成長とは、考え方×情熱×能力#36
前田パパ
「あ、あの・・・この会社に誰か知っている人がいるんですか?」
もう、年も変わろうとするこの時間、突如開発部技術第5課のある別館の前に現れた、キャバ嬢そのまんまの女性。若い女子二人に悪びれる様子なく、こう告げた。
「うふふ、あのね。わたしのパパがいるの。」
パ、パパって・・・。
「パパって、パトロンのことですか?」
急に安希子が話に割って入った。
こう言う下世話な話は好物らしい。
「歌陽子お嬢様、パトロンですって!なんて破廉恥な会社に勤めてるんですか?」
「しっ!」
「あんたたち、聞こえてるわよ。」
そう言って、キャバ嬢は軽く睨んだ。
ああ、どうか、あの人たちじゃありませんように。
それで、恐る恐る歌陽子が口を開こうとしたその時、先に安希子がズバッと聞いた。
「今、中にいるのは、年寄りが三人だけですよ。その人たちに用事があるんですか?」
「そう、そう、その人たち!」
ああ、ヤッパリ。
歌陽子の嫌な予想は的中した。
しかし、ここは勇気を奮ってどうしても確かめずにはいられない。
だって、仮にも会社内のことであるし、あの三人については歌陽子に監督責任があるのだ。
「あのお・・・、そのパパって具体的に誰ですか?」
あわよくば、そのパパを呼び出して、乱行に及ぶのは会社の外にして貰いたい。
「え・・・っ、それは・・・、あの人!」
クルリと身体の向きを変えて、別館入り口を指差した。
そこには、扉を内側から開いてのぞいた、酩酊した赤ら顔の前田町。
「ま・・・。」と言ったきり固まる歌陽子。
パシャと音をさせる安希子。
「こら、何写真撮ってんのよ。」
キャバ嬢の声に驚いて安希子の方を見ると、彼女はスマホで何かを打ち込んでいる。
「ちょ、ちょっと、安希子さん。何やってるんですか!」
「すぐ奥様に写メします。お嬢様が働いているのは、こんな破廉恥な環境です!って。」
「や、やめてください。そんなことされたら、当分外出禁止になります。」
安希子の企みをなんとか阻止しようと歌陽子は、彼女の腕をつかまえてメールを打たせないように抵抗した。
「は、離してください!これは私の大事な仕事なんです。お嬢様を監視しなくてはならないんです!」
「だから、まだ未遂でしょ。本当にそんなことしたら、写メでも何でもしたらいいじゃない。」
「は、離して!暴力雇い人!パワハラで訴えますよ!」
安希子の金切り声に、それまで黙って聞いていた前田町のゲンコが飛んだ。
歌陽子と安希子に一発ずつ。
「く〜・・・っ。」
「いたあい、このエロオヤジ!」
「おめえら、うるせえ!こんな時間に近所迷惑だ!」
しかし、強面の前田町に、キャバ嬢は甘い声を出して抱きつこうとした。
「パパァ〜。」
「ちょ、ちょっと待てよ、ツキヨ。今、この娘らに帰って貰うからな。それからでいいだろ?な?」
せっかく仕事を頑張っていると思って、こんな時間に差し入れを持ってきたのに・・・何なの、これ!
歌陽子は無性に腹が立ってきた。
「前田町さん、私はあなたの上司としてハッキリ言います。仮にも事務所の中ではおかしなことはやめてください!やるなら、どっか他にして!」
しかし、何を子犬がキャンキャンと、と言わんばかりにツキヨと呼ばれた女性が言い返した。
「バァカ、何言ってんの、私はね、前田のパパには散々抱かれてきた仲なんだから!赤の他人のあんたが口出さないでよね。」
「く・・・っ。」
「こら、ツキヨ、泣かすんじゃねえよ。この嬢ちゃんはこう言うのに全く耐性がねえんだからよ。」
「じゃあ、ガキは黙ってろっての。」
「はあ・・・嬢ちゃん、すまねえ。実はな・・・。」
「ま、前田町さん・・・あの、あなたたちは本当にそう言う仲なんですか?」
「そう言う仲ってなんだよ?」
「だから、散々抱かれたって言うか、他人じゃないって言うか・・・もう!言わせないで下さい!」
「忙しい嬢ちゃんだなあ。泣くか怒るか、どっち泣くかにしろい。まあ、そのなんだ、20年以上前の話だ、散々抱いたのは。」
「それって、まだ小学生の頃じゃないですか?」
「ああ、そりゃそうだ、なんせ、ツキヨは俺の実の娘だからよお。」
抱かれたって、そのまんまなの。
「だから、他人じゃないって言ったろ、バァカ。」
ツキヨはペロリと舌をだした。
そして、歌陽子の顔はみるみるうちに恥ずかしさで真っ赤になった。
「私はわかってましたよ。不純なことを考えていたのは、お嬢様だけですね。」
と、調子の良い安希子。
だいたい、破廉恥とか騒ぎ出したのはあなたでしょ!
