今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

克服すべきは恐怖心ではなく、依存心である#4

(写真:黄金の森)

フライハイ

突然、窓の外からバラバラバラと轟音が響いてきた。
ビリビリビリ、立て付けの悪い開発部第5課の窓が震える。
歌陽子(かよこ)が窓から外を見ると、本館の上を大きなヘリコプターがホバリングをしていた。

ヘリポートなんかないのに、無茶苦茶だよ。

「村方さん、ダメです。ヘリなんか下ろしたら屋上が抜けます。」

電話の向こうから村方の声がした。

「お嬢様、もっと屋上に近づけますから、そちらから乗り込んでください。」

「飛んでいるヘリコプターにどうやって乗るんですか?縄ばしごなんて絶対無理ですよ。」

「大丈夫、皆さんと屋上に来てください。」

ガチャ。
あ、切られた。

歌陽子は困り果てて三人の方を振り向いた。

「えっ・・と、どうしましょう?」

「まあ、来いって言うんだから行こうじゃねえか。」

こんな時の前田町は憎らしいほど落ち着いている。

「野田平さんと日登美さんは?」

「ばあか、だからお前はいつまで経ってもウダツが上がらねえんだ。こんな面白いもん、今度いつ乗れるってんだ。」

「はあ・・・。」

そして、東大寺歌陽子と野田平、前田町、日登美の4名は5分後、会社の本館ビルの屋上にいた。
屋上の上、約10メートルで機体をまっすぐにしてホバリングしている大型ヘリコプターの起こす風圧が凄くて、歌陽子は左手で髪を、右手でスカートを必死で押さえていた。
それに対して、三人の技術者たちは、ヘリコプターの真下で散々髪が乱れるのも、白衣や作業着の裾がはためくのも構わず、嬉しそうに見上げている。
そのうちに、ヘリコプターの中央の床板がズレてパックリと穴が開いた。そして、そこから、人が一人座れる椅子型のゴンドラがそろそろと降りて来た。

「うわあ、すげえ。」

野田平はすっかりはしゃいでゴンドラに乗り込んだ。そして、上に向かって「早く引きあげろ!」と怒鳴った。
それに対して上からは、「ダメですよ。ちゃんとベルトを締めてください。」と小言が降りてきた。
やがて、ウィーンと言うワイヤーを巻き上げる音とともに野田平はゴンドラと一緒に宙に浮いた。

「ウォー!気持ちいい!」

すっかり子供の反応だ。
その後は前田町、相変わらずの仏頂面だが、ゴンドラに吊られて行く時、口の端がピクピク動いていて明らかに楽しくてしょうがない様子が現れていた。
そして、滅多に声を張り上げない日登美も、「ワーッ、ウワーッ」と奇声を上げていた。
さて、最後は歌陽子だったが、高所恐怖症の彼女は屋上の上からさらに10メートルも吊り下げられるなんて、想像しただけで足がすくんだ。
しかし、自分だけ置いてけぼりは困るので、目の前のゴンドラに腰を沈めて、ゲージにしっかりつかまって目を閉じた。

あ、浮いてる。浮いてる。

足元が冷え込むような高所恐怖症特有の感覚を味わいながらワイヤーを巻き上げられている内に、突風でガクンとゴンドラが揺れた。

「キャー!!」

まるでジェットコースターで逆落としになる女子のような声をあげて、歌陽子はさらにしっかりゲージにしがみついた。
思わず涙目を開けてみると、青空の下、街がずっと向こうまで見渡せた。
あの空の青と交わっている彼方の藍色は、海だ!
海がこんなに近かったなんて!
まるで空を飛んでいるような開放感に、怖いのも忘れてグルリと周りを見渡してみた。
すると、本館の下に人だかりができて、歌陽子を指差して何か言っている。

ああ、最悪。

やがて、ゴンドラごとヘリコプターに引き上げられた歌陽子は、小刻みに震える脚を励ましてやっとやっとゴンドラから這い出した。
見ると、ヘリコプターの中には応接が設えてあり、すでに乗り込んだ3人を相手に村方がウィスキーをロックで勧めていた。

ウィスキーを一口含んだ前田町が、「うめえ」と喉から絞り出すように言うと、村方が「喜んで貰えて何よりです」と応じた。

「なあ、あんた、いつもこんなたいそうなもんで飛び回ってんのか?」

「まさかあ、これは代表名義の特別機ですよ。そう簡単には借りられません。」

「へえ、じゃあどうしたんだ?」

「でも、歌陽子お嬢様のお名前を出せば一発です。」

「へえ〜っ!」

と、頓狂な声を出したのは野田平。

「コーヒー・・・いや、おたくのとこのお嬢様はすげえ権力を持っているんだな。」

権力って・・・。

村方には、それとなく3人の人柄は伝えてある。かなり性格には難ありだが、腕は一流であること。

「そんなわけで、東大寺グループの大切な方ですから、お手柔らかに頼みます。また、体調を崩されでもしたら、今度こそ本当に社長の首が飛びます。」

口調は優しいが言葉の外に3人に自省を促していた。しかし、彼らは一向にそれに頓着する様子はない。
眉間にしわを寄せている村方に、歌陽子は一生懸命三人のことを取りなそうとした。

