今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

自分が主人公(後編)

(写真:日の輪)

少女の微笑み

そして、今年もまた気の乗らない「ミヤタの会」の日。
もと同僚たちと連絡を取り合って訪問の日を決める。
だが、最近は参加者も減少傾向。薄情な、とも思うが、一概に責める気持ちは起きない。
何故なら、本当はオレ自身もやめちまいたい。でもいつの間にやら、オレが発起人だったってことになっているから、やめるにやめられない事情もある。
結局、今年の「ミヤタの会」はオレも含めて3人で行くことになった。
昨日のうちに用意した見舞いの品を持って、一応上にはジャケットを着て家を出た。
地下鉄とJRを乗り継いで、1時間ほどかけて宮田さんが長期入院している病院に着く。
本当のところ、長期入院は病床数の関係でできないはずだが、そこは宮田さんのコネで無理がきくらしい。
さて、病院にはかなり早く着いちまった。
他のヤツらが集まるまで1時間以上ある。
まあ、家に居てもやることなかったしな。
それで、広い病院の待合の片隅に陣取って時間を潰すことにした。
売店で雑誌とコーヒーを買ってページをめくりながら、見るとも無しに病院の薄く青みがかったガラスを通し外を眺める。
嫌な空だ。
黒く厚い雲が空いっぱい垂れ込めている。まるで今の自分の心と、これからの自分の未来を暗示するようじゃないか。
やがて、車椅子に乗った小柄な少女が、母親に押されてオレの隣にやって来た。
「いい?お母さん、お買いものに行ってくるから、ちょっとここで待っててね。」
「あ、あ、いいお。」
低く絞り出すように少女が答える。かなり喋りづらそうだ。
母親はそれを聞いて、安心したようにその場を離れて行った。
障害があるのだろうか。ぎこちない喋り方を聞いて、思わず隣の少女に目を向けた。
年の頃なら、13、4くらいであろうか。
黒髪をおさげに結んで肩に垂らしている。
前髪の下には不似合いな大きなメガネ。
分厚いレンズの下でキョロキョロとよく目が動く。
そして、顔全体が腫れぼったい感じがする。口からは、ああ、口からはだらし無くヨダレが垂れているじゃないか。
ピンクのジャンパーを着た小柄な少女は、明らかに障害を抱えていた。
(かわいそうに、あんたも厄介な身の上に生まれついちまったもんだな。)
思わずしげしげと眺めちまったオレの無遠慮な視線に気づいてか、少女は俺の方を見てニッコリと微笑んだ。

自分が主人公

その笑みには軽い驚きを受けた。
正直、オレたち老人や、障害を抱えた子供ってえのは、大抵世の中を拗ねてしかめ面をしているもんだと思いこんでいたから。
しかし、障害者をジッと見るのは良くない。
オレは自分のしたことが恥ずかしくなって思わず視線を逸らした。
すると、少女は人懐こい性格らしく、オレに話しかけてきた。
「えお、おじさあん、どこおがあ、悪あるいのお?」
「え・・・?」
そうか、病院に座っている老人は皆んな病気持ちってわけだ。
「いや、別にどこも悪くはないよ。知り合いの見舞いに来たんだ。」
「そ、そお、よかあったね、ああたし、うまあくしゃべれえないびょおきなあの。あと、足いも悪あるいのお。」
言葉はたどたどしいが、しっかり受け答えをしている。頭は至って聡明らしい。
「そうか。おじさんの知り合いもね、もう歩くことも喋ることもできないんだよ。」
「そおお、かあいそお。もう治らあないの?」
優しいんだな。自分だって相当たいへんだって言うのに。
「ああ可哀想だ。もう死ぬまで治らない。」
「ああたしも、死ぬまで治らあないんだよ。」
「つらいかい。」
「わあからない。だあって、わあたし、生まあれてからずっとこおのままだあから。」
「せっかく生まれるのなら、他の子のように健康に生まれたかったんじゃないか。」
本当はそんなこと聞く気は無かった。
しかし、無意味で残り少ない命を呪っているオレや、残酷な人生の幕引きを強いられている宮田さん、でも人生にはまだ良い時があった。でも、この娘にはそんな記憶もない。
そんなつまらない人生に何の価値を感じて命にしがみついているのだろう。
できることなら、あっさりこんな人生リセットして一からやり直せたら良いだろうに。
しかし、その問いかけに少女は強くかぶりを振った。
「ちがう!ちがう!」
それはビックリするくらいの大きな声だった。
「ああたし、つうまらない人生じゃなあい。ああたしだあけのたった一つの人生。だあれかが、勝手に決めちゃだあめ。」
私だけのたった一つの人生。
不意の重い言葉にたじろいでしまった。
「それは済まなかった。おじさんが悪かったな。」
「おおじさんは、生きるうのがつうまらないの?」
もちろん、大人らしく良識ある答えもできた。つまり、嘘を言うこともできた。
しかし、どう言う訳か素直な気持ちが出た。
「ああ、そうなんだ。人生の良い時は終わっちゃったから、後はツマラナイ時間が残っているだけなんだ。まるで、映画が終わってエンドロールを見ている気分だよ。はやく、席を立ちたいな。」

