今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

マーケットインよりハートイン

(写真:柿田川の流れ その5)

マーケットインとプロダクトアウト

マーケティングの言葉に、「マーケットイン」と「プロダクトアウト」があります。
「プロダクトアウト」はモノづくりを優先する考え方です。
製造業で一時代を築いた日本人は、どうしても良いモノを作れば売れると考える傾向あります。
いろいろ興味を持って製品のカタログを取り寄せた時も、ハードならスペック、ソフトなら機能一覧を書き連ねたものが殆どで、その製品でどう私たちの課題が解決されるかを知りたいのに、その情報は驚くほど発信されていません。
対して「マーケットイン」は、市場を調査して、顧客のニーズを掴み、そのニーズに合ったものを提供することです。
言わば、「プロダクトアウト」はどこに顧客がいるかを考えず、「こんな製品がありますよ」と告知して、あとはひたすら買いに来てくれるのを待つことです。
「マーケットイン」は、製品が出来上がった段階で売るべき対象が分かっているので、こちらから顧客を見つけてアプローチすることが可能です。

欲しいものは何

かのドラッカー先生は、「企業の目的は、顧客の創造である」と言いました。
顧客を創造するとは、顧客がお金を払っても良いと思えるものを知ることから始まります。ですから、まさに「マーケットイン」の定義にそのものです。

でも、最近これが難しくなっている気がしませんか?
なぜなら、自分自身振り返っても何が欲しいか本当のところが分からないからです。
モノが溢れて、スペックを問わなければ、いくらでも、いつでも手に入る状態です。
すぐに欲しければスーパー、安く手に入れたければ百円ショップ、深夜に欲しくなればコンビニ、お取り寄せが必要ならばネットと、私たちは今巨大な食料棚か倉庫の中に暮している状態です。
そこに、ピンポ〜ンと玄関にセールスマンが来ても、「間に合ってるよ!」が常套句になってしまいます。

心に響かせる

では、私たちが進んで買おうと思うのはどんな時でしょうか。
もちろん、必要なものなら買うのは当然です。しかし、必要は低くても「欲しい」と思うことはあります。
年末テレビを見ていたら薄型で、とてもカッコいいノートパソコンのCMが流れていました。黒とゴールドを基調にした高級ライターか万年筆のような風格のあるパソコンで、心をぐっと掴まれて、思わず「欲しい!」と思いました。それは、ヒューレットパッカードの年末限定モデルで、早速HPのウェブサイトで調べたら20万近くするのに、すでに品薄でした。
残念ながら、私は予算に合わないので諦めてLenovoにしましたが、購買欲を掻き立てられた良い事例です。
つまり、ぐっと心に響く何かがあれば、人はいとも簡単に財布の紐が開くのです。

「かっこいい」「美味しそう」「泊まってみたい」「見てみたい」「体験したい」「乗ってみたい」

これらは全て私たちの心が動いた時です。では、どうすれば、私たちは心を動かされるのでしょうか。

ハートインを目指す

顧客のニーズを探して、そのニーズに合わせてモノを提供するのが「マーケットイン」です。
しかし、ある程度のニーズは既存の仕組みで十分満たされます。そして、さらに「欲しい!」と言うウォンツを生むためのキーワードは「共感」です。

例えば、高級寿司店。
寿司屋は別に行かなくても普通に生活できます。ましてや、それが高級となれば、ますます庶民の私たちからは縁遠い存在です。
ニーズから言えばかなり低いでしょう。
しかし、知り合いから、こう言われたとします。

「あのさ、新宿にある◯◯寿司って知ってる?いっぺん行ったら良いよ。
いろいろお寿司は食べたけど、いままであんな美味しい寿司は食べたことなかったよ。しかも、食事代は普通のお寿司屋さんより安いんだから、びっくりしたよ。」

思わず、ヘェ〜、となりますよね。
そして、「ねえ、ねえ、そこは何処?」と聞きたくなります。
それは、そのお寿司屋さんを紹介してくれた知り合いの体験に共感しているのです。そして、自分も同じような、その美味しい体験をしたいと心が動きます。
それは、単にコマーシャルでの見せ方だけでなく、その製品やお店、旅館自身に価値があるからです。
逆に言えば、日本のお家芸の「プロダクトアウト」の面目躍如で、モノづくりにこだわって作り込んでいるからこそ、製品や場所、そして顧客体験に力があります。
そして、一番スペックを発揮できる場や環境で顧客に体験をして貰います。すると、心掴まれた顧客が自ら動き、さらに顧客が顧客を呼びます。
それを、「マーケットイン」ならぬ、「ハートイン」と言います。まさに、その「共感」こそが、「ハートイン」の真骨頂なのです。