でも、でも、でも・・・
「ややこしい言い方、しないでください!」
歌陽子は、泣いて真っ赤になった鼻のまま怒りだした。
パシャ。
「え・・・っ、安希子さん、何を撮ってるんですか!消去して下さい!」
「やですよ、私の変顔コレクションだもん。」
「あんた悪だねえ。」
別館前で小競り合いをしているうちに、晦日の夜は更け、いつの間にか除夜の鐘が低く鳴り響いていた。
ゴーン。
(#37に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#35
キャバ嬢
歌陽子(かよこ)は、新年の準備に作ってあったおせちを厨房で詰めて貰い、日本酒も何本か抱えて出かけようとした。
玄関近くにある母親のリビングの前を通る時、遅くに荷物を抱えて出かけようとする娘を母の志鶴は見とがめた。
歌陽子は、母親のことを旧家の出だと聞いていた。ただ、母方の祖父母に会う時も、そんなに特別な人たちとは思えない。
祖父は会社役員を務めていたが、50人程度の中小企業だし、祖母もその辺にいる普通のおばあさんと言う感じだった。
そもそも父親との馴れ初めは20数年前、グループの末端の研究機関に来ていたインターンだったと言うから、普通のリケジョだっかも知れないし、ひょっとしたら、口うるさい親族を納得させるために、何十代前の家系図からこじつけて旧家の出にしたのかも知れない。いずれにしろ、詳しいことは聞かされていないし、また聞いても教えてはくれなかった。
しかし、志鶴という古風な名前とあいまって、家風にすっかり馴染んでいる彼女を誰もが東大寺の嫁と認めていた。
ただ、娘の歌陽子が庶民的な感覚を持っているのは、母親の出自と関係しているのかも知れない。
「歌陽子、どうしたの、こんな夜更けに、そんなに着込んで?それに、なんですか、その荷物は?」
「お母様、その、ちょっと仕事で。」
「仕事って、もう年が変わるじゃないの?」
「ですけど、みんな頑張ってくれてますし、少し陣中見舞いと言うか。」
「お父様からは聞いていますけど・・・。それにしてもお友達はまだ学業に専念していると言うのに、どうしてあなただけ人と違うことをしたがるのかしら。」
「お母様、それはまたうががいます。」
「ちょっと、待ちなさい。誰かを付き添わせるから。」
「え、それは・・・。」
「そうだ、安希子さん、ちょうど良かった。今日は泊まりでしょ。歌陽子について行って頂戴。」
そこを通りかかったハウスキーパーの安希子、実は歌陽子の大の苦手。
この間、フェラーリを引き取って貰ったときも、さんざん嫌味を言われた。
しかし、安希子は志鶴の前ではそんなところをおくびにも出さない。
「はい、畏まりました、奥様。」と丁重に承って、歌陽子が手に持った荷物を引き受けた。
「気をつけるのよ。」
「はい。」
「行って参ります。」
志鶴と挨拶を交わして、二人は玄関を出た。
「いいこと、用事が済んだらすぐ帰るのよ。」
もう一度志鶴の念押しが飛んできた。
そして、歌陽子と安希子はガレージを開け、通勤用の白いポルシェに乗り込んだ。
ヘッドライトに先導され、一路東大寺邸から三葉ロボテクへ夜の道を辿る。
「お嬢様。」
助手席で向こうに顔を向けながら、低い声で安希子が言う。
「な、なんですか?」
また、いつもの嫌味が始まるのかと身構える歌陽子。
こちらを向いてニッと笑う安希子。
この状況では逃げられない。
「わたしね、今日見たいテレビがあったんですよ。なのに、どうしてくれるんですか?」
「そ、それは録画とかしてないんですか?」
「年越しの特別ライブですよ。わたしの大切なアイドルグループの。そんなの録画で見たら台無しじゃないですか。」
「そ、そんなあ。そんなこと言われても。」
「埋め合わせしてください!」
「じ、じゃあ、そこで止めますから、好きなところで好きなもの見てきてください。」
「ダ・メ・デ・ス!わたしはお嬢様の監視で特別手当を頂くんです。なのに、サボって遊んでいるわけには参りません。」
もう、どっちなのよ〜。
この人、単に私をイビルのが楽しいだけじゃないの?
