成長とは、考え方×情熱×能力#121
遅参
「すげえ、Sクラスのベンツだ。」
その場におよそ似つかわしくない重厚な黒塗りの車両が、ホールの玄関に乗り入れた。
ホールの職員がそれを見て目を丸くする。
その後方のドアが開いて、華奢な足がのぞいた。
「安希子さん、無理言って済みません。」
「それより、お嬢様、あと車どうするんですか?」
「帰りはなんとかしますから、安希子さんはそのまま乗って帰って貰えます?」
「じゃあ、私、このまま寄りたいところがあるんですけど、いいですか?」
「あの、お仕事が大丈夫なら構わないんですけど。今朝忙しそうでしたし。」
「あ・・・、ああ、それは大丈夫です。」
(あ、そう。大丈夫なんだ。)
「ガソリンはダッシュボードのカードでいいですね?」
「え?」
「あ、何でもないです。それでは、私急ぎますので、早く降りてくださいませ。」
「あ、はい。」
歌陽子が車から降りると、安希子を乗せたSクラスのベンツは、重い排気音をさせて走り去った。
(いったい、どこまで行くつもりだろ?)
安希子の行く先を気にしながらも、歌陽子自身も急ぐ身だった。
(もう、12時、きっとものすごく怒られるわ・・・。)
歌陽子は、慣れない高いヒールを鳴らしながら、会場のホールへと急いだ。
一方、ホールのロビーでは、会場を日登美に任せた野田平と前田町が暇そうにしていた。
「前田の、だいだいお前は甘いんだよ。本番に、寝坊するようなふざけたようなヤツは、ガツンと言ってやるんだよ。」
「まあ、いいじゃねえか。嬢ちゃんに何事もなかったんだからよ。あの、宙とか言う、東大寺のクソガキ、『ねえちゃんは来ねえよ』とか抜かしやがるから、『どうしたんだ』って聞いたら、『昨日俺が叩きのめしたから、今日は一日ベッドから起き上がれねえ』とか言いやがって、あんまり言い方が憎らしかったから、ガツンと・・・。」
「え、お前、あそこの御曹司、ぶん殴ったのかよ?」
「は?ガハハハ。軽くだよ、軽く。」
「前田の、やっぱり、お前肝座ってやがるな。」
「ばあか、のでえら、おめえこそ、東大寺の令嬢をさんざんはたき回してるだろう。」
「か、カヨは、カヨだ。まあ、身内みたいなもんだし。それに、俺はあいつの教育係だからよ、今日でもガツンと言ったぜ。」
「そう言うな。電話を代わったらよ、嬢ちゃん、ガタガタ震えてやがったぜ。よっぽど、俺らに申し訳が立たねえって思ったんだな。」
「単純にお前が怖いんだよ。」
「それで、あんまり頭ごなしにやって、ここでトンズラを決め込まれても敵わねえ。とりあえず、カミナリはこちらに顔だしてからでも遅かねえ、って思ったのよ。」
「やっぱりか。まあ、俺が最初にキツイやつかますからな、あとは好きにしたらいいぜ。」
「おう、まかしときな。」
「あ、そう言っていたら来たぜ。呑気に手なんか振りやがって。俺らを怒らせたら、どうなるか思い知らせてやる。」
「あんまり、ビビらせるんじゃねえぜ。この後使いもんにならなくなったらコトだ。」
「それは、お前の方で調節しな。」
慣れないヒールを必死で鳴らしながら、歌陽子が駆けてきた。
「も、申し訳ありませんでした。」
そう言って、歌陽子は深々と頭を下げた。
だが、その胸ぐらにつかみかかって野田平は声を荒げた。
「てめえ、どういう了見だ!」
「きゃっ!」
「この、カ・・・ヨ、・・・・えっ!」
間近に歌陽子の顔を見た野田平の表情が変わった。
「お、お前、・・・凄え化けたな。」
一言で言えば、野田平たち年代にストライクの知的系女子。男なら誰しも心惹かれるニュースキャスター的インテリ女子。
知的な黒縁メガネに黒いリボンで結わえたポニーテール、歌陽子の細身の身体を引き立てる白いスーツ。
膝上5センチのスカートから伸びたすらりとした足に、高いヒールがよく似合っていた。
少女らしい可愛さを残しながら、しっかり大人の色気も発散する。
今日の歌陽子は、完全に野田平の動きを封じてしまった。
「あ、あの・・・、ごめんなさい。」
「い、いいってことよ。これから、気をつけるんだぜ。」
啖呵を切りながら、歌陽子にやられた野田平。前田町に対して、かなり気恥ずかしい。
「ま、前田の、・・・なんだよ。仕方ねえじゃねえか。」
だが、野田平のそんな心配は無用だった。
ポカンとして、まじまじと歌陽子を見つめている。
「いや、その・・・、ガハハハ、びっくりさせやがる。嬢ちゃん、いってえ、どうしたんでえ。」
「あ、これは安希子さんが、ヘアもメークもしてくれたんです。あの、やっぱり変ですか?」
「へええ、あのねえちゃん凄えなあ。お前みたいなガキをこんないい女に化けさせるんだもんな。」
「全くだぜ。てえしたもんだ。見損なってたぜ。」
「あ、有難うございます。」
とりあえず、怒られずに済んでヤレヤレ、安希子に感謝である。
プリンスホテルのディナーくらい安いものかも知れない。
「あ、あと、安希子さんがもう一つ気を利かせてくれました。」
(#122に続く)