今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

成長とは、考え方×情熱×能力#121

(写真:透きとおる花弁)

遅参

「すげえ、Sクラスのベンツだ。」

その場におよそ似つかわしくない重厚な黒塗りの車両が、ホールの玄関に乗り入れた。
ホールの職員がそれを見て目を丸くする。

その後方のドアが開いて、華奢な足がのぞいた。

「安希子さん、無理言って済みません。」

「それより、お嬢様、あと車どうするんですか?」

「帰りはなんとかしますから、安希子さんはそのまま乗って帰って貰えます?」

「じゃあ、私、このまま寄りたいところがあるんですけど、いいですか?」

「あの、お仕事が大丈夫なら構わないんですけど。今朝忙しそうでしたし。」

「あ・・・、ああ、それは大丈夫です。」

(あ、そう。大丈夫なんだ。)

「ガソリンはダッシュボードのカードでいいですね?」

「え?」

「あ、何でもないです。それでは、私急ぎますので、早く降りてくださいませ。」

「あ、はい。」

歌陽子が車から降りると、安希子を乗せたSクラスのベンツは、重い排気音をさせて走り去った。

(いったい、どこまで行くつもりだろ?)

安希子の行く先を気にしながらも、歌陽子自身も急ぐ身だった。

(もう、12時、きっとものすごく怒られるわ・・・。)

歌陽子は、慣れない高いヒールを鳴らしながら、会場のホールへと急いだ。

一方、ホールのロビーでは、会場を日登美に任せた野田平と前田町が暇そうにしていた。

「前田の、だいだいお前は甘いんだよ。本番に、寝坊するようなふざけたようなヤツは、ガツンと言ってやるんだよ。」

「まあ、いいじゃねえか。嬢ちゃんに何事もなかったんだからよ。あの、宙とか言う、東大寺のクソガキ、『ねえちゃんは来ねえよ』とか抜かしやがるから、『どうしたんだ』って聞いたら、『昨日俺が叩きのめしたから、今日は一日ベッドから起き上がれねえ』とか言いやがって、あんまり言い方が憎らしかったから、ガツンと・・・。」

「え、お前、あそこの御曹司、ぶん殴ったのかよ?」

「は?ガハハハ。軽くだよ、軽く。」

「前田の、やっぱり、お前肝座ってやがるな。」

「ばあか、のでえら、おめえこそ、東大寺の令嬢をさんざんはたき回してるだろう。」

「か、カヨは、カヨだ。まあ、身内みたいなもんだし。それに、俺はあいつの教育係だからよ、今日でもガツンと言ったぜ。」

「そう言うな。電話を代わったらよ、嬢ちゃん、ガタガタ震えてやがったぜ。よっぽど、俺らに申し訳が立たねえって思ったんだな。」

「単純にお前が怖いんだよ。」

「それで、あんまり頭ごなしにやって、ここでトンズラを決め込まれても敵わねえ。とりあえず、カミナリはこちらに顔だしてからでも遅かねえ、って思ったのよ。」

「やっぱりか。まあ、俺が最初にキツイやつかますからな、あとは好きにしたらいいぜ。」

「おう、まかしときな。」

「あ、そう言っていたら来たぜ。呑気に手なんか振りやがって。俺らを怒らせたら、どうなるか思い知らせてやる。」

「あんまり、ビビらせるんじゃねえぜ。この後使いもんにならなくなったらコトだ。」

「それは、お前の方で調節しな。」

慣れないヒールを必死で鳴らしながら、歌陽子が駆けてきた。

「も、申し訳ありませんでした。」

そう言って、歌陽子は深々と頭を下げた。

だが、その胸ぐらにつかみかかって野田平は声を荒げた。

「てめえ、どういう了見だ!」

「きゃっ!」

「この、カ・・・ヨ、・・・・えっ!」

間近に歌陽子の顔を見た野田平の表情が変わった。

「お、お前、・・・凄え化けたな。」

一言で言えば、野田平たち年代にストライクの知的系女子。男なら誰しも心惹かれるニュースキャスター的インテリ女子。
知的な黒縁メガネに黒いリボンで結わえたポニーテール、歌陽子の細身の身体を引き立てる白いスーツ。
膝上5センチのスカートから伸びたすらりとした足に、高いヒールがよく似合っていた。
少女らしい可愛さを残しながら、しっかり大人の色気も発散する。
今日の歌陽子は、完全に野田平の動きを封じてしまった。