「だいたい、歌陽子お嬢様は、男の人とか興味ないんですか?」
「私、ずっと女子校だったから。」
「だからですよね。いつまで経ってもおぼこいのは。」
「別にいいじゃないですか。私は私です。」
「そうそう、いるんですよね。実は、コンプレックスの固まりで、男の人に怖くて近づけない、一生生娘のままみたいな、イタイ人。」
「もう!私普通に男の人と働いています。」
「あっはっは!知ってますよ。みんな定年間近のおじいちゃんばかりでしょ。そりゃ、旦那様が安心して通わせる訳ですよね。」
見てらっしゃい。あの人たちに会って、そんなこと言っていられるかしら。
そうこうしているうちに、ポルシェは三葉ロボテクの駐車場に着いた。
口は悪いが、一応ハウスキーパーの仕事はきっちりする安希子は、歌陽子に荷物を持たせるようなことはしない。
それどころか、荷物を抱えながら大股でどんどん先に行く。
「お嬢様、遅おい!」
「すいませ〜ん。」
少し小走りになってついていく歌陽子。
そして、開発部技術第5課の入っている別館に近づいた時、建物の前に誰か佇んでいるのに気がついた。
その人影は、二人に気がつくと向こうから声をかけてきた。
「あのお、あなたたち、ここの人?閉まっていて開かないのよ。早く開けて頂戴。寒くて凍えちゃう。」
そう言う相手を歌陽子は二度見した。
毛皮の下のミニスカートから網タイツの足がのぞいている。長い付けまつげと濃い口紅、そしてプンと鼻をつく香水。
明らかにアラサーのキャバ嬢だ。
まさか、あの人たちデリバリーでも頼んだの?
(#36に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#34
晦日
日登美泰造がチームに加わってから2ヶ月足らず、紆余曲折を経ながらも、歌陽子(かよこ)のプロジェクトはかなり形になりつつあった。
ロボット製作は、外装とパーツの組み立ては野田平が担当し、アクチュエーターの制御と電源周りは前田町、そして電気制御は日登美の担当だった。
ロボットをどのように動かすかのシナリオ製作は歌陽子の、そしてそのシナリオ通りにプログラミングするのは泰造の仕事だった。
しかし、毎日の業務もこなしながら、ロボットコンテストに向けての準備である。
他にやることのない泰造は良いとして、追い込みのこの時期、歌陽子と三人の技術者は連日夜遅くまで仕事場に詰めることが多かった。
それで、少し気が立ってきた三人をとりまとめるのに、かなり神経を使っている歌陽子、
「年末年始くらいはキチンと休みましょう」と提案した。
だが、言い出しっぺのくせに責任がないとか、やる気が感じられないとか散々なじられて、仕方なく大晦日の日も出社していた。
シナリオはおおまかなところさえ決まれば、あとは勝手にやれとばかり、三人の技術者たちは自分の担当に没頭した。
自分一人でシナリオを進められない歌陽子は、泰造がいなければ完全に手持ち無沙汰になった。
しかし、ポーッとしていると三人の誰かが目ざとく見つけて怒るので、歌陽子はコーヒーの給仕をしたり、買い出しをしたり、とにかく忙しく動くための用事を作るのに必死だった。
「カヨお。」
あ、野田平さんが呼んでる。
また、肩が凝ったから揉めとか、口さみしいから何か買ってこいとでも言うのだろうか。
「はい。」
大きく返事を返して席を立った歌陽子の目に、扉の陰の泰造の姿が映った。
「カヨお。」
口に手を当てて器用に野田平の真似をしている。
「泰造さん、やめてくださいよ。また、野田平さんに呼ばれたかと思うじゃないですか?」
「よお、カヨちゃん。世の中はもうとっくに仕事納めだって言うのに、ご苦労なことだね。」
「泰造さんこそ、どうして来たんですか?」
「別にい、マンションに居てもやることないしな。」
「昔の友達とかいるでしょうに。」
「いやあ、アイツラにはアイツラの世界があるからさ。家族のところか、会社の同僚と一緒とか、恋人とデートをしているとか。俺みたいな根無し草には用事はないんだろうさ。」
「じゃあ、やっぱりお父さんと一緒にいたいんだ。」
「あの、殴っていい?」
「キャ!」
拳を振り上げた泰造に、歌陽子は頭を両手で覆ってガードしようとした。
「あ、メール。オヤジからだ。『遊んでいるなら手伝いなさい』だとさ。
