今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

成長とは、考え方×情熱×能力#10

(写真:京たそがれ)

出来レース

「そりゃ、そうだろうな。野田平のヤツ、ジジイの癖して未だに親離れしてねえからな。
子供の頃の品行方正で、可愛らしかったイメージが崩せねえんだろうぜ。」

「ですよね〜。いきなり『僕』なんて言うからビックリしました。」

事務所で盛り上がっている前田町と歌陽子(かよこ)の二人、魚はモチロン野田平だ。
最初は無難に野田平の母親のことだけを報告していた歌陽子も、あまり巧妙に前田町が水を向けるものだから、ついつい母親の前でいい子ぶっていた野田平のことを喋ってしまった。

「あ、嬢ちゃん、危ねえ。」

「え・・・?」
ガツン!「あ痛あ!」

事務所の向こうで朝から居眠りを決め込んでいた野田平が、いつの間にか目を覚まして側に立てかけてあったモップの柄で歌陽子の頭を思い切り引っ叩いたのだ。

「痛あ!あ、頭が割れたらどうするんですか?」

頭を抱えてうずくまりながら歌陽子は悲鳴を上げた。

「やかましい。あんだけ黙っとけと言っただろ。」

「ひどおい。野田平さんが、お母様の前で泣いてたなんて一言も言ってないじゃないですか。」

「は?野田平、おめえ、泣いてたのかよ?」

「あ、ごめんなさい。」

「もう、勘弁ならねえ!手打ちにしてやるからそこになおりやがれ!」

「え?え・・・?」

これは本当に殺されそうである。
しかし、そこに前田町の助け船が入った。

「まあ、許してやんねえ。のでえら。」

「だけど、こいつよう。」

「そろそろ来る頃だからよ。」

「何が?」

トゥルルルルルルル。
その時、歌陽子の机の上の内線が鳴った。

「ほら、来た。嬢ちゃんには、もっとキツイ一発がよ。」

歌陽子はしたたかにぶたれた頭をさすりながら、受話器を取った。

ガチャ。

そして、「はい、東大寺です。」と喋りかけたその声が途中で上ずった。

「あ、ぶ、部長!」

そう、開発部の課長に取って一番怖い人、直属の上司の開発部長だった。

「あ、はい。そうです。・・・そのつもりです。・・・もちろん、ちゃんとやります。
はい?・・・大丈夫です!
はい、前田町さんたちも協力してくれます。
・・・本当です!
今では、いろいろと助けてくれます。
・・・はい。
もちろんです。
・・・分かりました。
今週中には、企画書を提出します。
・・・はい、分かりました。
では、失礼します。」

ガチャ。
はああ。

受話器を置いて歌陽子は大きなため息をついた。

「なあ、川内だろ?」

「はい、川内部長でした。」

「あいつ、若え頃散々俺が仕込んだから、強面だけはピカイチなのよ。」

「え?川内部長が怖いのは前田町さん仕込みですか?はああ・・・道理で。」

「で、なんだって?」

「はい。いきなりロボットコンテストのことを聞かれました。今度のロボットコンテストに参加するつもりなのかって。」

「なるほどなあ。昨日、嬢ちゃんたちが出かけている時に本館が騒がしかったからよ。おそらく、嬢ちゃんのムラ何とかっていう足長おじさんがちゃんと仕事したってことだな。」

「足長おじさん?」

「はっはっは、今の若え娘が知るわけねえか。だけど、つまり嬢ちゃんのオヤジさんがうちに連絡して来たってことだろ?今度のロボットコンテストに顔を出すから日程を教えろとかなんか。」

「お父様が。」

「ああ、それで今まですっかり盛り下がって今年あたりで止めようかとか言っていたロボットコンテストを、是が非でもやらなけりゃならねえってことになった。
だが、何で東大寺のオヤジがロボットコンテストなんぞに興味を持ちやがったか、考えたんだろうぜ。
そこで思いつくのは、嬢ちゃんがムラ何とかにしつこく介護ロボットのこと聞いてたことだ。しかも、それを重役連中がその場で聞いていた。
そんなこんなで、東大寺の小娘がオヤジを動かしてなんかしようとしてるってこたあ、誰でも考えつくわな。」

