2018-01-01から1年間の記事一覧
(写真:茄子相撲) なぜ、自分は人を動かすことができないのか?それは、与えるのを嫌い奪うことばかり考えているからと、正される。食物に対し活動、 労働に対し賃金、 商品に対し対価。常にトレードは、我々が生存するための根本なのである。
(写真:こんがりの黄昏 その2) 自ら身銭を切っておつきあいをしてくださる、顧客ほど真摯なパートナーはいない。
(写真:こんがりの黄昏 その1) 財布とか、肉体とかでなく、本当の力は心にこそ宿る。
(写真:赤光) 神体の画像を見るたび考える。それをこさえた本人は、これにご利益があると本気で信じられたのだろうか、と。
(写真:街角無頼) 幸福とは、いつか必ず失うものを手にした時に感じる残酷な感情である。
(写真:オレンジ・ライン) 大きく育てたかったら、焦って水をたくさんやったり、無理に引っ張って伸ばそうとするべからず。自ら伸びようとする芽の力を信じて待つのである。
(写真:チェリーセージ・ホットリップス) 医師が患者の意思確認もそこそこに好きな薬を処方できること。理髪師がお客の首筋に鋭い刃物を当てられること。技術者が顧客の個人情報にアクセスできる最大の権限を有していること。政治家が国の予算や人員を自由…
(写真:フライ・ハイ) 見栄えの良さより、言葉の流暢さより、蘊蓄の多さより、質量感のある文章が書きたい。
(写真:夜の蓮池 その2) 前は浅ましい妄念や思い違いに、そのまま口や身が動かされていた。今は少し距離を置いてつきあえる。「思わざる」はできないけど、少しはつきあい方を覚えたのかも知れない。
(写真:夜の蓮池) シートベルトをつけたままでは車から降りられぬ。帽子を被ったままでは散髪はできぬ。次に進むためには捨てなければならないものがある。
(写真:岸壁の萌え) 土俵を持たず心のまま超論理を連発する相手にも決して土俵を踏み外さない。土俵の否定は自己の否定なのだから。
(写真:スワロー・ハウス その3) 怒られて「恥ずかしい」のは違う。むしろ、どんどん怒られてそれをみんなに還元するのが仕事である。
(写真:スワロー・ハウス その2) エコも、健康も、危機管理も、人間関係も、安心も、満足も、自己啓発も、国際平和も、いつも間にか消費を促す手段になっている。我々は、そんな時代に生きている。
(写真:スワロー・ハウス その1) 登山家は言う。「そこに山があるから」明確な目的があれば、人は高みを目指す。
(写真:浜名湖ビュー) つまるところ優秀な人とは、自分ができることとできないこと、自分がするべきこととすべきでないことを、キチッと切り分けられる人のことである。
(写真:朱色の暮情) 嗜好品も、ファーストフードも、トクホも、健康食品も、自分が好まれるために最適化する。対して、全体の最適化(バランス)はあくまで消費者の選択であることを忘れてはならない。
(写真:グラデーション・シティ) 謝罪は、自分の感じている申し訳なささの2倍謝ってちょうど良いのかも知れない。
(写真:青田の風景) 目的地に着くまでは大切な地図も、目的地に着いたら不要になる。ちょうど生きる目的 と生きる手段 との関係である。
(写真:アイヅ・プロモーション) 現代は、匿名性、個室性の時代である。そこで醸成される自儘な雰囲気が時代を生きづらくさせる。
(写真:緑に映えるハイタワー) お腹が空いて活動が苦しいから、とりあえず何か腹に収めたいとコンビニに飛び込む。だが、押し寄せる大量の食品を目にすると不思議と空腹が和らぐ。食べ物に身体が興奮してアドレナリンが出るからなのか。
(写真:火力の塔) 基本を学ばずして、自分の考えを通したがる者ばかり。古来、「守」「破」「離」と、正しい順番が教えられているでないか。
(写真:赤いキリンたち) 仲間が必要ならば、調和を学ばなければならない。孤独を好むなら、周囲に何かを求めてはならない。
(写真:高鷲スカイハイ) 情報化社会で手に入れたもの。それは、情報そのものではなく、情報を選別する能力である。
(写真:ローン・キャット) こころを開いて貰う時は、手のひらで小鳥を握り止めるに等しい。微塵でも不安を与えたら遠くに飛び去ってしまうのだから。
(写真:喧騒の隠所) 人間には、いかに自分が傲慢で 自己中心的で 自分勝手で 我儘だったか、心底思い知らされる時がある。そして、それは早い方が幸せな人生なのだと思う。
(写真:虹立つ町) 見返りを期待して与えるのが、商売の基本。見返りを考えずひたすら与えることに徹するのが、親切の基本。
(写真:ハンサムキャット〕 どんなに優れたアイディアも、それを実行する人の腹に落ちていなければ絵に描いた餅である。
(写真:花舞 その3) 親に心をかける子供は、言葉が優しく、子供に心をかける親は、言葉が厳しい。
(写真:花舞 その2) なぜ全てを犠牲にしてそこまでエベレストの頂上を目指すのか。おそらく我々のような一般人には分かるまい。しかし、そこに達しようとしたもの、達したものにしか得られない何かがきっとある。
(写真:花舞 その1) 自分で起こした小さなウェーブではなく、自分が巻き込まれるような大きなウェーブにこそ、波乗りの醍醐味がある。