今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

人を貶めるのは、最悪の毒

(写真:暮れなずむ桜 その3)

人が二人寄れば

漫画『ダメおやじ』で、主人公の天野ダメ助が、知床に左遷されるシーンがあります。
左遷ではありますが、上司の部長は「営業所長にしてやったんだぞ」と、さも恩義せがましく言います。
すると、ダメ助も気を良くして、「そうですか、部下なんかいたりしますかね?」と聞くもんだから、部長は「誰かいたら、そいつが所長になるだろう」と彼の無能さをからかいます。
それでも、「あ、そうか」とあっけらかんと答えるダメおやじこと、ダメ助が哀れを誘います。
そのシーンを子どもの頃に読んで感じたのは、人間2人いれば必ず序列ができると言うことです。
こいつは、俺より上か下か、上なら何とか足をすくってやろう、下なら俺が上だと事ある度に思い知らせてやろう。
そんなことばかり考えているのが、私たちではないでしょうか。

優越意識の虜

私たちは、つくづく優越意識の虜なのだと思います。
常に、見下ろされたくない気持ちが吹き上がります。だから、人の何気ない一言が気になり、人の笑い顔が馬鹿にしているように思える。油断していると、どんどんストレスを培養して、ついには同じ空気を吸いたくない相手までに嫌悪してしまいます。
また、反対に上に立って見下ろしたい心が常にあります。
責任が重くなって、しんどくなるのが分かっていても出世がしたい。楽は下にありと言われても、あいつの下になって見下ろされるのは願い下げ。むしろ、あいつよりもこいつよりも上に立って威張りたい。
そんな心ばかりで、常に人に勝りたいと思っています。
また、自分がもし人より勝る瞬間があれば、それを心に焼き付け、99パーセント負けている相手でも、自分の方が優っている根拠にします。
本当にどこどこまでも、優越意識の塊だと身にしみます。

苦しみの発生源

でも、心の中とは言え、人を貶めていると、いろいろな苦しみがやってきます。
例えば下に見ていると、何気ない一言が許せなくなります。
「◯◯のくせに!」と言う思いが吹き上がって、必要以上に腹を立てねばなりません。
ムカムカと腹を立て続けるのは、たいへんな苦しみです。
また人を下に見ていると、自分が負けた時に、恥ずかしさと悔しさでのたうち回ることになります。
でも、嫌な奴と思われたくないから、一生懸命人前を取り繕って、ますます苦しみに油を注ぎます。
しかし、よく考えてみれば、周りが優秀だろうが、つまらんものばかりだろうが、自分自身の価値は変わりません。
人に優越感を持てたからと言って、財布の一万円札が増える訳でも、男ぶりが上がって女性にモテる訳でもありません。
考えてみれば、つまらぬことに時間と精神力を使っていると反省させられます。

悪因悪果

優越意識とは、つまるところ人を心で踏みつけて楽しむことです。
そんな酷いことを言わなくても良いじゃないか、と言われるかも知れませんが、その証拠には、近しい知り合いが成功した時と、また失敗して苦しんでいる時、心はどう動くでしょうか。
例えば、知り合いの息子が東大に合格したと聞いた時、あるいは、東大を卒業してもまともに就職できず、引きこもっているとは聞いた時。
あってはならないことですが、優越意識が泣いたり、喜んだりしていないでしょうか。
例え、心の種まきでも「悪因悪果、自因自果」は変わりません。
だから、優越意識に縛られている限り苦しまねばならないのは前段に明らかにしたとおりです。
かの吉田兼好は、「人に優れているのはむしろ欠点だ」とまで言いました。
人に優っていると、ついつい奢りの気持ちが強くなり、我知らず人を貶める心に縛られるからです。
しかし、幸いにして人に優れたところを持たない自分は、あまり優越意識の毒に浸されなくても良いかも知れません。
それでも、全身を耳にして人に勝れるところを求める人間でもあります。
優越意識の毒におかされぬよう、よく自分にない人の良いところを見て、常に謙虚でありたいと思います。
ただ経験上、それはとても難しいことですが。