即時着手、即時処理

(写真:柿田川の流れ その4)

積み上がる仕事

ちょっと油断しているだけで、たちまち膨れ上がるもの。
それは、机の上の未処理の書類。
自分の場合、未処理の仕事は一箇所に決めて分散しないようにしています。
なぜなら、あちらこちらと置き始めたら、あっちにも一山、こっちにも一山とたちまち収拾がつかなくなるからです。
だから、常にポケットは一つ、そこだけ見てこれからやるべき仕事を把握しようとします。
そのタスクは様々で、バインダーに綴じたり、目を通して次の人に回したり、必要事項を書き込んでFAXで送ったりと、ついでの仕事がほとんどです。
でも、ついでだから、すぐ終わるからと油断していると、その小タスクが結構積み上がってたいへんなことになります。
そうすると、手をつけるのが億劫になり、だんだん書類の山が積み上がって、向かいの席の人が崩れるのを心配し始めます。それで仕方なく、半年分まとめて処理しているのが本当のところです。
おそらく、その中には既に期限切れになった有用な情報も含まれていることでしょう。

一番費やしている時間

メールでもそうですよね。少し油断しているとたちまちメールフォルダに何十、何百と溜まります。
後で、なんて考えていたらたいへんです。気がついた時に要るもの要らないものをより分けておかないと、要返信の大事なメールまで埋もれます。後で気がついたら冷や汗ものですし、お詫びのメールや電話で何倍もパワーがかかります。
そんなこんなで、処理のルーチンを適切に回さないと、一の仕事が十にも二十にもなります。それに、まとめて記憶を辿りながら処理するから効率も悪いこと甚だしいのです。
でも、ついつい後回しにする原因は、仕事と仕事の切れ目の時間が長いからで、なかなか次の仕事に頭と気持ちを切り替えることができず、億劫さが手伝って無駄な時間を過ごしてしまうからです。
そうすると、急ぎの仕事にお尻を蹴飛ばされて、至急の仕事だけで毎日が過ぎて行きます。後は、急ぎでないけど重要な仕事、あるいは重要でない仕事は後に置き去られます。
それで、かなり機会損失をしていると反省しきりです。もし、仕事の仕掛かりまでの時間を有効に使えば、自分の仕事の中身は相当変わるでしょう。

即時着手、即時処理

うだうだ考えたり、悩んでいる暇があれば、まずは取り掛かる。
気の重い仕事があれば、すぐ手をつけられて終わる仕事を先に片付ける。
もちろん、試験勉強前の部屋の掃除のように、今やらなくても良い仕事は論外ですが、どうせ今日やらなくてはならない仕事なら、次の仕事に頭が切り替わる時間を使って片付けたら良いのです。
仕事が一つでも片付けば、その分気持ちが軽くなりますし、また小さな達成感があるので、次の仕事に取り掛かろうと言うモチベーションにもなります。
即時着手、即時処理。
すぐに手を付け、すぐに終わらせる。
それを意識すれば、手待ちの時間を有効活用できるのではないでしょうか。

手付けの効用

しかし反面、小さな仕事の達成感ばかり求め過ぎると、雑務の作業ばかり優先するようになり、『急がないけれど、大切なこと』がおろそかになります。
『急がないけれど、大切なこと』とは、今日明日に問題になることではありませんが(あるいはそう思い込んでいる)、近い将来、例えば5年後や10年後は確実に問題になることです。
例えば、個人ならばキャリアパスの形成や、人生設計に関すること。健康づくりのダイエットなども該当するかも知れません。
会社ならば、ビジネスのパラダイムシフトをいつまでに成し遂げるのか、事業の拡張をいつまでに達成するか。
国ならば財政再建や、外交問題の解消。
人生ならば、終幕に悔いない生き方をする。
そして、あと5年後とか、10年後とか先に目標を置いて達成目指して頑張ろうとします。しかし、考えてみれば何年経っても、その期日は「5年後」であったり、「10年後」のままではないでしょうか。
本来ならば、1年経てばあと4年、2年経てばあと3年と期間は縮まるはずが、いつまでも「あと5年」では、スタート地点で足踏みしていると言われても仕方ありません。
つまり、毎日の雑事に忙殺されて、それで満足してしまい、人生の大きな目標を見失っているのです。
しかし、そう言うと心の声が聞こえて来ます。

