今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

善培養、悪培養

(写真:密林の覇者)

《惑業苦

この間はびっくりしました。新幹線の中で、70代の男性が頭から油を被って焼身自殺を図ったのですから。何故、よりにもよって、そんな場所で?おかげで巻き添えになった人は決して少ない数ではありませんでした。
その後のネットの論調は、はた迷惑なテロリストと強い非難が繰り返されています。
やはり、彼も現代の生み出したモンスターなのでしょうか?

最近の通り魔的大量殺人にしても、事後取り調べてみると、「死にたかった。どうせ死ぬなら大勢巻き添えにしてやろう。」と思ったとか。
あるいは、衝撃的だったのは、飛行機の副操縦士が、乗客もろとも自殺を図った事件とか。
結局、生きていくのに自信がなくなった人間が、なんのかんのと理屈をつけて、人を巻き込んだら寂しくなく死ねるんじゃないか、あるいは自分で自殺する勇気がないから、公権力に無理やり死刑にして貰おうと言う発想です。

まさに、人間世界に異世界から現れたモンスターとしか思えませんが、誰しも生まれた時から、そんな異常な人間だった訳ではありません。
おそらく、ちょっとしたつまずきが原因で、それがどんどん悪化の一途を辿り、最後自分ではどうにも制御できないくらいの心の闇を抱えてしまったのでしょう。
まさに、負の感情の悪培養です。

これを古来「惑業苦」と教えられます。
人間苦しみがあると「惑い」ます。惑った結果、今度は悪い行い(「業」)をします。悪い行いをすれば、当然悪い結果(「苦しみ」)がやってきます。すると、その苦しみがもっとひどい惑いを生み、惑いがさらにひどい悪業を作らせます。そして、その結果は以前の何倍もの苦しみです。この「惑業苦」の負のスパイラルはとどまることを知らず、結局地獄に堕ちるまで止まることはありません。

一つ例をあげると、家庭で奥さんが自分の気に入らないことをする(惑)→思わずひどい言葉を言う(業)→奥さんがたまらず家を出る(苦)→一人になって寂しくてたまらない(惑)→知りあった女性と浮気をする(業)→女性からもっとお金を貢ぐように要求される(苦)→お金の工面に困る(惑)→銀行の襲撃を計画(業)→事前にばれて警察につかまる(苦)→前科者になり、いよいよお金に困り、今度は民家の襲撃を計画(惑)→民家を襲撃した際に何人もの人間を死傷させる(業)→その罪で死刑を言い渡される(苦)

《モンスターは小さいうちに退治せよ》

よく事件の後に、近所の人が「あんな普通の人が、そんなだいそれたことをするなんて信じられません。」とコメントしますが、誰しももともとは普通の人だったのです。
しかし、自分の心に芽生えた「惑」の芽をうまく摘み取ることができず、増殖をさせてしまったのでしょう。

これを「モンスターは小さいうちに退治せよ」と教える人がいます。
ここで言うモンスターとは、「嫌い」「怖い」「嫌だ」「気持ち悪い」「合わない」と言う負の感情のことです。これが自分に向くと「ダメだ」「生きている価値がない」「最低」「死んだほうがマシ」となります。
これを放っておくとどうなるか?
私もいつも経験することですが、一旦誰かに「嫌なヤツ」と言う負の感情を持つと、やることなすこと全てが嫌に思えてきます。
周りのことを考えて、ムード作りのために元気よく大きな声を出すのだって、「うるさい」とか、「大きな声で周りを威嚇している」と捉えてしまいますし、冷静に事態を判断する所が、「理屈っぽくて人間味がない」と思えてきます。
そのように、負の感情は加速度的に悪培養されて、アッと言う間に手がつけられなくなります。

これを防ぐには、早い時期にきちんと会話して、人となりを確かめて負の感情を取り去る必要があります。
つまり、「モンスターは小さいうちに退治せよ」です。

《どうせするなら善培養を》

でも、感情の培養は、悪培養だけではありません。善培養もあるのです。
もの凄く好感を持った相手なら、多少のいい損ないや、やり損ないは許せますよね。好きなアーティストがテレビで字幕と違う歌詞を歌っていても、「未熟なダメアーティスト」と言わないじゃないですか。むしろ、たまに間違うくらいが人間味があって良いと、ますます好きになります。
同じように、人に対して良い感情をいだくように努めれば、多少のやり損ないで人間関係を壊すようなことは避けられるでしょう。

また、前段で紹介した「惑業苦」のスパイラルにしても、最初の「惑」のうちに止めておけば大事に至らなくて済みます。
奥さんに怒鳴りたくなっても、そこは「いつも頑張ってくれているから、たまには出来ていなくてもいいよね」と抑えれば、その後のスパイラルを防げます。もし、悪い女にはまっても、「自分の人生を使うに値しない女」と割り切れば、その後の「惑業苦」の輪は止まります。
つまり、奥さんに対する気持ちの善培養、自分の人生の価値に対する善培養が危機を防いでくれるのです。