今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

成長とは、考え方×情熱×能力#151

(写真:寒の桜)

願い

「何?」

一瞬、克徳は歌陽子の言葉を理解しかねた。
歌陽子はもう一度繰り返す。

「あと少しだけ・・・、コンテストを最後まで続けさせてください。」

それを、自分の腕にグッタリと頭を預けている娘が言うのだ。

「お前は、バカなのか!いい加減にしろ!」

声を荒げて、もう片手で強く歌陽子の肩を掴み、まっすぐ彼女の目を見た。怒りとも、悲しみとも判じられない感情が湧き出した。

「まあ、東大寺さん。」

そこへ、教授がとりなしに入る。

「先生からも、このバカものに何か言ってやって下さい。」

教授はしばらく思案した。
そして、歌陽子に言葉をかけた。

「痛み止めは一時的なものだ。それに、身体への影響も考えて、そんなに強い薬は使っていない。急いで病院で処置しなければ、また激痛で苦しむのじゃよ。」

一瞬、先ほどの痛みを思い出して怯んだ歌陽子だったが、意を決したように言葉を返した。

「でも・・・、ここでやめたら、一生心が痛みます。だって、私の大切な人たちには、これが最後のチャンスかも知れないんです。」

「仲間?」

呟くように繰り返して、教授は周りを見回した。しかし、側で覗きこんでいた、前田町、野田平、日登美は一斉に目をそらす。

「仲間って、誰のことじゃね?」

「歌陽子、お前のチームのメンバーのことを言っているのか?」

克徳の問いかけに、歌陽子はコクリとうなづいた。

「馬鹿言うんじゃねえよ!」

その時、急に前田町が怒声を上げた。

「この嬢ちゃんはな、自分がいいところの令嬢なのを鼻にかけて、好き勝手やってたとんでもない世間知らずなんでえ。それで、会社中から嫌われて、でえれも相手になんかしやしねえ。そんな奴に仲間なんかいるもんけえ。とっと連れて行ってくんな。」

「前田町さん・・・、そんな・・・。」

だが、それで全てを察した克徳は、歌陽子に提案をした。

「歌陽子、あの三人のことなら、心配はいらない。私が責任を持って、相応しい立場に返り咲けるよう取り計らう。」

「違ういます。今、この瞬間、ここに、あの人たちの魂の結晶ができているんです。今、ここでなきゃダメなんです。」

「この、いい加減にしねえか!」

前田町が拳を固めた。
そして、いつものように鉄拳を振るう格好をした。
しかし、歌陽子はその前田町に怯まずに、ニッコリと見返した。

「この・・・。」

たまらず前田町は拳を下ろした。

「ふん、勝手にしやがれ。死んでも、線香の一本もあげてやらねえぜ。それに、どうすんだ。あのロボットは嬢ちゃん用にチューニングしてあるんだぜ。他の人間じゃまともに動かせねえってえのに。」

「それは・・・、私がやります。」

それに、思わず克徳と教授は顔見合わせた。
その時、

「大丈夫!」

歌陽子は、わざと大きな声をだして、両手を腰の辺りについて、うんと力を込めた。

「おい、カヨちゃん、無茶はやめるんじゃ。」

教授が止める間もなく、歌陽子上体を起こし、身体をひねって、取り抑えようとする克徳の腕をスルリと抜けだした。
そして、一瞬腹ばいになったかと思うと、そのまま勢いをつけて立ち上がった。
2、3歩よろけながらも、高いヒールの上に身体を乗せた歌陽子は、しっかりと足を踏ん張り、

「ほら、立てたし、歩けたわよ。それに、全然痛くない。」と気丈に言った。

たが、憤然と立ち上がった克徳は歌陽子に近づくと、彼女の頬をいきなり張り飛ばした。

(#152に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#150

(写真:錦 夕刻)

