今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

ミスを無くすには

(写真:黄金色の夕暮れ その1)

■ミスは防げるか

売上を伸ばすことは、企業の絶対命題である。
しかし、それに劣らず大切なことがある。
それは、ミスを無くすことである。
以前、大手データセンターで大量のデータが消失したことがある。
原因は作業担当者の単純な手順間違い。
大きな影響が想定されるから、マニュアルも整備され、手順も一つずつ確認をしながら行っていた。
しかし、それでも防げなかった。
当然、利用者に対する現状復帰や、消えてしまったデータに対する賠償には巨額のコストがかかる。また、メンテナンス業者にも、相応の賠償が求められることになる。
その金額、何十億。
メンテナンス契約を幾らで請け負っていたかは分からないが、余りに支払うものが大き過ぎる。
他に、病院の医療過誤も負担が大きい。
もちろん、人の命に関わることである。
事が起きた時の責任は、どれだけ重く問うても問い過ぎることはなかろう。
だが、すぐ何千万、何億と積み上がり、例え法廷闘争に持ち込んでも、時間と係争費用はたいへんな負担である。
それが、日々繰り返される医療行為の中で起こるのだ。病院側が得ている報酬に対して、余りに重い負担が発生する。そんな業務を日常的に行っているのである。

■プロの本質

運送業界でも、荷物の届け先を間違う「誤配」が起きると、運んでいるものによっては何百万もの支払いを求められる。
日常の作業での小さなミスが、会社に大きな迷惑をかけ、あるいは社会的な影響を与えかねない。そんな仕事を日々繰り返している。
しかし、それがプロと言うものかも知れない。
パイロット、ドライバー、医師、看護士等は、直接人の命を預かる仕事である。
会計士、税理士、コンサルタントは、企業の業績に影響を与える。
我々IT事業者も、これだけ世の中がコンピューターに依存している世の中では、請求書一つが企業の信用を左右しかねない。
つまり、サービスを提供することは、プロである業者が、顧客が負いきれないリスクを代わりに負担することなのだ。
我々の業務は常にリスクと責任とが隣り合わせなのである。
だから、プロは、他の人ができないことをする人と言えようが、むしろ他の人が負えないリスクを負う人とも言えよう。

■ミスに対する意識

プロとは、リスクを負える人。
と言うことは、ミスをしないのが前提。
しかし、我々プロにミスに対する意識はどれだけ刷り込まれているだろうか。
新人の頃は、想像しているリスクだけでも十分足がすくんでしまった。
おっかなビックリ先輩の真似をするが、なんだ、やってみると何と言うことはない。
それで慣れも手伝って、だんだん大胆になる。少し仕事も雑になる。
時折、ヒヤッとすることはある。
しかし、それにも慣れてしまい、さほど気にならなくなる。
だが、ハインリッヒの法則で言われるように、ヒヤリハットが積み重なると小さな事故を生む。それでも、小さいからと気を抜いていると、今度は小さい事故が積み重なって、取り返しのつかない大事故へとつながるのである。
すると、我々が負っているのはお客さんのリスクであり、責任である。たちまちに、自他共に取り返しのつかない事態に陥る。
そんな意識があるか、自分自身振り返らずにおれない。

■ミスを無くすには誠意

だから、我々の取り組みは、いかにヒヤリハットと、小さなミスを無くすかである。
大きなミスはいきなり発生しない。ミスをするには、ミスをするなりの土壌や雰囲気がある。それは、小さなミスやヒヤリハットを簡単に許している文化である。
ヒヤリハットの段階から無くそうと思った時、大切な意識は、仕事やお客さんに対する誠意の気持ちだと思う。
ある営業のマネージャーの方から、「お客さんのクレームには100倍騒ぐ」と聞いたことがある。
何故なら、我々にとってお客さんへのミスは100回の内の1回である。しかし、お客さんにとっては、1回の内の1回だからだ。
つまり、お客さんには100倍重い。つまり、100倍騒いで初めて、お客さんの気持ちと釣り合いが取れると言う。
以前の職場で、よくミスをしてお客さんに迷惑をかけていた人が、自分の購入品が不良だった時に火のように怒っていた。
それを見て、あれが迷惑をかけた時のお客さんの気持ちなのか、と身につまされた。
人にかけたミスに対する気持ちは薄く、自分が受けたミスに対しては無性に腹が立つ。
そんな自分の身勝手さを反省し、お客さんの気持ちを慮ることで、誠意ある対応ができる。
それが、ヒヤリハットを無くし、ひいては小さなミスを減らし、大きな事故を防ぐ上で大切な意識であると思う。