「はあ、バレバレかあ。」

「まあ、しゃあねえ。こうなるこたあ、全部織り込み済みよ。」

「でも・・・でも何故私がロボットコンテストに参加するって知っていたんだろ。」

「ああ、それか。昨日、社内一斉にロボットコンテストの参加者募集のメールが流れたんで、俺が嬢ちゃんの名前で申し込んどいた。しかも、しっかり『自立駆動型介護ロボット』でな。まあ、言わば戦線布告よ。」

ゴクリ、と歌陽子の生唾を飲み込む音がした。

「戦線布告・・・ですか。」

「おうよ。会社はあまり乗り気じゃねえんだし、役員会でもどうやって東大寺の圧力をはねつけようかって考えているところへ持って来て、うちの一社員がそのものズバリの『自立駆動型介護ロボット』を当てて来るんだもんな。相当役員会も頭来たろうぜ。」

ああ、私なんてことを始めてしまったんだろ。

「だけどよう、出した相手が東大寺の娘っ子だ。オヤジさんと示し合わせているって考えるのが普通だし、言ってみりゃ、身内に盗人の手引きをされるようなもんだぜ。
後は東大寺の手前、是が非でも嬢ちゃんに優勝させなけりゃ示しがつかねえ。だからって、下手なもん出されちゃ、優勝させようにも、社員が怒り出すのが目に見えてる。
つまり、嬢ちゃんには、誰が見てもいい仕事をして貰わなけりゃならねえってことだ。」

「つまり、出来レースってことです。」

いつからいたのか、日登美が不意に口をはさんだ。

「日登美さん。」

「仕方ねえだろ。嬢ちゃんとオヤジさんでここまで段取り組んじまったんだ。あとは毒を喰らわば皿までってな。
心配すんな。あとは腕力でねじ伏せりゃいいのよ。」

なんとも、頼もしい前田町である。

(#11に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#9

(写真:木陰の流れ)

回答

「あのよ、・・・カ・・・ヨ。」

「え?何ですか?」

「有難うな。その、お袋喜んでたからさ。」

「あ・・・、いえ、いえ、いえ、そんな。私、自分のためにしたことですから。」

野田平に面と向かって礼を言われて、歌陽子(かよこ)は逆に慌てた。

「まあ、何て言うか。お袋が一人で頑張って俺ら兄弟四人育て上げた訳だし、だがな、情けねえかな、親は10人の子を養えど、子は一人の親を養えずってやつだ。最後をあんなところで過ごさせなきゃなんねえのは、情けねえよな。」

「でも・・・。」

やたらシンミリした野田平を半分からかうように歌陽子は言った。

「野田平さん、まるで別人でしたね。『僕』なんて言ったりして。」

ガスッ。

「痛あい!何でグーで殴るんですか?」

「やかましい!要らねえこと言うんじゃねえ。おかげで、礼を言って損した気分になったじゃねえか。」

「もう、前田町さんたちに言いつけてやるから。」

ガスッ!ガスッ!

