成長とは、考え方×情熱×能力#17
クイーンズナイト
「こおら。何ボーッとしてるの?」
女子トイレの洗面台のヘリに手をついて、ジィッと鏡を覗き込んでいる歌陽子(かよこ)の背後から、指が現れて彼女の頬をギュッと押した。
「あ、清美さん。」
肩越しに覗いたのは総務部の佐山清美の顔だった。会社では、年齢も近く気を許して話ができる数少ない先輩の一人である。
「また、あのオヤジたちにいじめられたんでしょ?」
「そのう、今日は違うかな。」
「じゃあ、やっぱりロボコンのこと?」
「一応、それ系です。」
「だよね。あんたが仕掛け人だって専らの噂だもん。ちょっと、派手にやり過ぎて身動きが取れなくなってんじゃないの?」
「それもあるんですけどね・・・。ねえ、清美さん。いくら仕事のためだからって、知らない男性と一晩おつきあいするって言うのは、やり過ぎですか?」
「は?」
「だから、知らない男性と・・・。」
佐山清美は歌陽子と肩を並べて隣の鏡を覗き込んで、歯を見せてニーッとやった。
「あのさ、柄にもないことするもんじゃないわよ。あんた、超お嬢様なんだし、まともに男の人と付き合ったことなんかないでしょ。」
「ええ、まあ。そりゃ。」
「もう中学生や高校生とは違うのよ。私らの場合はね、軽い気持ちでデートとかあり得ないの。そう、食うか食われるだね。」
「それって・・・、その。」
「だから、特に夜にデートする時は、下手すりゃキズモノにされるくらいは覚悟しておきなさいってこと。」
「そんなあ、困ります。」
「でしょ。それに、そいつのこと好きでもないんでしょ。」
「どっちか言うと嫌いかな。」
「じゃ、やめときなよ。ところでさあ、あんたに手を出そうって男、どんなヤツ?やっぱり、どっかの会社の社長のボンボン?」
「いいえ、あの、アメリカでCGのアニメを作っている人です。」
「へえ〜、クリエイター系。そりゃ、たいした度胸だね。だって、まかり間違えば一生棒に振るよ。それか命かけても、東大寺一族に自分のDNAを残そうっていうのかな。」
佐山清美は手に持った小ぶりのポーチから口紅を取り出して、丹念に塗り直す作業を始めた。
「清美さん、ちょっと露骨すぎます。」
「あはは、ゴメン、ゴメン。ちょっとあんたには刺激が強すぎたかな。でも、例の三匹の強面連はなんて言ってんの?」
「それが・・・。」
あの時、泰造が「この俺と一晩デートに付き合ってください」と口走った瞬間に、前田町の拳が飛んだ。
後頭部から殴り倒された泰造を尻目に、
「さあ、嬢ちゃん、こんなくっだらねぇことはもう十分でえ。とっととけえるぞ。」
と捨てゼリフを吐いて、歌陽子の手を引いてマンションを後にしたのだった。
あと前田町は「やめとけ」の一点張りだった。
しかし、歌陽子はそれで済ませるわけにはいかなかった。
それでも、なんとか泰造に協力して貰って、ロボットコンテスト用の自立駆動型介護ロボットを完成させなくてはならない。
そこで、いろんなSNSに当たって泰造を探し出して、そこからメッセージを送った。
「歌陽子です。今日はゴメンなさい。よろしければ、もう一度会えませんか。」
対する泰造の答えは、
「メガネちゃんが一人でくるなら会ってもいい。だけど、前と同じじゃダメだよ。お嬢様らしく、バッチリ決めて来てよ。俺の東大寺歌陽子のイメージを送るから、その通りの君で、明日20時に待っている。」
そして、待ち合わせの住所と、一枚の画像が送信された。
画像のタイトルは、「Queen's Night」。
(#18に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#16
いやな奴
「おめえよお、もういい加減、日登美のこと許してやったらどうなんでえ。」
事情に詳しい前田町が泰造を諭そうとした。
「せっかく前田のオジさんにそう言って貰っても、こればかりは無理だね。」
「だがよう、ものは考えようだぜ。今のお前がいるのも、オヤジさんのスパルタのおかげだろう。」
「それはそれ、これはこれさ。だいたいまだ18の息子を着の身着のまま、国外に追い出すってどうなのよ。」
さっきから不思議そうな顔をしている歌陽子(かよこ)であった。
「どうした嬢ちゃん?」