歌陽子の覚悟

「宙・・・。」

歌陽子は弟に声をかけた。

「ごめんね。私が・・・うっ、・・・台無しにしちゃった。」

前田町が何か言おうとするのを、父親の克徳が手振りで制する。

「昔から・・・だよ。」

ポツリと宙が言う。

「いっつも物分かりのいい姉ちゃんを演じて、俺が失敗しても庇ってばかりで。でも、オレはもうバカじゃないし、優しい姉ちゃんなんて、もう欲しがったりしない。」

「・・・。」

歌陽子は無言でうなづいた。

「そうやって、父さんや母さんの点数ばかり稼いで、じいちゃんにも一人だけ気に入られて。俺の方が頭もいいし、優秀なのに、皆んな二言目には『歌陽子、歌陽子』って・・・。」

「宙、あんたは私よりしっかりしてるからだよ。だから、みんな安心して見ているんだよ。だって、学校なんか行かなくたってこんな凄いロボットを作っちゃうんだから。」

脂汗を流しながら、それでも一生懸命笑顔を作って歌陽子は一息に喋った。
だが、やがて苦しげに「くっ」と顔を歪めると、頭を父の腕に預けて目を閉じた。
息が荒くなっていた。

「お、おい。もう、いけねえぜ。」

前田町の言葉に克徳も無言でうなづいた。
宙は、そのままうな垂れた。

ちょうどその時、外からバラバラと音がした。救命ヘリが到着したのだ。
やがて、医療道具一式を抱えたスタッフを従えてドクターが姿を現した。

「東大寺さん。」

「あ、教授自らですか。恐縮します。」

「いや、歌陽子ちゃんが怪我をしたと聞いて、後のことは全部任せて飛んできたよ。」

「全く、しょうがないやつで。」

「そう、言わずに。知らない仲じゃないのだし。」

旧知の仲の教授と克徳はまずそんな会話を交わした。
そして、教授は歌陽子の上に屈み込むと、彼女に声をかけた。

「おい、カヨちゃん。わしじゃ、分かるか?」

呼びかけられて、歌陽子は薄っすらと目を開いた。

「あ、先生・・・ですか?」

「ふむ、意識はしっかりしとるようじゃの。では、脈を見るとしようか。」

そして、歌陽子の手首に電極を取り付けて脈の状態を確認した。

「よし、バイタルはしっかりしとる。大事ではないようじゃな。じゃあ、痛いところを教えて貰おうか。」

教授は、歌陽子のはだけたみぞおちから下腹部にかけて優しく撫でるように触った。
やがて、へその位置から少し下がった辺りで、
「あ、イタタ。痛いです」と、歌陽子が悲鳴を上げた。

「やはり、腸が破けておるかも知れん。
まずは痛み止めで少しの間持たせて、あとは病院に搬送してレントゲンを撮る。
用意してくれんか。」

教授は、スタッフが用意した痛み止めを、歌陽子の腹部に注射した。
やかて、歌陽子の呼吸が静かになった。

その歌陽子に克徳が聞く。

「どうだ?」

「はい、かなり楽になりました。」

「そうか。」

「あの、お父様。」

「何だ?」

歌陽子は覚悟を決めた表情で言った。

「あと、少し。あと少しでいいので、コンテストを最後まで続けさせてください。」

(#151に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#149

(写真:田園の黄金雲 その5)