「クウ〜ッ。」

「もう一言も喋んな。今日見たことは皆んな忘れろ。いいな!グズメガネ。」

もう罵るわ、殴るわ。
初老の男性と若い女性の不似合いな二人の取り合わせのおかしな掛け合いに、ドライバーが思わず声をかけた。

「お客さんたち、仲がいいねえ。親子ですか?いや、おじいさんとお孫さんかな?」

「こら、誰がジジイだ!」

おじいさんと言われて野田平が思い切り凄んだ。

ここは施設からの帰路の駅まで向かうタクシーの中だった。
結局、施設を辞したのは夜の8時だった。
野田平の母親を散歩に連れ出し、深まる秋の林の中を散策した。そして、立たなくなった足を支えながら、実際自分で歩いても貰った。
施設に戻った後、少し休みながら話相手にもなった。母親は、なんでもニコニコしながら聞いてくれる歌陽子に心を開いて、思いついたどんな他愛ないことも嬉しそうに口にした。
やがて、穏やかな時が流れ、入浴、そして食事の時間となった。
入浴中は、なるべく職員さんの仕事の邪魔にならないようにしながらも、母親に付き添い、話しかけたり身体を洗う手伝いをした。
お風呂から上がった母親が楽な浴衣を着て、また部屋に戻ると、そこには夕食の準備が出来ていた。
しかし、夕食を目の前にしても母親は手をつけようとしなかった。
やがて食事担当の職員が来て母親の前に座ると、スプーンを使って母親の口に食事を流しこみ始めた。
母親は口に食事を入れてもらうたび、機械的に口を動かし、何回か咀嚼してやがて飲み込んだ。
それを見ていた歌陽子が聞いた。

「あの、私、お手伝いして良いですか?一応二級の免許は持っています。」

少し職員は戸惑った顔をして、野田平に目で確認を求めた。それに対し、野田平は深く頷いて同意を示した。
それで、職員が場所を変わると、歌陽子は鉄のスプーンの代わりに箸を取って、母親の手に握らせた。
そして、母親の手に歌陽子の手を添えると、

「お母様、どれが食べたいですか?」

と聞いた。
母親は自分で箸を動かして、魚の煮付けを口に運ぼうとした。しかし、思うに任せない手ではうまく箸で挟むことができない。
歌陽子は、母親がしたいことを汲み取って、添えた手で箸を動かした。魚の煮付けを食べたいだけ箸で切り分け口に運ぶ。すると、母親は自分で食べているかのように満足げな表情を浮かべながら一口一口噛みしめて味わっていた。

タクシーで、歌陽子は野田平に今日のことを説明した。

「本当は施設の人だって、私たちみたいに一人一人話相手になったり、付き添って自分の足で立って貰ったり、自分の手でお箸で食べてもらう方が良いのは分かっているんです。
でも、施設に対する予算も職員さんの数もあまりにも足らないんです。
私、今日はそれを確かめに来たんです。」

「だがなあ、お袋を世話になっている立場としちゃあ、俺は職員の皆さんはよくやってくれてると思うぜ。」

「です・・・よね。ほんと、お仕事に口出しばかりして、あの後職員の方にはすごく謝っておきました。」

「職員だって、本当はやってやりたくてもやれないから悔しい思いをしてるんだろうよ。」

「だから、それを少しでもロボットでできるようにするのが私たちの仕事だと思うんです。」

「なるほど、ふわあ・・・それがあんたの出した答えだってことだな・・・。」

「はい。ん?あ、野田平さん、寝ちゃダメですよお。もうすぐ駅に着きますよお。」

(#10に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#8

(写真:流星雲)

一番嬉しいこと

「じゃあ、お母様。ちょっと外に出てみませんか。」

歌陽子(かよこ)は野田平の母親を散歩に誘おうとした。
頃は、秋の深まりゆく時季である。
窓辺からも、少しずつ色づき始めた木々の葉や、民家の軒先の鮮やかな橙色の柿が目に映えた。秋の心地よい風が頬を撫でる。
まだ、日のあるうちに施設の周りを一緒に歩けばどんなに気持ちが良いだろう。

「そうだねえ。なかなか職員さんに悪くて頼めないけど、今日はあなたがいるものね。
悪いけど甘えてみようか。」

「はい。」

歌陽子は、短かく気持ちの良い返事をして、母親がベッドから起き上がるのを手伝おうと身体を寄せた。
そっと上半身を支えて、傍の車椅子にゆっくりと導く。
ただベッドから車椅子に腰を動かすだけの簡単な動作でも、老婆にはたいへんな努力が必要だった。しかし、歌陽子の細い腕に体重を預けながら、少しずつ車椅子へと身体を移して行った。
そして、車椅子に腰を落ち着けると「ふうう」と大きな息を吐いた。
一方の歌陽子も額に大粒の汗を吹き出していたが、上気した顔を彼女に向けてニコッと笑いかけた。

