今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

成長とは、考え方×情熱×能力#65

(写真:雲の乱舞 その1)

農業青年団

塾生たちの自炊は、とりあえず明日からと言うことで、昼は寮で握り飯と味噌汁が出された。品数は少ないが、農場で取れた米や野菜、地元農家が作った梅干しと味噌のご馳走に塾生たちのお腹も心も充分に満たされた。

午後からの東大寺正徳と新しい塾生たちとの顔合わせは短時間で終わった。

「わしが、『さとやま農業塾』講師の東大寺じゃ。これからよろしくな。」

大経営者と聞いていたので、どんな厳しい人物かと覚悟していたが、小柄で飄々とした親しみやすそうな老人なので、塾生たちは誰もが安堵した。
今でも東大寺グループ前代表、東大寺正徳を経営の師として私淑する経営者は多い。彼らの間では、東大寺老人と直接面会できるだけでも千載一遇のチャンスと言われていた。しかし、塾生たちはこれから一年以上の長きに渡り直接指導を受けられるのだ。
と言っても、先代老人は経営の手ほどきなどはしない。あくまでも、農業塾の講師として農業を教えるのだ。
しかも、

「わしは、押井のように口でうまく教えることなどできゃせん。だから、わしがやることをよく見て、自分で身につけるんじゃ。
あと、講義は主にわしの畑や田んぼでするから、日に2、3人ずつ順番に来るんじゃよ。」と言う。
要は口で言わないから見て覚えろ。毎日、2、3人ずつ手伝いに寄越せと言っているのだ。もともと農業の専門家ではないし、正直この人何を教えようとしているのか皆目わからない。
ただ、もと塾生の賀茂川遼子は、

「とても大事なことを教えて貰えるから、しっかり学んでね。」と太鼓判を押した。
そして、午後一杯は、各自身の回りの整理と、夜に遼子が企画している歓迎会の準備を手伝うことになった。

やがて、農場に夕暮れが訪れた。

遼子は、寮の庭に設えてあるかまどに火を起こし、大きな鍋を火にかけてワインを煮立たせた。
そして、刻んでおいたチーズの固まりを、何回かに分けて鍋で溶かした。
チーズの芳醇な匂いが農場に広がる。
遼子を手伝っていた塾生の女子たちは、チーズの匂いに高揚して、顔を見合わせてはニッコリと笑いあった。
あとは、フランスパンはもちろん、スティック状のニンジンや大根、きゅうり、そして粗挽きソーセージ、鶏のささみが山盛り用意された。それらを串に刺して、チーズを絡めて食べる、農業塾特製チーズフォンデュだった。
遼子は、「隠し味」と言いながら、なべに胡椒と一緒に何かを入れた。
そして女子を手招きして、チーズを絡めたフランスパンを一切れ渡した。

「食べてみて。」

すると、たちまち彼女の顔に笑顔が広がった。

「うわあ、濃いけど、くどくない。どれだけでもたべられそう。」

「でしょ、秘伝なの。」

「遼子さん、何を入れたんですか?」

「秘密。あなたたちが、ここに慣れた頃に教えるわ。」

やがて、軽めのアルコールやジュースを持参した男性陣が合流し、かまどから下ろした鍋を囲んで彼らの歓迎会が始まった。
もちろん、そこには代表の押井、そして東大寺正徳と妻 喜代も同席していた。

若い塾生たちは、年の割に年長者との場に慣れているらしく、アルコールが入ってもあまり乱れることはなかった。
むしろ、押井たちによく気を配って、気持ちの良いお酒を楽しませていた。

やがて、先代老人が口を開いた。

「うん、久しぶりに良い酒じゃな。あんたらは、若いのに実に気持ちのよい連中じゃ。
じゃが、気のせいか、あんたら実に気持ちが通じ合っとる。まるで、ずっと前からの知り合い同士のようじゃ。」