くそ、『今日は非番だ、干渉するな』と、返信!」
「どうして、近くにいるのに、直接会話しないんですか?この間は、隣で肩を並べてメールでコミュニケーションしてましたよね。
パラメータがどうとか、返り値の仕様を寄越せとか。」
「うるさいよ、俺ら断絶中だって言ったろう。」
「へんなの。お互いの携帯覗きあって、メール来る前に返信書いてたじゃないですか?」
「うるせえ、バカメガネ。」
「バ・・・。」
歌陽子が何かを言い返そうと思う前に、彼女の携帯にメールが届いた。
「あ、お母様。えっ?そっか、今日はグループの役員会の納会だった。忘れてたあ。
ごめんなさい。
もう、帰ります。」
泰造や、前田町たちへの挨拶もそこそこに歌陽子はバタバタと事務所を飛び出して行った。
そこへ、野田平が作業場から姿を現した。
「カヨお、カヨお、あれ、いねえのか?どこに行きやがった?」
「あ、野田平のオジさん。」
「泰造か、カヨはどうした?」
「えっと、家の用事で帰りました。」
「ちっ、しょうがねえなあ、役立たずが。」
・・・
その日の夜。
東大寺グループの役員の接待から解放された歌陽子は、自宅で正装を着替えていた。
「そう言えば、みんなどうしたかなあ。」
気になって歌陽子は泰造に電話した。
トゥルルルルル。
ガチャ。
「あ、カヨちゃん?」
「泰造さん、あの、今みんな解散しましたか?」
「さあ、まだいるんじゃない?」
「そうなんですか?」
「だって、『今晩は年越しだあ』って、前田のオジさんが気勢をあげてたからさ。それで俺、酒やサカナの買い出しをやらされたんだから。」
「じゃ、まだ泰造さんは会社ですか?」
「へへっ、隙みて逃げて来ちゃった。」
「そうですか。私、行った方がいいかな?」
「やめとけ、やめとけ。酒のサカナにされて食われちまうぞ。」
「でも。」
「カヨちゃん、どれだけ根が真面目なのよ。」
「やっばり、一度だけ顔をだします。」
時刻はもう大晦日の夜11時を過ぎていた。
(#35に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#33
チームビルド
「た、泰造さん!」
日登美父に殴り倒されて、椅子の後ろに吹き飛んだ泰造に、歌陽子(かよこ)は思わず駆け寄った。
「だ・・・大丈夫ですか?」
衝撃を受けた顔面を両手で覆った泰造は、しばらく動かなかったが 、歌陽子に声をかけられてそろそろと身を起こした。
そして、右手で殴られたところをさすりながら受けたダメージを確かめようとした。
泰造の右頰は赤く腫れてはいたが、大した怪我はなさそうなので歌陽子は安堵した。
「オヤジ、てえめえ!」
父親に殴られた泰造は、顔を紅潮させ、歯をむき出し、明らかに凶暴な顔つきをした。
これが、泰造のもう一つの顔なのか。
歌陽子は身震いする思いがした。
軽口は叩くものの、童顔で父親譲りのソフトな人当たりで、どうしようもないワルだった過去を聞かされてもそんな怖い人物とは思えなかった。
だから、歌陽子も深く考えずに軽い気持ちで泰造の誘いに乗ることができたのだ。
対する日登美父は、柔和な表情を潜め、鉄のような冷たい顔つきをしていた。
それは、まるで大きな鉄の壁のように見えた。
と、止めなきゃ。
すっかり歌陽子は気を飲まれながら、それでも必死にそう思った。
「た、泰造さん、やめましょ。お願いします。」
そう必死に泰造の腕を抑えようとする歌陽子を、しかし、
「どけ!カヨコ!」と、泰造は煩わしそうに振り払った。
それを見ながら、日登美父は、
「お前には女性と付き合う資格はない」と低い声で言った。
「そう言う甘っちょろい話は、後にしようぜ」とまた拳を固めて、状態を低くする泰造。歯をギュッと食いしばって、目を爛々と怒らせて父親を睨んだ。
対する日登美は、両手を白衣のポケットに突っ込んで戦意を感じられない姿を晒していた。
それが、どうとでもしろと投げやりなようにも、やれるもんならやってみろと挑戦的ようにも泰造には思えた。
「舐めやがって。ボコスコにしてやるよ。」
呻くように、絞り出すように言った泰造は、また腰をためて父親に殴りかかった。
だが、
パン!パン!パン!と、
空気が炸裂する音がした。
そのたびに、泰造は後ろにのけぞっていた。