「あ、あの・・・、ごめんなさい。」

「い、いいってことよ。これから、気をつけるんだぜ。」

啖呵を切りながら、歌陽子にやられた野田平。前田町に対して、かなり気恥ずかしい。

「ま、前田の、・・・なんだよ。仕方ねえじゃねえか。」

だが、野田平のそんな心配は無用だった。
ポカンとして、まじまじと歌陽子を見つめている。

「いや、その・・・、ガハハハ、びっくりさせやがる。嬢ちゃん、いってえ、どうしたんでえ。」

「あ、これは安希子さんが、ヘアもメークもしてくれたんです。あの、やっぱり変ですか?」

「へええ、あのねえちゃん凄えなあ。お前みたいなガキをこんないい女に化けさせるんだもんな。」

「全くだぜ。てえしたもんだ。見損なってたぜ。」

「あ、有難うございます。」

とりあえず、怒られずに済んでヤレヤレ、安希子に感謝である。
プリンスホテルのディナーくらい安いものかも知れない。

「あ、あと、安希子さんがもう一つ気を利かせてくれました。」

(#122に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#120

(写真:オレンジ・サンセット)

歌陽子の見栄

「安希子さん、お願〜い。力を貸して!」

歌陽子は自室の前の手すりから、下に向かって大きな声で呼びかけた。

だが、期待した返答は一向に返らなかった。

(あれ、いないのかな・・・。)

それで、もう一回、

「安希子さ〜ん、いないの〜?」と呼んだ。

やはり、返事がない。
もう一度、

「安希子さ〜ん。」

シンとした静けさだけが返ってきた。

(どうしよう、もう時間ないし・・・。)

でも、シャワーだけでも浴びないと。

そう思って、歌陽子が振り返った時、

「わっ!」

「わっ!」

いきなり、歌陽子とすぐ後ろに立っていた安希子が鉢合わせをした。

「・・・って何ですか!」

「ああ、安希子さん、ビックリした。どうして・・・?」

「それは、さっきお嬢様がお呼びになったからではありませんか?」

「だ・・・、だったら、返事くらいして下さいよ。」

「別に、そう言う気分ではなかったので。」

(この人は・・・。)

だが、今はどうしても安希子の力が必要だった。

「あの、安希子さん、ちょっと・・・。」

「あ、無理です。」

「まだ、何も言ってませんけど。」

「とにかく、無理です。仕事があるので。」

すげなくそう言って、安希子はスタスタとその場を去りかけた。

「ちょ、ちょっと、待って下さい。安希子さ〜ん。」

歌陽子は必死で安希子の腕を掴んで引き止めようとした。

「なんでしょう。」

「あの、私、今から身支度をしなければならないので、手伝って貰えません?」

「そうなんですか?」

「はい。」

「いつまで経っても起きて来られないものですから、今日はテッキリお休みかと思いましたのに。」

「あの、それはいろいろと事情があって。」

「それに、宙お坊ちゃまが、歌陽子お嬢様は今日体調が悪いから、絶対起こしてはダメだとおっしゃいましたし。」

(そ、宙あ・・・!)

「安希子さん、とにかく時間がないの。お願い。」

ふうん、と言う顔をする安希子。

「それで・・・。」

「はい。」

「お嬢様を手伝うことで、私に何のメリットがあるんですか?」

「メリットって・・・、それは安希子さんはうちのハウスキーパーですから。」

「つまり、私は雇われ人だから、ご命令にはどんな嫌なことでも従えと、そうおっしゃるんですね。」

「誰も、そんなことは言ってないです。」

「では、これで・・・。」

踵を返し、また立ち去ろとする安希子。

「ちょ、ちょっと、あの・・・、じゃあ、プリンスホテルのランチで。」

その言葉に軽く振り返り、片眉を上げて、

「ディナーで。」

「じ、じゃあ、中華で。」

「和牛で。」

「わ、分かりました。はああ、一ヶ月分のお給料が・・。」

「何を小さいことを言われているんですか。お嬢様は、限度額無しのゴールドカードをお持ちでしょ。」

「あ、あれは、行きつけのブティックとヘアサロン以外は全部止めて貰ったんです。じゃないと、社会人として必死にならないからって、こちらからお父様にお願いしたんです。」

