今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

上司こそ最大の武器

(写真:よるの難波 その1)

上司がいなければ仕事は早く進む?

ある時、会社の上の人が言いました。

「本当は上司なんてものは無い方が早く仕事は進むんだけど、無かったら無かったでトラブルが防げないしなあ。」

サラリーマンの半ば口癖になっているのが「一度持ち帰りまして」です。外部との打ち合わせでは、まず2回に1回と言う頻度で口にしています。
では、持ち帰って何をするのか?
それは、上司との相談です。
たとえ自分で判断できそうでも、その場でコミットはしません。
お客さんからすれば、会社のどの立場のどの人間が喋っていようが関係はないので、担当者のコミットはそのまま会社からの確約になります。しかし、進んでしまった後で上司から待ったがかかれば、お客さんに迷惑をかけますし、かなり叱責を受けます。
それは嫌だし、申し訳ないですよね。
だから、私たちはすぐに判断をすることを避け、必ず上申して社内の承認を得ようとします。

仕事の壁

言わば、これは責任のリレーをしているのです。
上司に報告した時点で、判断する責任は自分から離れます。上司は部下から報告を受けたると同時に責任のバトンを受け取り、それが自分の範疇で処理できると思えば、すぐに判断を行います。
できない思えば、さらにその上長へとバトンは引き継がれます。
また大企業ほど、そのバトンを渡す走者、つまり階層が多く、それこそトップの判断を仰ごうと思ったらどれ位時間がかかるか分かりません。中には、数ヶ月という案件もあるでしょう。
それに、自分も含めてサラリーマン全ての悩みは、上申の範囲をどう考えるかです。
あまり何でもかんでも上げると、「現場に判断力がない」と怒られます。それで、なるべく自分たちで判断しようと頑張ると、今度は「勝手な自己判断をし過ぎる」とやはり怒られます。
また、その線引きは上司の感覚によるものなので、誰にでも同じようにしていては失敗します。そのため、私たちが新しい上司の元で働くことになったら、まず気にするのはその線引きの位置です。
あるいは何事も起こさず、前例の範囲内だけで行っていれば、そんな面倒くさいことを考えなくても良いので、なるべく冒険は避けようとします。「組織が大きくなるほど何も生まれないし、決まらない」と言われるのはその所為かも知れません。

上司はリソースを配る人

しかし、ついにその状況に業を煮やす人が現れます。
「これじゃ、上の顔色を見るのがメイン業務じゃないか。せっかく、お客さんさんから良い話があっても判断が遅くなって、ライバルに取られてばかりだ。
良いアイディアが出ても、上司の判断を待っているうちに時代が先に進んでしまう。
それくらいなら、いっそのこと自分で全て決めて、動ける立場になりたい。」
サラリーマンなら、嫌というほどその気持ちが分かります。
そして、力のある人は実際に行動をするでしょう。いわゆる起業家と言う人たちです。
しかし、大多数はそこまで踏み切れず現状に愚痴を言いながら、一生懸命受け入れようとします。
・・・
ここまで書いてくるとサラリーマンに夢も希望もなくなるので、今一度「上司」を定義し直したいと思います。
そもそも、それ以前に会社とはリソースのプールです。
人、もの、金は、経営の3大要素と言われます。
会社は社員を雇い、労働力やスキルをプールします。仕入れたり、製造して、販売できるものをプールします。売上を上げたり、資金を借り入れてお金をプールします。
これら、経営の3大要素のリソースを、どう一番利益を生むように配分するかが会社の機能です。
そして現状を把握し、効率よくリソースを配る仕組として組織があります。
上司とは、その組織のポイント、ポイントで権限と言うリソースを預かっている人です。
そのリソースをどう配るかが組織の長の一番大切な仕事なのです。