「だってですよ。隣のうちに追い出すわけじゃないでしょ。パスポートだっているし、入国審査だっているし、例え旅行先に置き去りにしたって、お金も持たずに未成年者がウロウロしていたらアッと言う間に保護されて強制送還とかされませんか?」
「あ、それ?そこはオヤジは抜かりなかったのさ。」
思い出すと腹がたつのか、泰造は口を尖らして吐き出すように言った。
「いつものように悪さして、警察に世話になって帰ってきたら・・・。」
「悪さって?」
「君ねえ、そこ突っ込むとこ違うよ。」
「まあ、こいつは基本小物だからよ、悪さって言ってもたかが知れてるのさ。街で悪仲間のグループを作って、幅を利かしていた暴走族に出入りをかけるとか、ドラッグの売人を偽って金持ちのボンボンから金巻き上げるとか、その程度よ。」
「えっ・・・と、それが小物の悪さですか?じゃ、前田町さんの言う本物の犯罪って。」
「お、ガハハハハハハ、まあ、いいってことよ。」
この人たちホントはとんでもない人じゃないかしら。
「えへん。」
話を取られて少しご機嫌斜めの泰造。
「あ、ごめんなさい。それで、どうなったんですか?」
「それでね。家に帰ったら山のような体つきの男が数人いてね。そのまま無理やり車に押し込まれて空港に直行。あとで聞いたら、オヤジの友達のプロレス団体のヤツらで、アメリカに巡業するついでに俺のことを拉致して連れ去ったってわけ。」
「そ、そんな無茶な。私なら『助けてえ!』って叫びます。」
「だろ?だけど、相手は本物のレスラーだし、『オヤジも全て承知しているからジタバタするな』とか脅されて、もうショックで抵抗する気とか失せちゃってさ。俺、喧嘩とか結構してたから、逆らっちゃいけない時って敏感に分かるんだよね。
でも、別にオヤジも承知ならヤバイとこへ連れて行かれる訳じゃないし、こいつらと離れたらサッサとずらかろうと思ってた。」
まあ、なんて修羅場な人生・・・。
「だけど、連れて行かれたのは本物のヤバイところだったんだ。」
「そ、それって・・・。」
「俺がアメリカで引き渡されたのは、すっごい変人ばかりのラボでさあ。そこでは、物凄い機密を扱っているから、一度放り込まれたら半年は日の目を見られないような場所だったんだ。」
「こいつのオヤジがそこの所長と旧知の仲で、とにかくヤバくて手が足りないラボだったから、こんな奴でも何にも言わずに受け入れたって訳さ。」
「何しろ、半年は幽閉され、娑婆に舞い戻っても3年間は監視がつくって場所だろ。
それでも、半年さえ過ごせば帰国も条件付きで認められたから、オヤジにしてみりゃ、手っ取り早い短期間の矯正施設のつもりだったんだろうけどさ。
だけど、俺はつくづくオヤジのやり方に腹が立っていたんだ。自分の都合の良い時はいい子で、手に負えなくなったらさっさと施設で矯正して、真っさらにしてうちに戻そうなんて、子供を何だと思ってるんだ。」
「泰造。それは違うぜ。矯正だけが目的なら日本にもそれが目的の場所はいくらでもあるだろ。そうじゃなくて、オヤジさんはおめえにもホンモノの技術ってもんを身につけて欲しかったんじゃねえのか?」
「確かにね、プログミング技術だけは徹底的に仕込まれたよ。あの最低の場所で唯一感謝しているのはそこさ。
だから、せっかく身につけたプログミングの技術を生かしてアメリカで何かしようと考えたんだ。
幸い半年間務めたから、それなりの手当てはついていたし、その間オヤジが仕送りしてくれた金を合わせればそれなりの金額になっていた。それを元手に本場でCGを学びながら、有名スタジオの面接を受けたんだよ。
そして、アメリカに来て3年後、やっと念願叶って今のスタジオに拾って貰えたってわけ。」
そこで前田町がしみじみと言った。
「日登美のヤツ水臭えよな。俺に頼みさえすりゃあ、立派に技術のイロハも叩き込んで、性根も叩き直してやったのに。
それが、変に気を使いやがって、こんなシンドイことするこたあなかったのによお。」
それを聞いて泰造の顔が引きつっている。
そうならなくて心底良かったと思っているに違いない。
「ま、そういう訳で、オヤジとは断絶。お袋とはこっそり連絡してるけど、もうオヤジと一生口を利くつもりはないよ。だから、今回のことも、悪いけどあきらめて。」