「先生・・・。」

環木森一郎が口を開いた。

「いや、先生は面はゆいのお。」

「ならば、なんとお呼びすれば?」

「私たちは、師匠とお呼びしてますよ。」

遼子が話に加わった。

「まあ、柄でもないが、呼び方も決めんと困るじゃろうて。師匠でよいよ。」

「分かりました、師匠。実は・・・。」

森一郎は、そこで言葉を切って遠い目をした。

(#70に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#68

(写真:お山の浮雲)

写真の少女

『さとやま農業塾』代表、押井の挨拶の後、もと塾生、加茂川遼子の説明が1時間以上あった。
『さとやま農業塾』のシステムや、『東大寺農業ファーム』社員としての立場、仕事内容と、正社員登用の流れ、待遇、給与等。

「すいません、質問です。」

「はい、どうぞ。」

「あの、僕らは自由な時間をどれくらい取れるのでしょうか?」

「もちろん、一般の会社のように9時5時と言うわけには行きません。ただ、この仕事には農繁期と農閑期がありますから、あまり自由にならない時期もあれば、結構自由な時期もありますよ。」

「ならば、サークル活動のようなことも可能でしょうか?」

「それも時期によるかな。みなさんは同じ地域から来ていると聞いていますが、やはり何かのお仲間だったんですか?」

「え、ええ、まあ。そんなところです。」

質問者ははっきりと答えなかった。その奥歯にものが挟まったような言い方に、遼子はかすかな不安を覚えたのだった。

そして、遼子の説明の後は、皆で共同生活をする寮へと案内された。古民家を改造した建物で、古びてはいるがログハウス風の落ち着いた作りになっていた。
二人か三人ずつで一部屋をあてがわれ、食事は朝昼晩と食堂に集まってみんなで用意して、みんなで食べる。
ただ、遼子の時は他に塾生がいなかったから、押井や東大寺正徳の家で一緒に食べることが殆どだった。

「あの、東大寺さんのお宅って、凄く大きいんですか?」

知りたがりの女子塾生が遼子に尋ねる。

「え?そんなことないわ。普通のお家よ。」

「だって、凄いお金もちなんでしょ?」

「東京のご自宅はね。でも、あの人、あまりお金には興味ないみたいで。」

「へえ〜っ。」

おどけたように、女子塾生はわざと大袈裟なリアクションをした。

「お孫さんがいらっしゃってね、その子たちのためにお金を使うのが、唯一の楽しみだそうよ。」

「いいなあ、私もそんなおじいさんが欲しい。」

「おい、おい、お金が欲しい人がこんなとこにいたら、そもそも場違いだろ?」

「えへへ、そうでした。」

彼女をたしなめたのは、少し小柄で黒縁メガネをかけた青年。名前を環木森一郎と言う。
おとなしそうな見た目の割に、気の強いところがあって、押井に対していきなり質問を投げかけたのも彼であった。
そして、どうやら塾生の中ではリーダー的な存在のようである。

その彼が寮の中に何枚もの写真が飾られているのに気付いた。
それは少女の写真だった。
一枚は中学生くらい、もう少し大きな高校生くらいの写真が数枚。幼さを残しながら、大人びた雰囲気の写真もあった。そして、よく見ると全て同じ少女の成長の過程を折々でスナップしたものだった。
共通しているのは、同じ人物だと言う点と、スナップのバックがこの村の風景だと言うこと、そして農作業の服を着て、いい色に日焼けしていることと、気持ちの良い笑顔をカメラに向けていること。彼女は少し型遅れの丸いメガネがよく似合っていた。
小柄で、華奢で、たおやかで、そして、健康的な、彼はそんな写真の少女に淡い恋心を抱いたようだった。
これは後日の話であるが、それ以来彼は村の中に写真の女性はいないか、それとなく探すようになった。
ただ、彼女が誰なのかを人に尋ねることはしなかった。これは青年の秘めた恋なのである。

