成長とは、考え方×情熱×能力#73
写真のきみ
賀茂川遼子と東大寺家のコック長が、東大寺家先代老人を見送った後、コックの一人が部屋へ報告に訪れた。
「コック長、こちらは準備が終わりました。」
「よし、分かった。では遼子さん、私はこれから自分の仕事に戻ります。」
「ですね。では、私も塾生たちを集めます。」
そして、コック長は部屋を出て、厨房車に乗り込むと、米の炊き加減や食材の仕込み具合を一つ一つ確認した。
そばでは、東大寺家付きのもう一名のコックと、近隣のレストランから手配した料理人数名が指示を待っていた。
「よし、いいだろう。では打ち合わせ通りにたのむ。」
「はい。しかし、まるで田舎の弁当屋ですね。私たちが料理の腕を振るうところが、あまりありません。」
「まあ、そう言うな。先代のお話では、手を加えないところが良いのだそうだ。人手を加えない作物本来の味を、最低限の味付けで味わって貰うのが、今回のミソなんだそうだよ。」
「味噌と言えば、こんな粒の荒い味噌は初めて見ました。大豆が原形のまま残っています。」
「いや、本来田舎で作る豆味噌とはこう言うもんだ。そのまま味噌汁を作ったら、汁椀の中に大豆がゴロゴロしてしまう。だから、我々が卸して貰う味噌は、すぐに使えるようにペースト状の部分だけを抜き取ってあるんだ。
どうだ、少し味を見てみるか?」
「はい。・・・、うっ、かなり癖がありますね。味噌麹の匂いがそのままと言うか、味噌樽の香りがうつっていると言うか・・・、でも、大豆そのままのとても深い味がします。」
「まあ、食べ慣れないときついかも知れんが、そこは料理人の工夫一つだよ。風味を殺さないよう癖を抑えるには、どんな食材と組み合わせたらいいかだな。」
コック長が、厨房車で田舎料理の談義に花を咲かせている時、中庭の芝生の上では、遼子が塾生たちを集めていた。
「みんな、寒くない?」
「大丈夫ですよ。この間、流し場でたくさん大根の泥を洗い流しましたけど、あの時の水の冷たさに比べたら大したことありません。」
「そう、そう。」
「作業着の下にカイロは入ってるわね。もうすぐ本番よ。みんな、しっかりね。」
「ういっす。」
「だけどさあ、農園じゃ思わなかったけど、俺ら、こんなきれいなお屋敷の中じゃ、まるで泥の塊だな。」
塾生たちが、互いの格好を見ながら、品評を始めた。
「みんな、よく日に焼けてるよね。」
「健康の証拠。」
「そう言えば、君も明るくなった気がするよ。なんか、屈託がなくなったと言うか。」
「やっぱり食べているものがいいのかな。」
「だけど、こんなきれいなお屋敷なら、もうちょっと身綺麗にして来たかったなあ。これじゃあ、『さっきまで畑で働いてました』って、そのままだもん。」
「師匠は、絶対に泥を落としてはダメと言ってたわよ。役のつもりになれって。」
「役も何も、僕らそのまま百姓だろ?」
その時、トラックから照射されている光の外から声が聞こえた。
「遼子さん!」
それは先代老人に手を引かれた歌陽子であった。
「あ、カヨちゃん!」
「遼子さんも変わりないですか?」
「カヨちゃんこそ、すっかり大人びて。あ、でも、カヨちゃん、今日で21だもんね。あたり前か。」
光の輪の中で、遼子との久しぶりの邂逅を喜ぶ歌陽子。
少し離れて立っていた環木森一郎は、いきなり現れたメガネの女性にハッとした。
初対面なのに、懐かしいような、焦れるような憧れの気持ち。
普通そうに見えて、どこか手が届きがたい感じの女の子、・・・そう、あの写真の女の子だ!
(#74に続く)