それを感心して見ていた野田平が、

「へえ、おめえ、うめえもんだな。ひょっとして本職か?」

と尋ねた。

「違いますよ。でも、短大の時にホームヘルパーの2級免許を取ったんです。」

「全く、お嬢様にしとくにゃ勿体無いねえぜ。」

「光栄です。」

車椅子を押して部屋からエレベーターに向かった。そのままエレベーターで一階に降りて、玄関の受付で簡単に散歩の許可を貰う。
そして、玄関から秋の柔らかな日差しの中へと車椅子を押して行った。
施設は林と隣接しており、林の中へと続く小道が整備されていた。林からは少しずつ赤みが増した光が漏れ、遠くで百舌の鳴き声がした。

「兎追いしかの山〜」

歌陽子の口からは自然に子供のころ教わった唱歌が漏れた。
それに、嬉しそうに目を細めた母親が続いた。

「小鮒釣りしかの川〜」

そして、二人はそっと声を合わせた。

「夢は今もめぐ〜りいて 忘れがたき故郷〜」

小さくて静かな合唱が林に流れていた。

野田平はどうしていたろう。
なぜか彼は二人から少し距離を置いて立っていた。
ひょっとして、やけに涙腺が緩くなったところを歌陽子に見られたくなかっただけかもしれない。

「あ、ああ、きれい。」

林の片隅に身を寄せあうよう実をつけた真っ赤なさんざしに、母親は感嘆の声を上げた。

「お母様、ご自分で歩いて手にとってみられますか?」

「え、ええ。そうできたら、どんなに嬉しいかしら。でもね、皆んな私が転んだらたいへんだからって、歩くのを止めるんだよ。」

「大丈夫、私が手を持っていますから。」

「え、ええ。まあ、まあ。」

戸惑いながらも嬉しそうに腰を浮かせかかった母親に、野田平が心配して声をかけた。

「母さん、無理をしてはいけないよ。」

「大丈夫です、さ、手を私の肩に回してください。」

歌陽子は肩を貸して母親を立たせると、安心させるように優しく腰に手を回してそっと支えた。

「はい、はい、はい。後少し。」

歌陽子は声をかけながら、母親にさんざしの枝まで歩かせ、そして間近で手に取らせた。
そして母親の手に優しく歌陽子の手を添え、さんざしの枝をぽきりと折ると、老女の手に握らせた。

「自分の足で歩けるのって嬉しい。こんな気持ちの良い日は久しぶりだよ。」

大事そうにさんざしの枝を手に握った母親は、また歌陽子に導かれて車椅子に腰を据えた。
そして、しわだらけの手で歌陽子の小ぶりの手と、さんざしの枝を代わる代わる愛おしそうに撫でていた。

「正憲。」

「はい、母さん。」

「お前はいい生徒さんを持ったねえ。」

そこで野田平は少し胸を張って、

「もちろん、僕の学生ですから。な?」

野田平に振られた歌陽子も満面の笑みで返事を返した。

「はい。」

(#9に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#7

(写真:夕萌え)

母の情、子の情

歌陽子(かよこ)のその場を和ませる笑顔に、野田平の母親も穏やかな笑みを返した。

「あのお母様、私、ロボットの勉強をしているんですけど、今私が研究しているのは今あるものよりもっと優しい機械なんです。
人間の一番のお友だちはやっぱり人間ですから、機械はそのまま友だちにはなれません。でも倒れそうになったらそっと支えてくれる、手が震えたらそっと添えてくれる、寂しかったら話しかけてくれる。暖かい空気のように自然にそこにいて、お友だちのように助けてくれる、そんなロボットを作りたいと思っています。」

果たして、どこまで分かっているのか、届いているのかは分からなかったが、ニコニコしながら母親は歌陽子のことば一つ一つにウンウンと頷いていた。
そして、

「あのね。」

そう母親は自分から喋り始めた。
歌陽子は傍にあった丸椅子を引き寄せ腰を下ろし、ベッドに身を寄せて耳を傾けた。

「もう50年も前になるねえ。
まだ、正徳も10になるかならないかだったよ。この子の父親が工場で大怪我をしてね。
それはひどいもので右足が潰れて、もう普通の仕事はできなかったんだよ。」