(#69に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#67

(写真:水辺に棲む暮らし)

入塾の朝

その日の朝、東大寺正徳老人の農業塾には、三三五五とジーパンやジャージの若者たちが集まってきた。みな、手には大きなボストンバッグを抱えたり、キャリングケースを引いている。
建物の前は舗装をされていたが、トラクターが頻繁に通るので、土が落ちたところに雨が降って泥のぬかるみになっている。
キャリングケースを引いた若い女性は、タイヤを汚すのが嫌で、両手で重いケースを引き上げるようにしてよたよたと歩いていた。

到着した彼らを、女性職員が建物の会議室へと案内をする。そこで、これから共同生活をする場所や待遇面、仕事の内容を説明するためだった。
やがて、定刻となり女性職員が入塾希望者の点呼をする。そして、一人も欠けていないことを確認すると、しばらく会議室から姿を消した。
やがて女性職員は、よく日に焼けた50代の男性をともなって会議室に戻ると、男性とともに部屋の前方に腰を下ろした。

「はあ、みなさん、ようお越しになりました。」

男性は、単語は標準語だが、地元のなまりがキツイ第一声を発した。

「私が、当『さとやま農業塾』代表の押井と言います。よろしくたのみます。」

「あの。」

物怖じない性格なのか、一人の若者がそこで口を挟んだ。

「はい、なんでしょう?」

「この建物は、『東大寺農業ファーム』の事務所ですよね。この農業塾と『東大寺農業ファーム』はどう言う関係なのですか?」

「いやあ、みなさん、まずそれを聞かれます。」

慣れた質問とみえて、押井はニコニコと答えた。

「では、少し説明をします。
実は、この農業塾には三人講師がおりまして、一人は私押井です。私は農業の技術指導を主に担当します。
二人目はこちらの賀茂川です。農業塾の卒業生で、今は私たちと一緒にやってくれています。」

そこで、賀茂川は軽く頭を下げた。

「で、あと一人なんですが、もともとは農業の専門家ではないです。ですが、『東大寺農業ファーム』を作ったのも、また『さとやま農業塾』を作ったのもこの人です。みなさんは、東大寺正徳と言う人を知ってますか?」

「東大寺・・・。確か・・・、東大寺グループの前の代表ですよね。」

「お前詳しいな。」

彼の友人と思しき人物が、質問者の若者を小声で褒めた。

「もう一人講師が、その東大寺正徳氏なんですよ。」

おおっ!

会議室からは、一斉にどよめきの声が漏れた。

「え、本当ですか?」

俄かには信じられない顔で、

「東大寺グループと言えば、世界中に拠点があって、社員も10万人以上の巨大企業グループですよ。今の躍進も、東大寺正徳氏の功績が大きいと言うじゃないですか。
そんな人が、こんな田舎で農業講師をしているなんて、正直ありえません。」

「まあまあ。あの人は、もう第一線を退いてますしね。
ですが、このことはくれぐれも内緒にしてください。もし、正徳氏がここにいるとなると、今でも、はあ、教えを請いたいと言う社長はたくさんいて、そう言う人たちがわんさと押しかけます。
それに、悪いことを考える人たちもいるでしょう。そしたら、みなさんにも迷惑がかかりますから。」

ゴクリ、と若者は唾を飲み込んだ。

「と、言うことは、僕ら東大寺グループの社員になるのですか?」

「はい、一旦は『東大寺農業ファーム』の契約社員になって貰います。ですが、希望があれば、この賀茂川のように正社員として一緒に働いて貰うことができます。但し・・・。」

「但し?」

「何を隠そう私も、はあ、当『東大寺農業ファーム』社長を兼務しています。だから、塾とは名ばかりで、実際に農作業を一緒にやりながら覚えて貰うことになります。
農作業の経験はありますか?慣れないうちは、はあ、たいへんですよ。」

