成長とは、考え方×情熱×能力#14
マイフェアレディ
こわごわと泰造氏はソファの向こうから顔をのぞかせた。
27、8と聞いていたが、まだ22、3にしか見えない童顔の男性である。
プログラムばかり組んでいるから陽に当たらない色白の男性を思い描いていたが、よく日に焼けてスポーティな感じだ。
顔は面長で、わざとなのか、ものぐさなのか、不揃いに切りそろえた髪を垂らしている。
日登美父の面立ちを受け継いで、ソフトで親しみやすいマスクをしていた。
黒いTシャツに「freedom from life」と大きな文字で白抜きがしてある。下は洗いざらしのテロテロジーンズ。そして、お約束の膝小僧の破れ。
いかにも今風のクリエイターを演出していると歌陽子(かよこ)は思った。
「まあ、二人ともゆっくりしてよ。」
「ゆっくりって、おめえ、どこに座りゃいいんだ?」
そう、この部屋にはソファと丸テーブルしかない。
「あっ、そうか。じゃあ、床の上にでも。」
「床だあ?」
「大丈夫だよ。毎日モップかけているから。」
何か言いたくて、口をモグモグ動かしかけた前田町に、
「前田町さん、ご厚意に甘えましょうよ。」
と歌陽子がニッコリと笑いかけた。
それで、渋々と前田町はフローリングにどっかりとあぐらをかいた。
歌陽子も、膝と膝の間をすぼめてペッタリと腰を下ろした。
カジュアルな服に身を包み、裾の広いズボンを履いて、また淡い色のカーディガンが歌陽子の丸メガネとあいまって、柔らかな印象を与えていた。
ギュッと抱きしめたくなるような華奢な女子のオーラを存分に振りまきながら、歌陽子は行儀よく両手を膝の上に乗せてソファの泰造に相対した。
「あのね、メガネちゃん。」
泰造はいきなり歌陽子に話を振った。
「歌陽子お嬢様と言え!」
前田町は、泰造の馴れ馴れしい言い方が気に入らない。
「生憎僕は、お金や権力が幅を利かす世界の住人じゃないんでね。」
「何言いやがる。嬢ちゃんにスポンサーになって貰おうか、とかほざいていたのはどこのどいつだ。」
「オジさん、気が変わったんだ。この娘は、俺が考えていたような女の子じゃなかったから。」
「ほう、少し自分の浅ましさが身に沁みたか?」
しかし、泰造は分かってないなあ、と言わんばかりに手のひらを上に向けて肩をすぼめた。
「違うよ。この子は、大金持ちの令嬢かなんか知らないけど、ちっともお金の匂いがしないもん。」
そう言って泰造は、平手で誰かの頬を張り飛ばす真似をした。
「こんなふうに、札束で人の顔を張り飛ばしたり、やたら高い服装やジュエリーを見せつけたがるタイプならとり入るのは簡単さ。
でも、言っちゃ悪いけどメガネちゃんは、自分の持っている力を分かっていないし、利用しようとすらしないんだから。
ただ、ひたすら僕ら一般庶民に視線を合わせようとしている。でも、それが行き過ぎて、なんて言うか、貧乏たらしいと言うか、滑稽なんだよな。」
歌陽子は思わず目を丸くした。
えっ?私、こんなふうに言われたの、初めて。
だって、みんな自分たちと住む世界が違うからって、心を開いてくれなかったんだもん。
だから、私、みんなに合わせようと頑張ったのに。
それが、返って貧乏たらしくて、滑稽だなんて・・・。
歌陽子は感情の整理に困って下唇を噛んでうつむいた。
「嬢ちゃん、気にすんなよ。
こいつは昔からこう言うところがあんのよ。
人が嫌がることにやたら鼻が効くって言うか、そうやって相手を否定してみせることでしか自己主張が出来ねえツマラン奴なのよ。」
前田町にさんざんこき下ろされて、泰造はフンと横を向いた。
「いいんです。私、いろんなことがあって心はかさぶただらけですから、これくらい気になりません。」
あえて自嘲気味の歌陽子。
「うっ・・・。」
しかし、思わず前田町は言葉に窮した。
歌陽子の心をさんざん引っ掻いてかさぶたをこしらえた張本人の一人が前田町だったから。
それで、行き場に困った感情がソファに踏ん反り返っている泰造に向いた。
「この、馬鹿野郎が!」
そして、ソファのヘリに手をかけると、ソファごと泰造をバン!と投げ飛ばした。
「ギャーッ!」
無様な叫び声を上げてひっくり返った泰造。
「こら!てめえの様な奴は、お上に手を回して二度と日本の土を踏めねえようにしてやるからな!」
「畜生!やれるもんなら、やってみろ!」
ひっくり返って、なおも強がる泰造。
「あっ、そうだ。」
不意に漏らした歌陽子に前田町が反応した。
「なんでえ?」
そこで、歌陽子が澄まして一言、
「そう言えば、お母様のお兄様は外務省の事務次官でした。」