「また、お嬢様、見栄張りでございますねえ。」

「はああ。」

「それより、お嬢様、時間がないのでございましょう。あとはすべて準備しておきますから、早くシャワーを使ってらしてください。」

「あの、ヘアもお願いできます。」

「まあ、和牛の為ですから、仕方ありませんね。さあ、早くお急ぎになって。」

「はい。」

(#121に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#119

(写真:桶狭間のくれは(紅葉)その2)

寝坊

「え?」

一瞬、状況が分からなかった。
なぜ、電話の向こうの野田平はそんなに怒っているのだろう?

「あの、野田平さん?」

「カヨ、お前、時間を見やがれ!」

「え、時間?」

耳に当てたスマホを離して、画面を見る。
画面の上に小さく表示された数字、

9時30分!

ガバッと歌陽子はベッドから上体を起こした。

(寝坊だあ!!!)

今日は、野田平たちとホールの前で、9時に待ち合わせていた。
もう、30分!も過ぎてる!
それで、堪え切れなくなった野田平が電話を寄越したに違いない。

いや、違う。
きっと、この電話の裏側には、着歴が山のようにたまっているに違いない。

「おい、カヨ!聞いてんのか!お前、どうすんだよ!」

耳に当てていなくても、しっかり野田平の怒声が響き渡る。

「あ、あの・・・。」

恐る恐る耳に当てたら、

「このウスノロ!役立たず!無責任!クズヤロウ!」

暴言の嵐が吹き荒れた。

「ご・・・、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!ごめん・・・。」

「うるせー!ぐだぐだ謝ってんじゃねえ!」

「おい、のでえら、かわんな。」

野田平の罵声の向こうに、低い声がした。

うわあ、前田町だ。
前田町は、仕事にいい加減な人間には決して容赦がない。
そして、歌陽子が仕出かしたのは、まさに前田町が嫌いな仕事を舐め切った振る舞い。
本気の前田町に怒られたら・・・、もう立ち直る自信がない。

スマホを持つ手が小刻みに震える。
お腹が痛くなってきた。
昨日、宙に蹴られたよりも、もっと。

このまま電話切っちゃおうか・・・。
いや、とてもとても、そんな恐ろしいことはできなかった。

そして、

「嬢ちゃん・・・。」

前田町の今まで聞いたことがないくらい不機嫌な声が響いた。

「は・・・、はい・・・。」

かろうじて返事をしたが、喉の奥で声が掠れた。
口のなかが乾いてきた。

次の一言を待つまでの時間が長い。

「でえじょうぶか?」

しかし、声の感じと異なり、前田町の口からは歌陽子を労わる言葉が発せられた。

「え・・・、は・・・い。」

「嬢ちゃんのことだ、例によって何かあったんじゃねえかと心配したぜ。」

「そ、それは・・・。」

「前さん、今朝オリヴァーを見た途端、『てめえ、うちの嬢ちゃんに何しやがった!』って殴りかかっていましたからね。」

「手篭めにでもされたんじゃねえかって、な。」

電話の向こう側から、日登美と野田平の軽口が漏れてくる。

「こら、おめえら、いらねえこというんじゃねえ。」

(て、手篭めって・・・。)

「何にもねえんだな。」

「は、はい、何にもないで・・・す。」

「よし、良かった。この・・・バカ、ムスメが!」

そこで、初めて前田町の怒声が大音量で響いた。

耳がキーンとなった。

だが、それきり前田町は声の調子を変えて言った。

「焦らなくていい。コンテストの本番は昼からだ。しっかりめかしてくるんだぜ。何しろ、あんたが主役だ。嬢ちゃん抜きじゃ始まらねえ。頼んだぜ。」

「は、はい、ぐずっ。ごめんなさい。」

こんな怖い人は知らない。でも、同時にこんな優しい人も知らなかった。
感極まった歌陽子は、電話に向かってすすりあげた。

「また、泣いてんのか。しょうがねえ嬢ちゃんだなあ。それより、時間がなくなるぜ。早くしな。」

「は・・・い。」

プッ。

そこから、歌陽子の頭の中では、時間の計算が始まった。
ロボットコンテストは昼からとは言え、打ち合わせも必要だった。だから、12時前には着いていたい。
移動に一時間かかるとして、あと一時間半で家を出たい。その間に、お風呂にも入らなくてはならないし、身支度もしなくてはならない。用意した洋服に合わせてヘアのセットも必要だった。
タイトなスケジュールが分かると、歌陽子はベッドから飛び出して、ドアを開け、吹き抜けになっている部屋の前の手すりから下に向かって、大きな声で叫んだ。