少し遠い目をした野田平の母親は、とつとつと辛い過去を語り始めた。

「なあ、母さん、それはもういいよ。」

「なぜだい?この娘さんにも聞いてもらうんだよ。」

「でも、・・・長くなるから・・・。」

さすがの野田平も最後の一言は消え入るように言った。
もう何度も耳にタコができるほど聞かされているに違いない。

「なんだい、ハッキリとお言いよ。」

「母さん。」

少し気色ばんだ母親を、まるで気の弱い息子のような野田平が持て余していた。

「野田平さん。」

「何だ。」

「お母様のお話しを聞いてあげましょうよ。」

「お前、簡単に言いやがって。下手すりゃ、今日帰れなくなるんだぞ。」

「でも、お母様が一番喜ぶことを見つけに来たんですから、お母様が気分を害してしまったら意味がありません。」

「は、勝手にしろ。」

「はい、勝手にします。」

「この!」

小さく拳を振り上げかけた野田平を無視して、歌陽子はまた母親の話しに耳を傾けた。
母親は辛かった昔話を、中身とは裏腹に懐かしむように、愛おしむように語り始めた。

「仕方なかったのかも知れないけど、父親はそれですっかりやる気をなくしてさ、昼間からゴロゴロして酒ばかり飲むようになった。昔だからねえ、他に気晴らしもなかったしね。
でも、もともと裕福な家じゃないから、たちまち毎日の食べ物にも困ってねえ。結局住んでいた家も手放したし、持っていたものでお金になるものはすべて売ってしまった。
この子には他に兄弟が3人居てね、皆んな食べ盛りだろ。稼ぎのない主人と子供を抱えて、家を売ったお金もだんだんなくなるし、困ってね、それで以前に手習った洋裁で知り合いに雇って貰ったんだよ。」

「外に働きに出られたのですね。」

「そうだよ、まだ小さかったこの子らには随分さみしい思いをさせたろうね。」

そうしみじみと語りながら、母親は少し涙ぐんでいた。自分の辛かったことより、子どもに寂しい思いをさせた方が辛かったのだろう。そんな母親の慈愛の深さに歌陽子は思わず胸が詰まった。隣で聞いている野田平は、表情には何も表さないが、心ではどう感じているのだろう?
だが、次の瞬間母親の顔が少し明るくなった。

「でもね。悪いことばかりじゃなかったよ。お店ではね、いいお客さんがついてね。店の主人に口をきいてくれて、小さいけど自分の店を持たせて貰えたんだ。」

ほんのささやかな、彼女のサクセスストーリーだった。

「とくに、正徳はね、特別に勉強ができたろ。だから、いい大学に通わせてやりたくてねえ。それこそががむしゃらに働いたよ。人の二倍、いや三倍は頑張ったね。今思えばよくもったね。なんとしても、子どもたちに立派な教育を受けさせて幸せな人生を送らせたかったらからね。」

「グッ・・・。」

喉を詰まらせたような野田平の声に横を見ると、

あ、野田平さんが涙を流してる。
身勝手なだけの困った大人だとばかり思っていたけど、この人にもアタマが上がらない人がいるのね。
昔話を聞かされると涙が止まらなくなるから、この人私に聞かせたくなかったんだわ。

だが、歌陽子のそんな視線に気づいた野田平は、泣きながらも後ろ手に歌陽子のお尻を力任せにつねりあげた。

「アッ!!(痛い!)」

目から火が出た。叫び出しそうになるのを必死で口に手を当てて堪えた。

ダレニモイウンジャネエゾ!

そう野田平が凄く怖い目で訴えていた。

もう、なんですぐ、私なの?

(#8に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#6

(写真:黄金さす その3)

笑顔

「お母様ですか?」

「ああ。」

「ならば、起こしては悪いから向こうで待ちましょうよ。」

「いいや、ここで待つ。」

「なら、私、向こうに行っていますね。」

「お前もここにいろ。」

え?