本当かウソかは知らない。
でも、あながちに「うそ」と笑い飛ばせない。
なぜなら、彼女は東大寺歌陽子なのだから。
「え・・・?」
思わず聞き返す泰造。
(#15に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#13
泰造の哲学
マンションのドアから部屋の中に通された歌陽子と前田町。
アメリカで成功したクリエイターの部屋は、一言で言えば実に風変わりであった。
まず、機能別に部屋が仕切っていない。
50平米もありそうな広いリビング、その他にはトイレ、バス兼用と思しき小部屋と、クローゼット、物置があるだけ。
しかも、そこに置いてあるのは、白いソファと丸テーブル、そしてテーブルの上にはノートパソコンが一台だけ。
あとは、ベッドとキッチンと小さな冷蔵庫、その他はひたすら白い壁と木製のフローリング。壁にはコルクボードも、ポスター一枚も貼られていない。壁に立てかけてあるモップが唯一のアクセントと言えば、そう言えないこともない。
ただただ広い空間がそこにあった。
しかし、それで殺風景かと言えば、南側に面した大きな窓から外光が目一杯差し込んでいた。そして、その先には東京湾を含む都内のロケーションが一望できた。
なんて、開放感!
日頃贅沢品に囲まれ、会社では書類や機械に埋もれている歌陽子にとって、何にもない、空間だけが調度になっているその場所がたまらなく贅沢に思えた。
「なんだこりゃ、何にもねえ部屋だなあ。」
前田町にはこの良さが分からないのか、しきりにガランとした部屋をくさしている。
「オジさん、分かってないなあ。何も持たないことは、現代の俺たちが許された最高の贅沢なんだよ。」
なんか深い。
「だって、銀行にお金があって、あとはスマートフォンさえあれば、とりあえず生きていくのに不自由はないだろ?
服だってクローゼットにお気に入りが数着あればいいし、必要なものがあれば、コンビニで24時間手に入る。食べ物だって、電話一本でケータリングができるし、ちょっと歩けば24時間のスーパーだってある。
テレビも、新聞も、本もみんななくても、ネットで情報は取れるんだ。
好きな音楽も、ユーチューブを見た方が早いもんね。」
確かに。
「おめえヒッピーかよ。」
いつの時代?
「オジさん、ブッダの教えにもあるだろ?
人間、生まれるときも一人、死んでいくときも一人。
いずれこの世に置いて死んでいくものを抱えて人生を無駄にするより、何も持たずに人生のキャパを増やした方がいいと思わない?」
凄い理屈である。さっきから歌陽子はすっかり感心して聞いていた。
さすがは、ハリウッドの一流アニメーター。
しかし、前田町はまだ大人の良識で押さえ込もうとしていた。
「よく聞けよ!おめえのことは預かり知らねえ。だがなあ、俺ら一般庶民は、いつ何がどうなるかさっぱり分からねえんだ。だから、せめて自分のもんってヤツを抱えて、少しでも安心しようとするんじゃねえか。そんなささやかな庶民の気持ちも分かんねえのか、アメリカかぶれ。」
前田町さん、それちょっと自虐っぽいんですけど。
「そうだよ。だから、僕はお金を稼ぐんだ。なぜなら、お金があればモノから自由になれるから。ねえ、君なら僕の気持ち分かるよね。メガネちゃん。」
「え?私?」
思わず歌陽子は自分の顔を指差した。
「そう、君。君のような超超超、お金持ちがそこいらの学生のような服を好んで着ているのがその証拠。まあ、ロレックスは驚いたけど、君のコーデは基本数千円以内ばっかりだからさ。モノの誘惑から完璧に解き放たれている証拠だよ。」
「いえ、そんなんじゃありません。私も会社からお給料を貰っている身ですから、分不相応はなるべくしないようにしているんです。
だから、自分の着るものは自分の収入内でって思ってるんです。
ただ、ロレックスは中学の頃から身につけているので、愛着があって・・・。」
それを聞いた泰造はひどく驚いた顔をした。
「え?君働いてるの?まだ、学生の年齢だろ?あ?お父さんの秘書の真似事をして小遣いを貰ってるとか。」
「いいえ、一般の会社のOLです。」
そこに前田町が割り込んだ。
「あのなあ、この嬢ちゃんは、俺らの上司なんだよ。この歳で立派に課長職を務めているのよ。」
「ええっ?」
明らかに意外なことを聞かされた反応。
「いや、その。別に若い上司は不思議じゃないよ。なぜなら、僕らの世界じゃ割と当たり前だからさ。現に僕のチームにも40、50代のメンバーもいたからさ。
でも、前田のオジさんや、あの野田平のメチャ悪オヤジや、うちのオヤジをまとめてるんだろ?