「安希子さん、お願〜い。力を貸して!」

(#120に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#118

(写真:桶狭間のくれは(紅葉)その1)

姉弟の夜

さっきまで、歌陽子が楽しんで食べていた、安希子特製のサラダの味が変質してしまった。

バリバリと無遠慮にポテトチップスを頬張り、口の端からカケラを飛ばしている弟に、歌陽子の神経は逆なでされた。

「宙あ。」

それでも、遠慮がちに声をかける歌陽子。
しかし、宙はそれに何も返さない。

「あのね、お姉ちゃんが先にここにいたでしょ。だから、お願いだから、少し静かにしようか。」

ふん、と言った顔で、尚もポテトチップスを頬張り続ける宙。
殆ど家から出ない宙は色が白い。それに母親の志鶴に似て、線が細く繊細な顔立ちをしていた。見た目には優しげな少年である。
しかし、いつも見せるふてぶてしくて、憎々しげな態度は、彼の外面的な美点を殺してしまう。

心の中にモヤモヤとした気分を抱えながら、(いつもみたく何を言ってもしかたないわ)と、歌陽子も自分の夕食を突く作業に没頭した。

やがて、あらかたスナックを食べ終えた宙は、袋の口を右手で握り、そこから息を吹き込んだ。そして、空気で膨らんだ袋を高く掲げて、左手で袋の底を思い切りひっぱたいた。

ポン!

「きゃっ!!」

思いの外大きな音が出た。
サラダを突くことに集中していた歌陽子は、完全に虚を突かれて飛び上がった。

破裂して、底の抜けた袋からは盛大に残ったポテトチップスのカケラが飛散し、歌陽子の頭にも降り注いだ。

そして、歌陽子もさすがにこれには頭に来た。

「こら、宙!なんてことするのよ!」

頭のチップスのカケラを振り払うと、二人を隔てているテーブルを回り込んで、歌陽子は向かいのソファの宙に飛びかかった。
小柄だが、まだ中学生の宙に対して、僅かだけ歌陽子の方が身体が大きい。
上からのしかかって押さえつけ、右手を振り上げてぶつ真似をした。

「さあ、謝んなさい!お姉ちゃん、ホントにぶつからね。」

「やれるもんならやってみろよ!大人のくせして、子供に暴力を振るうのかよ!」

「どこが子供よ!さんざん大人を小馬鹿にしているクセして。」

「だってしょうがないだろ。ホントに馬鹿なんだから!」

「この、世間知らず!井の中のカワズ!」

「それは、ねえちゃんだってだろ。普通のヤツの真似をして、会社で働いたりして。でも、結局『お嬢様』って言われてチヤホヤされて、そんなの、世間知らずと何も変わらないじゃん。」

「あんたに、私の苦労の何が分かるの!『お嬢様』だなんて誰も言ってくれないし、返って言われたくないことを言われなきゃならないし、ちょっとしたことですぐに噂になるし・・・。」

歌陽子の顔はみるみる赤くなって、声もだんだん涙声になってきた。彼女は、感情の高ぶりに滅法弱いのだ。

だが、その歌陽子の顔を、宙は手元のクッションをつかんで、思い切りひっぱたいた。

「い、痛いじゃない!」

「なんだよ、最初に手を出してきたのはそっちだろ!」

「許さない!」

歌陽子は、中学生相手にすっかり本気になった。

「離せよ!」

やはり感情の高ぶった宙は膝を曲げて、押さえつけている歌陽子の腹を思い切り蹴り上げた。

「グッ!ううっ・・・。」

蹴り上げられた腹を抑えてソファの下にうずくまる歌陽子。痛さと、情けなさでポロポロ涙が溢れてくる。
大人げなく子供に掴みかかって、挙句に返り討ちになるなんて、それはあまりにみっともない。