「そうは言っても簡単じゃないし、そうそう手がつかないよ。」

それはもちろん本当です。
いきなり、10キロも痩せたり、海外で活躍できたり、100億円企業になったり、国の借金がゼロになったりはしないでしょう。
でも、間違いなく言えることは、まずは始めなくては、そしてやり続けなくては、決して達成することはありません。
画期的な痩せ薬ができたり、海外赴任の辞令を貰ったり、ヒット作をバンバン飛ばしたり、国の税収が3倍になることもありません。
まずは始める。失敗しても、不恰好でも、成果がほんの少しであっても。
そして、やりながら身につけた知見をもとに行動を変えて行くのです。
そうして、少しづつでも近づいて行けば、大きな目標も夢ではありません。
要はすぐに始められて、毎日継続できるところまで仕事の粒度を落とすことです。
怠惰な自分だからこそ、工夫してたゆまぬよう努めたいと思います。

コトと仕組みで初めて動く

(写真:柿田川の流れ その3)

モノとコト

『モノづくりより、コトづくり』がスローガンのように言われ始めて、久しく経ちます。
製造業が日本の産業の花形だった時代、欧米より低コストで品質の良いものを生み出していたので、消費者はこぞって手に取りました。今でも、国産と聞くと半ばブランド的にその質を信頼するのは、その時代の名残でしょうね。
そんな時代は、まず良いものさえ作れば売れたので、『モノづくり』は勝てるビジネスモデルでした。
しかし、ご存じの通り、消費者である私たちは豊かさに慣れ、消費は多様化して行きました。
車一つとっても、「皆んなが乗っている良いので車だから自分も乗ろう」と言うより、「自分だからこの車に乗ろう」とそこに自分なりの物語を求めています。
例えば、カラーバリエーションにこだわったり、メーカーのスペックに賛同したり、あるいは買い物に便利なようにとか、介護に都合が良いようにとか、課題解決で車種を選定します。
つまり、消費者の課題やそれが解決した時のビジョン、あるいは特別な物語に訴求するのが『コトづくり』です。

モノにとらわれているとコトは生まれない

『モノづくり』は『ニーズ』、『コトづくり』は『ウォンツ』と翻訳できるかも知れません。
『ニーズ』は、今現に求められているものです。だから、作りさえすれば買い手がいます。
ソフトウェアの世界で言えば、会計、給与ソフトがそれに当たります。
会社にとって、会計、給与ソフトはどこでも必要です。小規模事業者が、会計士や社労士に業務を委託している場合を除けば、一定以上の規模の会社なら、必ず導入されていると言って良いでしょう。
「ならば、うちも会計、給与システムを作って売ろうか」、そう今から後発組が考えるかと言えばそれは違います。
なぜなら、会計、給与のような業務系システムは、O社やY社のような大手ベンダーがシェアのほとんどを占めているからです。
たくさん顧客がいれば、高機能の製品を信じられない低価格で提供することが可能です。
それは、例えば一億円の開発費を、10社で負担すれば一千万円ですが、一万社で負担すれば一万円になるからです。
ここに『ニーズ』、つまり『モノづくり』の一筋縄でいかないところがあります。
しかし、この牙城に噛み付いたスタートアップがありました。それは、無料クラウドソフトを提供している事業者です。
そして「会計ソフト」と「無料」と言う、一見結びつかないワードでいきなり登場しました。
正直、二つの点で疑心暗鬼を生みました。
1、そんな無料の会計ソフトなんて使い物になるの?
2、企業情報を見も知らぬ事業者に預けても良いの?
でも間違いなく、消費者の関心を引きました。
会計処理は大切ですが、決して利益を生むものではありません。ソフト費用は、いわば必要経費なので安ければ安いに越したことはありません。まして、それが無料なんて!
そして、その時消費者の『ウォンツ』がくすぐられ、『コト』が動き始めました。