そんなの、魔法か洗脳でも使わなきゃ無理だろ?それとも何?オジさんも人並みにお金に目が眩んだ?」
「ふざけんじゃねえぞ、こらあ!」
ほらあ。
逆鱗にふれちゃった。
前田町の剣幕に、さすがの泰造も慌ててソファの後ろに逃げ込んだ。
「あのなあ、俺らがこの嬢ちゃんを応援するのはなあ、金のためなんかじゃねえ。
不器用だけど、とことん一生懸命なところに打たれるのよ。」
そうなんだ。
(#14に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#12
日登美ジュニア
「はあい、どなた?」
インターフォンの向こうから物憂げな男性の声が響く。
しかし、歌陽子(かよこ)が名乗る前に、男性は言葉を継いだ。
「あ、いい、いい。間に合ってるから。」
ガチャ。
何で?一言も言ってないのに。
気を取り直して、もう一度マンションのエントランスのインターフォンを押す。
ピンポ〜ン。
ガチャ。
今度は聞かれる前に歌陽子から話し始めた。
「あのお、私、東大寺歌陽子と言います。お母様から聞いておられませんか?」
「ダメ、ダメ、今日は今から何とかって言うお嬢様が来るんだから。あんたみたいな学生の相手をしてる暇ないの。
どうせ、寄付集めかなんかでしょ。それとも、視聴料の徴収?」
また切られては敵わないので、勢い込んで歌陽子は喋ろうとした。
「あの、私が、その東大・・・。」
その時、後ろに立っていた前田町の怒声が歌陽子の頭を飛び越して行った。
「こらあ、泰造!さっさと開けやがれ!」
「ゲッ!前田のオジさん・・・。何で・・・?」
「ツベコベ言ってねえでサッサとしろ!3数えるうちに開けねえと蹴破るぞ!」
本当にやりそうである。
「1・・・2・・・3!」
ガチャリ。
小気味の良い音を立ててオートロックが解除される音がした。
「さ、嬢ちゃん、行こうぜ。」
「は、はい。」
エレベーターに乗って23階で降りると、そこはいくつもの玄関が並ぶ外廊下だった。
そのうちの一つから、扉を半開きにしてこっちを見ている男性がいる。
「お、おう、泰造、久しぶりだなあ。」
前田町が声をかけると男性はバタンと扉を閉めて中に引っ込んだ。
しかし、ズカズカと前田町は、その扉に近づくといきなりバン!バン!バン!とやった。
歌陽子はかなり慣れたが、前田町の行動は基本「乱暴」の一言である。
「わ、わかったよ。扉が壊れるよ。」
そして、あの男性がまた顔を出した。
「オジさん、普通にインターフォンがあるだろ?」
「うるせえ、おめえ昔から何かって言うとすぐ居留守を使いやがるだろ。」
「そりゃ、オジさんが無茶苦茶怖いからだよ。」
「怖いだあ、高校一年で暴走族の頭をしめた奴の言うことか。」
「昔のことだよ。それに、俺、前田のオジさんぐらい怖い人を他に知らないもん。」
思わず、コクリと隣で頷いた歌陽子。
「あ、そう言えば、今日は取り込んでるんだよ。母さんから連絡があって、何とか言う凄い財閥の令嬢が訪ねてくるんだ。
だから、あまり相手できないよ。」
「ほう?おめえ、その令嬢の名前を覚えてねえのか?」
「ん?待てよ。よく聞く名前だったな。えっ・・・とうだい、何だっけ?」
「東大寺。」
たまらず歌陽子が口を挟んだ。
「そうそう、東大寺。東大寺財閥なんて、未だにそんな人種が生き残っているなんて驚きだよ。でも、凄いお金持ちだって言うし、いつか俺が独立したらスポンサーになって貰えるかも知れないしね。」
「せいぜい、媚を売っておくこった。」
「あのさ、なんで東大寺の令嬢のこと、母さん知ってたんだろ?」
「おめえのおっ母さんじゃなくて、俺たちの知り合いなのよ。一応、東大寺は俺たちの会社の筆頭株主だからな。」