「ソラ・・・ですか?」

オリヴァーは、東大寺克典に問い直した。

「ああ。今回のプログラミングの一部を宙にも任せていたんだろ?」

「はい、確かにその通りですが・・・。」

「やはりか。」

「やはり・・・。」

歌陽子は、父親克典のつぶやきを繰り返した。

「あの、日登美さん。」

歌陽子は側にいる日登美に呼びかけた。

「何ですか?」

「あの・・・確か日登美さん・・・、うっ。」

「こらっ、嬢ちゃん、静かにしてろ。」

前田町が歌陽子を心配して声をかける。

「いえ、大事なこと・・・うっ、なんです。あの、 確か、宙のプログラミングには、うっ、危険なところがあるって言ってましたよね。」

「あくまで、一般論です。腕は立つが、業務系の怖さを知らないプログラマーは、細かいところの作り込みが甘くなります。自分の腕を過信するんでしょうね。」

「おそらくそんなところだろう。」

克典が日登美の話を引き取った。

「オリヴァーくん、若輩者にプログラミングを任せていながら、チェックを怠った。これは君の不手際だよ。」

「そ、それは・・・。」

「よく覚えて置きたまえ。これでは、日本のものづくりには通用しない。」

「イエス、キープマインド、デイープリー。」

「さ、分かったら、宙を呼んできてくれないか。宙自身も今回のことはこたえているはずだ。」

「イエス、サー。」

やがて、オリヴァーは宙を連れて戻った。

宙からは、コンテスト開始前の憎々しげな様子は消え、しょんぼりと肩を落としていた。

克典は、無言のまま宙の肩に手をかけ、そのまま抱き寄せた。
そして、静かに宙に語り始めた。

「宙、お前。姉さんに何か言うことはないか?」

「お、俺は別に。」

「よく見るんだ。お姉さんが命がけでお前のロボットを止めてくれたんだ。そうでなかったら、大惨事になったかも知れないんだぞ。だけどな、それで歌陽子は大怪我をした。」

「怪我って・・・どこも血なんか出てないじゃないか。」

宙は少し強がって言った。

「身体の中が傷ついているんだ。だが、歌陽子は、お前の大好きなお姉さんだったじゃないか。その大事なお姉さんが傷ついてなんとも思わないのか?」

「い、いい気味だ!」

その一言に歌陽子が苦しげに顔をしかめた。

「そうか・・・、だが、ならば、何故歌陽子をちゃんと見ない。本当は辛くて見られないんじゃないのか。お姉さんに嫌われるのを一番怖がっているのがお前じゃないのか?」

「わ・・・訳ないよ・・・。こんなツマラナイ姉ちゃんなんか、嫌われようが、死んでいなくなろうが、ゼエンゼン、構うもんか!」

「ソラ、やめないか!それじゃ、あまりにも、カヨコがカワイソウダ。」

堪り兼ねてオリヴァーが口を開いた。

それを克典が片手で制する。頑なな宙の心に変化の兆しを見たのか、後は姉弟でなんとかさせようと思っているようだった。

(#150に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#148

(写真:田園の黄金雲 その4)

痛み

「おい、カヨ、大丈夫か?」

気がつけば、頭の上から野田平の声がする。
会場の天井のライトが見える。
視界には、前田町、日登美の顔。
あと、心配そうな野田平の顔まで見える。
そして、すぐ目の前の大きな肩は誰だろう。なんだか、懐かしい匂いがする。

「み、みなさん、申し訳ありません。」

そう言って、歌陽子は上体を起こそうとした。
その途端、腹部を切り裂かれるような鋭い痛みが襲った。

「あ、アグッ。」

そして、また倒れこむ歌陽子をがっしりした手が支えた。

「こらっ、無茶をするんじゃない。」

歌陽子の上に屈みこんで、彼女の腹部を調べていたのは父親の東大寺克典であった。
シャツの下をはだけて、みぞおちの辺りを露わにしている。

「あ、お父様、その・・・。」

痛さと、恥ずかしさで言葉が詰まってしまう。

「少し赤くなってはいるが、切れてはいないようだ。だが、その痛がり方からすると、内臓が傷ついているかも知れん。今、大学病院に救命ヘリを要請した。あと、20分くらいで到着するそうだ。それまで、とにかくそのままでじっとしているんだ。」

「で、でも・・・。」

「嬢ちゃん、あまり喋っちゃあいけねえ。」

前田町も眉間にしわを寄せ、歌陽子を案じて声をかけた。

「で、でも、コンテストは・・・。まだ、私たちの番が済んで・・・いません。」

気丈に喋りながらも、時々鋭く差し込むのか、歌陽子の顔に脂汗が浮かんでいた。

「バカもの、何を言っているんだ、お前は。
中止にするしかないだろう。せっかく集まってくださった皆さんには申し訳ないが。
今、付き添いに安希子さんを呼んでいるから、一緒にヘリで病院に行くんだ。」

