今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

スキルとマインド


(写真:夜桜三昧 その2)

スキル(技)は、私たち職業人には欠かせないものです。
安全にトラックの運転ができないドライバー、言語を駆使できないプログラマー、味音痴のコックさん、手術の下手なドクター、裁判に勝てない弁護士、売り上げが上がらない営業マン、車のことに暗い整備士、仏教を話せない僧侶・・・等々。
こんな人がいたら困りますね。

私たちは日頃、いろんなサービスを利用して、またいろんな商品を購入します。その時、必ず私たちの対面にはプロと言われる人が存在します。
私たちがプロに抱くのは、どのような気持ちでしょうか。
「プロだから詳しい」「プロだから正確」「プロだから安心」「プロだから間違いない」
だから、病院で出される薬も何の疑いもなく飲むわけですし、車検から帰って来た車には安心して乗ります。ファイナンシャルプランナーの勧める商品は信用し、人間ドックで異常が見つからなければ健康体を疑いません。
それは、プロの仕事だからです。お金を払っているという事実を担保にして、その相手のスキルに全幅の信頼を置いているので、考えてみれば安易と言えなくもありません。
逆に言えば、私たちも必ず何かのプロなので、相手からはそのように見られていると心しなければなりませんね。

そのため、職業人である私たちはスキルの修練が絶対条件です。そして、そのスキルを高め、さらに磨いてプロフェッショナルとしての地位を目指します。
しかし、やがて抜擢されて、人をまとめる立場を任されます。いわゆるマネジメントです。あるいは出世とも言います。すると、そこにスキル以外の要素が求められるようになります。それがマインドです。

マインドとは何か。わかりやすい話をすると、自衛隊の士官クラスの教練で、リーダー役を決めて行軍をした時のこと。
決められた行程を踏破して、目的地点についた時、隊のリーダー役が自分の水筒を開けて水を飲んだそうです。すると上官からカミナリが落ちました。
「部下の大切な水を飲むとは何事か!」

そのリーダーは人の水筒の水を飲んだ訳でも、あるいは共有の水筒から飲んだ訳でもありません。自分の分として支給された水筒から飲んだのに、何故「部下の水を飲むな」と怒られたのでしょうか。
それは、「もし、部下の水筒の水が切れていたらどうする。」「もし、これから不測の事態が起こって、水が必要になったらどうする。」
そこまで想定するならば、隊の各隊員の水筒の残量まで確認してから、自分の水筒に口をつけねばなりません。厳しいようですが、これがマインドです。

個人のスキルには、所詮限界があります。しかし、組織のスキルを集めて、うまく作用させれば、可能性はずっと広がります。その組織をまとめる為に求められるのがメンバー各員の心服であり、それを実現するのがリーダーとしてのマインドなのです。

一番下の時は、スキルが10で構いません。しかし、一つ上がれば、スキルが8でマインドが2と割合が変わります。さらに上がるたびに、スキルが5でマインドも5、スキルが2でマインドは8と変化します。
つまり、立場が上がるほど、自分より人や全体を優先するシーンが増え、個人としての自由はなくなります。
もちろん権限は増えるので、仕事をし易くなるのは間違いありません。だからと言って、自分の好き嫌いをそのまま出している上司はあり得ないでしょう。たとえば、自分が話しやすい人とばかり話をして、気に入らなければ組織内のルールをころころ変える。そこに必然性があれば良いのですが、そうでなければ、そんな上司には心から従うことはできません。
出世とは、自分の力が強くなることではなく、自分の我儘が通せなくなることです。そして、常に自己犠牲の気持ちを持って、自分より全体を優先するマインドを養うことなのです。