「そっか、じゃあ、オジさんも東大寺の令嬢に用事があって来たの?」
「まあ、そんなとこだ。」
「じゃあ、その令嬢が来るまで中に入って待つ?」
「泰造、おめえ・・・。」
「何?」
「アメリカで成功してちっとばかし小金を稼いだらしいが、まだまだてえしたことねえな。」
「オジさん、それはどう言う意味?」
少し気色ばんだ泰造に、前田町は歌陽子の右腕を掴んで、彼の目の前に突きつけた。
「う、うわあ。ロレックス!しかも100万くらいするやつ。」
「どおでえ、この嬢ちゃんが誰だか分かったか?」
強く掴まれて痛かったのか、腕をさすりながらも歌陽子は恥ずかしそうに自己紹介をした。
「あの、私が東大寺歌陽子です。」
(#13に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#11
プログラマー
それから、数日後。
前田町、野田平、日登美の3人は歌陽子(かよこ)の作成した提案書を覗き込んでいた。
感覚派の前田町、野田平に対し、理論派の日登美が一つ一つの項目にチェックを入れていった。
「まあ、ざっとこんなものでしょうか。」
赤ペンで一通りの添削を終えた日登美は、根を詰めて硬くなった右肩を上下に動かして凝りをほぐそうとした。
「どれ、見せてみな。あ、真っ赤じゃねえか。できの悪い生徒だなあ。」
「まあ、野田平くん。彼女はまだ社会人一年生なんだし、頑張っている方ですよ。なんと言ってもやる気があるのがいい。」
さっきから、落とされたり、持ち上げられたり、聞いている歌陽子の顔もその都度泣きそうになったり、笑顔になったり、クルクル変わる。
「まったく、おめえ、さっきから百面相かよ。泣くか、笑うかどっちかにしろ。」
「そんな、私、さっきからそんなに変な顔をしてました?」
歌陽子は自分の顔をさっと両手で覆って表情を隠そうとした。
「まったく、顔の筋肉が緩すぎるんじゃねえのか?何考えてるか丸わかりだからな。」
そこで前田町が話を引き取った。
「でだな、やっぱり実際に動くもんがどうしてもいるわけだ。しかも、後2ヶ月足らずの短え間でやっつけなくちゃなんねえ。
機械の方はなんとかするとして、あとは嬢ちゃんのシナリオ通りに動かすなんてこたあすぐにできっこねえ。」
「ならば、自作自演ですね。」
「おうさ、さすが日登美先生、よくわかっているぜ。」
コンピュータ制御の専門家の日登美には前田町も一目置いていて、ことあるたびに「先生」と持ち上げる。
「言ってみりゃ、シナリオに沿って機械を演技させて、人間がそれにあわせりゃ、いかにもロボットが自立駆動しているように見えるわけだ。だが、そんなプログラムを書けるやつは滅多にお目にかかれねえ。」
「日登美さんでも難しいんですか?」
心配になって歌陽子が尋ねた。
「まあ、もう一人の日登美なら可能かもな。」
すると、日登美が少し困った顔をした。
「あ、うちの・・・ですか?」
「おうさ。」
「でも、うちの息子は今アメリカですよ。」
「何すっとぼけてんだよ。今度の新作は来月公開だろ。だから、次の製作まで日本でゴロゴロしてる頃だろ。」
前田町に突っ込まれて日登美は頭を掻いた。
「いやあ、前さんの炯眼には参ります。」
一人話について行けずにいた歌陽子が前田町に尋ねた。
「あの、日登美さんの息子さんって何やっている人ですか?」
「ああ、日登美の息子は、ハリウッドの有名アニメーションスタジオで、CGのプログラミングをやってるのよ。いわば、何かを人間っぽく動かす専門家なのよ。
ほらっ、あのバケモンがたくさん出てきて、寝てる子供を脅かすアニメがあるだろ。あれも製作チームに入っていたって話だ。」
歌陽子はみるみる間に目を丸くした。