「村方さん、この人たち口は悪いけど、今はとても私を助けてくれるんです。」

その声に村方は歌陽子の方を振り返った。

「お、お嬢様、危ないですから席に腰掛けてください。」

その時、ホバリングから機首を転回したヘリコプターは、ガクンと揺れた。

「あ、あっ!」

「ほら、危ない!」

揺れにバランスを崩しかけた歌陽子を村方が支えた。

「ちゃんと座っていてください。」

「は、はい。」

でも、そもそも私がこんな怖い思いをするのは誰の所為?

「あの、村方さん。」

「なんでしょう?」

「私、むしろあなたに怒っています。」

「とおっしゃると?」

「だいたい、どうしてヘリポートもないのに、こんな大きなヘリコプターを飛ばしてくるんですか?それに、さっき皆んなこっちを見てましたよ。
明日からどんな顔して出社すればいいんですか?」

「まあ、落ち着いてください。お嬢様はりんごジュースで良いですか。」

「もう!子供扱いしないでください。私もウィスキーを貰います。」

「はい、分かりました。でも、皆さんたいへん喜んでおられるようです。歌陽子お嬢様もどうかおくつろぎください。このヘリは歌陽子お嬢様のために借りたんですから。」

いつの間にか陽の光には赤い色が混じり始めていた。
ヘリコプターは、黄金に輝く太陽を追いかけて、湾岸線から沖へと進路を変えた。

「どうです。ここの夕日も素晴らしいでしょ。」

歌陽子は、子供の頃から世界中のいろんな絶景とそこにしずむ夕日を目にして来たが、目の前に広がる黄金色の景色もまた歌陽子の心をグッと掴んだ。
眼下いっぱいに広がる水平線と、黄金色の光をいっぱいに浴びて照り返す青い波、そして白波を立てる船舶や白い帆のヨット。
ヘリコプターが旋回し、沖から陸地へと機首を向けると、観光スポットになっている白い大きな吊り橋と、はるか向こう側には赤い頂が見えた。
富士山だあ。

村方に腹をたてかけた歌陽子も、今はそんなことをすっかり忘れて上空からの眺めに見とれていた。

(#5に続く)

克服すべきは恐怖心ではなく、依存心である#3

(写真:黒のベール)

歌陽子の高揚

「それで、結局その仕事受けてきたんですか?」

「え、無理無理無理、無理ですう。だって、私一介の課長ですよ。そんな会社の事業に関わることを簡単に受けられません。それに、私の後ろには会社の重役の皆さんがズラーッと並んでましたし。」