そこに、前田町が口を挟んだ。

「じゃあ、あんたはどうするんでえ?」

「私は主催者として、この事態の収拾をしなければならない。あなた方には、申し訳ないが、せっかくのロボットはまたの機会にして欲しい。」

「しゃあねえなあ。カヨがこんなんじゃ、仕方ねえだろうよ。」

野田平が少々落胆気味に言った。

「う・・・。」

声を殺して歌陽子が泣き始めた。

「こら、歌陽子、やめないか。誰のせいでこうなったと思っているんだ。」

「で、でも・・・。」

歌陽子は涙でメガネを曇らせながら言う。
それを横目で見ながら、克典は、

「それより、ロボットを装着していたご婦人は無事なのか?」

側にいた三葉ロボテクの社員の一人に尋ねた。

「は、はい。すぐに確認して参ります。」

社員はすぐ近くにいたオリヴァーを連れて帰った。

「カツノリ、ソーリーです。」

「それより、あの婦人は問題ないのか?」

「はい、カヨコが守ってくれました。」

「それは良かった。ケガ人が身内だけで済んだのは不幸中の幸いだな。」

意外そうにオリヴァーが問い返した。

「ですが、あなたの娘さんでしょ?」

「今は東大寺グループ代表として話をしている。だが、歌陽子と宙の父親として言わせて貰うならば、今回主因はうちの子供たちだとしても、大人の君がついていながら、何と言う失態なのだ。」

「全く、言い訳できません。ソーリーです。カツノリ。」

「もちろん、それを認めた私の責任もある。だから、君ばかりを責めはしないが、君の会社との協業は当面見合わせたい。」

「仕方ありません。分かりました。」

恐縮そうに答えるオリヴァー。

そして、少しため息をついて克典は続けた。

「あと、宙をここに呼んでくれないか。少し話をしたい。」

(#149に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#147

(写真:田園の黄金雲 その3)

「あ、あなた、危ない!どいて!そこどいて!」

悲鳴のような声で訴える梨田夫人。
だが、歌陽子はギリリと歯を食いしばり、腰を落として夫人を受け止める体制を取った。
その小柄でか細い身体をクッションにして、まっすぐ突進してくるロボットを受け止める盾になるつもりであった。
激しく回転するアクチュエーターの作動音と、ロボットが振り回す腕や足の風圧が肌に直に感じられた刹那、歌陽子は肉薄するロボットに自ら組みついて行った。
そして、全身の肉をクッション代わりにして、ロボットの動きを吸収する・・・はずだった。
しかし、
ロボットの力は想定以上に強く、組み付いたはずの歌陽子は振り払われ、体制を崩したその腹部にロボットの足が鋭く突き刺さった。

「グ・・・、グアアッ!」

刺し抜かれるような痛みに耐えかね、歌陽子の口から苦悶の声が漏れた。
そして、振り払われた勢いで空のパイプ椅子に向かって投げ飛ばされた。

ガシャン!

けたたましい音を立ててパイプ椅子に激しくぶつかり、そのまま歌陽子は下に崩れ落ちた。

「あああ!」

梨田夫人の口から悲痛な声が発せられ、それと同時に駆けつけた男たちの腕でロボットは羽交い締めにされ、押さえつけられた。
敵わぬまでも、必死に組み付いた歌陽子の肉体の盾が、一瞬ロボットの動きを止め、男たちに取り付く隙を与えたのだった。

「マダム、マダム・・・、落ち着いて。さ、力を抜いてください。」

優しく梨田夫人に語りかけたのは、オリヴァー・チャンだった。

「さ、そうです。ゆっくり深呼吸をして。フー、スー、はい、吐いて、ハー。」

心に染みるオリヴァーの低音に、夫人の力がフッと抜けた。それと、同時に今まで激しく動いていたロボットのモーターが急に鳴りを潜めた。
そして、オリヴァーはメインスイッチをカットすると、