「なら、荷物を下ろさせてください。手が痛くなってきました。」

「そんなもん、その辺に置いておけ。」

それから、無口になった野田平と歌陽子(かよこ)の二人は、彼の母親が目覚めるまでの小1時間をそのまま待った。
やがて、少し顔をしかめて母親はうっすらと目を開いた。
彼女は、どんな夢を見ていたのだろう。
若い頃の楽しかった思い出だろうか。
しかし、目を覚ませば辛い現実と向き合わねばならない。
動くたびに軋みをあげる身体、一人施設で暮らさなくてはならない孤独、自分の排泄ですら思うに任せない情けなさ。そして、薄もやがかかったように一向定まらない記憶。

だが、今日は誰かが訪ねてきてくれたようだ。辛い現実も少しは気が紛れるかも知れない。

「はああ、すっかり寝てしまった。あ・・・、どちらさん?」

「僕だよ、正徳だよ。」

僕・・・?

「ああ、正徳か。どうしたんだい。今日は大学はいいのかい?」

大学う?

『大学』の単語に反応した歌陽子が野田平に小声で聞き返した。

「野田平さん・・・大学ってどういう・・・意味ですか!」

「うるせえ・・・グズ・・・お前余計なことを・・・言うんじゃねえぞ。」

野田平も小声で答える。

「お袋はな・・・前から記憶がグジャグジャになって・・・いつの間にか俺のことを大学教授をやっていると思い込んでるんだ。いいじゃねえか・・・年寄りが勝手に妄想することだ。いい夢・・・見せとこうじゃねえか。」

「わ・・・分かりました。ならば、そう言うことで。」

そして、今度は母親が歌陽子に気がついた。

「随分若い子だね。助手さん?」

「あ、彼女は僕のゼミの学生でね、母さんみたいな施設にお世話になっている人を楽にするロボットを研究しているんだ。」

「そう、立派な研究ね。あなた・・・。」

「は、はい。」

母親に呼びかけられた歌陽子は思わず返事をした。

「でも、私機械に世話して貰うのなんて嫌だよ。お友達なんか、一杯身体中に線やチューブを付けられてウンウン言って死んだんだよ。」

「それは・・・。」

思わず歌陽子は絶句した。

そう、高齢者にとって機械に世話して貰うのはそんなイメージなんだ。

「母さん、違うよ。この子が研究しているのはそんな機械じゃない。母さんは職員さんにお世話して貰うと安心だけど、恥ずかしい思いや情けない思いをすることがあるだろ。でも機械ならそんな心配は要らないし、それに夜も眠らないからいつでも気兼ねなく助けて貰えるんだよ。」

「そう、お前がそう言うなら間違いないね。お前はいつでもよく出来たからね。」

野田平に説明を受け、母親は少し安堵の表情を浮かべた。
その野田平に歌陽子はすっかり感心したように話しかけた。

「へえ、お母様の野田平さんに対する信頼って凄いですね。」

「まあな、少しは俺を見習いな。なにしろ、俺はお前のようなロクデナシと違って、学校でもいつも一番だったんだからな。」

ああ、そうですか。褒めて損した。

「でも、あなた可愛らしい顔してる。今の若い人は整った顔をしているけど、なんか、私には怖くてね。」

「・・・つまり愛嬌のある顔だってことだ。」

隣で野田平がボソッと言った。

それって褒めてるの?

でも、歌陽子は満面に笑顔を作って彼女に笑いかけた。
「お前でもそんな顔をするのか」とばかりに野田平が少し驚いてそれを見返していた。
そして、歌陽子の笑顔につられて、野田平の母親も笑い返す。
しわだらけの顔がさらにクシャッとなって、とても愛くるしい笑顔になった。
それを見てさらに歌陽子が笑顔を作る。
母親にとって、久しぶりに幸せな時間が流れようとしていた。

(#7に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#5

(写真:黄金さす その2)