安寧に地をつけているとコトは動かない

私も実際にこのクラウドサービスのアカウントを持っています。
そして、たまに開いて見ています。
最初のころ見たイメージはあまりハッキリと覚えていませんが、家計簿ソフトのよくできた版かなと思った記憶があります。
ひょっとしたら、法人/個人版の個人の方を見ていたかも知れません。
そして、今改めて見直してみると、取引、入金、支払、振替などいろいろな会計のシーンに合わせてメニューが作られており、専門の経理マンでない私からは結構いけるように思えます。
それにクラウドは、電話のサポートサービスはあっても、基本はお客さんが自分で理解して運用しなければなりません。そのため、直感的に動かせるようによく考えて作られています。
また、決算書類や請求書まで出せてしまうので、日本の大多数をしめる小規模事業者はこれでこと足りるでしょう。
さらに、外部のエクセルやPDFファイルからの仕訳の取り込みを対応し、果てには銀行と協業して、会計データをもとに融資審査までする仕組みを整えています。
それで、本格導入を決めても、月額1980円とか、3980円で済んでしまうのですから驚きです。
それをこの数年のうちに成し遂げています。その急成長の源はなんと言ってもそのスピード感です。フリー版でこうして欲しいと声が上がればすぐに修正しアップロードする。新しいビジネスモデルを思いつけば、すぐに取り組んで実現する。
常に検討、常に改善、常に提供。
投資判断をして、製作に何年もかけ、リリース後一定期間をかけ回収という従来のルーチンワークから完全に外れています。

コトと仕組みで初めて動く

このクラウドサービスの『ウォンツ』つまり生み出した『コト』とは何でしょうか。
それは、最近ネットの世界で増えてきたフリーランスや、あるいはECをメインにしている小規模事業者の、会計ソフト未満、エクセル以上の業務を効率的に行える仕組みを提供することです。
そして、ターゲット層がそこである以上は、それに合わせた価格帯でなければなりません。
当然、販売や、販売に伴うパッケージングや出荷コストはかけられません。
すると当然クラウドで、お客さんが自律的に運用できる仕組みを選ばざるを得ません。
いやむしろ、クラウドの仕組みが広がるにつれ、逆発想的に生まれたサービスかも知れません。
正直言えば、私たちパッケージベンダーから言えば非常に気になりますし、注目したい会社です。なぜなら、近未来のソフトウェアの提供形態を高い精度で暗示しているからです。
そして、今市場を席巻している大手ベンダーも、そこへ行くか、あるいは消え去るかの選択を迫られるでしょう。もし、従来通りのビジネスモデルが可能とすれば、それは単なる時間差の問題なのです。
『モノづくりよりコトづくり』
それを見事に体現したこの会社を今後とも注目して行きたいと思います。

ハープを演奏することによってハープ奏者になる。それと同じように、私たちは正しい行いをすることによって正しい人間になる。

(写真:柿田川の流れ その2)

私たちは何者か

私は何者か?
そんな問いは、あえてするまでもないでしょう。
自分は男性、日本人、会社員、中管理職、妻ひとり、子供もひとりとか、私なりのアイデンティティはみんな自覚があります。

対して、人からの評価もとても気になります。いい人と思って貰いたい。しっかりした人に見られたい。残念な人に思われたらどうしよう。
もし、人前で笑われたり、叱られたりしたら苦になって苦になって、とても眠ることも、食事をすることもできません。
今、私たちはネットに割と無防備に個人情報をさらし、また個人的意見を発表しています。そうすると、それを目掛けて大勢の人間が押し寄せて厳しい言葉で攻撃をするかも知れません。いわば炎上です。それで、自分の心が深く傷ついて自殺する人も現れます。
つまり、それほど他人の評価に命がかかっています。
それも、ひとえに人の評価が自分のアイデンティティすら決めると思うからです。

行動が私たちを決める

しかし、同時に人の評価ほど当てにならないものはありません。
最近評価を上げた人と言えば、北朝鮮の金正男氏です。残念ながら、本人はその評価を聞くことはできませんが。
以前東京ディズニーランドに行こうとして偽造パスポートがばれ、本国に強制送還された時は、日本のマスコミがこぞって「金一族の穀潰し」みたいな書き方をしていたのに、いざ暗殺されてみれば、「民主化を志した」「世襲に疑問を持っていた」等の言動を取りげて、すっかり「某国の良心」的な扱いです。
別に正男氏の何が変わった訳ではありません。ただ、その時、その時でマスコミは大衆受けのする評価をしているに過ぎません。
まさに、禅僧一休の言うように「今日褒めて明日悪く言う人の口、泣くも笑うも嘘の世の中」であります。
人の評価が当てにならない中、自分が何者であるかを何によって知ったら良いのでしょう。
アリストテレスは、