宙の蹴りはひどく身体に刺さった。そして、痛さのあまりしばらく身動きが取れなかった。その間中、ポロポロポロポロ、涙がとめどなく溢れて止まらない。

歌陽子の様子に少し怖気付いたのか、宙はわざと彼女を見ないようにして、

「ばあか、ザマアミロだ。さっさと寝ちまえ!」と捨て台詞を吐いて、階段を駆け上って行った。

歌陽子は、

涙で顔をグチャグチャにして、30分近くそのままでいた。
そして、少し痛みが和らいだ頃、ふらりと立ち上がってノロノロと自室へ歩き始めた。
宙がポテトチップスをまき散らしたリビングも、食べかけの安希子の特製サラダも、昼間汗をかいた身体も、全部そのままにして。
ただ今は、何も考えずにベッドに倒れこみたかった。

そして、

重苦しい夜が明け、歌陽子を起こしたのは、枕元に放り出した携帯の着信だった。

「はい・・・、おはようございます。ふわあ。」

「おい!何寝ぼけてやがる。」

「は・・・、はい?」

「だから、今何時か分かってるか、聞いてんだよ!この馬鹿野郎が!」

(#119に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#117

(写真:ピンクミルフィーユ)

至福のリビング

いつの間にか、社長と言い合う形になって、歌陽子気まずく重い気分を抱えて帰宅した。

グゥッ。

お腹だけは、気分に関係なく減るものらしい。そう言えばこの時間まで、何かを口に入れる余裕は全くなかった。
それで、安希子に遠慮がちに、

「あの、安希子さん、悪いんですけど、何か食べるものありません?」と聞いてみた。

「あまり夜遅くに食べることはお勧めしませんが。」

「でも、夜の10時を少し過ぎたくらいですし。」

チッ・・・。

小さく安希子の舌打ちが聞こえた気がした。

それで、

(あ、めんど臭いんだ。)と気づいた。

だが、抑揚を抑えた声で、

「何か見て参ります。どうぞ、お嬢様はソファに腰掛けてゆっくりしていてください。」と言って、安希子は厨房へと歩いて行った。

歌陽子は、一階のリビングのソファに腰を下ろした。ここは、家族の皆んなにとって特別な場所だった。
一面のガラス張りのリビングは中庭に面しており、しかも一部が庭に張り出しているため、部屋にいながらまるで屋外にいる気分になれた。ソファの背に頭をもたせかけて、上を仰げば都会の真ん中に星空が広がった。
奥は吹き抜けになっていて、遮るものない広い空間が高い屋敷の天井まで続いている。そして、その開放感のある空間に、心地よいソファと高価なオーディオセットが置かれ、何時間でも飽きることなく過ごすことができた。
本来、ここは家族が集って団欒をする場所だった。しかし、成人の歌陽子や、中学生ながらしっかり自我が芽生えた宙、そして日頃奥向きで神経をすり減らしている志鶴もこの場所で一人の時間を占有したがった。
特に、

「ごめんなさい。一人にしてちょうだい。」

母親のその一言は、家族の誰よりも強制力があった。そして、この時ばかりは、夫の克徳も遠慮した。
それ以外は、当主である克徳と、宙が代わる代わる利用した。そして、家族の中で一番発言力の弱い歌陽子は、たまたま誰もいない時にこれ幸いと、ソファに身を投げ出して一人の時間を楽しむのだった。

そして、今日は一日の最後にご褒美が待っていた。疲れた身体と心を心地よいソファに沈めて、ふう、とため息をつく。

(ハアァ、余計なこと言い過ぎたなあ。明日、どんな顔して社長に会おう。だけど、社長も大人のクセにズバズバ言い過ぎるんだ。挙句に、金持ちが嫌いだなんて・・・。お金持ちなのは、私のせいじゃないのに。)

