今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

次に晴れればそれでいい

(写真:光の水辺)

■人生百戦百勝はない

女医が主人公の人気ドラマでの決め台詞が、
「私、失敗しないので」
カッコイイと思う反面、そんな馬鹿なとも思う。
なぜなら、あのブラックジャックですら、時折力及ばずで、患者を死なせているのだから。さすが、もと医者が書いた漫画だけあって、荒唐無稽なフィクションと言えど、そこはリアリティを出していると言うことか。
しかし、「私、失敗しないので」が、何故そこまで支持されるのだろう。
失敗しない完璧な人間、無敗の王者、それが我々に刷り込まれた現代のヒーロー像かも知れない。
確かに、少年ジャンプの連載漫画でも、ヒーローが負けたら、そこで話が止まってしまう。あるいは、一度は敗退しても、再戦では必ず勝って、しかも相手からのリベンジもない。絶対王者である。
しかし、現実には、そんな百戦百勝はありえない。優秀な経営者でも、当たるのはせいぜい2割。カリスマレベルでも5割。
スーパードクターにだって、助けられない命がある。
ある有名な起業家氏曰く、
「みんな、オレのこと、凄い先見の明があって、人じゃできないことでも、なんとかしちまうヤツのように思ってるけど、オレでも成功させられるのは、せいぜい5割。あと、50パーセントは失敗してるんだよね。」

■勝っては慢心し、負けては沈む

だから、人生に負けや失敗があるのは当たり前。
だが、我々は一度勝てば、その後もずっと勝てると勘違いし、慢心のそり身を晒している。ところが、一度負けると、もう勝てないように思って、ガックリと落ち込む。
そのように、一回一回の勝ち負けに拘っていたら、前段のカリスマ起業家氏でも、一年の半分は暗い顔をしていなければならない。
飛び込み営業が主流だったころ、セールスの極意を聞いたことがある。
すると、一流セールスマン氏にして、答えは至ってシンプル。
「経験を積めば、何件訪問して1件契約が取れるか分かるものでです。
例えば、100件で1件ならば、月に10件契約を取ろうと思えば、1000件は訪問しなければならない。あとは、どのように1000件回るかを考える。
それに、もし今の1件断られても、100件回れば契約が取れるから、あと◯◯件と思って、ワクワクして来るのです。」

■雨や曇りにも意味がある

さすが、一流セールスマン、凄いなあと感心する。
自分の成功を定数化して、あとはひたすら大量行動である。この考え方の凄いところは、立てた目標に対して、自分のすべき行動の量が直ぐに分かってしまうところである。
あとは、ひたすら淡々と勝利に向かって行動する。そして、さらに研究工夫を重ねれば、より少ない行動で結果が出せるようにもなるだろう。
負けを積み重ねるからこそ、勝つ機会も巡ってくる。いわば、勝ちタンクを充填しているとも言える。
勝ちの定量化を図っていない我々は、どうしても、ポンと目標を渡されると、「やっていれば何とかなれる」に腰を下ろす。当然、そこまでの種まきをしないから、目標が達成されることはない。
「あ〜あ、ムチャ振りなんだよ。いきなり目標を振られても出来る訳ないじゃん。」
しかし、これは定量化が出来ていないから、勝つイメージが湧かないだけなのだ。所謂、負け癖である。
勝ちの定量化が出来ていれば、雨や曇り、つまり負けや失敗にも意味が出る。着々と勝ちタンクへの充填は進んでいる。

■次に晴れればそれでいい

また、結果がでないことを喜べと言う人もいる。
「種を蒔いても、結果がでない。蒔いた種が腐ってしまったのか。
しかし、そんな馬鹿なことはない。蒔いた種は必ず生える、である。
今結果が出ないと言うことは、貯金していると思えばよろしい。そして、結果が現れた時は、利息がついて何倍にもなって返ってくるから、そう思えば楽しいでなないか。」
確かに、そう教えられれば元気が出る。
どうしても、結果が出なかったり、失敗すると元気がなくなる。しかし、今は充填時期。
逆に、パッ、パッと結果が現れたたら、出尽くしたら後は下るだけと思うから寂しくなる。
銀行に残高が増えたら嬉しくなるように、現れていない種まきの残高が増えたと思えば喜べる。
負けや失敗、雨や曇りは、次に晴れるための充填時期だから、「次に晴れればそれで良い」。失敗しても、負けが込んでも、腐らずたゆまず大量行動をしたい。