今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

年を取ると普通の人間は柔和になり、成功者は研ぎ澄まされる

(写真:クレイ令嬢)

■年を取ると

「年を取ると普通の人間は柔和になり、成功者は研ぎ澄まされる」
不思議な言葉であり、また深い示唆を感じさせる言葉でもあります。
年を取ると人間は柔和になるのは、私たちはよく経験をしています。
とかく若い内は、自分を自分で持て余しています。自分の中の信念と言うか、ルールのようなものを、他人にもそのままぶつけがちです。要は、なんでも思うままにしようとしたり、また他人を考慮する余裕がないのです。
しかし、年を取ると、心にひだができて、自分の感情を感じづらくなるところもあり、また人の気持ちを慮る余裕も生まれます。
また、経験上、なんでも人生思うに任せないと分かるので、自分自身に期待するところが少なくなり、結果が思うように出ないことに対して許容できるようになります。
結果、他人と自分を許せるようになるので、柔和になったと感じられるのだと思います。

■研ぎ澄まされる人

反対に、年を取るほど研ぎ澄まされる人がいると言います。
どんな人でしょうか。
曰く「成功者」です。
まず、「成功者」を定義しなくてはなりません。今の世間の風潮のように、お金をたくさん稼いだ人を成功者と言ってしまうとおかしくなるからです。
やはりここは自分の仕事を、一定のレベルを超えて極めたプロフェッショナルと言いたいところです。
確かにその道のプロは、自分の仕事に対して研ぎ澄まされて行きます。
すなわち、長年かけて自分の仕事を磨いてきた結果、自分自身に対する要求のレベルがものすごく高くなっているのでしょう。
だからこそ、自分のみならず、人に対しても高いレベルを要求する、非常な仕事の鬼ですし、ちょっと近寄り難い雰囲気も持っています。しかし、だからこそ、ここ一番の期待度も高く、結果成功者と仰がれるのだと思います。

■大望に生きる

若い頃は、第一線で頑張っていたけど、年齢がいってからは、そこを退いて後進の指導に当たっているとか、少しペースを落としてゆっくりと仕事をしているとか、よく聞く話ですし、おそらく自分自身もそうなっていくのだろうと思います。
それは、明らかに若い頃よりできなくなっている自分がいますし、また、だから仕方ないのだと許している自分もいます。あるいは、それを老成と評価されるのかも知れません。
ですが、本当に研ぎ澄まされていく人は、生涯現役で、第一線の壁に挑戦し続けています。
何故でしょう。
おそらくそれは、目指しているレベルや、心に抱いている願いがものすごく高いからではないでしょうか。
そもそも人の評価が基準でなく、目指すべきレベルが自分の中に確固としてあり、それを基準として生きているからです。
葛飾北斎が80を越えてでも、なお新境地に挑み続けたように、自分の体力や年齢すら壁になっていないのでしょう。

■人生の時間を生き切る覚悟

昔、緒方拳主演の「北斎漫画」と言う映画で、西洋画に衝撃を受けた葛飾北斎が「90までに西洋画を我がものとし、100までに新境地を開きたい」と独白しながら、夢半ばで絵筆を握ったまま絶命するシーンがありました。
まさに、命の終焉との競争です。
仕事はどこまで行ってもキリがありません。一つの頂に立ったかと思えば、霧の彼方にまた遥かな峰が現れる。そして、そこを目指して、キリもキワもなく歩き続けなくではなりません。
しかし、我々は普通どこかで見切りをつけます。自分自身の限界をどこかに設定します。
若い頃は漠然と、社長になろうとか、その道で世界一になろうとか夢を描きます。それがだんだん自分の能力の壁にぶち当たり、妥協をし始めます。
それは、それでとても大切なことです。一生高みを目指して生きる苦しみは計り知れませんから。
一方、研ぎ澄まされていくプロフェッショナルには、足を止める選択肢はありません。
自分の命の続く限りが、自分のフィールドなのです。そして、目的の大きさに比べ人生の短さを実感するのです。
そんな、人生の時間を最後まで生き切る覚悟は、もちろん私などは遠く及びませんが、その万分の一でも学ばせていただきたいと思います。