しばし、入塾希望者たちは、お互いの顔を見合わせていたが、考えてみればそれは当たり前の話である。

「大丈夫です。最初からそのつもりです。」

「まあ、以前都会育ちのか細いお嬢さんが農繁期に来ていましたが、しばらく過ごすうちにすっかりたくましくなって帰っていきました。みなさんなら大丈夫でしょう。」

おそらく、押井の脳裏には、東大寺正徳の孫である歌陽子の顔が浮かんでいたのだろう。

「それと、くれぐれも東大寺正徳氏のことは、はあ、内緒でお願いします。
では、賀茂川から説明を受けた後、みなさんが過ごされる場所へ案内します。そこで荷物を解いたら、午後からは東大寺正徳氏に会って貰います。」

(#68に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#66

(写真:せせらぎ)

農業塾

「みんな、ご苦労さん。揃っているかな?」

東大寺家先代当主、東大寺正徳、当年とって79歳は、今から10年前当主の立場を息子の克徳に譲って、富士山麓の過疎地に移住した。
まずは、数反の畑を購入するところから始めめ、初心者でも作付けできる作物を無難に選んで、少しずつ農業と土に馴染んで行った。
同時に、農業の専門家を雇って住み込ませ、マン・ツー・マンで指導を受けた。

無事に収穫を迎え、自信をつけた先代は、さらに数反を購入し、農業法人を立ち上げた。
指導役の農業の専門家を正式に社員に迎え、要所要所の管理をまかせた。土地の購入から機械化、人の手配、たねや苗の購入、出荷、国への申請まで取り仕切らせて、実質社長としての権限を与えた。
また、最初は地元の協同組合を通じて出荷していたが、4年目からはそれもやめ、消費者への直販体制に踏み切った。
それが、共同組合や周りの農家の反感を買ったが、彼はどこ吹く風だった。
東大寺グループのオンライン会社に販売を委託し、また物流会社から提案を受けて農地から首都圏の消費者へ直接配送する手段も構築した。
この時点では、周囲のかなりの休耕地を取得し、周辺のいくつかの農業法人も傘下に収めていた。
やがて、かつての富士山麓の過疎地が巨大な農業の集積地となり、東大寺グループの事業として正式に動き出すに至っては、袖にされた協同組合も、反感を持っていた周辺の農家も口を閉じざるを得なかった。

何重にも張り巡らされた流通網とスーパー等小売事業者の力を借りて、日本の農家は生産した野菜を消費者に届けてきた。
しかし、反面規格外の野菜は消費者の嗜好に合わないと、大量の廃棄ロスを生み出した。
あるいは、流通の過程で発生した傷みや、売れ残ったために廃棄される販売ロス。食料自給率の向上を強く叫びながら、生産から消費者の手元に届くまでに大量の廃棄ロス、流通ロス、販売ロスが発生すると言う矛盾を抱えてきたのだ。
東大寺家先代はこの矛盾を解決したいと、農業の世界に飛び込んだと言っても良い。
どんな規格外の野菜でも必ず欲している人はいるはずである。それをインターネットの力を借りて探し出し、なるべく早く新鮮なままで届ける。当然、配送される野菜の量は小口化するが、新鮮な野菜のためならお金を惜しまない健康志向の消費者に支えられ、また巧みに流通の隙間を利用して配送コストを抑えることにより早期に事業は黒字化した。
さらに、バーチャル菜園やバーチャル果樹園など、都会の消費者も野菜づくりに参加して貰える仕組みを始める準備もしていた。

だが、これらを一切を中心になって発想し、また強力に推進してきた東大寺先代老人の仕事ぶりは至って飄々としていた。
農業法人の幹部が集まって会議をしているところにふらりと現れては、思いついたように意見を言う。あるいは、事業に障害が発生した時は、また飄々と人脈を辿り殆どの問題を瞬時に解決した。
そして、それ以外の時間は自分に割り当てられた決して広くはない農園で、野菜や土と会話して過ごしていた。