「はっはっは、そりゃ見もんじゃねえか。なんで俺らを呼ばなかったんだ。」

「ふん、東大寺の令嬢ってのも伊達じゃねえんだな。ここじゃ、しがないコーヒー係だってえのに。」

歌陽子(かよこ)は、野田平、前田町、日登美ら3人の老技術者を前に、今日村方から聞いてきた内容の説明をした。

「東大寺グループ代表、つまり私の父ですけど、医療分野に強みがあることを活かして、今度はロボティクスでもビジネスを拡大したいと考えているんです。」

「次から次とよく考えつきやがるな。まあ。それだけ大食らいでなけりゃ、大企業ってえのはガタイを維持できねえってことだな。象とおんなじだぜ。」

あいも変わらず苦虫を噛み潰した顔で聞いている前田町だったが、今は一番頼れる歌陽子の味方だった。

「だけどよう、嬢ちゃん。」

前田町は歌陽子を嬢ちゃんと呼ぶ。親愛の情の表しているらしい。

「あんた、あれだけ毎日オヤジさんの顔を見ていて、父親が何を考えているのか知らねえのかよ?」

歌陽子は、少し苦笑いをして続けた。

「父は私や母が少々お金の無駄遣いをしても笑って許してくれる寛大な人なんですけど・・・。」

「待てよ、その少々ってどれくらいだよ。」

野田平が話の腰を折る。

「え、だいだい2、3千万くらいなら。」

「2、3千万?しかもこともなげに。ちっ!狂ってやがる。」

思わず野田平に喋らされたことを歌陽子は後悔した。しかし、当たりがソフトな日登美が助け船を出してくれた。

「野田平くん、まあ、最後まで聞いてやろうよ。」

「あ、ああ、そうだな。」

「あの、父は女の私や母が仕事のことを聞くのを凄く嫌がるんです。多分、家に居る時くらいは仕事のことを忘れたいんだと思います。」

「そう言うことか。だけど、嬢ちゃんが俺たちにこんな話をするってことは、何か魂胆があるんだろ?」

魂胆って・・・。
でも、確かに、私はあなたたちにお願いしたいことがある。

「父は、この介護ロボットを自走するだけではなく、自律駆動にしたいんです。つまり、自分で考えて介助が必要な人の手助けをするような未来のロボットです。」

「なるほど、至れり尽せりってことだな。しかし、そうすると・・・。」

そう言って前田町は腕組みをした。
そして、日登美が言葉をつないだ。

「確かに、それは車の自動走行を、介護ロボットに置き換えた話ですからね。基礎研究だけで10年近くかかる可能性があります。どの会社も尻込みするのは分かります。」

「10年・・・。」

「そう言うことだ。会社の若えヤツラがやるなら問題ねえが、こんな死に損ないのやる仕事じゃねえ。」

「ですが・・・。」

そこで、歌陽子は意を決して言った。

「例えば、ロボットが自分で考える、そう人工知能の部分は専門家に任せて、センサーやモーター制御の部分なら皆さんの経験が武器になります。」

「そりゃ、間違いない。」

野田平が珍しくまともに応じた。

「あ、あの、怒らずに聞いてください。皆さんは、業界でも指折りのロボット技術者です。なのに、こんなところに閉じ込められていて悔しくありません?」

「当たり前のことを聞くんじゃねえ。」

わずかだが怒気を含んだ低い声で前田町が応じる。
それに気をくじかれそうになりながらも、歌陽子は勇気を振るって言葉を継いだ。

「あ、あの・・・、だからです。基礎研究で終わるかも知れませんが、皆さんの技術を次世代につなげるなら、こんな素晴らしいことはありません。それに基礎研究と言っても一社でするわけではありません。東大寺グループのコネクションで人工知能の先進企業と共同研究すれば、基礎研究の期間はもっと短くできます。
え・・、あの・・・?」

前田町がさっきから不思議なものでも見るように歌陽子の顔をマジマジと見つめていた。

「うん、いやな、嬢ちゃんもそんな顔をするのかと思ってな。なんか、目なんざキラキラさせて、一端の大人の女に見えるぜ。」

ハッ。
思わず歌陽子は頰に手を当てた。
上気した頰は熱を帯びて熱かった。

「あ、あたし・・・。」

「いいってことよ。だけど、なんだか嬉しかったぜ。まあ、まずはその村方って野郎からもう少し詳しく聞かせて貰おうか。」

「は、はい!有難うございます。じゃあ、早速。」

「お、おい・・・。チッ、若え奴は堪え性がねえなあ。」

歌陽子は、携帯を取り出して聞いておいた村方の連絡先を呼び出した。

トゥルルルルルル!
ガチャ。

「あ、村方さん、歌陽子です。あのお話ですが、開発部第5課のメンバーに話をしました。村方さんのご都合の良い時に伺います。
え・・・?今からですか?
え?こ、困ります。えーっ!!」

その時、窓の外からバラバラバラと爆音が聞こえてきた。

(#4に続く)

克服すべきは恐怖心ではなく、依存心である#2

(写真:天空の白馬)

知己の来訪者

その日、三葉ロボテク本社全体にピリッとした空気が走っているのを東大寺歌陽子(かよこ)は感じていた。
普段は接点のない会社の役員たちが、何人も玄関のエントランスをそわそわ動き回りながら社員たちに指示をしていた。
たまたま行きあった総務の佐山清美に聞いてみたところ、上の会社から監査役がやってくると言うことだった。
上の会社といえば、そう、東大寺系列の監査法人か出資会社と言うことになる。
おそらく、会社の監査と同時に東大寺グループの意向を伝えにやってくるのだろう。
歌陽子も東大寺の人間には違いなかったが、三葉ロボテクの一課長としては雲の上の話だ。
そんなことより、早々に事務所に戻ってここの所すっかり溜め込んでしまった事務処理を済ませなければ。

そんな歌陽子に、例によってまた野田平が自分の面倒臭い仕事を押し付けようと待っていた。

「おい、コーヒー係、あのな、このガラクタ処分しておいてくれ。」

ガラクタって、また調達部から部品を持ち出して勝手に作り始めた自称「画期的な試作品」のことでしょ。それをすぐ飽きて放り出して、挙句にガラクタ呼ばわりなんて。
この人の身勝手さは筋金が入っている。
それで、処分しているところを他の課の課長に見つかろうもんなら、「資材の無駄遣い」とか「コスト意識がおかしい」とか散々しぼられるんだから。

「分かりました。では、今日中には片付けておきます。」

「ダメだ!今やれ!こんなガラクタがあったらクリエイティブな思考が止まっちまう。」

でも、廃棄物置き場に行くには、本館の玄関を抜けなくてはならないし、あんなものものしい状態のところにガラガラとガラクタを引いて行ったらどんなに大目玉を喰らうか分からない。
うわあ、絶対に嫌。