「さ、マダム。大丈夫ですか?もう、心配いりません。怖い思いをさせて申し訳ありませんでした。」と、語りかけた。

男たちもホウと一息ついてロボットから手を離した。
会場は、この一瞬の騒ぎですっかり浮き足立ってしまった。東大寺克典と、三葉ロボテク社長の牧野もいつの間にか自分たちの席を空けていた。

オリヴァーはロボットの鎧を一つ一つ解除していった。その間、梨田夫人は声を立てずに泣き続けていた。

「私・・・、私なんてことを。みんな、私のせいで台無しだわ。」

「いえ、マダム。申し訳ないのは私たちの方です。どこか・・・痛いところはありませんか?」

オリヴァーの優しい気遣いに、はらはらと涙を流しながらも、梨田夫人は、

「え、ええ、私は大丈夫。あのお嬢さんが守ってくれたから。」

そして、ハッとしたように尋ねた。

「そ、そう。あのお嬢さんはどうしたの。大丈夫だったの?」

(#148に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#146

(写真:田園の黄金雲 その2)

暴走

意を決したように、マダム・ピアは口を一文字に引きむすんだ。
夫人の体内ではどんな電気的な指令が出されているのか、外目からは知る由もない。
だが、鎧に装着されたフレーム内部のアクチュエイターの動きが急に活発になった。
そして、右足が大きなストライドで前に出たかと思うと、すぐに左足もそれに続いた。
そして、ロボットの機体は1メートル以上も先に運ばれていた。

「わあ。」

夫人は声を上げる。
それは、突如走りだしたロボットに驚いて上げた悲鳴とも、十何年ぶりに自分の意思で走ることへの歓喜の声とも受け取れた。
夫人は、なおもペースを上げ続ける。
会場からは、驚嘆と夫人を案じる声がザワザワとさざ波のように広がり始めた。
ロボットを装着した夫人は、まるで羽が生えたように会場を駆けていく。出口付近では、そのまま外に飛び出してしまうのではないかと案じられたが、右足を軸に器用に向きを変え、またステージの方へ戻ってきた。

(少しスピードが出すぎているんじゃないかしら。)

不安な気持ちを抱いて宙の方を見ると、彼の表示からは余裕が消えていた。
そして、マイクに向かって一生懸命何かを喋っている。それは、マイクの向こうのオリヴァーにリモートでロボットの停止を要請しているのかも知れない。

その時、歌陽子のイアホンに前田町の声が聞こえた。

「おい、嬢ちゃん。聞こえてるか?」

「あ、前田町さん。」

「いけねえよ。あのばあさん、魂をロボットに持っていかれちまってる。あいつは人間の意思を器用に読み取って、その通り動く機能はあるようだが、人間が暴走した時のことまで考げえてねえ。安全設計に一部不備があるのよ。」

「そ、そんな・・・、どうしたら良いんですか?」

「まず、なんとか、あのばあさんの気を沈めるんだ。あのばあさんしか、ロボットを止めることはできゃしねえ。あんた、あのばあさんにいたく気に入られているようだから、嬢ちゃんが呼びかければ少しは落ち着くんじゃねえか?」

「は、はい。なんとかやってみます。」

「おい、来たぜ。」

「はい。」

また、かなりの高速でこちらに向かって走ってくるロボットに、歌陽子は呼びかけた。

「マダム!少し・・・もう少し速度を落としてください。」

「だ、ダメ。止まり方を・・・忘れてしまったの。もう、十年以上も・・・走ってないのよ。」

梨田夫人は叫ぶように言葉の余韻を残しながら、歌陽子の鼻先で風を巻いて走り去った。
そして、今度はブースの後ろに走りこんだと見るや、真ん中のブースと右端の歌陽子のブースの間から走り出て来た。
そして、今度はまっすぐ観客席に向かって進んで来る。向きを変える様子もない。
ロボットの中の梨田夫人は、真っ赤な顔をしてなんとか止めようと思うのだが、勢いがついた機体を無理に止めようとすれば、慣性で吹っ飛ぶかも知れない。