その東大寺老人が最近力を入れているのは、農業後継者の育成であった。
広く呼びかけて、農業に志のある若者を募って農業塾を開講し、専門家とともに土に生きる心構えや技術を伝えた。
しかし、実際のところ、農業塾の受講希望者はさほど多くはなかった。
いつも一人か二人。「いないよりまし」と口では言っていたが、かなり意気消沈気味の老人であった。
ところが、昨年もいつものように入塾希望者を募ったところ、一度に十数人の若い男女の希望者があった。しかも、みな同じ地域からの希望者ばかりであった。

「なんじゃ、逆集団就職じゃな。」

そう、東大寺先代老人は訝ったが、何も言わずにそのまま受け入れることにした。

(何か事情がある連中に違いない。)

そう思いながらも、数週間はあっという間に過ぎ、彼らが村にやって来る日となった。

(#67に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#65

(写真:深みどりの植生)

志鶴VS先代

「奥様、しっかりしてください。」

作業着姿の歌陽子(かよこ)を見て、ベッドに卒倒した志鶴に声をかけながら、安希子は彼女を助け起こした。

上体を起こし、ベッドのへりに腰掛けて、こめかみを右手の人差し指と中指で押さえながら、志鶴は頭の混乱が鎮まるのを待った。

そして、しばらくその姿勢を保っていると、今度は心配した歌陽子が声をかけてきた。

「あの、お母様、大丈夫ですか?」

聞き慣れた娘の声に、一瞬にして思考の繋がった志鶴はキッと顔を上げ、歌陽子の顔を見据えて言った。

「大丈夫ですか、じゃありません!全くあなたまで何考えているの!」

「で、でも、今おじい様が準備されているのはカントリー・パーティなんでしょ?お客様にお出しする料理も、味わっていただく雰囲気も、私が田舎で過ごした通りなんでしょ?そうですよね?おじい様。」

「そうじゃ、そうじゃとも。」

すっかり嬉しそうな先代老人。

「だから、ドレスのままでは、余計チグハグになると思ったんです。」

「まあ、あなたまで、すっかりおじい様に乗せられて。」

「ああ、コスプレですか。」

安希子は、妙に腑に落ちた顔をした。

「確かに、メイド喫茶とか、コスプレバプとかありますもんね。そう思ったら良いのですね。」

「ちょっと、安希子さんまで煽らないで。」

「申し訳ありません。」

「だいたい、さっきまで、ピアノリサイタルがどうのと大泣きしてたのは誰よ。懲りない子ねえ。」

「奥様あ。それ以上はダメです。また、拗ねてもっと面倒くさいことになります。」

「あ、そうね。」

この主従、さっきから歌陽子のことをぼろっカスである。

「志鶴さん。」

さっきから黙って聞いていた東大寺家先代当主が口を開いた。

「確かに、今まで歌陽子にも、あんたにも済まんことじゃった。この通りじゃ。」

「え?まあ、お義父様、頭を下げないでくださいな。」

いきなり豹変した先代に拍子抜けしたのと、気味悪くなったのとで志鶴の舌鋒が鈍った。

「じゃがのお、歌陽子の誕生会は、正月の三が日が明けて、関係者が一堂に集まる、いわば年頭の顔合わせのようなもんなんじゃよ。」

「分かっておりますわ、そのことは。」

志鶴は気持ちを落ち着けながら答えた。

「私も東大寺の嫁です。それに、お義父様は昔から賑やかなことがお好きでした。でも・・・主役の看板を背負わされた歌陽子の身にもなってくださいませ。周りが寄ってたかっていろんなことをして盛り上がるのは勝手です。でも、最後は歌陽子の名前で皆んな記憶するんです。ついには、末代まで歌陽子が東大寺家で物笑いのタネになるのは耐えられません。」

