こんな子供騙しに、いや子供騙しだからこそ、子供の歌陽子にとっては十分恐怖なのだ。

「もし、お嬢様がこの屋敷の子供でないと分かれば、いますぐここから追い出されますね。そうしたら、今晩からどこかの施設で寒い毛布にくるまって眠らなければならないですね。」

「も、もうやめてよお。お・・・お願いします。」

「安心してください。これに気づいたのは私だけなんで。私さえ黙っていれば大丈夫ですから。でも、お嬢様、これからは少しはちゃんとして下さいね。そうしないと、私、いつまでも隠しておけなくなります。」

すっかり怯えてしまった歌陽子。
そして、目からはとめどなく涙が溢れて出た。

「さ、お嬢様、もう宿題はすぐにできますね。」

そう言って鉛筆を握らせた安希子。
涙やら鼻水やらで顔をぐじゃぐじゃにして宿題を始めた歌陽子にとって、安希子は最初の厳しい世間であった。

(#89に続く)