今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

言い訳の出ないレベル

(写真:大観覧車)

■自分に求める人、他人に求める人

うまく結果が出ない時、二通りの考え方をする人がある。
うまくいかない理由を、自分の問題だと思う人。もう一つは、周りや、相手の所為にする人。
対して、なかなか厳しいことを言う人がいる。「『自分は悪くない』それは最も恥ずかしい言葉」
確かに、すぐ他人や環境の所為にして、自分の努力不足を反省しない人を見た時に、「ああはなりなるまい」と思う。人の所為にすることは見苦しい。
ならば、反対に自分がうまくやれず、それを指摘される立場だったらどうか。
口からついて出るのは、やはり自分が悪くない事の釈明であり、他に原因を求める心でないか。
先ほどの厳しい言葉も、他人の所為にする人への叱咤より、自分自身が言い訳の塊だから、言動を戒めようと言う自戒に違いない。

■プロは他人に求めない

プロとは、お金を貰って仕事をする人。
お金を貰って人を安全に目的地まで届ける。命を預かって手術に臨む。
経営に関する適切な助言をしたり、法務上の手続きを間違いなく行なう。
仕事を依頼する我々の心はどうか。
お金を払っているのだから間違いはないだろうと思い、信じる。
医者の出した薬は間違いないと思うから、内容も調べずに無防備に口にする。
床屋さんの手元が確かだと思うから、首筋にカミソリを当てられても、平気でイビキをかく。
お金を払っていることへの信頼はそれほどに重いのだ。そして、我々も何らかのプロである。
当然、自分の仕事に責任を持っていないプロとは怖くて付き合えない。
うまく行っても、行かなくても、他人に求めてはならない立場、それがプロである。

■なぜ、プロは言い訳をしないか

だが現実は、上手くいかなかった時の理由を求められると、口をついて出るのは、状況分析と称した「悪いのは自分ではない」証明。
よく難航した案件では、業者と顧客がお互いの正当性を主張して争っている。
業者は、自分たちはキチンと仕事をしていたのに顧客が無茶を言い過ぎだと主張し、顧客は顧客で、そのリスクを回避できるよう誘導するのがプロだろうと反撃する。
お互い、自分たちの組織の利益を代表しているのだから、一歩も引けないのは致し方ない。結局、それで結論が出ないから司法の判断に委ねることになる。
もちろん、これは何十億と言う支払いや賠償金が絡んだ経営的な話。
しかし、現場でこの真似をし始めると途端に停滞する。
少し努力して、簡単にできることなら誰も苦労しない。個人として、あるいは会社として、世の中に広く認知されようと思ったら、その上を行かなくてはならない。
当然、自分の能力を超えるから難渋する。
だが、そこを突破して始めて一流のプロと見て貰える。
他人や環境の所為にして、努力を怠るものにプロの称号は与えられない。与えられた厳しい状況の中で、言い訳を封印して自分のできることをする。そうして初めて磨かれるのだ。

■言い訳がでなくなるまで高める

言い訳の出るレベル、それはそこまで自分の仕事にプライドを持っていないためか。
もし、プライドを持って取り組んでいたら、どうしても難しくて断念する場合も言い方が違う。
「この方向では時間がかかり過ぎますので、方向転換をしたいと思います。
よって、この分が逸失しますが、こちらで代替させてください。」
まるで教科書通りの答えとも思うが、そこまで真剣に考えて来たから初めて言えることである。
少しやって、後は中途半端に誤魔化してきたことには決して代案は生まれない。
つまり、真剣にやっていることに言い訳は出ないのだ。
真剣か、真剣でないかのバロメーターかも知れない。
自分自身、言い訳の塊のような人間だ。
だが、言い訳が出ないレベルが一つの基準。
そこまで、真剣に取り組んでいるか、大切なバロメーターとしたい。