「私はプロだと言ったでしょう。学ばないね、お前は。」
少し呼吸を乱した泰造は、腕で右まぶたの上を拭う仕草をした。
まぶたが切れて血が流れている。
それを乱暴に拭い取った血の跡が尾をひく。
「こ、このやろ。ただじゃおかねえ。」
もう、一度拳を固めて腰を落とした泰造の前に、歌陽子が身体を割り込ませた。
よせばいいのに、怖さにギュッと目を閉じて、
「もう、やめてください。二人がバラバラになります。」と悲鳴のように叫んだ。
「歌陽子さん・・・。」
ポツリと日登美父が漏らす。
「全部、全部、私のせいですから。だから、だから・・・ごめんなさい。もう、これ以上仲が悪くならないで。」
泣き虫の歌陽子が、しかし泣いてはいなかった。顔を泰造以上に真っ赤に染めて、ただ必死に叫んでいた。
「むかしの歌かよ!どけい、お前ごと殴り倒すぞ。」
「いやだ!」
そう感情を吐き出して、歌陽子は泰造の胸に組みついた。
「は・・・。」
想定外の歌陽子の行動に戸惑った泰造は、一瞬怯みながらも、
「離せ!バカヤロウ!」と怒鳴る。
身体を揺すって振り払おうとするが、必死に組みついてくる歌陽子は簡単には離れない。
思い余って、歌陽子の顔に手を当てて直接引き剥がそうとした。
閉じた目からメガネが上にずれ、頰を潰された完全なブス顔になりながら、それでも歌陽子は決して離れない。
「いやだ!いやだ!」を繰り返し、必死のブス顔で抵抗する歌陽子に、彼女の顔をわしづかみにして引き剥がそうとする泰造。
緊縛した空気が少し滑稽なものになりかけた時、
泰造の力がふっと抜けた。
「やあめた。馬鹿馬鹿しい。」
「泰造。」
「あ・・・泰造さん。」
「もうやらないよ。だから離せよ。」
「本当ですか?」
「ああ、お前・・・ブスだな。」
「へ?」
「何がへ?だよ。お前、本当にいいとこのお嬢さんか?お前のさあ、その変な顔見てたら、力が抜けちまったよ。」
それで、ようやく歌陽子も力を抜いて泰造を解放した。
「じゃあな。」
「泰造。」
「泰造さん。」
「また、くるわ。」
「え?」
泰造は、出口に向けた身体を顔だけ歌陽子に向け、
「一度だけだぞ。一生一度だけ、後にも先にも一度きりだ。お前に協力してやるよ。」
「い、いいんですか?」
全く予期しなかった展開に驚く歌陽子に泰造はさらに言葉をついだ。
「だってしょうがないだろ。お前、バカなんだし、泣き虫で、誰かが助けてやらないとまたヤバイことになるからさ。」
「有難うございます!」
嬉しさに顔を上気させ、また飛びつきそうな歌陽子を手で牽制しながら、
「たく、なんで俺なんだよ。お前なら金を積めばいくらでも腕のいいやつが雇えるだろうに。」
「あなたが良かったんです。最初会った時からそうでした。」
そして、今歌陽子のチームビルドは完了したのだった。
(#34に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#32
モノサシ
「嫌い・・・ですか。」
日登美はポツリと呟いた。
「・・・。」
また、無言に戻る泰造。
「その感情は、本当は私に向いたものではないんですか?」
クルリと父親と向き合った泰造は、
「あのお嬢様の約束を破ると、アイツラがうるさいから、俺もうアメリカに帰るわ。それで、当分帰らない。何十年後かには、親父の墓にいっぺんくらい手を合わせるかもな。」
悲しげに目を伏せた日登美は言った。
「お前の友達は家庭を持ったり、立派な仕事をしていたり、それなりに成長していると言うのに、お前は10年前のままなのですね。」
それに、明らかに顔に不満の色を表しながら泰造は言い返した。
「アイツラのどこが、そんなに偉いよ!俺は単身アメリカで自分の道を切り開いて、今やトップクラスのCGアニメーターの仲間入りをしているんだ。今度日本に帰って来てからも、もう2件取材のオファーを受けているんだぜ。アイツラの中にそこまで偉くなったヤツがいるのかよ。どいつも、ウンザリするくらいこの町と、ちんけな生活にしがみついているだけじゃないか。」
「それは、お前がたまたま有名スタジオに在籍しているからでしょ。もし、スタジオが作風を変えて、今までのようなCG作品にお金をかけなくなったら、お前はそれでもトップCGアニメーターと自分のことを誇れますか?