上司は波を起こす人

普通、私たちは現場で実績を上げ、それが評価されて立場が上がります。
実業務をこなした結果評価されるので、立場が上がっても同じものが求められていると勘違いし易いのですが、上司になった時、果たすべき役割は現場での高いオペレーションではありません。むしろ、部下や予算、取り扱い製品や販路と言うリソースを預かり、それをどう配って結果を出すかが大切な役割なのです。
そして、私たちが会社で活躍したいと思えば、そのリソースを割り振って貰わねばなりません。だから、上司は「壁」だとはねつけているうちは、十分なリソースは与えられないのです。
できることなら、上司がリソースを与えたくなるような仕事をしたいですね。そうすれば、上司は自分の持っているリソースを送って応援をしてくれます。
上司のリソースは、言わば波のようなもので、それに乗れば自分の力では行けないところまでたどり着けます。
上司は「壁」ではなく、「波」を起こす人と気持ちを変えて付き合うことができれば、きっと仕事の見方や取り組み方も変わるでしょう。

心を開くマジックワード

(写真:難波の夕暮れ)

頑なな人

「よくお越しになりましたね。」

「ああ。」

「どちらから、お越しになりましたか?」

「まあ、近くじゃ。別にどこからでも良いじゃろ。」

「・・・今日はどなたとお越しになりましたか?」

「一人じゃよ。一人の参加はいかんとどこかに書いてあったか?」

「い、いえ、そんな。」

「わしは一人がいいんじゃ。ほっといてくれ。」

「いや、そう言うわけには。」

「いいんじゃ、わしは一人が好きなんじゃよ。それより他の連中の世話をしてやってくれ。ほら、向こうで呼んどるぞ。」

何かお手伝いできることはありませんか?

「先ぱ〜い。あのおじいさん、ぜんぜん心を開いてくれませ〜ん。他の皆さんも、どう扱ったら良いか困ってます。」

「そう、たまにあんな人いるのよね。でも、本人もほっといて欲しいみたいだし、しばらくそのままにしておいたら。」

「い、いいえ。そんな訳には行かないです。あのおじいさんの周りだけ空気が重くて、みなさん気まずい思いをしてるんです。
せっかく楽しみに来られた方々に申し訳ないです。」

「それもそうね。分かったわ、私がなんとかする。」

「お願いします。」

・・・

「あの、何かお手伝いできる事ことはありませんか?」

「手伝うって、あんたがか?」

「はい、なんでもおっしゃってください。」

「ほう、なんでもかい?」

「はい。」

「ならば、こんなくだらん会はすぐに中止にしてくれんか?」

「はいっ。」

「はいって、あんた本当にできるのか?」

「はいっ。主催者側に今から掛け合って参ります。」

「ほう、面白い。じゃあ、早速やってきて貰おう。」

「分かりました。ただ・・・。」

「ただ、なんじゃ?」

「主催者に理由を聞かれたら、何と答えましょう?」

「何じゃと?何でもすると言ったのは、あんたじゃろう?」

私の仕事

「はい、申しました。」

「なら、さっさと主催者のところとやらに行って来んか。」

「申しましたが、何をするでも必要なものがあります。例えば、車はどこへでも連れて行ってくれる便利なものですが、やはりガソリンがなくては走りません。
私たちも、来られた方の何にでもお役に立ちたいのですが、それをするには理由が必要です。」

「また、くだらん屁理屈を言いおって。できんのなら最初から調子の良いことは言わんことじゃ。」

「いいえ、出来ないことなら出来ないと申します。ここに参加された皆さんがお困りのことがあれば何とかして差し上げるのが私たちの仕事です。出来ないのではなく、条件が揃わないから今は難しいだけなので、その条件が揃うように努力をしますし、必要ならばご協力もお願いしています。」

「分かった!じゃあ、理由を言うから、その時は必ずお開きにするな?」

「はい、もちろん。」

心を開くマジックワード

「よ、よし。分かった。言うからな。
わしはなあ、もう20年も前に連れ合いを亡くして、ずっと独り身なんじゃ。子供もできなかったし、細々やっていた商売も畳んで、もう何もすることがないんじゃ。
それで、ある人がなあ、あんまり家に一人で籠っていると身体に悪いと、たまには人と交わるように誘ってくれたんじゃよ。
そうしたらなあ、あんた、誘ってくれた相手は向こうでスケべな顔したジイさんとベタベタしとるじゃないか。」