「あ、あの、今はちょっと。隅に目立たないように片付けておきますから、後でいいですよね。」

「こらっ!口答えするな!お前は、なんで給料貰っているんだ?」

課長職ですけど。

「お前はゴミやガラクタを片付けてナンボだろ。ゴミ係!」

あ、今度はゴミ係ですか。
これは何を言っても仕方ない。

「はい、分かりました。すぐ片付けます。」

そう諦めて歌陽子は、廃棄物運搬用の台車を取りに向かった。

これは、一度では無理かな。
台車にうず高く積み込んだ鉄屑の山。
まだ、かなりの量が残っている。
まずは、一旦運ぼうと見切りをつけて押し始めたところ、これが意外に重い。
足を踏ん張って体重をかけて、うんす、うんすと何とか動かすことができた。
そして、開発部技術第5課のある別館から、本館の裏手へ入って、玄関のエントランス手前まで20分近くかかってしまった。
台車を近くに止めて、目立たないないようにエントランスの様子を伺う。
・・・あれは、無理。
あんな人がたくさんいたら、とても抜けられない。
どうしよう。野田平さんには、さんざん嫌味を言われるだろうけど、一度引き返そうか。
・・・と、考えていたら、急にエントランスから人が外に向かっていなくなった。
なぜかは、少し考えれば分かることだったが、その時の歌陽子は「いまだ!」としか思わなかった。
そして、近くに止めた台車を押して、うんす、うんすとエントランスにさしかかった時。

「最悪・・・。」

ちょうど、玄関に入ってきたゲスト、そしてそれを取り巻いている会社の重役たちと鉢合わせしてしまった。
目ざとく歌陽子を見つけた重役は、

「き、君い!ダメだろ。場を弁え給え!」

と、ビシリと厳しい声を投げた。
しかし、それを制したのは当日のゲストだった。

「まあ、待ち給え。ん?」

「え?あ、あ、む、村方さん。」

「か、歌陽子お嬢様!」

思わず、重役からどよめきが起きた。
東大寺様の令嬢がうちの会社にいるとは噂では聞いていたけど、本当にいたのか。

「ど、どうしてこんなところで?」

「あ、父に無理を言ったんです。どこか外の仕事を紹介してくださいって。」

「だからって、どうしてここなんですか?あなたは、いずれは東大寺グループの一翼を担うお方なんですよ。」

村方は、長らく東大寺グループ代表、東大寺克徳、つまり歌陽子の父の秘書を務めてきた人物だった。いつも、父と一緒に行動していたので、彼女が幼いころはよく可愛がって貰った。まるで、おじさんのような存在である。
その村方が能力を買われ、東大寺グループのある重要なポストに抜擢されたのは、もう10年も前になる。
今回のことは、あまり父克徳から聞かされていないのか、意外な形の再会に村方はただ驚くばかりだった。

ピシリ!
短い村方の指示が、すぐ脇の人物に飛ぶ。

「君!すぐに代わって差し上げて。」

「は、はい!」

と歌陽子に代わり台車のハンドルを握ったのは、あ、専務さん。
しかし、重い台車はなかなか動かせない。

「なんだ、大の大人が情けない。お嬢様でもさっきまで押していたじゃないか。
君も手伝って。」

そう、指示を飛ばした相手は、あ、常務さん。
二人の重役に台車を任せて村方は、目配せで応接に通すよう指示をした。
すると、飛ぶように社員たちが走っていく。
どれだけ、この会社にとって怖い人なの?
そして、文字通り歌陽子をエスコートして、応接のソファに身を沈めた。
上座は・・・歌陽子だ。その後ろには重役たちが恐縮して一列に並んで立っていた。
まさに、歌陽子からすれば、うわあ、な状況。まだ、この場に社長がいないのが唯一の救いである。

「お嬢様、コーヒーでよろしいですか?」

「あ、あの私はなんでも。」

「あ、そうか、お嬢様は昔からりんごジュースがお好きでしたね。君、りんごジュースを。」

「ち、ちょっと、村方さん、困ります。私は、この会社の一課長なんですから。」

「それは、どういう事ですか?一時この会社に席を置いて実務経験を積むにしても、いきなり課長とは。」

「なんですけど、父の意向もあって。」

「毎度ながら、あの方のなさりようには驚かされますな。」

歌陽子は、なんとか話題の転換を試みようとした。

「ですけど、村方さんは随分と偉くおなりですね。」

「いやあ、監査法人を任されましてね。会計だけでなく、経営アドバイスもしなければならないんです。そう聞くとカッコイイですが、要は不採算部門を切ったり、コスト削減をしたり、すっかりグループの嫌われものです。」

「今日もそれですか?」

まさか、開発部の課を減らすとか言いださないよね。

「いえ、いえ。今日はむしろ縮小より、拡大する話です。実は代表の発案で、機動力のある介護用ロボットの開発を行うことになったんですよ。それでグループ各社に打診をしているんですが、なかなか自ら進んで手を挙げるところがなくて。とくに、三葉ロボテクは産業用ロボットの専門メーカーですからね、こちらも期待しているんですよ。
それで、今日はこちらの社長に直接会って発破をかけようと思いまして。」

「村方さん!」

「はい?」

「その話、もう少し詳しく教えてください。」

(#3に続く)