「ハープを演奏することによってハープ奏者になる。それと同じように、私たちは正しい行いをすることによって正しい人間になる」

と言いました。
ハープを演奏する人がハープ奏者ならば、正しい行いをする人が正しい人間です。私が正しい人間かどうかは、正しい行いをしているかどうかで分かります。

真似でもせよの真意

自覚あるなしに関わらず、私たちは正しい人間でありたいと思います。
では、なぜ私たちは正しい人間になりたいのでしょう。
それは、やはり褒めて貰えるから。あるいは、人やお金に恵まれるから。
もちろん、それはわかりやすい結果ですが、そこまで生臭いことを考える人は希でしょう。むしろ、漠然と幸せになれるからと考えるからだと思います。
それは、反対に「悪党!」「人でなし」と人から罵られたら悪果が怖いですよね。
「良い人だ」「立派な人だ」と言われたら、特に意識をしなくても未来の善果が思われ嬉しくなります。まるで、目の前がパッと開けたようになる気持ち、覚えありませんか。
もちろん、正しいことをしているかと言って、「善人」とは言わないのが世間です。
むしろ、「善人ぶっている」「偽善者だ」「売名行為だ」と言われたくなくて、勇気をが出せずにできない善行はたくさんあります。
でも人の評価に関わらず、良い種まきが、良い結果をもたらすことは曲がりません。
良い人間であるかどうか、そして未来善果に恵まれるかどうかは、今の自分の良い種まきにかかっているのです。
だから、まずは良い行いをする人に親しんで「真似でもせよ」と言われます。

善心の源

そこだけ真似しても意味がないのでは?
付け焼き刃では、何にもならないんじゃないのか?
普通、そのように思えます。
しかし、少しでも良いことを真似することが善心の源になります。
例えば、グチャグチャに散らかった部屋の中、外から覗かれると恥ずかしくて、見える部分だけ片付けたとします。
人から見える部分だけ取り繕って浅ましい、と思うかも知れません。
でも、少しだけ片付けたところが気持ち良いと思えば、あともう少し片付けたらもっと気持ち良いだろうと考えます。そこでもう少し片付けてみたら、またもう少し片付けたくなって、部屋の半分ほど片付けたら、もうあと半分も頑張って片付けようと勢いがつきます。
そんな話、なんだか心当たりありませんか。
実は、ぜんぜんちゃんとしていないのに、たまたままとめ役に抜擢されて、人前だけでもちゃんとする必要があるとします。
人前のカッコつけの自分と、普段のぐだぐだの自分、あまりのギャップに心が痛む。
それで、少しづつ良い方へと引きずられて行きます。
だから、まずは真似から、フリからです。
そのために、良い縁を求めて、正しい人に親近したいものです。

いっそ愚直に(後編)

(写真:柿田川の流れ その1)

開眼

「シュリハンドクよ。そなたに仕事を与えよう。箒で一心にこの場所を掃くのだ。そして、こう唱えよ。
『チリをはらわん、アカをのぞかん』と。」

与えられたのは、わずか数部屋ほどの狭い場所であった。
しかし、その日からそこが私にとって大切な聖域となった。
その場所を隅から隅まで箒で掃いて、行ったり来たりしながら、教えられた『チリをはらわん、アカをのぞかん』を唱え続けた。

しかし、生来の呆けものの私は、その短い言葉さえ満足に覚えることができなかった。

ある時、箒を抱えてもじもじしている私に仏陀が声をかけてくだされた。

「どうしたのだ、シュリハンドク。」

「申し訳ありません。『チリをはらわん』の後がどうしても思い出せないのです。」

「そうか。」

そして、仏陀は何も仰らずに残りの半句を教えてくださった。

「よいかな。シュリハンドクよ。『チリをはらわん、アカをのぞかん』じゃ。さあ、唱えてみよ。」

「有難うございます。『アカをのぞかん』でした!え・・・。」

「どうしたのか?」

「あ、『アカをのぞかん』の前はどのようなお言葉でしたでしょうか。」

こんな調子であった。
しかし、そんな私に仏陀は根気よく『チリをはらわん、アカをのぞかん』を教え続けてくださった。
それも、何年も何年も、同じやりとりばかり繰り返していたのだ。
しかし、一度だけだが、仏陀が私のことを褒めて下さったことがあった。

「シュリハンドクよ、お前は同じことを何年繰り返しても少しも上達しないが、それに腐らず私の言うことを守ってよく続けている。
それは、他の弟子に見られぬ殊勝なところだ。」