「あの、『ゴブリンズカンパニー』ですよね。私、大好きでした。凄おい。」
「やっばりか、前からアニメオタクっぽいとおもっていたんだ。」
また、例によって野田平が水をさす。
しかし、歌陽子はまったく取り合わずに喋り続けた。
「そんな凄い人が手伝ってくれたら、ぜったいうまく行きますよ!日登美さん、是非お願いします。」
歌陽子の盛り上がりに対して、日登美は渋い顔を作って言った。
「ですがねえ。我が不肖の息子は私の頼みなんかまったく聞かないんですよ。」
「まあよ、日登美の先生もよ、歳行ってできた子供だからよ。ちっと過保護に育てちまったんだな。
だけど、それでとんでもねえ悪ガキになって、悪さしちゃあ、警察の世話になっていたんだな。
それで先生、ついに持て余して身一つでアメリカに追い出しちまった。
まだ、18のガキをだぜ。
だが、日本からの仕送りを元に本場のCGを勉強して、今や日本人じゃ屈指の新進気鋭のアニメーター様よ。
それで一旗あげて、たまに日本に帰るんだが、家には帰らねえ。都内のマンションでずっとゴロゴロしてるって訳だ。」
バツが悪そうに日登美は、
「結局、父子の断絶です。一生懸命仕送りをしたのに、息子との溝は埋まりませんでした。
でも、歌陽子さん、あなたが頼めば別かも知れませんね。」
「そうだな。ビッグネームじゃ、嬢ちゃんも引けを取らねえからな。
せいぜい気張って行ったらいいぜ。」
いつの間にか、また歌陽子は面倒臭いことに巻き込まれたようである。
(#12に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#10
出来レース
「そりゃ、そうだろうな。野田平のヤツ、ジジイの癖して未だに親離れしてねえからな。
子供の頃の品行方正で、可愛らしかったイメージが崩せねえんだろうぜ。」
「ですよね〜。いきなり『僕』なんて言うからビックリしました。」
事務所で盛り上がっている前田町と歌陽子(かよこ)の二人、魚はモチロン野田平だ。
最初は無難に野田平の母親のことだけを報告していた歌陽子も、あまり巧妙に前田町が水を向けるものだから、ついつい母親の前でいい子ぶっていた野田平のことを喋ってしまった。
「あ、嬢ちゃん、危ねえ。」
「え・・・?」
ガツン!「あ痛あ!」
事務所の向こうで朝から居眠りを決め込んでいた野田平が、いつの間にか目を覚まして側に立てかけてあったモップの柄で歌陽子の頭を思い切り引っ叩いたのだ。
「痛あ!あ、頭が割れたらどうするんですか?」
頭を抱えてうずくまりながら歌陽子は悲鳴を上げた。
「やかましい。あんだけ黙っとけと言っただろ。」
「ひどおい。野田平さんが、お母様の前で泣いてたなんて一言も言ってないじゃないですか。」
「は?野田平、おめえ、泣いてたのかよ?」
「あ、ごめんなさい。」
「もう、勘弁ならねえ!手打ちにしてやるからそこになおりやがれ!」
「え?え・・・?」
これは本当に殺されそうである。
しかし、そこに前田町の助け船が入った。
「まあ、許してやんねえ。のでえら。」
「だけど、こいつよう。」
「そろそろ来る頃だからよ。」
「何が?」
トゥルルルルルルル。
その時、歌陽子の机の上の内線が鳴った。
「ほら、来た。嬢ちゃんには、もっとキツイ一発がよ。」
歌陽子はしたたかにぶたれた頭をさすりながら、受話器を取った。
ガチャ。
そして、「はい、東大寺です。」と喋りかけたその声が途中で上ずった。
「あ、ぶ、部長!」
そう、開発部の課長に取って一番怖い人、直属の上司の開発部長だった。
「あ、はい。そうです。・・・そのつもりです。・・・もちろん、ちゃんとやります。
はい?・・・大丈夫です!
