今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

相手を間違えない

(写真:石の花)

■一番難しいことは

ビジネスに於いて、最初に考えなくてはならないこと。そして、一番難しいこと。
それは、ビジネスの相手である。
縁あって、ビジネスの指導を受けたことがある。
技術一辺倒で、相手の欲しい機能や、やりたいことが、既に明確になっている中でのみ仕事をしてきた。
相手があり、ゴールがあれば、後はそこに向かって走るだけである。
もちろん、新しいことや、今までの技量を超えたことにも挑戦しなければならない。しかし、ゴールラインが見えているから、多少息切れしても走っていけば必ず到達できる。
ただ、せっかく実現したスキルが、うまく市場に展開されていないと不満があった。
「もっとチャンスがあるのに」と残念に思った自分は、市場を調べさせて欲しいと願い出た。

■事業は、顧客によって決まる

しかし、「こんなの作りましたけど」と言っても、「ああ、それそれ」と言ってくれる人は皆無である。
少し良い反応があっても、「お金出してまではいらないかな」と壁に行き当たる。
その前まで、「どうだ、驚いたか」と息巻いていた独りよがりぶりが知らされて、急に自分まで陳腐になった気がする。
確かに市場を広げるのは簡単ではない。
今まで、それは営業が担う仕事だと思ってきた。しかし営業は、会社に日々売上と言う栄養を送らねばならない。そうしないと、会社は生きていけない。
そのような営業に、市場開拓と言う効率の悪い仕事が、いかに酷な作業であるか身に沁みる。
そうした中で、受けたビジネス指導であった。
「何かプランのようなものがあればご提示ください」と言われたので、一生懸命手書きで書いて持参した。そして、自分なりのものをぶつけてみた。
すると、指導員の顔が見る見る曇る。
そして、言われた一言。
「あなたは、自分のできることを積み上げただけで、ちゃんと顧客が見えていない。」

■誰が顧客であるべきか

よくビジネス書には「まず顧客の解決したいことがあり、そのために何を提供するか考えよ」と書かれている。しかし、日本の製造業は、伝統的にまずモノを作って、それから相手を探している。
言ってみれば、相手が何が食べたいか聞いて料理を作るべきところ、まず料理を作って食べたい人を探すようなものである。だが、そんなレストランは存在しない。
考えてみれば当たり前のことだが、どうしてもモノからの発想に陥る。
そして、「それを使ってどんなメリットがあるの」と言う基本的な質問にもグッと詰まることになる。なぜなら、どう使うか、使ってどう便利なのかが、顧客任せだからだ。
食べて美味しいかどうかは食べ手任せ。レストランなら何とも乱暴な話である。
なぜ、モノから発想を抜け出せないか。
理由は二つあると思う。
一つには、やはり、モノとは自分にとっての資産だからだ。もし、気に入ってくれる顧客さえ居れば、後は一部改良して流すだけである。つまり後工程が格段に楽である。
自分に資産がなければ、苦労して一から開発しなければならない。それが思いやられるから、どうしても自分のモノと言う資産に頼りたくなる。
二つには、スティーブ・ジョブズや、スティーブン・スピルバーグのような成功事例に触発されているからだろう。
彼らは、「マーケティングなんかしない。自分の良いと思ったものを作っているだけだ」と言う。自分のような知恵のないものは、素直にそれを信じて、やはり好きなものを好きなように作るのが、一番の早道だと勘違いする。
しかし、それが許されるのは彼らのようなビジョナリーだからであり、それにしたって、彼らの成功を支えるスタッフが裏でマーケティング等で情報提供を続けているはずである。
それを自分に当てはめるのが、どだい無理であろう。

■相手を間違えない

ビジネスの指導員からは、「まずよく業界を知りなさい」「競合研究をしなさい」と諭された。
まず、相手をよく知ることが大切であり、また競合こそ、その市場で成功するノウハウを持った師匠だからだ。
ただ、いくら教えられても、いつも間違えて反省する。
コンサルタントから正され、お客さん、特に社長から教えられ、上司から諭され、自分の視点の間違いを気付かされる。
お客さんが求めているのは、モノそのものでない。それは、価値であり、体験である。お金を払ったら、払ったなりの効果が求められる。
確かに、世の中に認知されているものなら、特に説明をしなくても費用対効果は共有できるだろう。
しかし、これからはそこから一歩先に行かなくてはならない。新しい未知の価値を発信し、それに納得感を持ってお金を払って貰う。
それが顧客になって貰うと言うことだ。
ビジネスの相手、すなわち顧客。
不勉強、未熟な自分がこれから最も頑張らなくてはならないのは、正しい相手に正しいモノを提供すること。
すなわち、顧客研究である。