それは私にとって、まことに勿体の無いお言葉であった。
そこで、叶わぬまでも少しでも御心にかなうよう、より気持ちをこめて掃除に励んだ。
狭い場所であったが、『チリをはらわん、アカをのぞかん』を唱えながら、それこそ舐めるように隅から隅まで掃いて回ったのだ。
そうしたところ、いままで見ることができなかったものが見えてきた。
それまで、隅から隅まで掃き清め、チリひとつ無いと思っていたのに、気のつかないところに意外にチリが積もっていたのだ。
そして、こんな声が百雷のように私の耳に聞こえてきた。

「きれいだと思っているところに、こんなにも気がつかないチリや汚れがたまっているではないか。自分のことを愚か者と思っていたが、気づかないところで、どれほどバカで愚かなところがあるか、知れたものでないぞ。」

そして、その時、頭の靄が晴れ、広い世界が私に飛び込んできた。
ついに、大悟が徹底したのだ。

愚直こそ尊い

そこまで、話してシュリハンドクは深く息を吸い込んだ。その聖者の立てる低い喉の唸りが、朝の清浄な空気を震わせた。
そして、
ふううと長い息を吐き出した。

「シュリハンドク様、あなたはどれくらい長く仏陀に与えられた聖語を唱えながら掃除三昧で過ごされたのですか?」

「そう、いつの間にか20年が過ぎておった。」

「20年も・・・ひたすら『チリをはらわん、アカをのぞかん』と唱えておられたのですか。」

「呆れたかな。」

「い、いいえ。なんと言うか、恐ろしいまでに愚直なお話です。果たして人間がただひとつ事にそこまで打ち込めるものなのでしょうか。」

「いや、私にはそれしかできなかった。だから、それをひたすら繰り返すしかなかったのだよ。まさに、仏陀は私のことを深く見抜かれて、もっとも相応しい、そして私にしか出来ない行を授けて下さったのだ。」

ドゥスタラは、一呼吸を置いてシュリハンドクに尋ねた。

「私にもできるでしょうか。私は他のお弟子の皆さんと比べてましても、意気地も根気もありません。とても私の進める道でないと気持ちがくじけそうになります。」

「仏意計りがたしじゃ。仏陀のご教導に間違いがあろうか。私がその生き証人だ。
できるできぬより、ただ愚直にやって見なされ。押しても引いてもビクともしない壁も、たゆまぬ精進で崩せるものなのだ。」

「どうか、このような愚鈍なものではありますが、よろしくお導きください。」

「心得た。
さあ、そろそろ朝餉の支度にかかる時刻じゃ。精舎へと参ろうか。」

「はい。」

そうして、二人の仏弟子は、座禅を解き立ち上がると、いまは銀色へと転じたまばゆい朝の光の中に溶け込んでいった。

(おわり)

いっそ愚直に(中編)

(写真:青の富士)

久遠劫の正覚

「ドゥスタラよ、そなたがここに参ったのは、決して本意ではなかったことはよく存じておる。」

十大弟子の一人、シュリハンドクがドゥスタラの経緯を仏陀から聞かされていても何ら不思議ではない。
ドゥスタラは、気を取り直して答えを返した。

「はい。おかげで私はこのように生きながらえております。それにはとても感謝しております。しかし、と言って、私には皆さんが求めておられるものが理解できないのです。」

「仏陀のさとりのことを言っているのかな?」

「はい。聞けばさとりには、低いさとりから高いさとりまで52段の位があり、その1段目ですら、一生や二生をかけてもなかな得られぬそうではないですか。
ましてや、最高位の仏陀のさとりに至るまでは、久遠劫と言う無限の時がかかると聞きます。
まるで海の水を貝殻で汲むようなことを、毎日厳しい修行で繰り返しているのが、私には理解できないのです。
そんなことで、一生過ごしてしまって死ぬ時に後悔しないものなのでしょうか。」

