今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

仕事をする、フリをする 〜ツモリを破る〜

(写真:暮れなずむ街 その1)

■サラリーマンと言う仕事

今でこそ、サラリーマンはごく普通の職業になりましたが、昔サラリーマンが登場した時は、非常な感嘆と羨望を持って見られました。
サラリーマンは、毎月会社に通い、決められた給料を持ち帰る働き方です。
それまで、このような働き方はあったのでしょうか。
例えば、商家での奉公人や、地主の下での小作人がそうでした。
彼らは、自分たちで土地や店を持たず、労働力を提供して賃金を貰っていました。ただ、その立場は決して高いものでなく、特に小作人は自活できるだけの土地さえあれば、いつでも独立したいと考えていたのです。
今のサラリーマンに一番近い形態と言えば、お城に出仕している武士でしょうか。
毎日定刻に登城して、定刻に下城する。そして、毎月決まった給金(扶持)を藩から貰っていました。
対して庶民の大多数は、自分の土地を耕作して生活する農家や、自分の技術を売って生活している職人などの自営業でした。
考えてみれば、親の時代、そう40年くらい前までは非常に専業農家も多かったと思います。

■魔の場所

今のサラリーマンに近い働き方は、戦後復興期に主に都市部で広がりました。
当時も今も、自営業者は月々の景況で収入が上がったり下がったりします。
フリーランスとか、デートレーダーとか、しきりと会社に縛られない生き方が流行りますが、本質は良い時は良い、悪い時はとことん悪い、上手くやれている時は人より良い生活ができても、少し落ち込んでくると毎月の売上台帳を見ながら戦々兢々としなければなりません。
今でも、起業した会社の97パーセントが10年以内に廃業するご時世です。起業すれば、自分で何でも自由に決めてやれる分、収入の全てを自分で稼がなければならないのです。
やはり、私たちにとっての一番は安定的に生活できることなので、起業をしても事業が軌道に乗らなければ、また人脈を頼ってサラリーマンに戻る人が結構います。それで、また人の下で窮屈な思いをすることになりますが、まずは安定的な収入に勝るものはありません。
ですから、農村部で天候や景気で売上を左右された多くの農家、つまり自営業者にとって、通いさえすれば毎月キチンと給料が入るサラリーマンは実に羨ましい立場でした。
そのため高度成長期には、集団で都市部に行ってサラリーマンに職を求める人たちがいました。それが、おそらく私たちの親の世代です。
そのようにサラリーマンは、非常に恵まれた立場です。厚生年金や、今はかなり破綻しましたが厚生年金基金で老後まで保障されていることからして、自営業者に比べてかなり有利です。
しかし、有利なるが故に、私たちはそれに慣れて当たり前になっているかも知れません。
月〜金、毎日定時で出社して、定時に帰る。良い会社は、祝日まで完全に休むことができ、さらに有給が保証されている。
そして、キチンとキチンと毎月給料が振り込まれ、賞与まで支払われる。
思えば、実に恵まれた立場ですが、果たして私たち一人一人は会社から受け取っているものに値する働きができているでしょうか。
ともすれば、その他大勢に紛れて、十分力が発揮できていないかも知れません。
そして、そのことすら意識なく、いることが当たり前になっているかも知れない。
本当に、会社とは一歩間違えれば、魔の場所になります。

■フリになっていないか

前も投稿しましたが、どこの会社でも、業績に大きく貢献する20パーセントと、それなりに貢献する60パーセント、そして全く貢献できない20パーセントに分かれると言います。
果たして、自分はどの層にいるのでしょうか。正直、気になります。
時に、稼ぎ頭の事業を担当することもあり、これからの成長分野に従事することもあり、結果が出せずに逡巡することもありで、その時々で属している層は変わっているでしょうね。
そして、気をつけなくてはならないのは、自分に裁量が与えられて自由にやらせて貰える時です。
自由にやらせて貰える、一見聞こえは良いですが、普通の仕事と違って明確なミッションも、十分な情報もありません。
要は、自分で考えて何とかしろ、と言うことで、しっかり結果だけはコミットを求められます。
さて、どうするか。やり慣れた仕事なら段取りを付けやすく、完了までの道筋も見えています。
とりあえず、やれるところからやろうか、と始めますが、ゴールが見えていないので、ひたすら作業を求めることになります。
つまり、会社に対して給料分働いているアピールがしたくて、身体を動かして安心しようとするのです。
果たして、これでは働いていても、成果は二の次で、毎日をどう送るかだけに集中していると言われても仕方ありません。
身体は動かしていても、仕事をしているのでない、フリをしているのだと深く反省させられます。

■ツモリを破る、納得をする

前に上司から言われました。
「良い提案は、全てに理由がある。」
なぜ、この市場を選ぶのか。
なぜ、この層を狙うのか。
なぜ、この製品に着目するのか。
なぜ、この改造が必要なのか。
なぜ、この投資を今の時期に行うのか。
・・・
理由、必然性。
確かに、それは自分に欠けているものだと思いました。
なぜ・・・言われたから。
なぜ・・・良いという人がいたから。
なぜ・・・身近にあったから。
なぜ・・・とりあえず、手がつけられるから。
全て、成り行き、手近なところ、思いつきです。
でも、それで手をつけられるし、動くことができる。取りあえず時間が埋まるし、貢献感も出せる。
しかし、ひょっとしたら、単にツモリになっているだけではないでしょうか。
そして、自分に納得感はあるのでしょうか。
よくよく見直したいところです。
とりあえず動きたいものだから、すぐに手近に飛びついてしまいますが、私たちの行動はゴールからの逆算で決まるはずです。
ゴールからの逆算があって、この行動にはこんな意味がある。長いステップの、今この部分に取り組んでいる。だから、進捗はここまで来ていると、そう分からねばなりません。
提案の中身だけでなく、私たちの行動、アクションの一つ一つまで、理由と納得感を持って行えれば有難いと思います。そして安易な思考を改め、自分の行動の意味を熟考できるようになりたいと思います。
そうして、フリではなく、本当の仕事ができるようになりたいのです。