「志鶴さん、そもそもあんたは、わしのことを誤解しとる。耄碌して、家業を放り出した挙句、農業にうつつを抜かしておる年寄りくらいに思っとるじゃろう。暇を囲った挙句に、孫の誕生会に馬鹿騒ぎするだけが能の恥ずかしい老人とものお。」

「い、いえ、私は歌陽子の気持ちを申し上げただけで、お義父様のことは別に。」

「まあ、誤魔化さんでもええ。わしもいつも行き過ぎるからのお。それに、歌陽子も馬鹿騒ぎが嬉しい年はとっくに過ぎとるじゃろ。
それは、別に克徳にも言われんでもよう分かっとる。なのに、訳知り顔で誕生会を内輪でやりたいなどと抜かすから、ついわしも本気で怒鳴りつけたんじゃよ。
じゃがのお、わしは自分の一番自慢できるもんを歌陽子に渡そうと思ってずっと準備してきたんじゃ。それは、大人になった歌陽子へのわしからの大きなプレゼントなんじゃよ。」

しみじみと語る先代に、志鶴もつい、

「まあ、私も言い過ぎました。お許しください。」と、返した。

「じゃあ、あとはわしに任せて貰えるかの?」

「そ、それは・・・。」

もちろん、歌陽子は知っていた。
先代と志鶴のやり取りは毎年こうなのだ。
一見噛みあわない会話を続けて、最後はいつの間にか先代の思惑通り進んでしまう。

ここは嫁の忍耐と心の中で苦虫を噛み潰しながら、志鶴は言った。

「歌陽子、ほどほどにね。」

「はい。」

この会話も例年通りである。

「なら、善は急げじゃよ。」

志鶴を押さえ込んで、すっかり勢いこんだ先代老人は歌陽子の手を引っ張った。

「あ、おじい様、気をつけてください。」

そんな注進もなんのその、部屋から飛び出し、長い廊下を抜け、階段を駆け下りて、先代に手を引かれた歌陽子はあっという間に中庭へと連れて来られた。

「奥様、あっという間にお嬢様をさらわれましたね。」

安希子の言葉に諦めたように志鶴が答える。

「もう、いいわ。みんな勝手になさい。」

(#66に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#64

(写真:老木の賑わい)