はい、前田町さんたちも協力してくれます。
・・・本当です!
今では、いろいろと助けてくれます。
・・・はい。
もちろんです。
・・・分かりました。
今週中には、企画書を提出します。
・・・はい、分かりました。
では、失礼します。」
ガチャ。
はああ。
受話器を置いて歌陽子は大きなため息をついた。
「なあ、川内だろ?」
「はい、川内部長でした。」
「あいつ、若え頃散々俺が仕込んだから、強面だけはピカイチなのよ。」
「え?川内部長が怖いのは前田町さん仕込みですか?はああ・・・道理で。」
「で、なんだって?」
「はい。いきなりロボットコンテストのことを聞かれました。今度のロボットコンテストに参加するつもりなのかって。」
「なるほどなあ。昨日、嬢ちゃんたちが出かけている時に本館が騒がしかったからよ。おそらく、嬢ちゃんのムラ何とかっていう足長おじさんがちゃんと仕事したってことだな。」
「足長おじさん?」
「はっはっは、今の若え娘が知るわけねえか。だけど、つまり嬢ちゃんのオヤジさんがうちに連絡して来たってことだろ?今度のロボットコンテストに顔を出すから日程を教えろとかなんか。」
「お父様が。」
「ああ、それで今まですっかり盛り下がって今年あたりで止めようかとか言っていたロボットコンテストを、是が非でもやらなけりゃならねえってことになった。
だが、何で東大寺のオヤジがロボットコンテストなんぞに興味を持ちやがったか、考えたんだろうぜ。
そこで思いつくのは、嬢ちゃんがムラ何とかにしつこく介護ロボットのこと聞いてたことだ。しかも、それを重役連中がその場で聞いていた。
そんなこんなで、東大寺の小娘がオヤジを動かしてなんかしようとしてるってこたあ、誰でも考えつくわな。」
「はあ、バレバレかあ。」
「まあ、しゃあねえ。こうなるこたあ、全部織り込み済みよ。」
「でも・・・でも何故私がロボットコンテストに参加するって知っていたんだろ。」
「ああ、それか。昨日、社内一斉にロボットコンテストの参加者募集のメールが流れたんで、俺が嬢ちゃんの名前で申し込んどいた。しかも、しっかり『自立駆動型介護ロボット』でな。まあ、言わば戦線布告よ。」
ゴクリ、と歌陽子の生唾を飲み込む音がした。
「戦線布告・・・ですか。」
「おうよ。会社はあまり乗り気じゃねえんだし、役員会でもどうやって東大寺の圧力をはねつけようかって考えているところへ持って来て、うちの一社員がそのものズバリの『自立駆動型介護ロボット』を当てて来るんだもんな。相当役員会も頭来たろうぜ。」
ああ、私なんてことを始めてしまったんだろ。
「だけどよう、出した相手が東大寺の娘っ子だ。オヤジさんと示し合わせているって考えるのが普通だし、言ってみりゃ、身内に盗人の手引きをされるようなもんだぜ。
後は東大寺の手前、是が非でも嬢ちゃんに優勝させなけりゃ示しがつかねえ。だからって、下手なもん出されちゃ、優勝させようにも、社員が怒り出すのが目に見えてる。
つまり、嬢ちゃんには、誰が見てもいい仕事をして貰わなけりゃならねえってことだ。」
「つまり、出来レースってことです。」
いつからいたのか、日登美が不意に口をはさんだ。
「日登美さん。」
「仕方ねえだろ。嬢ちゃんとオヤジさんでここまで段取り組んじまったんだ。あとは毒を喰らわば皿までってな。
心配すんな。あとは腕力でねじ伏せりゃいいのよ。」
なんとも、頼もしい前田町である。
(#11に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#9
回答
「あのよ、・・・カ・・・ヨ。」
「え?何ですか?」
「有難うな。その、お袋喜んでたからさ。」
「あ・・・、いえ、いえ、いえ、そんな。私、自分のためにしたことですから。」
野田平に面と向かって礼を言われて、歌陽子(かよこ)は逆に慌てた。
「まあ、何て言うか。お袋が一人で頑張って俺ら兄弟四人育て上げた訳だし、だがな、情けねえかな、親は10人の子を養えど、子は一人の親を養えずってやつだ。最後をあんなところで過ごさせなきゃなんねえのは、情けねえよな。」
「でも・・・。」
やたらシンミリした野田平を半分からかうように歌陽子は言った。
「野田平さん、まるで別人でしたね。『僕』なんて言ったりして。」
ガスッ。
「痛あい!何でグーで殴るんですか?」
「やかましい!要らねえこと言うんじゃねえ。おかげで、礼を言って損した気分になったじゃねえか。」
「もう、前田町さんたちに言いつけてやるから。」
ガスッ!ガスッ!
