今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

マイクロマネジメント

(写真:ひるがのの朝陽)
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「マイクロマネジメント」
それは、指示の細かい管理のことです。

昔風に言えば、ハシの上げ下げまで注意することに当たります。母親の世代は、嫁ぎ先のお姑さんに、よくこのような細かいことまで注意されたそうです。
もし、男性がこんな状況になったら、まず胃を病んで入院ですね。

ただ、現代でも「マイクロマネジメント」という言葉があるくらいですから、会社でハシの上げ下げまで指示する人がいるんでしょうかね。
いや、むしろ自分自身が「マイクロマネジメント」をしてきたのではないかと反省させられます。
指示が細かいところまで行き届いていること自体は悪いことではないのですが、行き過ぎると幾つかの弊害が発生します。

指示が細かすぎると、
①指示された人が自分で考えなくなる
②指示された人のモチベーションが下がる
③指示された人のパフォーマンスが下がる

つまり、指示を細かく出し過ぎると、指示された人は自分のやり方にことごとく駄目だしをされるので、怖くなって相手の指示以外のことができなくなります。
なにかを判断する度に、指示者の顔色を見て、何らかの意思表示をして貰わなければ行動をすることができません。
それは思考停止であり、指示待ちであり、また、その人自身本来のパワーが損なわれている状態です。
指示者にはきっと腕が4本あるのが理想なのでしょう。

今度は、指示をする立場に立ってみたいと思います。
この「マイクロマネジメント」は自分ができると自負している人、あるいは職人気質に多いようです。つまり、狭い組織で、多くの裁量権を持っている人にありがちです。
例えば、職人ならば、自分の制作するものに絶対的な自信を持っています。お客様から「あんたにたのんで良かった」と言われることが無上の喜びです。そして、そう言われるために自分の流儀や、仕事の精度の基準を確立しています。
私も、ことプログラミングに関しては、コメントの付け方、変数名の付け方までこだわりがあります。しかも、その一つ一つまでに細かい理由づけを持っています。ですから、人のプログラミングソースを見て感心することもありますが、むしろ無性に手を出したくなることが多いのです。

これが「マイクロマネジメント」発生のメカニズムです。
指揮者なら、楽団の少しの音のずれが気になります。服飾関係ならば、スタッフのデザインの細かいところや、糸のかがり方が気になってしようがありません。職人ならば、自分の成功体験とのわずかなずれが許せないのです。

確かに、芸の習得には「守・破・離」という段階があります。
最初は、師匠の言うことに忠実に「ハイハイ」と従い、自分なりに自立して歩けるようになって初めて自分のやり方を試してみる。その試行を繰り返して、やがて師匠を超えていきます。

しかし、今時こんな徒弟関係で成立している会社はありません。
新人のうちから、「自分らしさ」や「独自の工夫」を主張するのが今の世の中です。
でもそれは新たな価値観の創造かも知れません。むしろこのように変化の激しい時代だからこそ、最初からあまり型に嵌めずに、その人の「らしさ」を最大限引き出すことが今評価されるマネジメントではないでしょうか。
ただ、その時上司は一時的な精度の低下を覚悟せねばなりません。この精度の低下を、自分の出した結果として受け入れられる人でなければ、このようなマネジメントは難しいでしょう。

最後に、私のことを言わせてもらえるならば、最初は「マイクロマネジメント」に凝り固まっていました。
それでも比較対象がいない間は回っていましたが、後輩が育ってきてそれとは違うマネジメントを始めた時に、私はメンバーから一斉にダメ出しを受けました。
そこであまり干渉しないように、放置主義で接したところ、これも人間の性で、お互い都合よく解釈するので、結局失敗に終わりました。
次に、作業のタスクを洗い出して、自分が責任を持つところ、相手が責任を持つところを切り分けました。自分は、「マイクロマネジメント」と「放置」の2つしかできない人間なので、「マイクロマネジメント」と「放置」をする範囲をハッキリと宣言した訳です。

この最後の試みは最近始めたばかりですが、少しずつ手ごたえを感じつつあります。
決して、無理をする必要はなく、自分には自分なりのマネジメントがあるのですから、今後は少し肩の力を抜いていきたいと思います。