いろんなことがグルグルと頭を回って、気がつけば少しうつらうつらとしていた。

「お嬢様、お嬢様、こんなところで寝ないでください。」

寝落ちしかかっていた歌陽子を、安希子が起こした。

「あ、はひ、ごめんなはい。」

「さ、お食事できましたから、さっさと食べてお休みになってください。明日は早いんでしょ。」

「はい。」

そして、安希子は歌陽子の前にドンと山盛りの野菜を据えた。

「さ、これなら、あまり胃に負担をかけずに、お腹がいっぱいになるでしょ。」

野菜サラダにしては、あまりに色とりどりの盛り付けだった。よく見れば、野菜の他に、マンゴーやパイナップル、メロンのような高級フルーツが盛り付けられている。あと、お腹にたまるように、薄く切ってサッと火を通してある豚肉も乗っていた。
野菜とフルーツと豚肉、一体どんなキテレツな味かと思いきや、口の中では違和感なく調和した。

「うわあ、安希子さん、これ美味しい。どうやったんですか?」

顔をほころばせ、頰を押さえながら歌陽子は聞いた。

「まあ、たいしたことではありません。ヨーグルトをベースにドレッシングを作ったんです。頭の固いお嬢様には、想像もつかなかったでしょうが。」

(やっぱり、一言多い。)

「では、お嬢様、あまり夜更かしは美容によろしくないので、私はこれにて自室に戻ります。最後、自分のお食べになったものは、自分で片付けてくださいませ。」

「はあい。」

さあて、安希子も自室に帰り、いよいよ歌陽子はリビングで至福の時間を楽しもうとしていた・・・、その矢先。

バリッ、ボリッ。

耳障りな音が聞こえてきた。

ガサッ、ガサッガサッ。

バリッ、ボリッ。

「あ、宙。お行儀悪いわよ。」

「うるさいなあ、ねえちゃんまで母さんの真似すんなよ。」

いつの間にか、上の階から宙が降りてきて、歌陽子の向かいのソファに陣取って、盛大にポテトチップスを頬張っている。

しかも、バリバリ音を立てて、ガサガサ袋をかき回し、そしてポテトチップスの破片を大量に撒き散らしていた。

歌陽子の至福の時間は、こうしてアッサリと破られたのだった。

(#118に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#116

(写真:青に橙)

意地対意地

ホールから外に姿を現した前田町と野田平の二人、そこに歌陽子が合流した。

「おう、カヨ、遅いじゃねえか。お前がグズグズしているから、だいたい俺らで片付けちまったぜ。」

「す、すいません。帰りの道が混んでて。」

「嬢ちゃん、まあいいってことよ。やるべきことはキチンとやったから、後は明日だ。今日はいいから、もうけえんな。」

「はい、あの私、もう少しここで待ってます。」

「誰か来んのかよ?」

野田平の質問に、

「はい、安希子さんが迎えに来てくれます。」

「あ、あのスゲエねえちゃんか!よくまあ、お前はあんなのと暮らして神経が持つもんだな。」

「い、いえ。仕事の時は、すごくしっかりしるし、親切なんです。それに、なんだか最近優しくて。」

「へえ。」

「嬢ちゃんの人柄の賜もんだぜ。」

「むしろ、お前があんまりガキっぽいから母性に目覚めたんじゃねえか?」

「え〜っ。だったら、野田平さんももっと私に優しくして下さいよ。」

「こいつ、調子に乗んな。」

「ガハハ、無理だ、無理だ。のでえらは、気に入った相手ほどひでえ扱いをしやがんだ。だいたい、コイツ、それで昔恋女房に逃げられてるんだからよ。」

「前田の、要らねえこと言うんじゃねえ。」

「じゃあ、嬢ちゃん、気いつけて帰んな。」

「はい、前田町さんも野田平さんも気をつけて。明日、よろしくお願いします。」

「じゃあな。」

「寝坊すんなよ。」

「はい、もちろんです。」

ぺこりと頭を下げた歌陽子に、二人の技術者は軽く手を振りながら連れ立って夜闇に溶け込んで行った。

(あの人たち、まっすぐ帰るかなあ。)

