今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

プロは賞賛を求めない

(写真:夕空 その1)

《俺は仕事をしただけさ》

ハリウッド映画なんかで出てくる、ちょっとカッコいいセリフ。

レスキュー隊員が命がけで、遭難者を助けた時、涙目で救助者からお礼を言われる。
「あなたのおかげで助かりました。お礼の言いようも有りません。」
だけど、レスキュー隊員、わざとなのか、そういう顔なのか、全く表情を崩さずに、
「いえ、私の仕事をしただけですから。」

かっこいい!
そんな時、頭に浮かぶのが「プロ」の二文字。
そう、プロは賞賛を求めない。

そりゃ、仕事でも、褒めて貰いたいのは人間の性。
料理人ならば、「美味しかったです。ご馳走さま。」と言って欲しい。
ゲーム製作会社は、毎日のダウンロード数が気になり、テレビ局なら視聴率が命。
もちろん、ゲーム会社やテレビ局は、それが業績指標でもある訳なんだけど。

でも、そんなしょっ中成果が評価して貰える仕事ばかりじゃない。
普通のメーカーが納品したら、ちゃんと動くのが当たり前。使い方の説明をしても、都度お礼なんか言われやしない。
メンテナンス業の人はもっと顕著。仕事でベストパフォーマンスが出せでいる時は、つまりその人が頑張っていることを誰も意識していない時。皆んなが有り難みを感じるのは、むしろトラブルという、有っては欲しくないことが起きた時だから皮肉。

《プロは言い訳もしない》

褒められたらやる気が出る。反対にクレーム言われるならまだしも、誰にも関心を持たれないのが一番辛い。
こんなに頑張っているのに、頑張っても無駄なのか、なんてモチベーションが下がっちゃう。

でも、そこをするのがプロ。
皆んなが関心を持たないのは、むしろ、うまくいっているから。
人間は、自分が儲かる時か、自分に被害が及ぶ時しか心は動かない悲しい生き物だから、人の関心が向かないのは、むしろ全て順調の証拠。
そして、ちゃんと仕事できている証拠。
だから、人の評価より、自分がちゃんと仕事できているかが大事。

あと、プロは言い訳しない。
でも、なかなか難しい。
なぜなら、人間は自分の非を認めることが苦手な動物だから。
何か不都合なことが起きたら、どんなものが噴いて出るか。
「あれが揃っていなかった。」
「あの指示がまずかった。」
「説明不足。」
「競合が強すぎた。」
つまり、自分が悪くないネタ探しに奔走する。

これって、誰でもそうだと思っているけど、間違いない?
ただ、違いはそれを表に出すか出さないか。
「あいつのせいじゃ、こいつのせいじゃ。」が噴き出すのをじっと堪えて、プロとしてもっとできたんじゃないかと突き詰める。だから、とっても立派な人。
そう、真のプロは言い訳もしない。

《意識がプロを作る》

でも、自分自身を振り返ると、原因分析とか言いながら、一緒懸命人の所為にできるネタを探している。
でも、問題は人じゃない。原因分析をする目的は、自分が同じ状況になった時、どれだけパフォーマンスを向上できるか追求すること。
なのに、自分以外に原因を求めているうちは、同じことが起きればまた同じことをするだけ。
つまるところ、業績を市況の所為にしている会社が永遠に成長できないのと同じ。
そう考えると、こんな馬鹿な自分を指導してくださる上の人には頭が下がる。

プロの態度。
賞賛が得られなくてもすべきことをする。
看護士さんなんか、認知症の患者さんに罵られ、ポカポカ殴られながらも、笑顔でお世話する。

あと、失敗に対しても言い訳しない。
昔見た「ガメラ」の映画で、原子力エネルギーを輸送していた船がガメラと接近遭遇。あわや、大事故になりそうだった。
勝手にガメラが近づいて来たのに、仲村トオル演じる艦長さんは「自分の責任は重大です。」と言い切るところ、凄いと思った。

東日本大震災の後、東電の原子力発電所で事故復旧に当たった所員の人たち。地震や会社の所為にできたのに、決して逃げなかった。あれも、とても凄い。もっとも逃げだしていたら、自分も今頃ここでこんなことをしていられないけど。

どうして、みんなこんなに凄いのだろう。
でも、家では普通に奥さんや娘さんに怒られているお父さんかも知れない。街で普通に会ったらショボい普通のおじさんかも知れない。
でも、「仕事」の二文字で皆んな凄い人になる。
つまりは、自分が皆んなの生活を守っでいると言う自覚なんだな。自分が目の前の皆んなの最後の砦、だからその意識がプロを作る。
そんなプロフェッショナルになりたいと心から思うのだけど。