「ならば、以前のそなたのように欲や怒りに身を任せる生き方をして、最後それで命を取られても満足すると言うのか?」

「それは・・・違います。」

身に覚えのあるドゥスタラの態度は神妙だった。

「確かに、久遠劫の正覚はまことのことだ。しかし、仏陀の教えとは本来根機を選ぶものではない。現にこの私も今生で高いさとりを得られているではないか。」

木々から漏れる朝の光のベールをまとい、ドゥスタラにはシュリハンドク自身が光り輝いて見えた。

「わ、我が師よ。」

思わず、ドゥスタラはシュリハンドクを師と呼んだ。

「我らは等しく仏弟子だ。師弟の間柄はそぐわしくない。なれど、そなたが知りたいこと、聞きたいことあらば何なりと答えよう。」

チリを払わん、アカをのぞかん

「なれば、シュリハンドク様がどのようにして今のような高いさとりに到達されたか、知りとうございます。」

「それも久遠劫で結んだ縁ゆえじゃ。それが今生、良き師、正しき法、そして正しき教導に導かれて結実したものに他ならない。
なれど、今はそなたも等しく仏弟子である。それも久遠の教導に導かれた縁が実を結んで現れた結果に違いない。」

「私がですか・・・。」

「さよう。ならば、私がどのように、良き師仏陀に導かれたか、話をしよう。」

そう、シュリハンドクは遠い目を空に向けて、ポツポツとかの聖者の物語を語り始めた。

・・・

私が仏陀とお遇いしたのは、まだ、二十歳前のことであった。
私は、そのころ国一番の呆けものと言われ家族からも持て余されていた。
なにしろ、自分の名前すら満足に覚えられぬのだ。仕事を言いつけても、何一つまともにできぬ。外へ使いにやれば、いつも帰り方が分からなくなり、家族が探し回る始末であった。
しかし、その自分を母だけが庇ってくれたのだ。「アホウよ」「呆けものよ」と周りは散々罵ったが、母だけは「お前は少し足りないところはあるが、この世で一番心根がきれいだ」と褒めてくれた。
そんな辛い日々を母だけをあかりに生きてきたが、やがて父が死に、母も死んだ。
そして、日ごろひどく私を罵っていた兄が、もう庇うもののいなくなったのを幸いと辻に放り出したのだ。

「お前のようなやつは、もう二度と家に帰ってはならん!どこなりと行くがよい!」

そうしたら、私のような呆けはとても生きてはいけない。もう、死ぬしかないと悲しくて、悲しくて辻に立ち尽くして泣いておった。
泣いても泣いてもとめどなく涙が溢れた。
ついには、身体中の水が全て流れ出て、からからに干からびて死ぬのかと怖くなった。
しかし、涙はどうしても流れるのをやめなかった。
ところが、その私に優しく声をかけるお方があった。

「そなた、何をそのように悲しげに泣くのじゃ?」

その尊いお姿に私は、一瞬言葉が出なくなった。

「よい。ゆっくり息を吸って気持ちを落ち着かせて喋ればよい。」

私は、その慈愛あふれる眼差しに、正直に自分のつらい境遇を打ち明けたのだ。

「実は、私は生来の馬鹿者でございます。あまりにおろかなので、実の兄にも捨てられてしまいました。これからどうしたら良いのかと途方にくれておったのでございます。」

そのお方は実に優しく微笑んで、いままで誰も言ってくれなかった言葉をかけてくださった。

「お前は、自分がおろかだと知っているではないか。世の中のものは、みなおろかでありながら、自分がおろかだとは知らない。それに比べて自分をおろかだと知るお前はもっともさとりに近いのだ。」

私は思わず、手を合わせ、その方を伏し拝んでいた。
それが、私と仏陀との出会いであった。

仏陀は、私を精舎に連れ帰られ、他のお弟子方と同じように仕事をお与えくださった。
そして、一本の箒と塵取りを渡され、一句の聖語をお与えてくださった。

「よいか、シュリハンドクよ。そなたに仕事を与えよう。この箒で一心にこの場所を掃くのだ。そして、こう唱えよ。
『チリをはらわん、アカをのぞかん』と。」

(後編に続く)

いっそ愚直に(前編)

(写真:深緑と青空)

朝の森

森は闇と靄に沈んでいた。
ドゥスタラは、その中じっと座禅を組んで瞑想をしていた。
やがて、東天から昇った日の光が靄を通して、森の中を黄金色染め始める。
靄を生んでいるのは、地面から立ち上る朝の水蒸気だった。その水蒸気がドゥスタラの鼻腔に強い土と草の匂いを運んできた。
それを、むしろ歓迎するかのように彼は思い切り朝の空気を吸い込んだ。
まるで、朝の精気を体に入れるかのように、ドゥスタラは、うんと腕を空に向かって突き出し、背をそらして大きく伸びをした。