それに、取材は日本での話でしょう。若干26、7の日本人がアメリカの有名作品に参加している、そのトピック性に飛びついているに過ぎません。
現にアメリカでインタビューを受けたことがありますか?」
「・・・。」
「お前が語っているのは、人間が都合よく作ったモノサシの話に過ぎません。
珍しくて騒がれているうちは評価して貰えますが、ちょっと風向きが変われば見向きもして貰えなくなる。その程度のものです。
そんなことは、アメリカで散々見て来たでしょう。
それに歌陽子さんのモノサシはお前よりはるかに大きいのですよ。でも、それでは人生の真実がいくらも測れないことに気がついて自分から捨てたんです。
あの子は、いままで大切に育てられてきたから、世間知らずですし、何の力も、技術もありません。不器用で、何か一つまともにしようと思うたびに泥だらけで傷だらけになります。
でもね、これだけは言えます。
あの子の武器は、考え方がとてもしっかりしているところです。」
しかし、わざと小馬鹿にしたうすら笑いを浮かべながら泰造は、
「・・・、だから?いくら一生懸命でも、あれじゃダメでしょ?」
「確かに一生懸命ですね。それはお前も一緒です。しかも、非常に優秀だ。
ただ、考え方が欠落している。
いくら、能力と情熱があっても、考え方が間違っていたら、成長はできません。
だけど、歌陽子さんはこの半年間驚くほど成長していますよ。
しっかりとした考え方と、さらに情熱もあって、あとは能力は時間が解決してくれます。
そうしたら、お前は人間としてもあの子には勝てませんよ。」
「ふん、言いたいことはそれだけか?」
ガタッと立ち上がる泰造。
「はい。」
ここで、日登美父はメガネを外して、ポケットのハンカチでキュッキュッと拭きながら言葉を足した。
「それだけです。あとは好きにしなさい。」
「くそ、親父。」
「くそ親父上等。」
「いつも分かったような言い方をしやがって。」
「お前が歌陽子さんを嫌いと言う意味が分かった気がします。なぜなら、あの子はお前の足りないものをいろいろ持っていますからね。だから、勝てない気持ちになって、わざと貶めるようなことばかりするんじゃないですか?
ハッキリ言えば、人を貶めてその分さもしい優越感にひたろうとする人間、私は興味ありません。時間の無駄でした。」
日登美父は、そう言うと、その場を去ろうと立ち上がった。
そして、反対に激昂する泰造。
「があっ!ぶっ殺す、てめえ。」
その時、歌陽子は、二人のことが気になってのぞいていた。
あっ、危ない!
泰造が拳を引いて日登美父に突っかかって行く。だが、次の瞬間、泰造は後ろにのけぞっていた。
何が起こったのか分からず、歌陽子はただ驚くしかなかった。
「まだ負けませんよ。これでも、昔はアメリカでプロでしたから。」
固めた拳を胸に当てて、静かに日登美が言った。
(#33に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#31
意地っ張り
「う・・・どこ?どこよお・・・?」
「あ〜っ!うっとおしい!あっち行ってやれ!」
前田町にしっかり怒られて、半べそかきながら歌陽子(かよこ)は、自分のスマホのアプリを起動しては、閉じてを繰り返していた。
それも、前田町にハッキングアプリをダウンロードされて、いつまたスマホ越しにプライベートを覗かれるか分からないからだった。
歌陽子は、そのハッキングアプリを探し出して削除しようとするのだが、どこをどう探しても自分がインストールしていつも使っているアプリしか見つからない。
怒られて、すっかりモチベーションを下げたまま、「どこよお、どこよお」を、情けない声を出しながら延々と続けている歌陽子についに野田平が堪忍袋の緒を切ったのだ。
「だいたい、おめえみたいなノータリンがちょっと探してわかるような仕事を前田のジジイがするわけあるか。」
ノータリンと言われて、歌陽子は無言のまま、反抗的な目をした。
「なんだあ、このガキゃあ、人が優しくしてりゃつけあがりやがって。」