口を開きかかった歌陽子より先に、前田町が泰造に話しかけた。
「なあ、てえ造、おめえの気持ちも分からんでもねえが、ここはひとつ嬢ちゃんと俺の顔を立てて、ウンとは言ってくれねえか?」
「だあめ。」
「なあ、大の男に何度も頭を下げさせるもんじゃねえよ。」
「前田のオジさんには随分悪いことを教えて貰ったから、そこは感謝してるよ。」
「こ、こら、いらねえこと言うんじゃねえ。」
「だけど、これは俺たち親子の問題だよ。他人が割り込むのはやめて欲しいんだよね。」
「た、他人だとお。てめえ、俺に向かって他人たあなんだ。」
「怒った?」
「タリメーだ!なあ、嬢ちゃん、こんな根性の曲がった奴をこれ以上相手していてもラチがあかねえ。サッサと帰ろうぜ。」
「ま、待って!前田町さん。」
青筋を立てている前田町をなだめながら、歌陽子はさらに言葉を継いだ。
「この人は私たちにどうしても必要なんです。それに、私、泰造さんの気持ちが少し分かります。」
「また、またあ。」
お嬢様が何を分かったふうなことを言うのさ、とばかりに泰造は手をヒラヒラさせた。
「本当です。だって・・・私もお父様の意に反して自分の道を進んでいるんですから。親の決めたレールに窒息して、それより傷だらけになって自分で歩くことを選んだんですから。」
「嬢ちゃんの言うことに嘘はねえ。俺たちが毎日見て言うんだからまちげえねえよ。」
前田町の援護に、さすがの泰造も腕組みをして揺らぎ始めた気持ちを整理しようとした。
そして、沈黙の1分の後、腕組みを解いた泰造が言った。
「分かった。そんなに言うなら考えてもいい。」
「本当ですか!」
「ただし、条件を出させて貰う。」
「何でしょう?」
「じゃあ、言うよ。
メガネちゃん、
この俺のデートに一晩付き合ってください。」
え、なんて・・・?
さんざん人を馬鹿にするかと思えば、威張りちらすし、挙句にデートしろなんて。
ホントに嫌なヤツ。
(#17に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#15
親子断絶
「またあ。やだなぁ、メガネちゃん。」
少し怖気付いたのか泰造は弱気な声を出した。
そう、歌陽子(かよこ)はその気になれば東大寺の顔にでもなれるのだ。
「冗談ですよ。日本人が国籍を剥奪されたなんて、今まで聞いたことがありません。」
「だ、だろ?」
外務省なんて言うもんだからビビったじゃないか。
「でも、渡航を禁止ならできるかも。」
これならありえそう。
口では寛大なところを見せても、自分のことを貧乏たらしいと言われて、歌陽子は腹ぞこで相当腹が立ったらしい。
ここぞとばかりに反撃を始めた。
「ち、ちょっと、待って。
東大寺のお嬢様、そんなことを言うために俺のところへ来たのですか?」
わざと慇懃な言い方をしてくるところが憎らしい。しかし、こんな嫌味の応酬をしていても仕方ないし、早く軌道修正しなければ本来の目的が果たせないと歌陽子は思い直した。
「失礼しました。」
歌陽子はフローリングにきちんと正座をして、姿勢と言葉を改めた。
「今日は三葉ロボテク開発部課長として伺いました。」
「三葉ロボテク?ああ、オジさんたちの作った会社ね。」
泰造も起き上がると歌陽子に向かい合って座った。
「昔のこった。それも今や東大寺の傘下だ。」
前田町がボソッと言えば、また要らぬこと言いの虫が騒ぎだし、
「で、今は東大寺の小娘のカバン持ちってわけ・・・。
イ、イテテテテ!」
全部言い終わらないうちに、あまりの痛さに飛び上がる泰造。軽口が止まらない彼の太ももを、歌陽子が思い切りつねりあげたのだ。
しかし、当の歌陽子は表情一つ変えずに、話を続けた。
「東大寺グループは、自立駆動型介護ロボットの開発を計画しています。
ただ今のところ、グループ内で進んで開発の頭を取ろうと言う会社は出ていません。」
そりゃ、雲をつかむような話だもんな。
「東大寺の代表、つまり私の父ですが、私のいる三葉ロボテクにその旗振り役を務めて貰いたいと考えました。そして、私が交渉役に任命されたんです。。」
むちゃぶり。
「ただ、会社で1課長に過ぎない私が、東大寺の名前を使ってゴリ押しするわけにもいかず困っていました。
