今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

無表業

(写真:暁光)

■無表業

埋めてしまった地面の中、ましてや、巨大な構造物を上に載せたら、その中はどうなっているか、絶対に分からない。
「どうせ分からないんだし」と油断はなかったか。

工場の中も、何が行われているか外部からは見えない。
少々衛生管理面で問題があっても、表面化しなければ、だんだんと管理が甘くなる。

人から見えないところで、こっそりする。
人前でしたら非難されることも、一人暗闇の中ですれば見つからない。
未成年者の喫煙や、ドラッグ吸引のような、直接的に人に被害が及ばない行為なら尚更である。

匿名で、一人自室、インターネットに悪口を書きまくる。
誹謗中傷された方は、ネットの向こうに異常人格者、悪魔を見るだろうが、豈図らんや、誹謗者は日常では人格者と尊敬されている。

心の中で、こっそり思う。
人に対して、浅ましいこと、淫らなこと、口に出して言われたら発狂するようなことを思う。
しかし、心の中は見えない。
目の前には、ニコニコしている優しい友達がいるだけである。

■蒔いた種は必ず生える

した行為は、土に埋もれ、消化され、時間に消され、風に流される。
行為者の記憶からも、いつの間にか消えてゆく。

後から、「あの時は、なんとひどいことをしていたな」「見つかっていたらどうなっていたか」と慄然とする。
これら、表に現れてこない種まきを「無表業」と言う。

我々は、した行為が表面化せず、その時をやり過ごせれば「やれやれ」と思う。
そして、それで全て相済みになると考えている。
「へえ、時速140キロで走ってきたんだ。よく警察に捕まらなかったねえ。」
「大丈夫さ。取り締まりが緩い場所ばかり選んで走ってきたから。それに信号無視もしたけど、全然平気だぜ。」

しかし、「蒔いた種は必ず生える」としたら、どうだろう。
その時は、結果を表さなくても、その行為の火種は自分の中にブスブスとくすぶっていて、ふんだんに空気を吸い込んだ時に、一気に炎上するとしたら。
そんなことを考えさせる事件や事故が多すぎる。

■未来への責任

ある時、住人が気がついた。
マンションの手すりが2センチずれている。
そこで、管理会社に依頼して調査したところ、マンション全体が傾いていた。
原因は何だ?
必死の究明をしたところ、巨大な構造物を支えるために地面に打ち込んだ杭が、固い地盤まで到達していなかった。
しかし、正常に作業を完遂したことを示す報告書はデータが改ざんされ、顧客や販売会社には安全性の高い建物として提示されていた。

そして、マンションは傾斜した。
当然、周りは常態化していたのでないか、と猜疑する。
施工会社が手がけた何千棟、問題の担当者が手掛けた何十棟は大丈夫か、一斉調査が始まる。
今まで、地中深く埋葬されていた無表業が一気に噴出したのだ。

長い間、放置されていた食品工場の衛生管理の不備。
消費者はトップブランドだからと安心して、日常的に利用していた。
ところがある時、工場から出荷された食品を食べた人たちが相次いで食中毒で体調を崩し、そこで食品工場のズサンな管理が表に出た。
それは、企業全体のブランドを揺るがし、業績の悪化を招くことになった。

対岸の火事と思うまい。
日常的に無表業を作って、結果が現れないのを良いことに、身に溜め込んでいるのは自分でないか。
人に分からないように許されないことをして、見咎められなかったからと、ニンマリする。
仲間内では悪口を言い、本人の前では善人を演じる。
心では、ひどいことを思いながら、人格者のふりをする。
皆んな、思い当たることばかりである。
どんどん溜め込んだ無表業が発火して、いつかこの身もろとも吹き飛ばされるかも知れない。

表業、無表業問わず、今の言動に、未来の自分自身への責任がある。悪業が止まらない自分だけど、自覚を持っていつも生活したい。