「つまり・・・ヤキモチ・・。」

「ナンジャとお?」

「い、いえ、何でもありません。」

「ふん!あほらしくて、すぐ帰ろうとしたのに、あんたらお節介なスタッフが引き止めるから帰れんようになってしもうたわ。」

「分かりました。なら、私が向こうの方に聞いて参ります。」

「え?お、おい、ちょっと待て!こら!よさんか。」

「あの、聞いて参りました。」

「ぐっ・・・。」

「あの手を振っておられる女性ですよね。あなたを待っておられたようですよ。」

「嘘つけ!」

「ホントですって。一緒の方はお友達のご主人で、一緒にお連れさんを待っていたんですって。」

「お連れさん・・・って?」

「またあ、あなたのことですよ。」

「そ、その、何だ。世話になった。」

「いいえ、仕事ですから。」

・・・

「先輩、すごおい、どうやったんですか?」

「私には、秘密のマジックワードがあるの。」

「へえ〜っ、教えてください。」

「あのね、『何かお手伝いできることはありませんか?』って言ったの。」

「え?それだけ?」

「そう。じゃあ、あなた何て声かけたの?」

「そりゃ、どこから来たんですか?とか、誰と来たんですか?とか。」

「それじゃ、ダメよ。それだと、初めてで不慣れな人には上から目線に思われるわ。
あくまで、目線は相手と合わせて、そして、この人、自分のために何かしてくれようとしているな、と思ってもらうの。」

「そうですよね。」

「それに、『何かお手伝いできることはありませんか?』って疑問形でしょ。相手も考えるから、積極的に関わって貰えるのよ。」

「さすが先輩お見それしました。」

「まあ、奥義を一つ伝授したんだから、早く一人前になってね。」

「はあい。」

0.01パーセントの心の声(後編)

(写真:山鳩)

ピンク色の勇気

そして、その日も老女は電車の中に立っていた。
ヨシオは見るとも無しに、広げた参考書の端から老女の姿を捉えていた。
ん、何だろう?
老女が手を振っている。
「いえ、いえ」をするように。
やがて、ピョコリと頭を下げて老女の姿は人混みの向こうに消えた。
そして、代わりにピョンと飛び出して来たのは、ピンク色のカーディガン。
そう、ヨシオが気にしているあの少女だった。
(席を譲ったんだ。)
席を譲る、たったそれだけのことである。
しかし、そんなたったそれだけの小善が自分にも、周りの大人たちにもできなかった。
誰にもできなかったからこそ、彼女の小さな勇気が偉く思えた。
ましてや、それがあの少女だったから尚更だった。
ピンク色のカーディガンの彼女は、少しはにかんで薄く笑った。そして、「そんなたいしたことはしてないですよ」と言わんばかりに、手にした参考書にすぐ目を落とした。
その光景にヨシオは、少なからず衝撃を覚えた。

しかも、それからである。
少女は、毎日のように老女に席を譲った。それはまるで、老女のために席を温めて用意しているかのようだった。
そして、いつものように「いえ、いえ」と手を振るやり取りを老女は少女と交わしていた。最後にはいつも席をゆずっている少女の顔は、参考書に目を落として伏せていたが心なしか輝いて見えた。
ヨシオと言えば、少しでも長く彼女の姿を見られて嬉しいはずが、心の隅に後ろめたさが残るのをどうしようもなかった。

0.01パーセントの心の声に耳を澄ませよ

そんなことが、一週間以上続いた後、老女に席を譲った後に少女が軽く咳をした。
あいにくマスクの持ち合わせがないらしくスカートのポケットから白いハンカチを取り出して口に当てた。
顔が少し赤らんでいた。
熱があるのかも知れない。
彼女は咳を繰り返していたが、ついに辛そうにしゃがみこんだ。
思わず、ヨシオは立ち上がろうとした。
しかし、恥ずかしさがそれを押しとどめた。
あの老女は、すぐに立ち上がり彼女に席を変わろうとした。
だが、少女は首を横に振り、気丈に立ち上がって笑った。

