成長とは、考え方×情熱×能力#62
特別なおもてなし
「た、たいへんよ!歌陽子、たいへんなのよ!」
歌陽子の部屋に息を切らして飛び込んできたのは、母親の志鶴であった。
しかし、当の歌陽子の姿が見えない。
「あら?安希子さん、歌陽子は?こちらで休んでいると聞いてきたんだけど。」
安希子が、無言でベッドの上の枕を指差すと、志鶴は心得たように枕を掴んで力任せに引き剥がした。
そして、枕の下から鼻の頭を赤くした歌陽子の顔が現れた。
「歌陽子!あなた、なにしてるの!?まあ、泣いてたの?」
「・・・。」
気まずくて黙るしかない歌陽子に代わり、安希子が答えた。
「歌陽子お嬢様は、少々幼児帰りをされて、さっきからずっと拗ねておいでです。」
だが、そこは桜井希美がフォローに入った。
「おばさま、申し訳ありません。実は、私たちがひどいことを言ってしまったみたいで。・・・いいえ、決してワザとじゃないんです。」
「まあ!」
さらに、そこを安希子が言い足す。
「いえ、大したこたとではありません。話題が、お嬢様5歳の時のピアノリサイタルの話になったら、急に泣き出されたんです。」
それで、(ああ、なるほど)と合点の言った志鶴。
「もう、ホント、トラウマになってるわね。いつまで引きずってるんだか。」
いつの間にか、また涙目になっている歌陽子。
「いいえ、おばさま、歌陽子さま、すっかりナーバスになられて。」
由香里もフォローをするが、志鶴は声を固くして、
「歌陽子!そんなの、後になさい!今はそれどころじゃないんだから!」
と娘を叱りつけた。
それで、由香里がおずおずと聞いた。
「あ、あの、おばさま、どうされたんですの?」
「それがねえ、今お客様に飲み物と軽くつまめるものをお出ししてあるんだけど、この後のお料理のことが気になって厨房を覗いたのよ。そしたら、コックが全員もぬけの殻なのよ。」
「お料理は?」
「それも、跡かたもないの。途中まで、準備していたのは間違いないんだけど、材料らしきものも何もないのよ。」
その会話に安希子が加わった。
「でも、軽食を並べている時は、厨房から出してましたけど。奥様はいつ頃確認されたのですか?」
「え?私は、今日のお昼前よ。」
「じゃあ、仕込みの最中ですね。実際に、材料とか、作りかけの料理とか確認されたのですか?」
「い、いえ、その。なんか今日はみんな妙に話しかけ辛かったし、すぐに奥に引っ込んでしまって、だから厨房の奥で作業をしていると思ったのよ。でも、きちんと三日前にはメニューも確認しているわ。」
「どう言うことでしょうね?」
「だから、歌陽子が何か聞いてないかと思って。」
「内向きは全て奥様が取り仕切られているのに、なぜ歌陽子お嬢様なんですか?」
「その、私でも手に余るものがあるわ。」
「と言うことは。」
「そう、先代のおじい様。ずっと姿が見えないからおかしいと思っていたのよ。」
「確かに、お嬢様なら、大旦那様から何か聞かされている可能性がありますね。で、どうなんですか?お嬢様。」
「歌陽子?」
志鶴と安希子に詰め寄られて、歌陽子はベッドから身を起こしながら後じさった。
「わ、私は何も・・・。」
安希子と志鶴はアイコンタクトした。
「奥様、どうやら、何かご存知の様子ですよ。」
「か、よ、こお、正直おっしゃい!」
「で、ですから、サプライズだとだけ・・・。」
そこで志鶴の厳しい声が飛んだ。
「ハッキリおっしゃい!」
「ですから、おじい様が特別なおもてなしをするとおっしゃって。お母様にも、黙っているようにと。」
「奥様、やっぱり。」
「歌陽子、あなたまでおじい様の片棒担いでどうするの。いままで、さんざん痛い目見たでしょ。」
しっかり志鶴に決め付けられながらも、歌陽子はおずおずと答えた。
「でも、みんな私のために良かれとして下さっているんだし。」
その歌陽子に志鶴が何か言い返そうとしたその時、急に安希子が叫んだ。
「あ、大旦那様!」
そこにふらりと姿を現したのは、先代東大寺家当主、東大寺正憲であった。
(#63に続く)