カントリー・ガール

「そう言えば、おじい様、私に手伝って貰いたいことって何ですか?」

「おお、そのこと、そのこと。」

東大寺家、先代当主は孫の歌陽子(かよこ)に問われて、相好を崩した。

そして、部屋の扉の後ろに回ると、薄汚れた布の袋を引き出した。

「大旦那様、せっかくの絨毯に埃が落ちます。」

ハウスキーパーの安希子は、先代が引きずってきた袋が埃にまみれているのを見つけて、悲鳴を上げた。

「米俵と一緒に積んできたから、汚れたんじゃろ。じゃが、中身はきちんと洗濯したから、きれいなもんじゃ。」

「いや、ですから、大旦那様、そう言う話ではなくて。」

「なんじゃ、農家ではいちいち家が汚れるとか気にしたら、1日も暮れんわ。」

「ですから、ここは農家ではなく、お屋敷・・・。」

しかし、安希子の言うことなど、全く意に介さず、先代東大寺老人は、歌陽子を手招きすると袋の口を開いた。

「まあ、おじい様。」

「そうじゃ、歌陽子、お前の作業着じゃ。」

「でも、歌陽子さま、これ少し匂いますわね。」

一緒に覗きこんだ希美が言う。

「おじい様、これ、洗って持っていらしたと聞きましたけど。」

「ん?まあ、洗剤の匂いの野良着じゃ興醒めじゃろうと思って、一晩畑の横に吊るしておいたんじゃ。どうじゃ、土の匂いがするじゃろ?」

「大旦那様、土の匂いと言うか牛糞の匂いです。」

顔をしかめながら、安希子は閉じかけた窓をまた全開にした。

「馬鹿を言うてはならん。これは干し草の匂いじゃ。」

「どちらも同じです。干し草ばかり食べている牛のお尻からは干し草のような牛糞が出るんです。」

「ちょっと、お義父様、安希子さんもおよしなさい。」

どんどん下世話になっていく会話に堪え切れなくなった志鶴が割って入った。

「いずれにせよ、お義父様、この服をどうされるのですか?」

「知れたことよ、今から歌陽子に着せるのじゃ。」

「・・・。」

しばらく、全員が固まった。

やがて、最初に沈黙を破ったのは歌陽子であった。

「あの、私、今からパーティに戻らないと。」

「そうです。歌陽子は今日の主役です。お義父様の仕事をしている場合ではありません。」

「何を言っておる。パーティの主役だから、着替えるんじゃ。」

「お義父様、何を言われているのですか!」

「これから、わしのカントリー・パーティを始めるんじゃよ。」

「つまり、田舎ものパーティですか・・・。」

ボソッと安希子が呟く。

「ま、困ります!お義父様がそんな野良着を着て、歌陽子が臭い匂いのする作業着を着て二人でホールをうろついたら、お客様がたは私たち家族が気が変になったと思います。歌陽子もお嫁の貰い手がなくなります!」

志鶴は、必死に抗議した。

「誰が二人だけじゃと言った。窓の外を見てみるんじゃ。」

先代に促されて、一同が窓の外を見てみると、作業着を着た10人ばかりの男女が集まっている。

「あの方々はどなたですの?」と由香里。

「あれはわしの弟子たちじゃ。去年、村に定住したい若者を募集したんじゃ。そうしたら、ごそっとまとめてやって来たんじゃよ。今は村で農業を教えとる。」

「で・・・、お義父様は、あの人たちと何をなさるおつもりですか?」

恐る恐る志鶴が尋ねる。

「彼らは、今日のカントリー・パーティのホストじゃよ。」

「な・・・!お義父様、まさかあの人たちを屋敷にお入れになるつもりですか?
あ、あの人たち、泥のついた長靴履きじゃありませんか!」

「どうじゃ、雰囲気でとるじゃろ。歌陽子の分もあるぞ、長靴。」

「きゃ〜〜〜!」

急に安希子が奇声を上げた。
ハウスキーパーとして、屋敷を完璧に清潔に保ってきた彼女の忍耐の限界だった。

目を爛々と光らせた志鶴、奇声をあげる安希子、それもどこ吹く風の先代。
わけの分からなくなっている希美と由香里。
全く収拾つかず。

その時、いきなり歌陽子が作業着の袋を持って部屋の外に走り出た。

「あ!」

「歌陽子、なにするの?」

「お嬢様、お待ちください。」

声は追い縋れども、たちまち歌陽子の姿は広い東大寺邸の中に消えてしまった。

「まあ、良かったです。」

ポツリと安希子が言った。

「え?」

「ですから、歌陽子お嬢様が機転をきかされて、作業着を捨てに行かれたんですわ。」

「な、なんじゃとお、歌陽子がそんなことをするはずがないわい!」

「まあ、お義父様、落ち着いてください。」

力む老人をなだめる志鶴、内心ホッとしながら。

と、思った瞬間、扉の陰から歌陽子が顔を出した。

「ま、歌陽子、どこへ行って来たの?」

「おい、歌陽子、わしの袋はどうした?」

そして、歌陽子はそろそろと扉の陰から姿を現した。
それは、何をどうやったものか、数十秒の早業で農家の作業着に着替えた歌陽子だった。
麦わら帽を背中に吊るし、首にはタオルを巻いて、ご丁寧に長靴まで履いている。
正真正銘のカントリー・ガールがそこにいた。