しかし、前田町さんの発案で社内のロボットコンテストに出場して、そこで直接社長にプレゼンをすることにしたんです。」
そこで、あくびを噛み殺しながら泰造が一言。
「はあ、君、たいしたもんだね。企業のオジさんたちと話しているような気分になるよ。」
そこ、感心するとこ違うでしょ。
しかし、歌陽子は無視をして続けた。
「ロボットコンテストには実際に動くロボットが必要なので、前田町さんたちが頑張って作ってくれています。しかし、あくまで自立駆動型介護ロボットを社長に見て貰わなくてはならないんです。」
「そりゃ、ハリボテってわけにはいかないだろうね。で、それと俺となんの関係があるの?」
「自立駆動型とは、自分で考えて高齢者をアシストするロボットです。それは、今世界中で研究されている人工知能の分野ですが、ご存知の通り私たちが必要とするレベルの人工知能はまだ開発途上です。それに、もし開発されたとしても、それを搭載して動かすために何年もかかるでしょう。」
「つまり、今存在しない未来のロボットのプレゼンをしなきゃならないわけだ。むしろ、ロボットを使用して劇をするわけだよな。
でも、そんなの簡単だろ?」
「そうなんですか?」
「君がロボットの外装を被ってシナリオ通りに演技すりゃいいだけじゃん。」
「ま、まさか。そんなわけには。」
さすが、アニメーター、発想が飛んでる。
「じゃあ、前田のオジさんが被る?」
ゴスッ!
前田町のゲンコが落ちた。
「確かに演技するんです。でも、そこはロボットメーカーらしく、プログラムで動かしたいんです。しかも、あくまでもスムーズに、あくまでも人間らしくが大事なんです。」
「で、そのプログラミングを俺に頼みたいんだ。」
「はい!」
歌陽子は期待を込めて大きな返事を返した。
「できるか、できないかって言われればできるよ。それに、年内は日本でゆっくりするつもりだったから、時間も問題ない。気晴らしにもなるしね。
でも、するかしないかって言われれば、しないかな。」
手の内に掴みかけた小魚がスルリと逃げるような感覚。そして、なんとしても逃したくない歌陽子。
「ど、どうしてですか?」
「確かに、プログラムは書けるよ。でも、ロボットのプログラムだろ?インターフェースの知識がいるじゃん。そうすると、電子制御の担当は当然うちのオヤジだろ?」
「まあ、そうだな。」
前田町は同意した。
「オヤジとの共同作業は願い下げだよ。なにしろ、俺ら断絶してるんでね。」
(#16に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#14
マイフェアレディ
こわごわと泰造氏はソファの向こうから顔をのぞかせた。
27、8と聞いていたが、まだ22、3にしか見えない童顔の男性である。
プログラムばかり組んでいるから陽に当たらない色白の男性を思い描いていたが、よく日に焼けてスポーティな感じだ。
顔は面長で、わざとなのか、ものぐさなのか、不揃いに切りそろえた髪を垂らしている。
日登美父の面立ちを受け継いで、ソフトで親しみやすいマスクをしていた。
黒いTシャツに「freedom from life」と大きな文字で白抜きがしてある。下は洗いざらしのテロテロジーンズ。そして、お約束の膝小僧の破れ。
いかにも今風のクリエイターを演出していると歌陽子(かよこ)は思った。
「まあ、二人ともゆっくりしてよ。」
「ゆっくりって、おめえ、どこに座りゃいいんだ?」
そう、この部屋にはソファと丸テーブルしかない。
「あっ、そうか。じゃあ、床の上にでも。」
「床だあ?」
「大丈夫だよ。毎日モップかけているから。」
何か言いたくて、口をモグモグ動かしかけた前田町に、
「前田町さん、ご厚意に甘えましょうよ。」
と歌陽子がニッコリと笑いかけた。
それで、渋々と前田町はフローリングにどっかりとあぐらをかいた。
歌陽子も、膝と膝の間をすぼめてペッタリと腰を下ろした。
カジュアルな服に身を包み、裾の広いズボンを履いて、また淡い色のカーディガンが歌陽子の丸メガネとあいまって、柔らかな印象を与えていた。
ギュッと抱きしめたくなるような華奢な女子のオーラを存分に振りまきながら、歌陽子は行儀よく両手を膝の上に乗せてソファの泰造に相対した。