母親

「こらあ、グズカヨ、グズメガネ、グズ課長、さっさとしねえか。」

「はあ、はあ・・・。なんで、なんでこんなにいっぱい荷物を持ってくるんですか?」

「しょうがねえだろ、お袋への土産と世話になっている職員さんへのお礼と、あとは暇つぶしに、途中腹も減るだろ。」

「はあ、はあ・・・、皆んな野田平さんの荷物ばかりじゃないですか。そうしたら、少しは手伝って下さいよ。」

「ばあか、俺みたいな年寄りがゼーハー言って、お前みたいな若いやつが楽していたらおかしいだろう。」

「だからって、野田平さん、ほぼ手ぶらじゃないですかあ。」

・・・

今朝、歌陽子は東京駅で野田平と待ち合わせていた。
新幹線のチケットをネットで手配して、十分余裕を見て改札前で待っていたが、肝心の野田平がなかなか姿を現さなかった。
このまま指定席に乗れず自由席になろうものなら、野田平が散々ゴネるのは目に見えていた。

野田平さん、早く来てよう。

そして、発車5分前になって、荷物を一杯に抱えた野田平が姿を現した。
そして、いきなり言うことは、

「おい、グズカヨ。何してんだ、手伝えよ。ほら、これもこれも、お前持て。」

華奢な歌陽子に構わず、野田平は自分の荷物をどんどん彼女に投げて寄越した。それを落とさないように必死に受け止めて、やっと一息ついたら、今度は、

「こら、グズ、走るぞ。新幹線に遅れちまうだろう。」

え〜っ!なんでこんなに荷物持ってくるのよお。なんでこんなにギリギリに来るのよお。

しかし、愚痴っても仕方ない。なぜなら、彼は野田平だから。我儘チャンピオンのノダチンなのだから。
そして、なんとか駆け込んだ新幹線の指定席。ところが荷物が歌陽子の席を占領して座れない。一方野田平は、悠々と窓際に席を取って持参した缶ビールをあけていい気分になっている。
結局、3時間半歌陽子は立たされたまま広島に着いた。
そして荷物のほとんど抱え込んだ歌陽子は、毒づきながらドンドン先を歩いていく野田平をゼーハー言いながら追いかけた。

駅からタクシーで15分の場所に野田平の母親が入所してる介護施設があった。
タクシーを一歩降りるなり野田平の顔が変わった。
口元をキュッと引き締め、つばで眉毛を直し、いつもはしないネクタイを締め直した。
これがいつも歌陽子に好き勝手言っている野田平と同じ人物なのだろうか。

でも、やっぱり荷物は持ってくれないんだ。

施設の玄関をくぐり、受付で訪問の目的を告げた。

「あの、野田平郁夜の身内ですが、取り次いでもらってもよろしいでしょうか?」

この人、こんな標準敬語を使えたんだ。

「はい、野田平さんですね。2階の203のお部屋です。まだ、眠っておられるかも知れませんね。」

「構いません。部屋で待たせて貰います。あ、それとこれ、皆さんで召し上がってください。」

と、歌陽子が抱えている袋の一つを手渡した。

「気を使っていただき申し訳ありません。」

「いえ、いえ、お世話になっているのはこちらの方ですから。」

しかし、その同じ手でしっかり歌陽子に領収書を握らせた。

「必要経費だ。」

そして、エレベーターで2階に上がり、手前から3番目の部屋に野田平の母親はいた。
殺風景な部屋に花瓶が置かれ、数本の花がさしてあった。あとは孫やひ孫が書いたと思しき絵や手紙が置かれていたり、家族と一緒に写っている写真が飾ってあった。
窓は開け放たれ、気持ちの良い風が白いカーテンを揺らしていた。
野田平の母親、野田平郁夜はベッドで薄い毛布をかけて貰って気持ち良さそうに昼寝をしていた。
彼女の真っ白い髪が風にほつれて揺れていた。白くなった髪、そして顔に刻まれた深い皺、小さく縮んだ身体、その全てが彼女のこれまでの人生を物語っているようだった。

(#6に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#4

(写真:黄金さす その1)

正しい答え

前田町が続けた。

「さて、嬢ちゃん、肝心なのはあんたの頭の中身だ。一口に自立駆動型介護ロボットと言うが、何をさせるつもりなんでえ。」

「それは、私なりに考えました。少し見ていただけますか?」

「ああ、見せて貰うぜ。」

「少し準備に時間を下さい。」

そう言って、歌陽子は卓上のノートパソコンに向かった。やがて、資料の印刷を指示するとプリンタに向かって席を立った。
持参したのは、カラーA3の提案資料。
「自立駆動型介護ロボット概案」と書かかれている。