「クウ〜ッ。」
「もう一言も喋んな。今日見たことは皆んな忘れろ。いいな!グズメガネ。」
もう罵るわ、殴るわ。
初老の男性と若い女性の不似合いな二人の取り合わせのおかしな掛け合いに、ドライバーが思わず声をかけた。
「お客さんたち、仲がいいねえ。親子ですか?いや、おじいさんとお孫さんかな?」
「こら、誰がジジイだ!」
おじいさんと言われて野田平が思い切り凄んだ。
ここは施設からの帰路の駅まで向かうタクシーの中だった。
結局、施設を辞したのは夜の8時だった。
野田平の母親を散歩に連れ出し、深まる秋の林の中を散策した。そして、立たなくなった足を支えながら、実際自分で歩いても貰った。
施設に戻った後、少し休みながら話相手にもなった。母親は、なんでもニコニコしながら聞いてくれる歌陽子に心を開いて、思いついたどんな他愛ないことも嬉しそうに口にした。
やがて、穏やかな時が流れ、入浴、そして食事の時間となった。
入浴中は、なるべく職員さんの仕事の邪魔にならないようにしながらも、母親に付き添い、話しかけたり身体を洗う手伝いをした。
お風呂から上がった母親が楽な浴衣を着て、また部屋に戻ると、そこには夕食の準備が出来ていた。
しかし、夕食を目の前にしても母親は手をつけようとしなかった。
やがて食事担当の職員が来て母親の前に座ると、スプーンを使って母親の口に食事を流しこみ始めた。
母親は口に食事を入れてもらうたび、機械的に口を動かし、何回か咀嚼してやがて飲み込んだ。
それを見ていた歌陽子が聞いた。
「あの、私、お手伝いして良いですか?一応二級の免許は持っています。」
少し職員は戸惑った顔をして、野田平に目で確認を求めた。それに対し、野田平は深く頷いて同意を示した。
それで、職員が場所を変わると、歌陽子は鉄のスプーンの代わりに箸を取って、母親の手に握らせた。
そして、母親の手に歌陽子の手を添えると、
「お母様、どれが食べたいですか?」
と聞いた。
母親は自分で箸を動かして、魚の煮付けを口に運ぼうとした。しかし、思うに任せない手ではうまく箸で挟むことができない。
歌陽子は、母親がしたいことを汲み取って、添えた手で箸を動かした。魚の煮付けを食べたいだけ箸で切り分け口に運ぶ。すると、母親は自分で食べているかのように満足げな表情を浮かべながら一口一口噛みしめて味わっていた。
タクシーで、歌陽子は野田平に今日のことを説明した。
「本当は施設の人だって、私たちみたいに一人一人話相手になったり、付き添って自分の足で立って貰ったり、自分の手でお箸で食べてもらう方が良いのは分かっているんです。
でも、施設に対する予算も職員さんの数もあまりにも足らないんです。
私、今日はそれを確かめに来たんです。」
「だがなあ、お袋を世話になっている立場としちゃあ、俺は職員の皆さんはよくやってくれてると思うぜ。」
「です・・・よね。ほんと、お仕事に口出しばかりして、あの後職員の方にはすごく謝っておきました。」
「職員だって、本当はやってやりたくてもやれないから悔しい思いをしてるんだろうよ。」
「だから、それを少しでもロボットでできるようにするのが私たちの仕事だと思うんです。」
「なるほど、ふわあ・・・それがあんたの出した答えだってことだな・・・。」
「はい。ん?あ、野田平さん、寝ちゃダメですよお。もうすぐ駅に着きますよお。」
(#10に続く)
成長とは、考え方×情熱×能力#8
一番嬉しいこと
「じゃあ、お母様。ちょっと外に出てみませんか。」
歌陽子(かよこ)は野田平の母親を散歩に誘おうとした。
頃は、秋の深まりゆく時季である。