野田平は、二人の間に積み上がった書類の山越しに身体を乗り出して、やる気なさげに顔半分を机に擦り付けてダラダラスマホをいじっている歌陽子の頭を重い拳でグリグリッとやった。
「い、痛い!痛い!助けて!痛い!ゴメンなさい。もうしません!もうしません!」
本気で痛がる歌陽子に、
「こらっ!思い知ったか!」
と、ますます力が入る野田平。
一方、少し離れた席で、
「へっ、みっともねえ。じゃれつきやがって。」
と仏頂面で吐き出す前田町。
歌陽子を叱り倒して、反対にしっかり引かれて寂しくなったのか、ぶつぶつと不機嫌そうにこぼしている。
こちら側の意地っ張りたちと少し離れて、別室では別の意地っ張り同士が対峙していた。
「コーヒー、飲みませんか?」
歌陽子のスペシャルブレンドコーヒーをカップに注ぎ、二つ並べて日登美父と泰造が向き合って座っていた。
「ふんっ。」
コーヒーの香ばしい香りに鼻孔の奥がくすぐられながら、この二人の親子が10年近くの断絶を経て交わした最初の言葉だった。
「相変わらずですね、お前は。」
それに無言で応じる泰造。
「そんなに、あの歌陽子さんのことが気に入ったんですか?」
「はあっ!」
その言葉に泰造がだんまりを破る。
「なんで俺が、こんなちんけな国の、ちんけなお嬢様に執心しなきゃなんないのよ?」
「そうですか。その割には随分楽しそうにいじり回していたじゃないですか。お前は、昔からオモチャが気にいると大事に扱うことができませんでしたね。
徹底的にいじり倒して、すぐに壊してしまったじゃないですか。思春期になって、彼女が出来ても、その娘に夢中になればなるほどわざと無茶苦茶に扱って、すぐに嫌われていましたよね。」
「ガキのころのことだ。一緒にすんない。」
「まあ、そんなふうに育ててしまったのは、親である私の責任です。でも、今なら私はこう思えるんですよ。
つまり、自分の気持ちを素直に表せない不器用な子供だったと。
だから、そんなお前でも唯一受け入れてくれた悪い仲間たちとつるむようになったんですね。」
ふん!
泰造が鼻を鳴らした。
「だから、持て余して国外追放したのか?」
「そうじゃない、と言っても今更言い訳にしかならないでしょうね。正直言えばそんな気持ちもありました。母さんが、お前のことですっかり気持ちを病んでしまっていましたから。」
「はん!お袋を言い訳に使うなよ。」
「それに、なんとなくお前にはこの国は狭いような気がしていたんですよ。現にお前は立派に成功を収めたじゃないですか。必ずしも、私の勝手な思い込みではなかった証拠です。」
「都合のいいことばかり言いやがって。今度、雑誌にインタビューされたら、『今日の僕があるのは父が心を鬼にして送り出してくれたおかげです』って言えってか。」
「私のことは、いいんです。それより、あの歌陽子さんに力を貸して貰いたいんですよ。」
「・・・。」
「お前、約束したんでしょう?」
「・・・。」
「あの人は、お前の言うことを信じて、ちゃんと付き合ってくれたんじゃないですか。だったら、きちんと約束を果たしてください。」
泰造はワザと身体を横に向け、横顔をむけながら冷ややかに言った。
「だって、俺、あいつのこと嫌いなんだもん。」
(#32に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#30
不器用な愛情
まるでサスペンス劇場で死体を見つけた女子よろしく、歌陽子(かよこ)は口を右手で押さえ、身体を後ろにのけぞらせた。
「た、泰造さん!こんなところで何をしてるんですか?」
「メガネちゃん、たすけて。悪い奴らに監禁されてるんだ。」
「え・・・?」
「誰が悪い奴らだ、人聞きの悪いことを言うんじゃねえ。」
不機嫌そうな前田町の声。
その前田町はと見ると、椅子の上にあぐらをかき、腕組みをして、相変わらずの苦虫を噛み潰したような顔。
そして、机の下のポッカリ空いた空間に器用に詰め込まれた泰造。
しかも、後ろ手に縛りあげられ、足は体育座りの形に折り曲げられたまま紐できつく結わえられていた。
「ま、前田町さん、何してるんですか。早く出してあげてください。」