「あのね、メガネちゃん。」
泰造はいきなり歌陽子に話を振った。
「歌陽子お嬢様と言え!」
前田町は、泰造の馴れ馴れしい言い方が気に入らない。
「生憎僕は、お金や権力が幅を利かす世界の住人じゃないんでね。」
「何言いやがる。嬢ちゃんにスポンサーになって貰おうか、とかほざいていたのはどこのどいつだ。」
「オジさん、気が変わったんだ。この娘は、俺が考えていたような女の子じゃなかったから。」
「ほう、少し自分の浅ましさが身に沁みたか?」
しかし、泰造は分かってないなあ、と言わんばかりに手のひらを上に向けて肩をすぼめた。
「違うよ。この子は、大金持ちの令嬢かなんか知らないけど、ちっともお金の匂いがしないもん。」
そう言って泰造は、平手で誰かの頬を張り飛ばす真似をした。
「こんなふうに、札束で人の顔を張り飛ばしたり、やたら高い服装やジュエリーを見せつけたがるタイプならとり入るのは簡単さ。
でも、言っちゃ悪いけどメガネちゃんは、自分の持っている力を分かっていないし、利用しようとすらしないんだから。
ただ、ひたすら僕ら一般庶民に視線を合わせようとしている。でも、それが行き過ぎて、なんて言うか、貧乏たらしいと言うか、滑稽なんだよな。」
歌陽子は思わず目を丸くした。
えっ?私、こんなふうに言われたの、初めて。
だって、みんな自分たちと住む世界が違うからって、心を開いてくれなかったんだもん。
だから、私、みんなに合わせようと頑張ったのに。
それが、返って貧乏たらしくて、滑稽だなんて・・・。
歌陽子は感情の整理に困って下唇を噛んでうつむいた。
「嬢ちゃん、気にすんなよ。
こいつは昔からこう言うところがあんのよ。
人が嫌がることにやたら鼻が効くって言うか、そうやって相手を否定してみせることでしか自己主張が出来ねえツマラン奴なのよ。」
前田町にさんざんこき下ろされて、泰造はフンと横を向いた。
「いいんです。私、いろんなことがあって心はかさぶただらけですから、これくらい気になりません。」
あえて自嘲気味の歌陽子。
「うっ・・・。」
しかし、思わず前田町は言葉に窮した。
歌陽子の心をさんざん引っ掻いてかさぶたをこしらえた張本人の一人が前田町だったから。
それで、行き場に困った感情がソファに踏ん反り返っている泰造に向いた。
「この、馬鹿野郎が!」
そして、ソファのヘリに手をかけると、ソファごと泰造をバン!と投げ飛ばした。
「ギャーッ!」
無様な叫び声を上げてひっくり返った泰造。
「こら!てめえの様な奴は、お上に手を回して二度と日本の土を踏めねえようにしてやるからな!」
「畜生!やれるもんなら、やってみろ!」
ひっくり返って、なおも強がる泰造。
「あっ、そうだ。」
不意に漏らした歌陽子に前田町が反応した。
「なんでえ?」
そこで、歌陽子が澄まして一言、
「そう言えば、お母様のお兄様は外務省の事務次官でした。」
本当かウソかは知らない。
でも、あながちに「うそ」と笑い飛ばせない。
なぜなら、彼女は東大寺歌陽子なのだから。
「え・・・?」
思わず聞き返す泰造。
(#15に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#13
泰造の哲学
マンションのドアから部屋の中に通された歌陽子と前田町。
アメリカで成功したクリエイターの部屋は、一言で言えば実に風変わりであった。
まず、機能別に部屋が仕切っていない。
50平米もありそうな広いリビング、その他にはトイレ、バス兼用と思しき小部屋と、クローゼット、物置があるだけ。
しかも、そこに置いてあるのは、白いソファと丸テーブル、そしてテーブルの上にはノートパソコンが一台だけ。
あとは、ベッドとキッチンと小さな冷蔵庫、その他はひたすら白い壁と木製のフローリング。壁にはコルクボードも、ポスター一枚も貼られていない。壁に立てかけてあるモップが唯一のアクセントと言えば、そう言えないこともない。
ただただ広い空間がそこにあった。
しかし、それで殺風景かと言えば、南側に面した大きな窓から外光が目一杯差し込んでいた。そして、その先には東京湾を含む都内のロケーションが一望できた。
なんて、開放感!