笑って死ねる人生

「おおじさん、こおんな話をしいっている?
あのね、ふうかい海の底に目えの見いえない亀が住うんでいたの。そおの、亀はひゃあく年に一回だあけ、海のう上に顔を出すの。
海のう上には、丸太あがう浮かんでいいてえ、ちいいさあいあ穴が空いているうのお。
そおんな目のみ見えない亀がう海の上にひゃあくねんに一度顔を出して、丸太あのちいいさあな穴にあ頭を入れえることがああると思う?」
それは、あれだろ、有名な『盲亀浮木』の喩えだ。
お釈迦様が、人間に生まれることがどんなにたいへんかを喩えで教えたものだと、昔近所の和尚から聞いたことがある。
「丸太は広い海の中だから、はるか遠くに浮かんでいるかも知れないな。たまたま、近くに漂ってきても、亀は目が見えないから丸太目掛けて泳いでは行けないし。あと、百年に一度しか浮かび上がらなかったら、100億年でも一度あるかないかのチャンスだろう。」
これは皆んな和尚の受け売りだ。
「そおお。」
少女は、嬉しそうに顔を輝かせた。
「そおれくらい、人間にう生まれるのはたあいへんなあの。そおやって、やあっとう生まれたんだもおの、ああたしの人生がつツマラナイもおのじゃだあめなの。」
そう少し上気した少女の顔に、窓の外からさした日の光が映えた。
雲が切れてきたようだ。
「ごめん、待ったあ?」
ちょうど、その時少女の母親が迎えに来た。
彼女はかぶりを振って、嬉しそうに母親に手を差し伸べた。
そして、母親に車椅子を押してもらって、窓から差し込んだ光の中を遠ざかって行った。
少女は、オレの方を振り返りながら、ニッコリ笑ってバイバイをした。
決して美少女とは言いがたい彼女が、とても美しく気高く見えたのは光の加減ばかりではなかろう。
しばらく、オレはその場に呆然として座り込んでいた。
時間にして、ほんの2、3分でしか無かったと思う。障害を抱えた少女とのわずかなやり取りが不思議な余韻を残していた。
オレは、自分の人生が思うままにならぬことに腹を立て、周りを毒づいていただけの小さな人間だったのか。
ビジネスとしての仕事は役目を終えても、まだ自分の人生の卒業式を済ませていないじゃないか。
獲難い人生なのに粗末に扱って、70年以上も生きて来た大人として恥ずかしい。
あの子供の方が、障害を抱えながらも自分の生を愛おしんでいる。よほど人間として立派だと思う。
ちゃんと勉強しなきゃな。
人生の卒業式の日の為にキチンと笑っていられるために。
そして、いつの間にか、陰鬱な雲は払われて青空が窓の半分を占めているのが見えた。
(おわり)
・・・
ついつい障害を抱えた人を見ると、気の毒に、とか、貧乏くじ引いたな、と安易な同情をしてしまいます。
でも、どんなに不自由な身体でも、取り換えの効かないかけがえのない人生です。
私自身、そのように自分の生を愛おしく思い、大切に過ごしているか反省させられます。
どこかのセレブのように欲を満たせるだけが人生の価値ではありません。このかけがえのない生命を生き遂げることこそ大切です。
なぜなら、自分こそ自分の人生の主人公なのだから。