歌陽子が悲鳴のような声で頼めば、前田町がドスのきいた怖い声を出す。
「嬢ちゃん。」
「は・・・は・・・い。」
「あんた、その前に俺らになんか言うことがあるんじゃないか?」
こ・・・怖い。
「そ、その・・・ごめんなさい。」
「嬢ちゃんのプライベートがどうこうって話じゃねえ。嬢ちゃんも、もう大人なんだし、自分のやることのケジメくらい取れるよな?それで、もし間違いがあっても、そりゃ嬢ちゃんの自業自得だろうし、俺らの預かり知るこっちゃねえぜ。
だがよ、嬢ちゃんがこの馬鹿とつるんだのは、当然色恋抜きなんだろ?」
「・・・、そ、そうです。」
「そりゃないよ、メガネちゃん。」
「おめえは、だあってろ!」
「はい。」
「ならばよ、そりゃあくまで仕事の話よ。そうしたら、あんたは俺らのリーダーだ。
勝手に突っ走って、なんか不始末でもありゃあ、俺らにも迷惑がかかると思わなかったのかい?」
きたあ、仕事の鬼の正論モード。
これで来られたら、もう逃げ場はない。
「え・・・っと、はい・・・。」
「なんだあ、聞こえねえ。」
ひ、冷や汗でてきたあ。
か、帰りたい。
「あ、あの、軽率・・・でした。」
「とは言え、嬢ちゃんのやりそうなことくれえお見通しよ。だから、半分は嬢ちゃんを信用して、そのまま行かせたんだ。
だけど、日登美のオヤジに勘付かれちまった。
『なんか今、意味深なこと言いませんでしたか?』ってよお。
それで散々根掘り葉掘り聞かれて、この馬鹿が嬢ちゃんにデートしろとか言ってるのを白状しちまったって訳よ。
それで、しょうがなく嬢ちゃんの携帯をこっそり仕込んでおいたアプリからハッキングして、カメラやスピーカーを起動して様子を見てたのよ。」
「あ、悪魔だ。」
「おめえはだあってろ!」
「ど、どれですか?け、消してくださいよ〜!」
「まだダメだ。おいたがおさまったら消してやるよ。」
「そ、そんな〜。しょ、初期化してやる〜。」
半泣きの歌陽子。
「そしたらよ、嬢ちゃんがレストランに乗り込んだまでは良かったが、この馬鹿がでてきたあたりから、ドンドン雲行きが怪しくなったじゃねえか。」
「面目ないです。うちのバカ息子がとんでもないことを。」
「日登美のオヤジが落ち着かなくなって、こりゃ、この馬鹿にこれ以上好き勝手させちゃおけねえって、急いで嬢ちゃんのGPSを追いかけたのよ。
そして現場についたら、どうよ。
嬢ちゃんはもう帰ったあとで、この馬鹿が高いびきで寝てやがる。
それで、ふんじばってここに連れてきたのよ。」
「人権蹂躙だあ。」
「うるせえ、5回もトイレに行かせてやったじゃねえか。」
これは、あまりに非合法。懲らしめるにしてもやりすぎである。
「あの、前田町さん。ちょっと、これはまずいんじゃ。あまり、こんな無理な格好をさせておくと、血が通わなくなって足が壊死したりしませんか?」
「ちょっと待ちな。嬢ちゃんには、まだ話がある。」
やぶ蛇〜。
「俺にも嬢ちゃんを信用して行かせた責任はある。だが、散々周りを心配させておいて、素知らぬ顔でしらを切ろうってえ腹が気に食わねえ。そんな奴と仕事をしたところで、都合のいいことばかり聞かされて、気がつきゃあドツボってえのがオチよ。
あ?違うんかい?」
もう、何も返せない。
どうしたらいいの?
「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・ごめんなさい。」
「バカやろ、あんたのごめんなさいは軽いんだよ!」
「くっ・・・ううう。」
「あっ、泣かしちまった。いけないんだ。」
「バカやろー、てめえと一緒にすんな!」
ここで、日登美が割って入ってた。
「ちょっと前さん、歌陽子さんが可愛いのは分かるけど、いい加減にしときなよ。」
「てやんでえ、可愛いもんか。こんな出来そこねえ。」
「まあまあ。さっ、歌陽子さんも涙を拭いて。」
そう言って日登美は、ティッシュボックスからティッシュを一掴みして渡した。
「グジュ、ううう。」
涙を拭きながら歌陽子が少し落ち着いたのを見て、日登美は前田町に言った。
「前さん、泰造の縄を解いてくれないか?一度親子で話してみたいんだ。」
(#31に続く)