「大丈夫」

そう言っているのだろう。
彼女は時折咳をするものの何もなかったかのようにつり革で身を支え、やがて老女より一駅前で降りて行った。

そして、やはり風邪をひいていたのか、次の日少女の姿はなかった。
その日老女はずっと立っていかなくてはならなかった。老女はその時、気遣わしげに当たり見回した。昨日辛そうだった少女が気になるのだろうか。
電車の速度が変化するたび、前に後ろによろつく老女がヨシオには気になってしょうがない。転倒をして怪我でもされたら、ヨシオはあのピンク色のカーディガンの少女に申し訳ない気がした。

次の日も少女の姿はなかった。
電車が地下鉄に連絡して、何駅も過ぎた時、乗り込んできた老女とヨシオは目があった。
その時、ヨシオに特別な意識はなかったかも知れない。スッと立ち上がって老女に近づいでいった。
まるで、だんだんに大きくなった心のノイズに押されるように。
自然に声もでた。

「おばあさん、今日は僕が代わります。」

老女は、ヨシオの顔を見てびっくりしたように目を開いた。しかし、次の瞬間嬉しそうに目を細めて、

「有難うねえ、どうしてあんたたちはそんなに優しいんだろうねえ。」

「いえ、あまり前のことです。」

心のノイズが素直に声にでた。
そして、わだかまっていたものが外に出て楽になった気がした。
なあんだ、最初からこうすれば良かったんだ。ヨシオは誇らしい気がした。

翌日。
その日、少女は姿を見せた。
顔に大きなマスクをして、顔も少し赤っぽかった。
やはり、風邪だったのだろう。
まだ、完全に治ってはいないのかな。
やがて、電車は夜の道を進み、駅に停車するとプシューッと音を立てて乗客たちを迎え入れた。
そして、その中に老女の姿があった。
すぐに少女はまだ病み上がりの身体を席から浮かして、老女に席を譲ろうと人混みの中か頭を出した。
しかし、その前にヨシオがスッと席を立って老女に座るように手で促した。
老女は、嬉しそうに目を細めて、ピョコリと深く礼をすると素直にヨシオの気持ちに応えた。
少女は、少し驚いたような顔をしてヨシオに礼を言った。

「あ、ありがと。」

「いつも気がついていたよ。たいへんだろ?これからは、僕も半分代わるから。」

それにニッコリと満面の笑顔を浮かべた彼女に、ヨシオはドギマギした。

「いつも、一緒だね。」
「うん。」

「どこまで行くの?」
「え・・・一高まで。」

「え〜、頭いいんだ。」
「う、うん!」

0.01パーセントの心の声、その声に耳を傾けて聞こえたのは、ヨシオにはとても嬉しくて誇らしい心の声だった。

(おわり)

私たちにも、いろんな0.01パーセントの心の声が聞こえます。
「こんなことばかりしていると後悔するぞ」とか、「正しい自分でいるためにはどうしたら良いのか」とか。
今は小さい声ですが、やがてノイズに思えたその声が後悔や自責の念になって鳴り響くことがあります。
小さくても、0.01パーセントの心の声に耳を澄ませいつも正しく振る舞えたら、後悔したり、間違うことはなくなるでしょうね。

0.01パーセントの心の声(中編)

(写真:堂々たるみどり)