少し心配しながら、歌陽子は安希子が来るまでの間、まだ灯りが残っているホールの軒下で彼女のスマホを開いた。

そこへ、

「東大寺君」と声をかけて来た人物がいる。

「!!」

「まだ、残っていたのか。明日本番だろう?」

「し、社長・・・、お疲れさまです。」

ふらりと姿を現したのは、三葉ロボテク社長牧野だった。

「でも・・・、なぜ、社長が今の時間にここにいらっしゃるのですか?」

「それは、一応どんな会場か、この目で見ておこうと思ってね。ただ、中が見られないのは残念だ。もう少し、重役会議を早く切り上げるつもりだったのだが。」

「あの、社長。写真でよろしければご覧になりますか?」

そう言って歌陽子は、牧野にスマホに保存した画像を見せた。

「私も途中で外に出たので、最終ではありませんが。」

「構わんよ、なるほどよく撮れている。君の腕が良いのかな。」

「いえ、最近のスマートフォンが高機能なだけです。」

「ん?なんだ、うちのブースはまた派手だな。ロボットコンテストなんだから、要らぬお金はかけないように言ったのだが。それに引き換え、君のところのブースはシンプルで実にいいな。」

「有難うございます。でも、頂いた予算を目一杯使わせていただきました。」

「東大寺君・・・。」

少し意外そうに牧野が言った。

「はい。」

「まさか、君から予算と言う言葉を聞くとは思わなかったよ。君は、東大寺グループ本体の支援を受けているから、予算は青天井かと思っていた。」

「あ・・・、はい。皆さん、そうおっしゃいます。でも、父はそう言う点はとても厳しいんです。私は、この会社の一課長に過ぎないから、決して分不相応のことをしてはならない、会社から与えられた権限や予算の中で立派に成果が出せてこそ一人前の企業人だ、と言われています。」

「なるほど、いかにも代表らしいな。しかし、東大寺君。」

「はい。」

「こうして見ると、君も普通の女の子だな。いや、二十歳入社だから、最年少組の一人だよな。」

そして、牧野はホールの消え残っている薄暗い灯りを通して、歌陽子をまじまじと凝視した。

「あの・・・、社長?」

「だが、こんな娘にここまで会社をかき回されるとは・・・、血とは恐ろしいもんだな。」

「それは、その・・・、私・・・、そんなつもりは。」

少し牧野の目がきつくなった。
そして、歌陽子は思わず視線を逸らしてしまった。

「自覚がないのか・・・。まあ、よかろう。おかげで、うちの技術者も少しは本気になったろう。災い転じてなんとやらだ。」

「災い・・・。」

「いや、言葉のあやだ。気にせんでくれ。だが、私をここまで意地にさせたのは、君と君のチームの三人の技術者たちだ。私も叩き上げの技術者でね。あの三人とは同族だと思っている。だが、この会社に招聘された以上は、何としても結果を出さない訳にはいかない。だから、君ら同調できないものを放って置く訳にはいかんのだよ。そして、意地にかけてもこの機会に君らを従えてみせる。分かるかな、東大寺歌陽子君。」

自分の会社の最高責任者を前にして、歌陽子は不思議と腹が据わっている自分を感じていた。

「あの、私からも良いですか?」

「構わんよ。」

「社長の預かり知らぬこととは言え、私だって、いろいろひどいことされて来たんです。いきなり、課長って何ですか?しかも、あんな別館に押し込められて、三人からも周りからも、朝から晩までガンガン言われて。頭がおかしくなります。あ・・・、あの・・・。」

ここまで、啖呵を切りながら、やっぱり相手の反応が気になるのが歌陽子たる所以である。

「続け給え。」

「私、本当はぜんぜん自分に自信がなくて、だから東大寺って言われるのが重くて。でも、東大寺だからって、こんな扱いを受けるのはやっぱりおかしい。私は東大寺家の人間としては期待はずれかもしれないけど、それ以前に感情のある人間です。私をちゃんと普通に扱ってください。
だから、負けない。皆んなに勝って見返してやると思いました。私にだって、そんな意地があります。」

「それは、私も同じだ。それに・・・。」

「それに?」

「私は昔から金持ちってヤツが嫌いでね。」

「え?」

「例えば、あんな車に乗っている人種だよ。」

「・・・!!」

いつの間にか、駐車場には安希子がいた。
しかも、真っ赤な歌陽子のフェラーリをバックに、車のカギをチャラチャラ指に引っ掛けて回している。

「お嬢様!何をされているんですか?早く帰りますよ。帰りは運転お願いしますね。」

「さあ、東大寺君、行きたまえ。」

(最悪・・・。)

(#117に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#115

(写真:紅葉の吉崎 その5)

