今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

責務を果たす 〜組織は指導者の器以上にはならない〜

(写真:春待ちの丘)

■言わなきゃ、やらない人たちの閉塞感

ビジネス書で読んだ話
・・・
「昔はこうじゃなかった。いちいち言わなくても自分が何をすべきか分かったもんだ。」
相も変わらず、職場で人をまとめる立場の人がボヤきます。
「だって、そうだろう。普通そこ聞かれたら、こっちはどうしましょうか?と気を利かせるだろ?
なのに、『それは言われていないのでやりませんでした』ってシレッと口にする。
言われたことしかできないなら、別に昨日今日入った新人でも、アルバイトでも良いわけだよ。そこが分かっていないんだよな。」
なるほど、それはたいへんですね。
ならば、そう言われている社員の皆さんはどう思っているのでしょうか。
曰く、
「そりゃ、僕らだって、それ位のことは分かりますよ。それに積極的に提案したこともあります。
でも、そのたびに、『何勝手なことをやっているんだ』とか『とにかく俺の言う通りやれば良いんだ』とかカミナリが落ちるんです。だから、考えてやろうにも僕らの意思が入る余地がないのですよ。」
なるほど、こちらもよく分かります。
何も考えていないのでなく、考え過ぎて動けないようです。
そして、彼らなりに閉塞感を感じているのです。

■お互いの責務

上に立つ人には上に立つ人の、その下で働く人には下で働く人の責務があります。
上に立つ人は、現場の隅々まで目が届かないので、そこは現場のメンバー一人一人に任せたいところです。だから、言われなくても自分で考えてくれよ、となるのは当然です。
もし、管理者が何から何まで全部指示を始めたら、とても身が持ちません。
その代わり上に立つ人は、指示することの理由、そして達成すべき水準を明確にしなければなりません。そして、メンバー一人一人が動きやすいように権限を明らかにする。例えば、「ここまでは自由にやって良いから、適宜報告をするように」のように。
そして、自由にやらせる以上、そこで発生する多少のトラブルなら自分が引き受けてやるくらいの懐の深さも必要です。そうしないと、メンバーが安心して力を発揮できませんから。
対して、メンバーは上の立つ人の考えていることにいつも関心を持たねばなりません。
このような指示をする意図は何だろう?
「ハッキリ言って禅の考案だ」とか「どうして、そこまで上の気持ちを読まなければならないのか」とついついボヤきたくなりますが、それを言っている限りは何も変わりません。
責任を持つのは現場のリーダーであって私たちではありません。と言うか、私たちでは責任を取りたくても取りようがないのです。
だから、そこは上の人に任せて、自分たちは責任者の考えた通りに現場を動かせるよう心を砕きます。
つい、「自分の方が見えている」「自分の方が正しい」と言う心が出て、それが通らない現場に閉塞感を感じますが、自分が責任を持つわけでないことをよく自覚しなければなりません。

■組織は指導者の器以上にはならない

言わなければ動けない人たち、そして、閉塞感を感じさせる上司。
つまりは、お互いが本来果たすべき責務を放棄していることが分かります。
そして、相手の所為にして愚痴りながら、互いの閉塞感を深めてしまうのです。
・・・
この話は、どちらも経験している自分には耳の痛い話でした。
人をまとめている時には、散々「もっとしっかり指示してくれ」とか「あなたの元では働きづらい」と言われてきました。
それに対して、「そこは、君らの責務だから、プロジェクトを完遂するためにはどうすべきか、自分らでよく考えてやってくれよ」と言い返していました。
しかし今、皆んな動けなくて困っているのです。それを放置していること自体、リーダーの責務の放棄と言われても仕方ありません。
・・・
組織の上と下の人にはそのような関係があります。そして、それは各個人の価値とは関係なく、得手な役割をこなしている訳です。
リーダーは、細かいオペレーションはしない分、まずビジョンや方向を明確にし、それを皆んなに伝えます。また言い分をよく聞いて仕事しやすい環境を作る。そして、直接手は出さないまでも、現場をよく調整し、組織内で起きた一切について責任を持ちます。
そのリーダーに対して、メンバーは最高のオペレーションで答えます。
ですから、組織の有り様はまずリーダーが発信し、その責任を負わねばなりません。
それがハッキリしないと、自分勝手に動き始め、船頭多くして船陸に上がる状態になります。
故に、組織は指導者の器以上にはならないと言われるのも、なるほどと納得できます。

■ともに育つ

とは言え、本来リーダーの素養がある人もあれば、ない人もあります。
私などは、完全にリーダーの器ではなく、一オペレーター向きです。
しかし、成り行き上リーダーを務めねばならない場合もあります。
正直不向きですし、固辞したいところですが、地勢学的に他に適任が居なければ辞退する選択肢はありません。
そんな時、本来器でないものが自分を大きく見せようとすると失敗します。
むしろ、リーダーは敢えて弱い自分をさらけ出すくらいでちょうど良いかも知れません。
真田丸で、徳川、北条の連合軍が迫り、頼みの上杉も動けない状況で、窮地に立たされた真田の頭領 真田昌幸は家臣団を前に、「どうしたら良いのじゃ」と思わず漏らします。
知略に優れ、いつもなんらかの答えを持っていた真田昌幸は、この時も家臣団からそのように思われていました。
今回もなんとかするだろうと皆が期待していたところ、臆面もなく「どうすれば良いのじゃ」とポロッと漏らします。
これで慌てた家臣団は、「かくなる上は徳川、北条に一矢報いるのみ」と腹を括りました。
時に、リーダーの本音が集団を結束させます。
自分に器がないと分かれば無理に気負わなくても良いのです。周りに知恵を出して貰い、一緒になって運営する。
もちろん、最後の責任までは分担できませんが、リーダーとメンバーがともに成長する組織作りもあって良いと思います。