ピンク色のカーディガン

そもそも、片道1時間半、往復3時間も通学に時間をかけるのなら、その分勉強した方が良いと思うのだが、ヨシオの父親によればそうではないらしい。
彼は1日3時間を通勤に使って、しかもその間資格試験の勉強をした。
誰でも覚えがあるように、電車の中の勉強は至って効率が良い。そのおかげで、ヨシオの父親は会社では一番の資格ホルダーになっていた。
ヨシオもそのおかげかどうかは知らないが、成績は悪い方ではない。
そんなヨシオにも、最近密かな楽しみができた。
その日、ヨシオはたまたま電車が地下鉄に連絡したと同時に目を覚ました。そして、そこから2駅目に彼女は乗り込んできた。
それは他校の女子生徒で、開いている参考書が高1向けなのでどうやら同い年らしい。
今風な可愛い子とは違うけれど、ヨシオは一目見た時に彼女が心に飛び込んできた。
それは、北欧の少女のような儚げな外見をしていたからかも知れない。色白で、鼻すじが薄く、また唇もその色も薄かった。かわりに大きな瞳が顔の真ん中に二つ輝いていて、その目の下には隈のような薄っすらとした影が見えた。
紺色の制服の上にベージュのコートを羽織り、その下にはピンク色のカーディガンが覗いていた。そのピンクが彼女の白い顔にとてもよく映えている。
顔にかかる髪をかきあげる仕草も、ときおりあくびを嚙み殺そうとしている横顔も、おさげ髪の間からのぞく白いうなじも、ヨシオにはとても可愛く思えた。
それからと言うもの、ヨシオは少しでも彼女を目に焼き付けたいと、電車が地下鉄に連絡する前に目を覚まそうと努めた。
もちろん、電車の中でたまたま向かいに座るだけの関係に過ぎない。声をかけるわけでもない。しばらく心のうちに遊ばせるだけである。だから、少女に気取られぬようそれとなくちらちらと眺めるだけであった。
しかも、あと3駅も過ぎれば、乗り込んできた乗客によってその姿は隠れてしまうのだ。
そして、彼女がどこで降りるのかすらヨシオは知らない。ヨシオが電車を乗り継ぐために席を立つころには、彼女の姿はもうそこにはなかった。
彼女の姿が人混みの向こうに消えて、間も無く現れるのが、あの老女だった。
少女のシルエットは追えなくなり、老女の姿ばかりが目に映った。そして、手に提げた重そうな荷物と一緒に、お決まりの前のめりに倒れそうになりながらもなんとか踏ん張る動作を繰り返すのであった。

ノイズ

電車のアナウンスが流れる。
「高齢の方やお身体の悪い方に座席をお譲りください。」
それを耳にすると、少しチクリと心が痛む。
でも、ほんの少しだけ。
0.01パーセントの心のノイズだ。
それに、優先席に座って平気で大股を広げている中年男性や学生たちがいる。
彼らこそ、まず席を譲るべきじゃないか。
そのための「優先席」なのだから。
ヨシオにとって、老女は日常の小さなノイズだし、「席を譲った方が良いんじゃない」と言うのも小さな心のノイズである。
まるで、世界から老女を締め出そうと電車の乗客全員でカルテルを結んでいるように思えた。
だから、一個人のヨシオが抜け駆けをしてカルテル破りするのは、怖いと言うか、とても恥ずかしかった。
しかし、あいも変わらず老女は、前にのめったり踏ん張ったりを繰り返している。
本当に倒れでもしたらたいへんだ。
母方のひいおばあさんは、尻餅をついただけで腰の骨を折った。年寄りにとって、一番恐ろしいものは何よりも転倒である。
そんなことを承知でこのおばあさんは何をしているのだろう。それに家族はどうしてそれを許しておくのか。
いや、そもそも身寄りがないのかも知れない。
例えば・・・
行いの悪い一人息子がついに大きな罪を犯した。そして重い刑罰を受けた(例えば無期懲役とか)息子を、そのように育ててしまった責任を感じて毎日面会に行っているとか。でも、刑務所の面会なんて毎日できるわけないか。
それとも、息子の嫁が病気で入院したから、朝から息子の家族の世話をするために毎日通っているとか。
それはヨシオの想像に過ぎない。
だが、そう思わせずにおれない老女の疲れきった様子と、それをより感じさせる粗末でヨレヨレのなりをしていた。
そんな想像をするうちに、だんだん大きくなるノイズをヨシオは懸命に振り払おうとしていた。

(後編に続く)

0.01パーセントの心の声(前編)

(写真:黄金の溢れる空)

みかん色の電車

まだ、朝の7時前、冬の朝日に向かって走っていく電車を指さして母親はこう言った。

「ほら、ヨシオ、みかん色の電車が走っていくわ。お父さんが乗っているのよ。」

ヨシオの父親は若くして家を購入した。
元気なうちに払い終わりたいと、30をいくらか出ないうちに30年ローンを組んだ。
給料の上がらないうちは、あまり高額なローンを払えないから、地価の安い郊外の物件を選んだ。
家の引き渡しを受け、引越しをした次の日から、父親は片道1時間半の通勤を始めた。
8時半の会社の始業に間に合うために、7時前の電車に乗らなくてはならない。
冬の日の出の遅い頃は、電車は朝日を浴びてオレンジ色に燃えた。
それを母親は「みかん色の電車」と表現したのだ。
まだ幼稚園に入ったばかりのヨシオは、家から見える電車を指さして「みかん色の電車だ〜。お父さん、行ってらっしゃ〜い。」と無邪気に笑っていた。