ジジイ夜話

「そろそろ、閉館時間ですけど。」

時刻は21時に近くになり、ホールの管理スタッフが声をかけて回っている。

「ふう、何とか、形になりやがった。」

前田町が満足気に言う。

「しかしよお、なんだか、俺らのブースだけやけにサッパリしてねえか?」

周りを見渡して野田平が言った。
周りには、大小のブースがあり、皆なそれなりの装飾が施してあった。

「やれやれ、すっかりプライベートフェアだぜ。これって、ロボットコンテストじゃなかったか?」

「そりゃ、東大寺の名前を大っぴらに使えるんだ。しかも、内容が最先端のロボット技術と来てる。東大寺グループへの意地がもとだったにしろ、ここまで金かけて準備したんだ。いくらかは、客への宣伝に使って元取ろうと考えてもおかしかねえよ。」

「だから、コンテストついでに、うちの製品がズラッと並んでるってわけか。にしても、隣とまた隣は派手だよな。」

野田平が隣と言うのは、今回の目玉の一つ、牧野社長チームのブース、その隣の隣は、宙とオリヴァーのブースである。
ともに、高さ3メートル近くの木組みがしてあり、わかりやすく各チームのロゴが掲げられていた。また、牧野社長のブースは青基調、宙とオリヴァーのブースは緑基調の壁が設えられていて、その中にセッティングが終わり、覆いがかけられた機械が置かれている。
もちろん、それは各チーム秘蔵の技術である。キーテクノロジー部分は取り外して一旦持ち帰られた。そして、会場から動かせない機械には監視カメラとセンサーが取り付けられ、何かあればすぐ警備が駆けつけるようになっていた。

それに比べ歌陽子たちのブースは、椅子と机のセットと、ロボットが一台。そして、パソコンに大型モニターが置かれているだけだった。何の飾り気もなく、ただプレゼンに必要な最低限のものだけが置かれていた。

「ガハハハ、しょうがあるめえ。予算も人手も足らねえんだからよ。」

前田町はさほど気にもならないように笑い飛ばした。

「予算も人手も、ってよお。今更だけど、東大寺の頼みでやってんだろ?しかも、身内のカヨまでこっちにいるのに、何でこんなにみみっちいことをやっているんだよ。」

「仕方あるめえ。東大寺からの金は、コンテストに優勝したらの話だ。嬢ちゃんだって、所詮は一課長に過ぎねえし、その立場で使える金で精一杯やるしかねえんだ。それによ、もし、嬢ちゃんが派手なことをやったら、それこそ『親の七光り』とか言われかねねえよ。」

「だがよ、社長の野郎は自分の肝いりなもんだから、好きなだけ社員を使ってやがるだろ。カヨの弟だって、親父に金を出して貰ってたいそうなことしてるじゃねえか。それをカヨの野郎だけが馬鹿正直によ。ちょっと、納得いかねえぜ。それによ、俺らだけ、こんなみみっちいことしていて、まかり間違って優勝でもしたら、それこそ『出来レース』とか言われるんじゃねえか?」

「それが、東大寺歌陽子のジレンマってヤツよ。なまじ、条件がいいもんだから、何をやっても要らねえことを言われなきゃならねえし、妙な勘ぐりをされる。だけどよ、嬢ちゃんは、生まれた時から東大寺歌陽子をやってやがんだ。筋金入のご令嬢だよ。ここは一つ、嬢ちゃんを信じて好きなようにやらせてやろうじゃねえか。」

「だよな、すまねえ、前田の。大人気もねえ、つい愚痴っちまった。」

「おうよ、俺ら、チャラチャラした見た目に頼らねえでも、腕一本で勝負してきたじゃねえか。むしろ、嬢ちゃんがチャラチャラ飾りやがったら、引っ叩いてやめさせただろうぜ。」

「ふん、前田のジジイらしいや。」

「おう、文句あるけえ、のでえらのジジイ。」

穏やかでない悪態も、彼らにとっては普通のコミュニケーションである。

「そう言えば、カヨはどうした?」

「今、トラックけえしに行ってるぜ。延長料金がかかるとか行ってな。」

「まったくみみっちいやつだな。一晩中、俺らのロボットの見張りをさせようと思ったのによう。」

「まあ、そんなにこき使ってやんな。コアモジュールは持ってけえるし、即席のセンサーを持ってきたからよお、さっさと据え付けて撤収といこうじゃねえか。」

(#116に続く)