克服すべきは恐怖心ではなく、依存心である#1

(写真:石の上の上人)

歌陽子の世界

「おい、コーヒー係。」

「・・・。」

「聞こえねえのか?コーヒー係。」

「・・・。」

「くそお、一端に無視しやがる。これでどうだ。」

野田平(のだいら)の手から小指大のボルトが飛んで、軽く弧を描いて歌陽子(かよこ)の頭にコツンと当たった。

「わ、わ、わ〜っ!」

急に来た衝撃に歌陽子はたまげて、椅子からずり落ちた。
そのままメガネをずり下げ、ペタリと床に座り込んだ姿は、まだあどけない少女だった数ヶ月前を彷彿とさせた。

「おい、コーヒー係、なんで無視しやがんだ。」

積み上がった書類の向こうから野田平が絡んでくる。

「野田平さん・・・。痛いじゃないですか。それに無視していた訳じゃありません。今月の数字をまとめるのに集中していて、それで聞こえなかったんです。」

「は、都合のいい耳だなあ。まあ、いい。コーヒー係、あんたはコーヒー係の仕事をしろ。」

「また・・・ですか。はい、分かりましたあ。」

「この野郎、この所すっかり慣れやがって。前田町のジジイのお気にりだからっていい気になるなよ。」

「あのお、仮にも私は皆さんの課長なんですから、少しは課長の仕事をさせてください。」

「知るもんか。東大寺の親父に据えられたポストなんざ俺は認めないね。お前なんざ、コーヒー係で充分だ。」

言葉はトゲトゲしいが、側から聞いていると祖父と孫がじゃれあっているようにも聞こえる。
東大寺歌陽子、三葉ロボテク 開発部技術第5課配属半年未満の新入社員にして、新米課長。年齢20歳。

なぜ、こんな世間知らずの若い女子が課長職を拝命したかと言えば、それには東大寺家の複雑なお家事情があった。
東大寺家は、バイオで世界をリードする医療系企業グループのオーナーであり、当三葉ロボテクの筆頭株主でもある。資産は数兆と言われる日本屈指の財閥の一族であった。
その令嬢が歌陽子である。
東大寺家で綿で包むように育てられ、その系列の小中高一貫のお嬢様学校で幼少期から思春期までを過ごした。そこから、2年間名門短大でティーンエイジ最後の青春を送った。
東大寺家とその周りの世界しか知らず、多少浮世離れしたお嬢様。
もちろん、子供の頃から多くの取り巻きに囲まれ、プリンセスのようにも扱われてきた。
それでも、歌陽子が勘違いしなかったのは、父親譲りの聡明さと内省的な性格のたまものである。
やがて、短大も無事卒業が近づき、父親は少し広い世界を見せてやろうと、歌陽子に2年間の海外留学先を決めてきた。
まるで、絵に描いたような理想的な人生、留学から帰れば、海外帰りの才媛の肩書きと一緒に社交界デビューをし、やがて婿を取る予定だった。

しかし、そんな理想的な人生のレールにいたたまれなくなったのは当の歌陽子だった。
何も選択しない、何も行動しない。それでも人生にはフルコースでお任せのご馳走が用意されていて、それを食べて過ごしさえすれば満足して一生を終えられる。
でも、私の人生は高級フレンチのフルコースじゃない。
どんなに無様でみっともなくても、キチンと私自身の足で立って歩いて、私自身の人生を作りたい。
そう主張して、父親の決めた完璧なレールにノーを突きつけた。
当然、父親がそんな身勝手を許すはずもない。

「お前に高い教育を受けさせたのは、そんな知恵をつけるためじゃない。」

しかし頑固なのは父親譲りで、歌陽子も頑として引かなかった。
さすがにラチがあかないと思った父親は、策を弄し一時譲歩することにした。
しかしそれは、自分の息のかかった三葉ロボテクに歌陽子を放り込んで、しっかり世間の厳しさを思い知らせて、懲りた頃にまたこちら側に引き戻そうと言う計画だった。それで一年留学は遅れるが、手の届かない海外でややこしいことになるより余程マシと考えた。
そして、三葉ロボテク側に要求したのは、一番しんどくてやり甲斐のない部署に配属してくれと言う注文。
筆頭株主であり、現在の経営母体である東大寺グループの意向に答えようと、三葉ロボテク側が必死で考えたのは、開発部技術第5課 課長職のポスト。
ここは社内で魔窟と呼ばれ、大の男でも一週間ももたないと言われていた。
そして、そこで歌陽子を待ち受けていたのは、野田平、前田町、日登美の老獪な技術者たち。とにかく強面でワガママで我を曲げない3人を相手に新人課長 歌陽子は一カ月頑張った。それは会社のレコードを更新したと言う。
しかし、一方歌陽子はメンタルにたいへんなダメージを受けていた。
会社は慌てて彼女に休暇を取らせ、現場から引き離した。
そして、してやったりとばかりに父親は、歌陽子が二度と世間に出たいと思わないようにお嬢様生活を満喫させた。
そんな父親の意図に気づいた歌陽子は、一人屋敷を抜け出して、三葉ロボテク裏の公園までやってきた。そこは歌陽子が父親の大きな手を離れて作ろうとした、とても辛かったけれど彼女自身の世界だった。
それを目に収めて帰りかけた歌陽子に、東大寺嫌いで一番の苦手の前田町が話しかけてきた。
また、気持ちを挫かれるようなことばを投げかけられるかと思いきや、前田町の歌陽子への評価は意外に高いものだった。
そして、「また一緒に働かないか」と言う前田町の言葉に勇気をえて、歌陽子は休職一カ月足らずで復帰した。
計画がうまく行かなかった父親が、三葉ロボテク側にどんな叱責をしたかは定かでない。

