今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

成長とは、考え方×情熱×能力#66

(写真:せせらぎ)

農業塾

「みんな、ご苦労さん。揃っているかな?」

東大寺家先代当主、東大寺正徳、当年とって79歳は、今から10年前当主の立場を息子の克徳に譲って、富士山麓の過疎地に移住した。
まずは、数反の畑を購入するところから始めめ、初心者でも作付けできる作物を無難に選んで、少しずつ農業と土に馴染んで行った。
同時に、農業の専門家を雇って住み込ませ、マン・ツー・マンで指導を受けた。

無事に収穫を迎え、自信をつけた先代は、さらに数反を購入し、農業法人を立ち上げた。
指導役の農業の専門家を正式に社員に迎え、要所要所の管理をまかせた。土地の購入から機械化、人の手配、たねや苗の購入、出荷、国への申請まで取り仕切らせて、実質社長としての権限を与えた。
また、最初は地元の協同組合を通じて出荷していたが、4年目からはそれもやめ、消費者への直販体制に踏み切った。
それが、共同組合や周りの農家の反感を買ったが、彼はどこ吹く風だった。
東大寺グループのオンライン会社に販売を委託し、また物流会社から提案を受けて農地から首都圏の消費者へ直接配送する手段も構築した。
この時点では、周囲のかなりの休耕地を取得し、周辺のいくつかの農業法人も傘下に収めていた。
やがて、かつての富士山麓の過疎地が巨大な農業の集積地となり、東大寺グループの事業として正式に動き出すに至っては、袖にされた協同組合も、反感を持っていた周辺の農家も口を閉じざるを得なかった。

何重にも張り巡らされた流通網とスーパー等小売事業者の力を借りて、日本の農家は生産した野菜を消費者に届けてきた。
しかし、反面規格外の野菜は消費者の嗜好に合わないと、大量の廃棄ロスを生み出した。
あるいは、流通の過程で発生した傷みや、売れ残ったために廃棄される販売ロス。食料自給率の向上を強く叫びながら、生産から消費者の手元に届くまでに大量の廃棄ロス、流通ロス、販売ロスが発生すると言う矛盾を抱えてきたのだ。
東大寺家先代はこの矛盾を解決したいと、農業の世界に飛び込んだと言っても良い。
どんな規格外の野菜でも必ず欲している人はいるはずである。それをインターネットの力を借りて探し出し、なるべく早く新鮮なままで届ける。当然、配送される野菜の量は小口化するが、新鮮な野菜のためならお金を惜しまない健康志向の消費者に支えられ、また巧みに流通の隙間を利用して配送コストを抑えることにより早期に事業は黒字化した。
さらに、バーチャル菜園やバーチャル果樹園など、都会の消費者も野菜づくりに参加して貰える仕組みを始める準備もしていた。

だが、これらを一切を中心になって発想し、また強力に推進してきた東大寺先代老人の仕事ぶりは至って飄々としていた。
農業法人の幹部が集まって会議をしているところにふらりと現れては、思いついたように意見を言う。あるいは、事業に障害が発生した時は、また飄々と人脈を辿り殆どの問題を瞬時に解決した。
そして、それ以外の時間は自分に割り当てられた決して広くはない農園で、野菜や土と会話して過ごしていた。

その東大寺老人が最近力を入れているのは、農業後継者の育成であった。
広く呼びかけて、農業に志のある若者を募って農業塾を開講し、専門家とともに土に生きる心構えや技術を伝えた。
しかし、実際のところ、農業塾の受講希望者はさほど多くはなかった。
いつも一人か二人。「いないよりまし」と口では言っていたが、かなり意気消沈気味の老人であった。
ところが、昨年もいつものように入塾希望者を募ったところ、一度に十数人の若い男女の希望者があった。しかも、みな同じ地域からの希望者ばかりであった。

「なんじゃ、逆集団就職じゃな。」

そう、東大寺先代老人は訝ったが、何も言わずにそのまま受け入れることにした。

(何か事情がある連中に違いない。)

そう思いながらも、数週間はあっという間に過ぎ、彼らが村にやって来る日となった。

(#67に続く)