窓辺からも、少しずつ色づき始めた木々の葉や、民家の軒先の鮮やかな橙色の柿が目に映えた。秋の心地よい風が頬を撫でる。
まだ、日のあるうちに施設の周りを一緒に歩けばどんなに気持ちが良いだろう。
「そうだねえ。なかなか職員さんに悪くて頼めないけど、今日はあなたがいるものね。
悪いけど甘えてみようか。」
「はい。」
歌陽子は、短かく気持ちの良い返事をして、母親がベッドから起き上がるのを手伝おうと身体を寄せた。
そっと上半身を支えて、傍の車椅子にゆっくりと導く。
ただベッドから車椅子に腰を動かすだけの簡単な動作でも、老婆にはたいへんな努力が必要だった。しかし、歌陽子の細い腕に体重を預けながら、少しずつ車椅子へと身体を移して行った。
そして、車椅子に腰を落ち着けると「ふうう」と大きな息を吐いた。
一方の歌陽子も額に大粒の汗を吹き出していたが、上気した顔を彼女に向けてニコッと笑いかけた。
それを感心して見ていた野田平が、
「へえ、おめえ、うめえもんだな。ひょっとして本職か?」
と尋ねた。
「違いますよ。でも、短大の時にホームヘルパーの2級免許を取ったんです。」
「全く、お嬢様にしとくにゃ勿体無いねえぜ。」
「光栄です。」
車椅子を押して部屋からエレベーターに向かった。そのままエレベーターで一階に降りて、玄関の受付で簡単に散歩の許可を貰う。
そして、玄関から秋の柔らかな日差しの中へと車椅子を押して行った。
施設は林と隣接しており、林の中へと続く小道が整備されていた。林からは少しずつ赤みが増した光が漏れ、遠くで百舌の鳴き声がした。
「兎追いしかの山〜」
歌陽子の口からは自然に子供のころ教わった唱歌が漏れた。
それに、嬉しそうに目を細めた母親が続いた。
「小鮒釣りしかの川〜」
そして、二人はそっと声を合わせた。
「夢は今もめぐ〜りいて 忘れがたき故郷〜」
小さくて静かな合唱が林に流れていた。
野田平はどうしていたろう。
なぜか彼は二人から少し距離を置いて立っていた。
ひょっとして、やけに涙腺が緩くなったところを歌陽子に見られたくなかっただけかもしれない。
「あ、ああ、きれい。」
林の片隅に身を寄せあうよう実をつけた真っ赤なさんざしに、母親は感嘆の声を上げた。
「お母様、ご自分で歩いて手にとってみられますか?」
「え、ええ。そうできたら、どんなに嬉しいかしら。でもね、皆んな私が転んだらたいへんだからって、歩くのを止めるんだよ。」
「大丈夫、私が手を持っていますから。」
「え、ええ。まあ、まあ。」
戸惑いながらも嬉しそうに腰を浮かせかかった母親に、野田平が心配して声をかけた。
「母さん、無理をしてはいけないよ。」
「大丈夫です、さ、手を私の肩に回してください。」
歌陽子は肩を貸して母親を立たせると、安心させるように優しく腰に手を回してそっと支えた。
「はい、はい、はい。後少し。」
歌陽子は声をかけながら、母親にさんざしの枝まで歩かせ、そして間近で手に取らせた。
そして母親の手に優しく歌陽子の手を添え、さんざしの枝をぽきりと折ると、老女の手に握らせた。
「自分の足で歩けるのって嬉しい。こんな気持ちの良い日は久しぶりだよ。」
大事そうにさんざしの枝を手に握った母親は、また歌陽子に導かれて車椅子に腰を据えた。
そして、しわだらけの手で歌陽子の小ぶりの手と、さんざしの枝を代わる代わる愛おしそうに撫でていた。
「正憲。」
「はい、母さん。」
「お前はいい生徒さんを持ったねえ。」
そこで野田平は少し胸を張って、
「もちろん、僕の学生ですから。な?」
野田平に振られた歌陽子も満面の笑みで返事を返した。
「はい。」
(#9に続く)