「私、機械や配線のことはサッパリなんで、こんなことができたらいいな、をまとめました。」

そう言って歌陽子は、資料を野田平、前田町、日登美の3人にも見えるように広げた。

「はっ!こりゃまた随分あっさりした提案書だな。」

「まあまあ、社会人半年ならこんなものでしょう。」

野田平や日登美にからかわれた歌陽子は恥ずかしくて、赤くなってうつむいて言った。

「す、すいません・・・。」

そのA3用紙にはロボットのイラストと、ポイントの大きな文字でこう書かれていた。

『自立駆動型介護ロボットの機能

一、歩行を助ける
高齢者がつかまり歩きして、歩行を楽にする。ロボットと行動さえすれば、遠出しても迷子にならず無事帰宅できる。

二、食事を助ける
手元が不確かな高齢者の代わり食事を口に運び、誤嚥の兆候があればすぐ通知する。

三、入浴を助ける
介護士に代わり入浴を助け、湯温の調整も行う。

四、転倒を防ぐ
足が弱い高齢者に寄り添い、転倒のリスクがある時は転倒を防止するよう行動をする。

五、体調の急変を通報をする
高齢者のバイタルを定期的にチェックし、AIで体調の変化の兆候を検出して通報する。』

「いや、いいと思うぜ。字が大きいのも俺らには助かるぜ。なあ、そうだよな。」

「あ、ああ。」

前田町に励まされて、少し気を取り直した歌陽子は介護ロボットの説明を3人にした。
歌陽子は今まで見聞きし、また自分なりに調べた介護の現場の大変さを少しでも楽にしたいと思ったのだ。

「嬢ちゃん、ちょっと欲張りすぎじゃねえか。一、の歩行ロボットだけでも相当ハードルは高いぜ。」

「ですねえ、人間の行くところにいつもついて来るロボットなんて、できたら盲導犬はいらなくなりますね。」

その時、不思議と口を閉じていた野田平がポツリと言った。

「あのな、俺には今年83になるお袋がいるのよ。すまねえ事にな、家族で面倒を見きれなくて離れて施設で暮らしているのさ。そのお袋が喜ぶのはどんなロボットだろうかって考えてちまってな。」

前田町も日登美も身に覚えのない話ではないらしく、シンミリとした空気が流れた。

「まあ、その、なんだ。親不孝じゃ、俺ら、誰にも引けは取らねえからな。」

「戦後に私たちを必死に守って育てた世代ですからね。少子高齢化とか、国のお荷物とか、あまりよくあつかってはきませんでした。本当はもっと恵まれてもいいんじゃないかって思いますよ。」

「だよな、少しは年寄りを喜ばせられる仕事も必要だよな。」

「じゃあ!」

その重くなった雰囲気の中、ひとり明るい声をあげたのは歌陽子だった。

「じゃあ、答えを探しに行きましょうよ。」

「答え?」

「そう、何がお年寄りの皆さんにとって嬉しいことなのか、それをロボットが実現するのが一番正しい答えなんです。
だから、野田平さんのお母さんに会いに行きましょうよ。」

唐突な申し出に野田平が慌てた。

「ちょっと待てよ。お袋が入所しているのは広島だぞ。ちょっとやそっとでいけるもんか。」

「大丈夫です。新幹線なら3時間半です。」

愉快そうに前田町が尻馬に乗る。

「じゃあ、野田平と嬢ちゃんの二人で行ってきな。」

「はあ?なんでこんなグズカヨと二人連れで旅しなけりゃならねえんだ。」

「いや、けっこう仲良くやってるじゃねえか。」

「じゃあ、旅費は出るんだろうな?」

立派な公務ですもん、当然です、とばかりに歌陽子が胸を張る。

「はい、任せてください。」

「それより、またヘリでひとっ飛びって訳にはいかねえのか?」

「そ、それはもう二度と嫌です。」

(#5に続く)