日頃贅沢品に囲まれ、会社では書類や機械に埋もれている歌陽子にとって、何にもない、空間だけが調度になっているその場所がたまらなく贅沢に思えた。
「なんだこりゃ、何にもねえ部屋だなあ。」
前田町にはこの良さが分からないのか、しきりにガランとした部屋をくさしている。
「オジさん、分かってないなあ。何も持たないことは、現代の俺たちが許された最高の贅沢なんだよ。」
なんか深い。
「だって、銀行にお金があって、あとはスマートフォンさえあれば、とりあえず生きていくのに不自由はないだろ?
服だってクローゼットにお気に入りが数着あればいいし、必要なものがあれば、コンビニで24時間手に入る。食べ物だって、電話一本でケータリングができるし、ちょっと歩けば24時間のスーパーだってある。
テレビも、新聞も、本もみんななくても、ネットで情報は取れるんだ。
好きな音楽も、ユーチューブを見た方が早いもんね。」
確かに。
「おめえヒッピーかよ。」
いつの時代?
「オジさん、ブッダの教えにもあるだろ?
人間、生まれるときも一人、死んでいくときも一人。
いずれこの世に置いて死んでいくものを抱えて人生を無駄にするより、何も持たずに人生のキャパを増やした方がいいと思わない?」
凄い理屈である。さっきから歌陽子はすっかり感心して聞いていた。
さすがは、ハリウッドの一流アニメーター。
しかし、前田町はまだ大人の良識で押さえ込もうとしていた。
「よく聞けよ!おめえのことは預かり知らねえ。だがなあ、俺ら一般庶民は、いつ何がどうなるかさっぱり分からねえんだ。だから、せめて自分のもんってヤツを抱えて、少しでも安心しようとするんじゃねえか。そんなささやかな庶民の気持ちも分かんねえのか、アメリカかぶれ。」
前田町さん、それちょっと自虐っぽいんですけど。
「そうだよ。だから、僕はお金を稼ぐんだ。なぜなら、お金があればモノから自由になれるから。ねえ、君なら僕の気持ち分かるよね。メガネちゃん。」
「え?私?」
思わず歌陽子は自分の顔を指差した。
「そう、君。君のような超超超、お金持ちがそこいらの学生のような服を好んで着ているのがその証拠。まあ、ロレックスは驚いたけど、君のコーデは基本数千円以内ばっかりだからさ。モノの誘惑から完璧に解き放たれている証拠だよ。」
「いえ、そんなんじゃありません。私も会社からお給料を貰っている身ですから、分不相応はなるべくしないようにしているんです。
だから、自分の着るものは自分の収入内でって思ってるんです。
ただ、ロレックスは中学の頃から身につけているので、愛着があって・・・。」
それを聞いた泰造はひどく驚いた顔をした。
「え?君働いてるの?まだ、学生の年齢だろ?あ?お父さんの秘書の真似事をして小遣いを貰ってるとか。」
「いいえ、一般の会社のOLです。」
そこに前田町が割り込んだ。
「あのなあ、この嬢ちゃんは、俺らの上司なんだよ。この歳で立派に課長職を務めているのよ。」
「ええっ?」
明らかに意外なことを聞かされた反応。
「いや、その。別に若い上司は不思議じゃないよ。なぜなら、僕らの世界じゃ割と当たり前だからさ。現に僕のチームにも40、50代のメンバーもいたからさ。
でも、前田のオジさんや、あの野田平のメチャ悪オヤジや、うちのオヤジをまとめてるんだろ?