あの日歌陽子が持参したコーヒーを、前田町が気に入ってくれたので、それ以来の彼女は会社にコーヒーメーカーと豆を持ち込んで三人の老技術者に振舞っている。

「は、こんなチンケなもんで取り入るつもりかい。」

そう野田平は散々毒づいたが、今では一番コーヒーの愛好家だ。
それだけなら良かったが、歌陽子を「課長」ではなく「コーヒー係」と呼んでお茶汲みならぬコーヒー汲み係にしている。
最初は、「喜んで貰えるのなら」と甲斐甲斐しくコーヒーを給仕していた歌陽子も、「コーヒー係」「コーヒー係」とあまりこき使うものだからすっかり閉口してしまった。
それで、野田平に対しても少しは言い返すようになった。しかし、野田平もそれを半分嬉しそうに掛け合いに応じている。
そこは少しずつで歌陽子の世界になってきたのだ。

「おい、コーヒー係、ずれたメガネをかけ直せ。みっともねえ。」

「はい。」

(#2に続く)

ルールと心意気

(写真:メイエキ ムーン)

大切なルール

「すいません。よく分からなかったんで、以後よく気をつけます。」

そう強面の警官に素直に謝りました。
これは若かりし頃、道路の右折レーンに侵入しそのまま直進したところ、いきなりピピピ!「そこの車止まりなさい」と怒られた時の話です。
「切符切られるかな」と神妙にしていると、

「あなた、そんな運転をしていると絶対事故するよ。」

と、お小言を頂戴しただけで許して貰えました。
そんなこともあり、よく友達と「警官にも融通がきく人ときかない人がいるよね」と話しています。
最近では危険運転や道交法違反が世間で厳しく言われていることもあり、かなり厳しくルールが運用されている気がします。
そもそも車は便利ではありますが、使いようによっては刃物やピストル以上に恐ろしい走る凶器です。それを道路交通法と言うルールを守ると言う誓約のもと、公道に乗り入れているのです。
だから、ルールは守って当たり前。ルールはとても大切です。
しかし、最近は車の性能が良いのか少々規則違反をしても即事故につながるわけではありません。すると私たちドライバーはスッカリ自惚れて、警察にさえ見つからなければ良いくらいに本来のルールの意味を取り違えてしまいます。

でもルールが全てではない

道路交通法は命に関わることなので、本来いくら厳しく運用しても良いものです。
それでも、「お目こぼしして貰えた」と嬉しくなるのには、自分ながら「しょうがないヤツだな」と呆れます。
ただ、ルールも万能ではありません。
ルールは
時代や場所の事情に一時合わせ作られますが、当然世の中は変化していきます。
一時期、ネットの誹謗中傷をどう裁くかが議論になったように、世の中とルールは常に齟齬をきたし、その調整が必要です。
ただその調整が終わるまでの間に、そこから漏れて辛い思いをする人がどうしても出ます。
その人たちをどう救済するかは、今度はルール自身ではなく、ルールの適用の問題なのです。

ルールと心意気

以前、歴史作家がこんなことを喋っているのを聞きました。

「侍1人に対して、農民が9人もいた時代。年貢で農家から収穫の半分も取り上げたらどうなる?たちまち、米だらけになって、とても食べきれはしないだろう。」

確かに、他の工商の階層に下げ渡していたとしても、明らかにアンバランスです。
ですから、江戸時代は農民搾取の暗黒時代と思われていますが、必ずしもそうばかりではないかも知れません。
(ただ、その作家は現代の米の生産性を基準にしているので、当時米が余っていたと単純には言えない気がします。)
ただ、封建社会の縛りはキツかったものの、今のように何でもキッチリ運用を管理する手段がなかったので、かなり現場の裁量に任されていたでしょう。
その中で、ルールの運用を農民の現状に合わせて変える二宮金次郎のような心意気系の代官もいたと思います。

