今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

まずは謝る癖

(写真:朝の山林)

■懐かしき先輩

一時期、大手自動車メーカーの子会社の人と一緒に仕事をしていた。
その時は、都内の倉庫事業者相手に、今まで国内で余り実績のない機器を使ったソリューションを構築していた。

自分は、機器からデータを取り込んで日報を作成するソフトの製作担当だったが、とにかく大手子会社の人も、自分も、慣れない機器の不審な挙動に悩まされ続けた。
問題は、機器の吐き出すデータと、それを取り込んで表現するソフトで起きる。しかし、不具合が重なるとだんだん互いが疑心暗鬼になってくる。
ついには、相手の所為にして、自己弁護に終始するようになった。

それを見て、ついにお客さんが声を上げた。
「機器か、ソフトか。どっちが悪いんだ。きちんと切り分けよ。」「ちゃんとプロの仕事をしろ。」
すっかり恐縮して、二者で機器メーカーを訪ねて対策を要請したところから、少しずつ事態は好転し始めた。

そして、かなり出口が見えた頃。
その時、自分は度重なる改修要望に、すっかり辟易していたと思う。
お客さんから、ソフトの不具合を指摘された時、自分はデータが悪いのだと主張して譲らなかった。
「それでも、調べるだけ調べてみよ」と言われて、ソースを開いたら、なんと自分の不具合で、しっかり冷や汗をかいた。

その時、大手子会社の人は優しく諭してくれた。
「なっ、言ったろ。正しいか、正しくないかは別にしてとりあえず謝っておくもんなんだ。」

■まずは謝る癖

あれから、15年。
当時、50だったその人は、もう第一線を退かれたろうか。
かなり癖のあって、周りからは敬遠されていたけれど、今となっては懐かしい人である。
周りがそんな先入観を持っていなければ、自分ももっと自然体で付き合うことができて、きっと良い知己になれたと思う。
少々残念である。

ただ、「まずは謝れ」と教えて貰った時は、「ふ〜ん」とか「そんな善人面嫌だ」位にしか思わなかったと思う。
しかし図らずも、その一言は心に残り、気がつけば自分の行動指針になっている。

後輩がお客様からクレームを受けて、なかなか理解を得られずに苦しんでいる。
だが、聞いていると段々声にトゲトゲしさが現れてきた。
これは、イケナイ。相手との対応にすっかり心がささくれ立って、それが態度に現れている。
このままでは、お客様に失礼になる。
そう思って対応を代わる。
そして、第一声。
「このたびは、すっかりお手間をとらせてしまって申し訳ありません。」
すると、大抵返答はほとんど、
「いえ、こちらこそご無理を申し上げています。」
後は、必要な事項をステップを踏んで確認していけば、意外にあっさり対応は収束する。

別に、自分が優秀だった訳ではない。
ただ、先に謝った、それだけである。

■求められているのは共感

学生の頃、知人の接触事故を目の当たりにしたことがある。
相手のドライバーに平謝りする知人を見ながら、一緒にいた友人は「あのような場合は、絶対先に謝るもんでない」とシタリ顔で言っていた。
確かに、相手がどんな人間か分からないし、謝ったその一言で言質を取られるかも知れない。
「なんでもする言うたやんけ!」
アメリカでは、このような場合、いかに非があっても、決して自分からは謝らないと聞く。
そこは、やはり専門家に任せた方が良さそうだ。

しかし未だに、その友人のシタリ顔と言葉に違和感を感じる。
なぜなら、事故を起こすことは、相手から大量の時間を奪うことになるからだ。
まず、警察を呼んで、事故の検証をする時間が必要である。保険屋に連絡を取って、煩わしい手続きをする時間が必要である。
車も修理に回している間は使えない。
それで、相手に何が残るかと言えば、何も残らない。
ただ、壊れた車の現状復帰のみである。
そして、奪われた時間と、その間に体験するはずだった良い思い出は永久に戻らない。
それは、行楽地でのノンビリした時間だったかも知れない。子供とのかけがえのない時間だったかも知れない。
レストランでの恋人との甘い時間だったか知れない。大事なビジネスチャンスだったかも知れない。
そんな大切なものを奪っておいて、詫びの言葉もない、自己主張と事務手続きばかり言う人間が相手だったら残念な気持ちが何倍にもなる。

そして、クレームと言う言葉も、業者中心の響きを感じる。
自分は悪くない、無茶を言っているのは顧客の方だ、と言う意識が漂う。
当然、お客様は、自分が悪いとも、理不尽を言っているとも思っていない。
業者の不具合により、大量に自分の時間を奪われたと思っている。
その時に、どちらが正しいことを言っているか、の議論は無駄である。
お客様は、まず自分が困っていること、苦しんでいることを知って貰いたい。
結果、業者の責任でないかも知れない、あるいは不可抗力かも知れない。
結果は変わらなくても、最初に謝罪があると気持ちは何倍も軽くなる。
顧客が求めているのは、正しさではなく共感だからだ。