読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

言葉を拾う、思いを拾う

(写真:中馬のお雛様 その6)

武蔵とお通

吉川英治の『宮本武蔵』は、江戸時代黎明期の剣豪、宮本武蔵の青春期から、佐々木小次郎との決闘までを描いた傑作時代小説です。
主題は、剣を極めようとする武蔵の厳しい求道の物語ですが、それに彩りを添えるのがヒロインのお通さんです。
もともとお通は、武蔵の幼馴染の本位田又八の許嫁でした。しかし、その又八がお通を裏切って他の女の許に走ってしまいます。
おりしも西軍方で出陣した武蔵には、厳しい関ヶ原の残党狩りの詮議の手が迫っていました。命がけでその中をかいくぐり、又八が生きていることを伝えにやってきた武蔵が、裏切りで深く傷ついたお通には稀有な真の男に映りました。
それで、一度は東軍方の手に落ちた武蔵の逃亡に手を貸し、お通は生涯彼について行くことに心を決めます。
その後、武蔵は宗彭沢庵に下り、姫路城で3年間の幽閉生活を送ります。
そこで、魂の開眼を果たした武蔵は、生涯剣で我が身を高める武者修行の道を決意します。
一方お通は、武蔵の幽閉の終わる3年後をずっと待ちわびていました。そして、城下に姿を現した武蔵を見るや、その胸にすがって武者修行の同道を頼み込んだのです。
もともと憎からず思っているお通でしたが、我が道と一筋に定めた武者修行に女連れなど思いも寄りません。
かくして、「旅支度するまでの間しばらく待っていて欲しい」と、世話になっていた宿にとって返したお通を見送った武蔵は、橋のたもとに「ゆるしてたもれ、ゆるしてたもれ」と刻んでその場を離れたのです。

お通の気持ち

それから、武蔵の孤高の旅が始まります。そして、お通も一筋に彼の面影を求めて、武者修行者が集まりそうな所を訪ね歩きます。
そうして、物語の中盤で、やっと二人は巡り会うことができたのです。
青春の宮本武蔵は、若き情欲を持て余していました。そして、いつも懐かしく、恋しく思われたのはお通です。
方や、武蔵恋しさに一筋に後を慕ったお通です。その二人の再会で、当然彼らは結ばれるはずでした。
しかし、武蔵がやも堪らずお通に向けた激情をお通は受け止めきれませんでした。
お通の肩を抱き、愛おしさに思いを遂げようとする武蔵の手を、しかし彼女はふり払ってしまったのです。
訳が分からず混乱する武蔵。
「そもそも求めたのは、そなたの方でないか。なぜ、今更そのように拒絶をするのか。」
「武蔵様、そうではないのです。決してあなたを厭うているのではありません。ただ、そのような為されようは、お通がずっとお慕いし続けた武蔵様ではありません。」
相手の求めに応じて素直に自分の気持ちを表した武蔵でしたが、思わぬお通の拒絶にあって自分の思いの持って行き場を無くしてしまいました。
そして、「もう良い」と憤怒の気持ちを抑えきれぬままお通のもとを去っていきました。

言葉に表れぬ思い

前段でお通が口にしているように、彼女は決して武蔵を拒絶していた訳ではありません。
ただ、処女の娘には、あまりに男性を理想像で見てしまうところがあります。
誠実で、曲がった事をしない男の中の男、お通にとっての武蔵はまさにそんな人物に映りました。だから、心の中の理想の武蔵を追って、ひたすら後を慕ったのです。
しかし、素の男性としての武蔵に触れた時、お通のそんな思いは裏切られ、思わず拒絶をしてしまいました。
表面的には武蔵を拒絶したお通でしたが、情欲を抑えられない弱い一面を知り、むしろ人間としての宮本武蔵に深い愛情を覚えたのです。
しかし、武蔵にしてみれば手痛く肘鉄を食わされたとしか思えません。
ましてや、人生経験も少なく恋愛もまともにしたことがない彼には、全くお通の心を理解することはできませんでした。
確実に受け入れて貰えると思った自分の気持ちを拒絶され、武蔵はひとりよがりの自分が情けなくなりました。と、同時にお通の仕打ちが無性に腹が立ちました。
そして、そのままお通のもとを立ち去ったのですが、一方武蔵恋しのお通の気持ちはますます燃え上り、その後もひたすらに彼の後を慕わせたのです。

思いの共有

武蔵も未熟ならば、お通も未熟。
相手の表面的な言動だけを見て、その裏の思いを読むことができない。
あるいは、自分で自分がなんともならずに、心に反したことをしてしまう。
人情の機微に通じ、傑作小説を多く世に送り出した吉川英治の、若い二人の未熟さに対する深い愛情を感じる下りです。
しかし、思い返してみれば私たちも、人生の至る場面で多くの相手とすれ違いを繰り返してきました。
時に、相手の表面的な言動に一喜一憂し、その裏の思いを読み間違えて未熟さを思い知らされ、またその手痛い思いが猜疑心を生み、相手の言葉が信じられなくなる。
確かに、何でも信じすぎる人間は、お調子者、馬鹿正直と言われ軽く見られる。常に裏まで読める人間の方が概して評価されます。しかし、相手の裏を読みすぎて自滅している人も、浅読みを悔いている人以上にたくさんいます。
いずれにしても意識が自分に向いて、相手を慮る心が薄いから本心を見誤るのだと思います。
言葉や表面に隠れた思いは、正しく伝えることも、また知ることも難しいものです。その力は、深い人生経験によって養われるのでしょうが、まずは自分に向いている意識を相手に向け、謙虚に思いを汲み取る努力が必要と考えます。
そして、思いは一方的に伝えたり、分かったりするものでなく、共有するものだと言うことを胸に刻みたいと思います。