そんなの、魔法か洗脳でも使わなきゃ無理だろ?それとも何?オジさんも人並みにお金に目が眩んだ?」
「ふざけんじゃねえぞ、こらあ!」
ほらあ。
逆鱗にふれちゃった。
前田町の剣幕に、さすがの泰造も慌ててソファの後ろに逃げ込んだ。
「あのなあ、俺らがこの嬢ちゃんを応援するのはなあ、金のためなんかじゃねえ。
不器用だけど、とことん一生懸命なところに打たれるのよ。」
そうなんだ。
(#14に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#12
日登美ジュニア
「はあい、どなた?」
インターフォンの向こうから物憂げな男性の声が響く。
しかし、歌陽子(かよこ)が名乗る前に、男性は言葉を継いだ。
「あ、いい、いい。間に合ってるから。」
ガチャ。
何で?一言も言ってないのに。
気を取り直して、もう一度マンションのエントランスのインターフォンを押す。
ピンポ〜ン。
ガチャ。
今度は聞かれる前に歌陽子から話し始めた。
「あのお、私、東大寺歌陽子と言います。お母様から聞いておられませんか?」
「ダメ、ダメ、今日は今から何とかって言うお嬢様が来るんだから。あんたみたいな学生の相手をしてる暇ないの。
どうせ、寄付集めかなんかでしょ。それとも、視聴料の徴収?」
また切られては敵わないので、勢い込んで歌陽子は喋ろうとした。
「あの、私が、その東大・・・。」
その時、後ろに立っていた前田町の怒声が歌陽子の頭を飛び越して行った。
「こらあ、泰造!さっさと開けやがれ!」
「ゲッ!前田のオジさん・・・。何で・・・?」
「ツベコベ言ってねえでサッサとしろ!3数えるうちに開けねえと蹴破るぞ!」
本当にやりそうである。
「1・・・2・・・3!」
ガチャリ。
小気味の良い音を立ててオートロックが解除される音がした。
「さ、嬢ちゃん、行こうぜ。」
「は、はい。」
エレベーターに乗って23階で降りると、そこはいくつもの玄関が並ぶ外廊下だった。
そのうちの一つから、扉を半開きにしてこっちを見ている男性がいる。
「お、おう、泰造、久しぶりだなあ。」
前田町が声をかけると男性はバタンと扉を閉めて中に引っ込んだ。
しかし、ズカズカと前田町は、その扉に近づくといきなりバン!バン!バン!とやった。
歌陽子はかなり慣れたが、前田町の行動は基本「乱暴」の一言である。
「わ、わかったよ。扉が壊れるよ。」
そして、あの男性がまた顔を出した。
「オジさん、普通にインターフォンがあるだろ?」
「うるせえ、おめえ昔から何かって言うとすぐ居留守を使いやがるだろ。」
「そりゃ、オジさんが無茶苦茶怖いからだよ。」
「怖いだあ、高校一年で暴走族の頭をしめた奴の言うことか。」
「昔のことだよ。それに、俺、前田のオジさんぐらい怖い人を他に知らないもん。」
思わず、コクリと隣で頷いた歌陽子。
「あ、そう言えば、今日は取り込んでるんだよ。母さんから連絡があって、何とか言う凄い財閥の令嬢が訪ねてくるんだ。
だから、あまり相手できないよ。」
「ほう?おめえ、その令嬢の名前を覚えてねえのか?」
「ん?待てよ。よく聞く名前だったな。えっ・・・とうだい、何だっけ?」
「東大寺。」
たまらず歌陽子が口を挟んだ。
「そうそう、東大寺。東大寺財閥なんて、未だにそんな人種が生き残っているなんて驚きだよ。でも、凄いお金持ちだって言うし、いつか俺が独立したらスポンサーになって貰えるかも知れないしね。」
「せいぜい、媚を売っておくこった。」
「あのさ、なんで東大寺の令嬢のこと、母さん知ってたんだろ?」
「おめえのおっ母さんじゃなくて、俺たちの知り合いなのよ。一応、東大寺は俺たちの会社の筆頭株主だからな。」
「そっか、じゃあ、オジさんも東大寺の令嬢に用事があって来たの?」
「まあ、そんなとこだ。」
「じゃあ、その令嬢が来るまで中に入って待つ?」
「泰造、おめえ・・・。」
「何?」
「アメリカで成功してちっとばかし小金を稼いだらしいが、まだまだてえしたことねえな。」
「オジさん、それはどう言う意味?」
少し気色ばんだ泰造に、前田町は歌陽子の右腕を掴んで、彼の目の前に突きつけた。
「う、うわあ。ロレックス!しかも100万くらいするやつ。」
「どおでえ、この嬢ちゃんが誰だか分かったか?」
強く掴まれて痛かったのか、腕をさすりながらも歌陽子は恥ずかしそうに自己紹介をした。
「あの、私が東大寺歌陽子です。」