とっさに、歌陽子は、

「みなさん、場所をあけてください。」と叫んでいた。
弾かれたように、最前列の数名が立ち上がり、前から数列が空席になった。そこに、ロボット毎梨田夫人がぶつかろうとしていた。
空席のパイプ椅子にロボットがぶつかろうとした刹那、歌陽子はロボットの前に両手を広げて立ち塞がった。

「か、歌陽子!お前、何を。」

さっきからことの成り行きを落ち着かない気持ちで見ていた克典は、娘の思わぬ行動に腰を浮かせた。

歌陽子は・・・、

自分のか細い身体をクッションにして、梨田夫人をロボットごと受け止めるつもりなのだ。

(#147に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#145

(写真:田園の黄金雲 その1)

意思の鎧

「でも、私の足はもう動かないのよ。」

『ARTIFICIAL BODY』というロボットの鎧をまとい、宙から立ち上がるように言われたマダム・ピアこと梨田夫人は、戸惑いの色を隠せなかった。
そして、困惑の顔を歌陽子に向けた。

「あの・・・、宙・・・。」

歌陽子も弟の意図を察し兼ねて、遠慮がちに声をかける。
しかし、宙はその姉の声を無視した。

「大丈夫です。立ち上がるところをイメージして、足と腰の筋肉に力を入れてください。」

「え・・・、ええ。」

「宙あ。」

そこで歌陽子は堪り兼ねて声をだした。

「マダムは、もうしばらく立ち上がっていないのよ。そんな、いきなりは無理よ。」

「関係ない人は黙っていて下さい。できるとか、できないとかは、ハッキリ言えば先入観です。そんな先入観に負けずに、立てるイメージをして下さい。」

「わ、分かりました。やってみましょう。あとはロボットがうまくやってくれるのね。」

梨田夫人は、意を決したように言った。

そして、鎧をまとった夫人が車椅子のアームサボートを握る手に力を込めた。そして、少し腰を浮かしかけた。
徐々にアクチュエイターが回転し始めるのが分かる。
鎧のフレーム内部で腰のモーターが動き、上体が少し前かがみになる。そして、体重が膝に移動し、膝関節のアクチュエイターが足を後ろに引いた。そのまま腰をモーターの力で持ち上げると同時に、ももとふくらはぎのモーターが膝を伸ばした。

「あ、立った。あら、どうしましょう。立ってるわ!」

「おお。」

観客席からも嘆息が漏れた。

「ほんと、凄いわ。でも、マダム、バランスを崩して転倒しないように気をつけてください。」

それは、足の自由の効かない梨田夫人がロボットの力を借りて、車椅子から立ち上がっているすごい光景だった。しかし、バランスを崩して転倒しないかが歌陽子には気掛かりである。

だが、ロボットは器用に重心を移しながら、危なげなく立っていた。

そして、プレゼンターの宙は、さも当然といった顔で、

「では、そのまま前に歩いてください。」

宙の呼びかけに、梨田夫人が素直に足に力を込めるのが分かった。
ロボットは、ゆらりと体重を移して、前のめりの姿勢を取った。そして、ロボットの上体を支えるように、右足が前に出た。そのままロボットは左に体重移動し、今度は左足が前に出る。
そうやって、夫人がまとった鎧型ロボットはゆっくりと歩み始めた。

「すごい。私、歩いてるわ。自分で歩いているのよ。」

思わずはしゃいで、若やいだ声を上げる梨田夫人。

「良かったら、走ってみてください。」

「え?」

しかし、さすがに戸惑いの声を上げる夫人。

「宙、無茶だわ。」

歌陽子も心配して、やめさせようとする。

「大丈夫です。そこは、きちんとAIが計算しています。間違いは絶対に起こりません。」

「でも・・・。」

なおも、心配の声を上げる歌陽子に、宙は『黙ってろ!』と言わんばかりに、しかめ面を向けて、コッソリと舌を出した。

「でも、私走るなんて、十何年間ぶりかしら。」

こころなしか、言葉をはずませながら梨田夫人が言う。

意思の通り動く、その意思の鎧にマダム・ピアはそのはずむような意思を伝達した。

(#146に続く)