それを見た瞬間、志鶴はベッドに卒倒し、安希子は言葉を失った。
一人、
「歌陽子お、やっばりお前は・・・。」と、涙目の先代。

そして、由香里は惚れ惚れと歌陽子の野良着姿を見て、

「お似合いですわ、歌陽子さま。」と口走った。

それを物凄い目つきで睨む安希子。

(#65に続く)

成長とは、考え方×情熱×能力#63

(写真:月に叢雲)

大地の味

「お〜い、歌陽子。・・・、ん?なんじゃ、女ばかり集まって騒々しいのお。」

その時、先代東大寺家当主、東大寺正徳がふらりと歌陽子の部屋に顔を出した。

「お義父様!」

「お、志鶴さんもおるのか?奥向きの方は良いのか?」

「お義父様、奥向きどころじゃありません。一体コックを全員どちらに連れて行かれたのですか?」

「あ、そのことか、すまん、すまん。少しでも皆んなを驚かせようと、内緒にしておいたんじゃ。」

「だからと言って、私にまで内緒にされることはないじゃありませんか!」

「じゃが、志鶴さんに言えば、当然克徳の耳にも入るじゃろ?」

「そ、それは、そうですが。」

「あいつは、わしに今回の歌陽子の誕生会を内輪でやりたいと抜かしてきおった。老い先短いワシの楽しみを奪うつもりなんじゃ。」

「お義父様、ですから主人もお気持ちを考えていつも通りパーティを開いているじゃありませんか。」

「いずれにしろ、あとは若いもんがやるから、年寄りはおとなしくしていろという事じゃろ?」

「お義父様、それは僻みと言うものです。」

「言うに事欠いて僻みとはなんじゃ。志鶴さん、わしはそんなにねじくれた老人か?」

「そこまで言ってはおりません。」

「もういい、わしは歌陽子に用事があるんじゃ。」

そう言って、先代老人はベッドに近寄ると、歌陽子の顔を見るなり、

「どうじゃ、まだ、気分が優れんか?」

と声をかけた。

「はい、おじい様、かなり落ち着きました。」

「そうか、じゃあ、少し手伝ってくれんか?」

すると由香里が心配して、

「歌陽子さま、大丈夫ですの?まだ、無理されない方が良くなくてよ。」

だが、先代老人は意にも介さず、

「こんな狭苦しいところで、女子衆に囲まれて、窮屈なドレスを着ていたら、良くなる気分も良くならんわい。少し外の空気に当たった方が良いじゃろ。」

そう言って先代は歌陽子のベッド脇の窓に歩み寄ると、パアッと全開に開け放った。
真冬の夜の空気が一気に流れ込み、薄い布のドレスしかまとっていなかった娘たちは寒さに震え上がった。

「おやめください。大旦那様、皆様、お風邪を召されます。」

そんな安希子の声など聞こえぬように、先代は歌陽子を窓のところに手招きした。

「歌陽子、こちらに来て見てみるんじゃ。」

「なんですか、おじい様。」

歌陽子の部屋の窓からは、屋敷の中庭が良く見えた。
良く刈り込まれた芝の上に、何台も中型トラックが止まっていた。
そして、トラックの周りには屋敷のコックたちが動き回っている。それに混じって、作業着姿の若者の姿も見受けられた。

「あ、あれはうちのコック!お義父様、これはどういうことですの?」

「わあ、とてもいい匂いですわ。」

「本当ですわね。」

中庭のトラックからは、飯の炊き上がる匂いが香り、窓辺に集まった娘たちの鼻孔をくすぐった。

「どうじゃ、わしの東大寺式移動厨房じゃ。」

「おじい様、いったいどこから持っていらしたんですか?」

「わしの村からじゃよ。」

「へえ〜っ。」

思わず令嬢らしからぬ感嘆の声を上げた歌陽子、彼女の脳裏には農繁期に手伝っていた、先代老人の村の光景が思い描かれていた。

「集まった皆の衆に大地の味を振舞ってやるんじゃよ。」

(#64に続く)