無神経電車

それから、10なん年が流れた。
幼稚園児のヨシオも今年から高校生になった。
ヨシオは、先生の強い勧めもあって、市内の進学校に通うことになった。
そして、その高校は家からやはり1時間半かかる場所にあった。しかも、始業時間は父親より早い8時10分なので、6時半の電車に乗らなければならなかった。
また週に2回は朝テストがあり、その日は6時の電車に乗った。
彼もまた父親同様、みかん色の電車の乗客となったのである。
しかし、今まで地元の中学に通い、ゆっくりできていたのが、急に朝が早くなったのでなかなか身体のリズムが追いつかない。
頭がボーッとしたまま、電車に乗り込んで、幸い時間が早いのと、都心から離れているためにガランとしている車内の一番良い席に陣取ってすぐに眠りに落ちた。
ガタンガタン、心地よい電車のリズムを聴きながら、夢うつつのこの時間はヨシオにとって至福の時であった。
時折、まばゆい光を放ち始めた朝の太陽が窓越しにヨシオの顔を撫でるけれど、少しも気にならない。陽だまりの昼寝よろしく、ヨシオの夢心地は続く。
しかし、30分も走るとまばゆい外光のベールを脱ぎ捨てて、電車はそのまま地下鉄に連絡した。
暗闇に続くアーチを抜けると、そこは24時間の夜の世界。
パアアアアンと言う鈍い響きを放って地下鉄と装いを変えた電車が行く。
そして、それは都会の喧騒の始まりだった。
プシューッ!
嫌になる程聞かされるドアの開閉音。
そして、ドヤドヤと電車に入り込む会社員や学生たちの靴音。
時折聞こえる女学生たちのおしゃべり声。
ヘッドホンから漏れる喧しい音楽。
そんなノイズにさらされるうち、ヨシオの心地よい眠りは覚まされてしまう。
そして、また目を閉じて、再度夢の世界への突入を試みようとする。
たいてい、そんな時だ。
いつものあの人物が現れる。
年の頃は、80過ぎだろう。
いつも重そうな荷物を手に提げて乗って来る、その老女は多少位置こそは違え、いつもヨシオの視界にいた。
その頃は、もう席が埋まり老女はいつも立たされていた。背が低いのでつり革につかまることはできない。 折良く座席横の鉄製の握り棒に掴まれたら良いが、それも既に人で埋まっていることが多い。
結局、足だけで踏ん張ろうと頑張ることになる。しかし、電車が急に速度を落としたりすると、前のめりに倒れそうになった。
そんなことを毎日何回も繰り返しながら、10駅先で降りてゆく。
しかし、それを横目で見ながらヨシオは席を譲ろうとは思わなかった。
ヨシオにはヨシオなりの理屈があったのだ。

「自分は、こんな遠くから来て遠くまで行くのに、途中から乗って来てさも当然のように席を譲れ言う。そんなに、座りたけりゃ、時間をずらして乗りゃいいんだ。
それに席を譲ったら、自分はこの後ずっと立たなきゃならないだろ。」

ヨシオ以外も、そんなことを考えている人間ばかりなのか、ついぞ老女は席に座れたことがない。
故意な無神経を装った人間を満載して、今日も「無神経電車」が走って行く。

(中編に続く)

全員参加のボランティア

(写真:朝顔)

精舎建立

昔、昔のこと、国一番の大金持ちが、一人の聖者に心服しました。
その聖者は、なんとか皆んなに自分の話を聞いてもらいたいと願っていました。そして金持ちは、聖者のために多くの人が集まって話が聞ける場所を寄進したいと考えました。
国中を探して、やがて静かで環境も良く、皆んなが集まって話を聞くのに良い場所が見つかったので、早速譲渡の交渉をしようと持ち主を調べました。
すると、持ち主はその国の王子で、しかもそこは彼が一番気に入っていた猟場だったのです。
再三、金持ちは譲ってほしいと要請をしましたが、決して売る気のなかった王子はそのたび断わりました。
しかし、決して金持ちが引き下がらなかったので無理難題を言って諦めさせようとしました。