(#13に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#11
プログラマー
それから、数日後。
前田町、野田平、日登美の3人は歌陽子(かよこ)の作成した提案書を覗き込んでいた。
感覚派の前田町、野田平に対し、理論派の日登美が一つ一つの項目にチェックを入れていった。
「まあ、ざっとこんなものでしょうか。」
赤ペンで一通りの添削を終えた日登美は、根を詰めて硬くなった右肩を上下に動かして凝りをほぐそうとした。
「どれ、見せてみな。あ、真っ赤じゃねえか。できの悪い生徒だなあ。」
「まあ、野田平くん。彼女はまだ社会人一年生なんだし、頑張っている方ですよ。なんと言ってもやる気があるのがいい。」
さっきから、落とされたり、持ち上げられたり、聞いている歌陽子の顔もその都度泣きそうになったり、笑顔になったり、クルクル変わる。
「まったく、おめえ、さっきから百面相かよ。泣くか、笑うかどっちかにしろ。」
「そんな、私、さっきからそんなに変な顔をしてました?」
歌陽子は自分の顔をさっと両手で覆って表情を隠そうとした。
「まったく、顔の筋肉が緩すぎるんじゃねえのか?何考えてるか丸わかりだからな。」
そこで前田町が話を引き取った。
「でだな、やっぱり実際に動くもんがどうしてもいるわけだ。しかも、後2ヶ月足らずの短え間でやっつけなくちゃなんねえ。
機械の方はなんとかするとして、あとは嬢ちゃんのシナリオ通りに動かすなんてこたあすぐにできっこねえ。」
「ならば、自作自演ですね。」
「おうさ、さすが日登美先生、よくわかっているぜ。」
コンピュータ制御の専門家の日登美には前田町も一目置いていて、ことあるたびに「先生」と持ち上げる。
「言ってみりゃ、シナリオに沿って機械を演技させて、人間がそれにあわせりゃ、いかにもロボットが自立駆動しているように見えるわけだ。だが、そんなプログラムを書けるやつは滅多にお目にかかれねえ。」
「日登美さんでも難しいんですか?」
心配になって歌陽子が尋ねた。
「まあ、もう一人の日登美なら可能かもな。」
すると、日登美が少し困った顔をした。
「あ、うちの・・・ですか?」
「おうさ。」
「でも、うちの息子は今アメリカですよ。」
「何すっとぼけてんだよ。今度の新作は来月公開だろ。だから、次の製作まで日本でゴロゴロしてる頃だろ。」
前田町に突っ込まれて日登美は頭を掻いた。
「いやあ、前さんの炯眼には参ります。」
一人話について行けずにいた歌陽子が前田町に尋ねた。
「あの、日登美さんの息子さんって何やっている人ですか?」
「ああ、日登美の息子は、ハリウッドの有名アニメーションスタジオで、CGのプログラミングをやってるのよ。いわば、何かを人間っぽく動かす専門家なのよ。
ほらっ、あのバケモンがたくさん出てきて、寝てる子供を脅かすアニメがあるだろ。あれも製作チームに入っていたって話だ。」
歌陽子はみるみる間に目を丸くした。
「あの、『ゴブリンズカンパニー』ですよね。私、大好きでした。凄おい。」
「やっばりか、前からアニメオタクっぽいとおもっていたんだ。」
また、例によって野田平が水をさす。
しかし、歌陽子はまったく取り合わずに喋り続けた。
「そんな凄い人が手伝ってくれたら、ぜったいうまく行きますよ!日登美さん、是非お願いします。」
歌陽子の盛り上がりに対して、日登美は渋い顔を作って言った。
「ですがねえ。我が不肖の息子は私の頼みなんかまったく聞かないんですよ。」
「まあよ、日登美の先生もよ、歳行ってできた子供だからよ。ちっと過保護に育てちまったんだな。
だけど、それでとんでもねえ悪ガキになって、悪さしちゃあ、警察の世話になっていたんだな。
それで先生、ついに持て余して身一つでアメリカに追い出しちまった。
まだ、18のガキをだぜ。
だが、日本からの仕送りを元に本場のCGを勉強して、今や日本人じゃ屈指の新進気鋭のアニメーター様よ。
それで一旗あげて、たまに日本に帰るんだが、家には帰らねえ。都内のマンションでずっとゴロゴロしてるって訳だ。」
バツが悪そうに日登美は、
「結局、父子の断絶です。一生懸命仕送りをしたのに、息子との溝は埋まりませんでした。
でも、歌陽子さん、あなたが頼めば別かも知れませんね。」
「そうだな。ビッグネームじゃ、嬢ちゃんも引けを取らねえからな。
せいぜい気張って行ったらいいぜ。」
いつの間にか、また歌陽子は面倒臭いことに巻き込まれたようである。
(#12に続く)