今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

2次障害

(写真:畑の花々 その2)

《父の悩み》

あるラジオ人生相談での話。

相談者はお父さんで、相談の内容は息子さんについてでした。

その息子さんは、軽度の障害を持っており、会社にはそれを内緒で働いています。
しかし、お父さんから見れば、その障害が原因で彼はかなりたいへんな思いをしているのが分かります。
周りからは健常者としか見えないので、それなりの成果を求められますし、息子さんは、それに歯をくいしばってついていこうとしているのです。

無理がかかって悪い事になければ良いが、いっそ会社に障害のことを伝えて、少し配慮をして貰おうか。
お父さんは、そんな思いをカウンセラーに伝えました。

《2次障害》

それに対してカウンセラーは、
「それはお勧めしません。何故なら、それを会社に伝えれば障害者なりの対応をします。周りに悪気はなくても、なんとなく雰囲気が変わると息子さんも敏感にそれを感じ取るでしょう。すると、息子さんが必要以上に自分の障害を意識するようになります。その結果、障害が重症化する等の二次障害のリスクが出てくるのです。」

なるほどと、思いました。
優しい社会とは、立場の弱い人に気を使って、なんでも手を出す社会では無いのですね。
確かに、今の息子さんにとって、健常者としての扱いはかなりたいへんでしょう。
しかし、健常者として扱って貰えることは、またたいへんなモチベーションです。それが彼を支え、健常者としての生活を可能にしているなら、敢えて障害者として手を差し伸べることは逆効果です。

《障害は作られる》

しかし、このような話はよく聞くことです。

障害者とは、何も特別な人ではなく、生活をするに当たり私たちより僅かに不便な人たちのことです。
しかし、人間とは不便なら不便なりに、なんとかそれに適用しようとする生き物です。

昔、お母さんが妊娠中にサリドマイドの影響を受け、奇形で生まれた女性のドキュメンタリー映画がありました。
両親はひどく短かく生えた両腕を哀れんで、二本とも付け根から切断しました。おかげで彼女は腕のない人生を送ることとなります。
しかし、彼女は長じて結婚をし、子育てまでしています。そして、両手の代わりに足を使って健常者以上に家事もこなすのです。
人間とは、本来こんなに生きる力を持っているのかと、感動しました。

相談をしたお父さんの息子さんも、障害を抱えながら、必死に健常者として生きています。そして、彼なりに必死に生きる力を振り絞っています。
これは、健常者からの無責任な思いかも知れませんが、テレビで障害を抱えた皆さんが頑張っている姿を見て感動するのは、そこに生きる力を振り絞っている姿があるからだと思います。

反対に、とってつけたような気の使い方が、その人の生きる力を削いでいるのではないか、とも思います。
障害者とは違いますが、年をとって身体機能が衰えた人を支援する余り、かえって寝たきりにしてしまう事例が多いと聞きます。
歩く力が衰えたからと、転倒を恐れ、椅子やベッドから動かないようにし、代わりに必要な用事を全て介護者がやってしまう。すると、本来持っていた力も衰え、また一旦衰えた力が戻ることはないのだそうです。

そのせいか、最近の要介護認定の基準も変わってきたようですし、介護施設の取り組みも変わってきたように思います。
障害者の方にも、自立支援という言葉が言われるようになってきました。

困っている人への支援が大切なのは、当然のことです。
しかし、障害を持たれた方や、高齢者にも、生きる力はありますし、またプライドもあります。下手な気の使い方がそれらを削いでしまわないように、私たちももっと勉強が必要です。