「分かりました。そこまで言われるのならばお譲りしましょう。ただし、土地いっぱいに敷き詰めた金貨と交換です。」

さすがにいかに金持ちと言えどこれには肝を潰すだろうと思いきや、なんと金持ちは喜色満面、「分かりました」と言って蔵の金貨をどんどん運ばせるではありませんか。
そして、見る見る間に土地は金貨で埋め尽くされていきます。
これには、王子の方が慌てました。

布施の輪

「ちょっと待ってください。これでは、あなたが無一文になります。」

「いいえ、構いません。お金いくらあっても死ねば持ってはいけません。私はある方から、もっと大きな宝をいただいているのです。」

そして、金持ちは王子に聖者のこと、聖者が伝えている教えの尊さを聞かせました。
すると、王子もいたく感じ入って、「もう結構です。残りの土地の分は私に出させて下さい。土地の木々も建物を建てるのに使って貰って構いません」と協力を申し出ました。
かくして、金持ちと王子の尽力で、聖者の話を聞く広大な場所が完成したのです。
・・・
これは実話です。そして、その場所を今日「祇園精舎」と言います。
それは平家物語で「祇園精舎の鐘の声盛者必衰の理をあわらす」と書かれた有名な場所です。
精舎とは、今日の言葉で言えば聞法道場のことで、そこで教えを説いた聖者とはいうまでもないお釈迦様のことです。
このエピソードには続きがあります。
金持ち、つまり給孤独長者は、この精舎の建立に一人でも多くの人に参加して貰いたいと考えました。
そこで、町中の人に広く「精舎建立の志しのある人は、額の大小を問いません、どなたでも構いません。一人でも多く参加して下さい」と呼びかけました。

布施と税金は違う

町の人たちはビックリしました。

「確かに、お釈迦様の偉さはわかるけど、布施をするのは一部の金持ちがすることじゃないの?」

でも、なんでも良いと言うし、どれだけでも構わないと言うし、できることなら何かさせて貰いたい。
そして、町の人たちは給孤独長者の呼びかけに応じて、自分のできる範囲で、自分のできるものを持ち寄りました。ある人は反物を、ある人は食べ物を、ある人は労働力を。
当時でも、税金のようなものはあったでしょう。それは国から命ぜられて無理やり出させられるものです。
それに対して布施は、自分の気持ちから参加をするものです。少しの気持ちの人は少しだけ、大きな気持ちの人はたくさん、その人その人で構いません。
そして、そんな布施の経験がなかった町の人たちは、その機会をたいへん喜んだと言います。

全員参加のボランティア

自分のものを人に出して嬉しい?
損しているのに嬉しい?
当時の町の人たちの気持ちは少し分かりづらいかも知れません。
そもそも「布施」と言う響きが、葬式や法事に包む高額なお金を思い出させますし、誰も喜んでは出していません。
しかし、私たちにも経験があるはずです。
東日本大震災や熊本地震の時、悲惨な現場の状況に心揺さぶられて、少なからず義援金やボランティア活動に参加したではないですか。
あれは、誰に強要されたわけでもありませんし、自分のできることを精一杯させて貰おうと自発的な気持ちからだったはずです。
そして、その支援を誰も後悔はしていないでしょう。
まさに、祇園精舎建立当時の気持ちに通ずるものなのです。
それが時間が経つと関心が薄れ、被災地から避難してきた人に対して差別的な態度を取る人もいます。
これではマスコミの宣伝や、感情の高ぶりによって一時的には相当のことをできても、少し気持ちが冷めると全く他人事になってしまうと言われても仕方ないでしょう。
それは布施の精神ではありません。
布施は多寡を問いません。
ただし、布施は自発的で継続的なものです。
そんな布施本来の精神が根付いて、皆んなが少しずつ参加するだけでも、きっと世の中は変わります。

文章は忠実に人の能力を写しだす

(写真:地のアゲハ)

