今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

浦ちゃんは良い人か?

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(写真:花咲く交番)

コマーシャルでは、すっかり『浦ちゃん』が定着した浦島太郎。

ある時、漁師の浦島太郎が海岸を歩いていると、子供たちが集まって亀をいじめているのに遭遇します。
浦島太郎は亀を哀れんで、子供たちに海に帰すように諭します。
しかし、子供たちは一向に聞き入れず、仕方なく浦島太郎は幾らかのお金を渡して亀を買い取ります。
「もう、二度と捕まるんじゃないぞ」そう言って、浦島太郎が海に放してやると、亀は何度もお礼を言って帰っていきました。

後日、船を浮かべて沖で釣りをしている浦島太郎のもとへ、先日の亀がポッカリと浮かびました。
「私の主人である乙姫さまが、先日のお礼がしたいので、龍宮城にお連れするようにと言っておられます。」
それで、浦島太郎は亀の背中に跨って龍宮城に行き、様々な楽しみを味わったという話です。

さて、なぜ浦島太郎は特別に龍宮城に招かれて、いろいろな歓待を受けることができたのでしょうか。
それは、浦島太郎が亀を助けた動物愛護の善人だったからだと一般には思われています。
しかし、本当に浦島太郎は、動物を可愛がる良い人なのでしょうか。
そもそも、浦島太郎の職業は何でしょうか。
そう、助けた亀の同族の鯛やヒラメを釣りあげては命を奪う漁師です。
ですから、龍宮城の乙姫様も、一族に多大な被害をもたらす漁師の浦島太郎の存在に頭を痛めていてもおかしくありません。亀をダシに龍宮城に誘い出して、老人になるまで虜にしたと言うオチも有りですね。

もし、浦島太郎が本当に動物愛護の善人ならば、まずすべきことは、肩の釣竿を叩き折ることです。しかし、それをしてしまうと浦島太郎はたちまち生活に窮して死なねばなりません。
一方で何千何万という殺生を繰り返しながら、たまたま一つの命を助けたからと善人ぶる。そこが、善人浦島太郎のギリギリの限界なのです。

これは、浦島太郎一人のことではなく、同じく全ての人間にも言えることです。
ペット動物の世話をする。犬や猫や小鳥に餌をやる。
動物好きの心優しい人間。
こんな人間は、死んだら生前の善行で必ず天国に行ける、と言うのは、あまりに人間目線の都合良い善人観です。それは、人類の生存が、あまりに多くの動物の犠牲に支えられているからです。

牛や豚、鶏や、その他魚介類。死にたくない生き物を無理矢理捕らえては、命を奪って食べています。
国によっては、犬や猫を食べる習慣があり、時折残酷な食習慣と眉をひそめる人がいます。
しかし、犬や猫なら可哀想で、牛や豚なら構わないというのは論理的矛盾です。鯨やイルカの漁に反対して、網を破ったり捕鯨の邪魔をしたりする環境団体のメンバーも、牛や豚を美味しそうに頬張っている自分の姿に矛盾を感じないのでしょうか。

「いや、自分は菜食主義者だから」と言う人がいます。
確かに、生き物の命を食べないのは立派ですが、それでも私たちの文明自体が動物たちの犠牲をなしに成立しない事実は変わりません。
それは、日々繰り返される動物実験です。例えば、一つの病気の原因を特定したり、あるいはその治療薬を試す時に、どれだけのモルモットを殺すのか。その数、何千とも何万とも言われます。
しかし、この動物たちの犠牲なしには、私たち人間が安心して使用できるものの開発はできないので、今の文明社会の維持は不可能です。

つまるところ、人間は浦島太郎同様悪を作らずして生きてはいけません。
もちろん、動物愛護を否定するわけではありませんが、この人間の実相を無視して、歪んだ善人観のみを強調すれば、また歪んだペット文化が蔓延して、可愛がるどころか全ての生き物を不幸にします。
私たち人間は、動物たちの犠牲のもとに生かされている。これを忘れてはならないと思います。