今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

幸せになるための型

(写真:畑の花々)

《型に始まり型に終わる》

歌舞伎の世界は、『型に始まり型に終わる』と聞いたことがあります。
演目毎に先人たちが磨いてきた型があり、後継者たちはそれを繰り返し身体に染み込むまで修練します。
そうして、歌舞伎と言う完成された形式美を後世まで伝えていこうとしています。

他にも、空手や剣道でも繰り返し型の練習を行います。もちろん、その人の体躯にあった技の使い方もあるでょうが、型には最も無駄がなく、かつ効果的に技が繰り出せるように先人が何代もかけて磨いてきた歴史の重みがあります。だから、その基本がしっかり身についてこそ、その人なりの技の工夫も生きるのでしょう。

《意識せずにできるまで》

歌舞伎によらず、武道によらず、型の修練は、意識せずにそれをできるようになることが目的です。

意識せずにできるとは、例えば、私たちが階段を上る時のようなことです。
私たちが階段を上る時に、
「まず、左足に重心を移して」
「次に右足を上げて」
「右足を下ろすと同時に、右に重心を移して」
「前傾姿勢のまま、左足を上げて」
と言うことは考えていないはずです。
右足を上げるところから、左足が着地するまで、一連の動作を無意識に行っています。

例えば、空手の試合で、相手と拳を交えての攻防の最中に「正拳突きの正しい手順は」などと考えてはいられません。
身体に染み込ませた型によって、一連の技の応酬を意識せずに繰り出しているのです。

また、私たちならば、日々使っている敬語も型の実践です。
お客さんと対面した時に、
「こちらにおかけください。」
「何をお召し上がりになりますか。」
と自然に口をついて出ます。
その時に、「お召し上がりになりますか」だったかな、「いただかれますか」だっかな、といちいち考えてはいません。
また、「何をいただかれますか?」と間違った敬語を使わないように、是非とも正しい型を身につけたいものです。

《幸せになるための型》

人間には、自分を幸せにする行動、不幸にする行動があります。
そして気を付けないと、ついつい自分を不幸にする行動を取りがちです。

昔、私の友人に悪い口癖をもった人がいました。
とかく何かにつけ、「〜するハメになった。」「〜をやらされた。」を連発するのです。
側から聞いていると、まるで世界中がその人だけに不幸を押し付けているようです。
言動がそうだから、当然心までそうなって、いつも渋ヅラを下げていました。そして、友達もいつの間にか距離を置くようになってしまいました。

彼は、何かにつけ悪い口癖を連発するので、悪い行動、言い換えれば悪い型が身についているのです。
そのため、意識なく悪い言動をとって自分から不幸を呼び寄せます。

ならば、人生幸せになる為には良い型を身につければ良いと言うことになります。
幸せの型、具体的にはどんなことでしょうか。

心なら、今の自分の幸せをしっかり感じる。
人と比べて、足らないもの探しをしたらキリがありませんからね。
アルファロメオやフェラーリやポルシェに乗っていない。
社長じゃない、役員じゃない、部長じゃない。
人から先生と言われていない。
銀座で豪遊できるお金を持たない。
妻がモデルのような容姿じゃない。
反対に無い物ではなく、あるものを探したらどうでしょう。
全人類の豊かさランキングでは、上位何パーセントに入っていますか?
ましてや、かつての平清盛や豊臣秀吉以上の贅沢を許されているではないですか。

そして、頑張っている人を尊敬する。
リスペクトなくして、学ぼうと言う心は起きませんし、自分自身吸収して成長ができません。
逆に、まだまだの人を応援する。
人をフォローするままが自分自身の学びとなり、成長となります。

口ならば、気持ちの良い挨拶、返事をする。
よく「小学生じゃあるまいし、そんなこと教えて貰わなくても結構」と言う人がいますが、そんな人に限ってサッパリだったりします。
あと、前向きな言葉や、有難うを口にする。
かつて、私の上司に何でも「有難う」と言う人がいて、言われた方が逆に感心するくらいでした。もう、その言葉を口にすることが型として身についてしまっているのでしょうね。

身体なら、笑顔を絶やさない。
そして、何か自分にできることは無いか、いつも心配りをしている。
電車で高齢者が目に入った瞬間、サッと席を譲るような人です。

以上、ほんの一部ですが、これが私達の幸せになる為の型だと思います。
偉そうなことを書いていますが、私自身、まだ全く身に付いていないと反省しています。また無意識の内にとはいかず、むしろ抜けがちです。しかし、反復練習をして是非ともこの幸せの型を身につけたいと思います。