取り繕えないもの

肩書きや経歴、あるいは所属している団体のネームバリューが、その人を大きく見せる。
上場企業の部長さん、あるいはMBAフォルダーのビジネスマン、業界でトップメーカーのエンジニアなど、立派なレッテルを貼られているととても偉く思える。
しかし、本当に大切なのはアウトプットである。
日頃どんなに立派なことを言ったり、「〜大学出身です」と鳴り物入りで登場しても、要はそれに見合ったアウトプットが出来なければ返って信用を落とす。
文章もその一つ。
昔は、字の綺麗な人はそれだけでとても賢く見えた。反対に自分のようにお粗末な字しか書けないものはとても損をした。
しかし、今は手書きが少なくなり、かわりに活字か、フォント。
字の上手い下手は関係なくなった。
そして、今度は文章の質がその人の評価を決める時代となった。

文章は忠実に人の能力を写しだす

『活字離れ』と言われた時もあった。
最近の若者は書籍に親しまないと嘆かれた。
もちろん、今も「本が売れない時代」である。出版社も作家も読者の激減に青息吐息の現状。
確かに、書籍の活字は読まれなくなったが、ネット空間を行き交う膨大な文字はフォントになって手のひらの端末からバンバン飛び込んでくる。
書き手はジャーナリストや作家ばかりじゃない。我々のような一般人まで、著述活動に加わっている。
ビジネスなら企画書や提案書。プライベートなら、ブログにSNSに、ツイッター。
おそるべき量の文章が1秒1秒生み出され、また消費もされている。
だから、今は文字と言う情報の海を泳ぐことを全員が強いられている。
そして、全員がヘビーな読者であると同時にヘビーなライターもやっている。
活字離れなんてとんでもない。
ますます文字にドップリではなかろうか。
その文字は文章となってコミュニケーションを行うことができる。
文章には、その人の思考力とか、着眼点とか、論理性が正直に現れてしまう。
「素晴らしい文章力だ」と言われると最高の褒め言葉、能力の高さを認められたことになる。

文章磨き

文章こそ、我々にとって一番手軽なアウトプットであり、同時に一番手強いアウトプットでもある。
立派な肩書きを持っていても、何を言っているかよく分からず、論点のまとまっていない文章を書くとガッカリされる。
よく練られていて、「成る程」と心に入る文章を書く人は評価も200パーセントアップである。
「評価されたければ文章を磨け」と言われる。
プロアマを問わず、わかる記事を書く人、わからない記事を書く人、伝わる文章を書く人、伝わらない文章を書く人がいる。それで、その人のスキルや人格まで露わになってしまう。
文章を論理立ててスッキリ書ける人や、読み手のことを考えて、表現や使用する言葉に気を使う人。リズムを大切にして、一言一言を読み手が心に落としやすいようによく文章を練る人。
知識のあるないでもない。頭の良し悪しでもない。誰からも評価されるのは、良い文章を書く人である。

自分磨き

しかし、そもそも文章を書くことは難しい。
思っていることの10分の一も言えないと言う。言えることのさらに10分の1も書けないと言う。
頭では分かっている。ある程度のビジョンは頭の中にある。それを自分以外に伝わるように話をするのが難しい。
しかし、話ならば双方向でやり取りできるから、ちゃんと伝わっていないと分かるし、その場合は言葉を足して、あるいは言い換えもして、なんとか伝わりづらいことを分からせることができる。
しかし、文章の場合、言葉を足しすぎたり、後から説明し過ぎたりすれば、余計に混乱もし、頭の悪い文章になってガッカリされる。
確かに、わかりやすい表現になるまで何度も推敲できるのは文章の利点である。いわば、荒削りの文章に何度もカンナをかけて、そこから読みやすい文章を削りだす感覚である。
しかし、その一手間を惜しむ人が多い。
特に、「人が理解できるか否かは二の次。とりあえず、自分が言いたいことだけ言いました」的な発言者がネットには多い。
その分からない言語系を共有しているところに集団の連帯意識があるのかも知れないが、やはりお互い貴重な時間を文章を通じて共有するわけだから、読み手がきちんと受け取れる文書を書きたい。
文章は読む相手あってこそである。
良い文章は、常に相手のことを想う気持ちから生まれる。
つまり、文章磨きは自分磨きである。