相手あってのルール

そもそもルールは何のためか?
それは、相手を生かすためのものです。
道交法も、公道を利用する全てのドライバーと歩行者の命を守り、安全に道路を利用して貰う為のものです。
ルールと言うと、その縛りや窮屈さばかりが目に付きます。しかし、本来は対象となった全員を幸せにするのが前提で決められているものです。
法学者に言わせれば「悪法も法なりや」ですが、人を不幸にする悪法なら変えなくてはなりません。また、その間に辛い思いをする人がいればルールの運用で救済することも必要です。
もちろん、国の法律の運用は警察や裁判官の領分です。しかし、企業であったり、地域であったり、個人の集まりであったりと、ルールを作って運用する側に回ることはいくらでもあります。そんな時、「ルールだから」と視野を狭くして、相手を不幸にしていることがあるかも知れません。
確かに、ルールに従えば相手も説得しやすいし、何より考えなくて良いので楽です。
そして、安易になし崩しにすれば誰も守らなくなるので、ルール自体を存続させるにはカチッとした運用が大切です。
しかし、本来ルールとは不完全なものであり、また相手を生かす為のものですから、常に状況に応じて運用を変える準備はしておきたいものです。

反省もほどほどに

(写真:緑生、紅生)

反省は大切、されど

叱られたり、ダメ出しを受けたり、反発が上がったりすると、「自分は何をしているんだろうか」と落ち込み自信がなくなります。
動物なら叩かれたらキャンとかニャーとか鳴いて逃げ出すだけですが、人間は「なぜ叩かれたのだろう」「二度と叩かれないためにはどうしたら良いのだろう」と考えます。
つまり、原因を反省をして、二度と不快な思いをしなくて良いように対策をします。
この反省はとても大切で、これで人類が進歩してきたと言っても過言ではありません。
なぜなら、人間は間違って痛い目を見て、そこを矯正されながら真っ直ぐ進むものだからです。
いわば、幅のある道を、左に逸れては左側のガードレールに弾き返されて軌道修正され、今度は反動で右に逸れては右のガードレールで弾かれる。曲がってはぶつかり、その度に矯正されておおまかに真っ直ぐ進んでいくのです。
これは、私たちの人生も、会社経営も、政治体制や思想ですらそうです。
しかし、その反省も正しくしなければなりません。

反省し過ぎにご用心

そもそも反省とは、自分の足りないところを自覚し、そこを正すためにするものです。
反省の前には、厳しい叱責や辛いダメ出しがあるでしょう。
そうすると、私たちの心はいずれかに動きます。
一、私たちにダメ出しをした人物を恨み憎み、反対にダメ出しをする。
「なんだ、あいつ全く分かってなんかいやしない。」
これは、全く反省に結びつかないので論外です。
二、ダメ出しを受けたところを把握して、そこを治すにはどうしたら良いか考える。
つまり、ダメ出しは部分的であり、一時的であり、だから努力で治すことができると考えます。一番健全な叱られ方ですね。
三、ダメ出しを受けるのは、自分がダメだからだと落ちこんでしまう。
私たちが人にダメ出しをする時、決してその人自身を否定している訳では有りません。気になることの一つ二つ、ほんの一部分の修正を求めたのに、もう身も蓋もないように落ち込まれてはかないません。
しかし、うぬぼれ強い私たちは、いつも完璧な自分の幻想を持っています。それがあるから人から少しダメ出しを受けると、「完璧じゃない私」=「生きている意味のない私」とまで落ち込んでしまうのでしょうね。

功罪半ばするのが人間

人間には100パーセント完璧な人もなければ、また100パーセントダメな人も存在しません。
必ず、誰でも良いところと悪いところが相半ばしているものです。いわば、人間とは功罪が半ばした存在です。
それを自分を完璧な人間のように思ったり、まるでダメな人間のように思うのは、正しい人間の姿から外れているのです。
こんな話があります。
ある男が、波打ち際でスッカリうなだれていました。
それを見たキツネが男に近づき尋ねました。

「どうして、そんなに悲しそうな顔をしているのですか?」

男はうなだれた顔を上げキツネに答えました。

「自分はずっとここで波を数えていたのだが、途中でいくつまで数えたか分からなくなってしまったんだ。」

キツネは励ますように言いました。

「波がなくなってしまう訳じゃない。昨日や今日と同じように明日も明後日も打ち寄せんるんだから、また一から数えたら良いじゃありませんか?」

しかし、男は決してそれからうなだれたこうべを上げようとはしませんでした。
これはイソップ童話の「波を数える男」と言う話です。
男にとって波を数え続けるのはは完璧な自分。一回でも波を数え損なったら、ダメな自分。全てはオジャンです。