「ドゥスタラよ。」

心を震わせるように低く、そして穏やかな声がした。

「シュリハンドク様。」

「いつもそなたが先だな。」

「いえ、いままでこのように早く休むことがなかったので、朝も人より早く目が覚めますので。」

「どうかな、ここには慣れたかな?」

声の主は、シュリハンドク、仏弟子の中では十指に数えられる人で、歳は40を過ぎていると聞く。
しかし、そう聞いていなければ、まだ20をいくつもでていないとも見えるし、50を過ぎていると言われればそのようにも見える。
実に捉えどころのない相貌をしていた。
しかし、その表情は声と同様で穏やかで、いつも心に染み透るような笑顔を浮かべていた。

この人がかつて、国一番の呆け者と言われた人なのか。
親近するほど、そのような愚鈍な人物だったとは想像もできない。
確かに鋭さはないが、その代わりたいへんな深みと慈しみに満ちた人物だった。

「実のところを申せば、まだ戸惑うことばかりです。ここでは、欲を抑え、怒りを鎮め、妬み嫉みを出さぬよう正しい生き方を教えられ、実践することを求められます。
こう申しては恥じ入るばかりですが、いままで自堕落に生きて参りました。それを急に変えよと言われてもなかなか教えられる通りには参りません。」

「ドゥスタラよ。」

黄金色の朝日の中、シュリハンドクは陽の光にも負けぬ明るい笑顔を顔に浮かべた。

仏弟子未満

「そなたがここに参ったのは、決して本意ではなかったことはよく存じておる。」

ドゥスタラは一瞬顔に緊張の色を走らせた。

彼は、貴族の出であった。
しかも、王族のかなり高位の一族に連なる者だった。
そして、彼の家は長らく跡継ぎに恵まれず、男子の誕生を待望していた。
そこにやっと生まれた一粒種がドゥスタラであった。
当然、両親のみならず、周りの大人たちは溺愛した。その中自分の強い自我を矯められることもなく、また大人を喜ばす術を狡猾に身につけた彼は自分の狭い世界の王になった。
自然に、自我は走るままとなり、欲の心は暴走し、気に入らぬ者に怒りは噴き上げた。
そして、美しい娘を巡り、同族の子息と諍いの果て、ついに怒りに任せて彼を手にかけてしまった。
それを王が知るところとなり、ドゥスタラは身を拘束された。王はこの狡猾な放蕩者を許す気はなかった。国のためにならぬと、誅殺するつもりであった。
しかし、ドゥスタラの両親は必死に助命の嘆願をした。我らの家財全てを王に献上し、身は奴婢に落ちるとも、何卒我が不肖の息子の命ばかりはお救いください、と。

なれど、罪あるものを許せば国の法が揺らぐ。
ドゥスタラの両親の気持ちも痛いほど分かった王は悩んで、かねてより信奉していた仏陀に悩みを打ち明けた。
仏陀は、こう答えられた。

「ならば、ただちに首を跳ねるが良い。なれど遺骸は私が貰い受け、再び命を与えて仏弟子として生かそう。」

つまり、公には処刑をしたことにして、世間から隠し、仏弟子として第二の人生を送らせようと言う仏陀の申し出だった。
そして、彼はそれまでの名を奪われ、質の悪いことを意味するドゥスタラと言う名前を与えられた。ひとえに、彼が名前を呼ばれる度、それまでの行いを思い出して身を慎むためであった。
名を奪われ、仏陀の元へ送られるドゥスタラに王は厳しく言い渡した。

「命を助けるは、仏陀の大慈悲に接すれば、そなたが更生すると思うからじゃ。
もし、そなたが仏陀を裏切り、また俗世に舞い戻ることあらば、きっと地の果てまで追いかけ必ず誅してくれるから、さよう心得よ。」

それを神妙に受けたドゥスタラは、仏陀の元で仏弟子の真似事を始めた。
しかし、もとより自ら望んで来たところでないので、何事にも身が入らない。すぐに嫌になって投げ出したくなる。
だが、もしそれで放り出されでもしたら、今度こそ本当に死ななければならない。
それで、必死に修行の初歩の初歩の真似事をなんとか続けているのであった。
それでも、ドゥスタラは朝早く起きて、静寂な森の中で座禅を組み瞑想をするのを好んだ。そして、この場所は口うるさい他の仏弟子から離れて一人になれる彼だけの特別な場所だった。
ところが、彼のこのひと時の隠れ家に時折おとずれる人物がいた。
それが、仏陀の十大弟子の一人、シュリハンドクであった。

(中編に続く)