罪のみ反省すれば良い

でも、本当はキツネの言うように、「波がなくなってしまう訳じゃない」のです。
いくらでも、どこからでもやり直せるのに、男にはそれが分からないのでしょうね。
この波を数える男は、まるで必死に失敗しないように汲々としている私たちの姿です。
そして、
「遅刻をした」
「期限が守れなかった」
「忘れ物をしてした」
「失敗を叱られた」等、
一度小さな波を数え損なったら、たちまち身も蓋もなくなります。
中には自殺をする人まで現れます。
しかし、ガードレールの間を転がるように、右と左で矯正されて初めて真っ直ぐ進めるのが私たちです。矯正を恐れたら、真っ直ぐはおろか、転がることさえ出来なくなります。
今指摘されダメ出しを受け、叱責されているのは、私の中のほんの一部の小さな瑕疵です。それさえ直せば、また真っ直ぐに歩き始めることができます。
確かに、私たちは功罪のある存在ですが、罪があっても私自身を否定する必要はありません。なぜなら、私を丸ごと否定したら、功の部分まで否定しなければならないからです。
悪いのは罪だけです。しかも、今一時的にダメなだけかも知れない。
だから、勇気を出して罪だけをしっかりと見つめそこを直せば、あとは功だけの自分が残ります。
もちろん、それで完璧と自惚れてはなりませんが、また勇気を出して進めるでしょう。
反省は大事ですが、反省すべき対象を間違えてはならない、反省もほどほどが大切と言う話です。

山や川を恨む人間はいない

(写真:ヤンマ その3)

電車の中で

「ああ、腹立つわ。」

「どないしたん?」

「あのな、うちの亭主、めちゃムカつくねん。昨日な、メチャメチャ忙しかったんや。
それで、頑張って片付けたら夕方な、えらい眠うなって、ちょっと炬燵のところでとろとろしとったんや。そうしたら、うちのが『女はうちでのんびりしとれてエエナア』いうんやで。
誰がのんびりしとるちゅうやねん。
家におるときは、みんなうちにやらせてダラダラしとるのは、どっちやねん。」

「あ、それは良うないなあ。」

「せやろ、ひどいもんやで。ほんまにうちおん出たろか。」

「まあ、まあ、まだ子供も小さいんやし。」

「せやけど、腹が立つっちゅうねん。」

犯人はどこか?

ガクン!

「あ、電車止まったで。」

「そやな、どうしたんやろ?」

アナウンス

「電車をご利用中の皆様にご案内します。この先の踏切で自動車と列車の接触事故がありました。現在のところ、まだ復旧の目処が立っておりません。皆様、お急ぎのところまことに申し訳ありませんが、しばらくお待ちいただきますようお願い致します。」

「え!ほんまかいな。敵わんわ、急いどるのに。」

「でも、しょうがないやろ。こんなところなんやし。しばらく、待ってみいへん。」

「せやな、しゃあないわな。◯鉄が悪いわけちゃうし。」

・・・

一時間後。

「あかん、うちは限界や。車掌はどこや?文句言ったる!責任者、出てこんかい!」

山や川を恨む人間はいない

「ちょっと、落ち着いてえな。みんな、めっちゃ見とるやん。そないに、何でも人のせいにしたら、あかんよ。」

「せやかて、うちのせいやないやん。」

「じゃあ、誰のせいなん?」

「そら、電車にぶつかっていったドライバーか、車をようよけなんだ電車の運転手のせいやろ。なんで、そないにどんくさいもんらのために、うちがえらい目合わなならんねん、」

「ちょっと、どんくさいなんか言うたらあかん。どないしようもなかったかも知れへんやろ?」

「まあ、そらそう言うこともあるやろけどな。」

「あんたなあ、よう山歩き行くやろ。そしたら、途中で雨降りよるやん。そんとき、空に向かって怒るか?『バカヤロー!』言うて。」

「そら、そんなヤツおらへんわ。」

「じゃあ、山が高くてシンドイわ!とか、川がじゃあくさい、どっか行けとか言うか?」

「言うわけないやろ。言うたらアホやん。」

「じゃあ、山や川なら許せるのに、なんで◯鉄や、旦那さんは許せえへんの?」

「あ、そう言うたら、そやな。」

気持ちひとつ

「まあ、山や川はなんともならんけど、人間相手ならゴネたらなんとかなるかも知れんもんな。」

「山や川はそうやな。◯鉄相手なら、癇癪起こしたら少しは恐縮しよるもんな。うちは、それ見て憂さ晴らしをするっちゅうことやな。」

「そうやで、車掌さんもたいへんなんやから、気い悪いこと言ったらあかんよ。」

「せやな、うちの亭主にもそう思ったらええな。気い悪いこと言われても、あれは『カミナリが鳴っとるんや』くらいに思うたらええな。」

「主人が言うたら、うちら、どうしても自分のことに結びつけてしまうやんか。うちが悪いから言うてくるんやろか、とか、うちのこと嫌いやから酷いこと言うんやろか、とか。
知らんうちに、うちら自分で自分のこと責めとるんかもな。だから、余計傷ついて腹がたつんや。」

「そやそや、雨が降ろうが、山が高かろうが、川が流れとろうが、うちらとはなんも関係ないもんな。みんな、そう思ったらよろしいな。」

ガタン!

「あ!電車動きよったで。」

アナウンス

「皆様、たいへん長らくお待たせしました。踏切の事故処理が終わりましたので運転を再開いたします。」

「良かったなあ。」

「せやなあ、なんでも気い良うしとった方がよろしいな。」