成長とは、考え方×情熱×能力#53
厨房にて
いつもは昼過ぎまで自室に籠っている宙が、珍しく厨房の椅子に腰をかけ、所在なさげに足をブラブラとさせていた。
厨房では母親の志鶴が、歌陽子の誕生日パーティの準備に忙しい料理長相手に愚痴を言っている。
「今年からは大袈裟なことはするなって言うけど、去年以上にお客様がパーティに集まるのよ。政財界や、取引関係の人も大勢いらっしゃるのに、大袈裟にするなって言う方が無理よね。
それで、『どうするんですか?』って聞いたら、『細かいことは任せた』ですって。全く男はみんな勝手なんだから。」
「全くですねえ。」
「でしょ、全く腹が立つわ。」
「奥様、料理の打ち合わせがあるので、 ちょっとよろしいですか?」
「あら、ごめんなさい。」
そう言って料理長は、他の調理人を連れて奥に引っ込んでしまった。
「母さん、みんな忙しいんだから邪魔しちゃダメだよ。」
まだ、中学生の宙が大人びた口調で言った。
「まあ、この子は。私はみんなと相談してたんじゃない。そんな、遊んでいるみたいな言い方しないでよ。」
「だって、父さんが大袈裟はダメだって言い出したのは昨日だろ。仕込みだって、段取りだってあるのに、今更急にメニューを変えられるわけないじゃないか。」
「もちろんよ、分かっているわ。だけど、去年並みにご馳走を並べたら、お父様が機嫌悪くなるでしょ。だから、どうしたらいいか困って話し合っていたんじゃない。」
「それは、母さんが怒られたらいいだけじゃん。」
「もう、簡単に言わないでよ。」
「だけどさ、なんで姉ちゃんばっかりなのさ。」
「え?」
「だから、父さんの誕生日も、母さんの誕生日もパーティなんか開かないじゃないか。」
「そりゃ、お父様と私は大人ですもん。」
「姉ちゃんだって大人だろ?」
「そうね。それにもう社会人なんだし、今年からはもう止めようって話していたのよ。むしろそうしたいって言って来たのは歌陽子の方よ。」
「じゃあ、やめたら良かったじゃん。」
「でもねえ、そんなにうまく行かなかったのよ。去年ね、みんなで来年の誕生会のパーティは止めようって話をしたの。それで、お父様から先代のお祖父様に、『来年の歌陽子の誕生会は身内だけでします』って伝えて貰ったのよ。何しろ、歌陽子の誕生日にパーティを開くのはお祖父様が始められたことだったから。」
「そうしたら?」
「そうしたら、お祖父様がものすごい剣幕で怒り出したの。宙はあまり知らないだろうけど、引退されるまでのお祖父様は、それはものすごく怖い人だったんだから。
お父様が『久しぶりに冷や汗かいた』って言うくらいだから、相当凄かったらしいわ。」
「だから、じいちゃんに気を使って今年もやるんだ。でも、じいちゃんは、どうして姉ちゃんばっかりそんなに可愛がるのさ。」
「歌陽子は初孫だったし、女の子だしね。可愛くて可愛くてたまらないんでしょうね。それにお祖父様が引退されて、田舎に引っ込まれた後も、農繁期は毎年手伝いに行っていたしね。」
「しっかり点数稼ぎしてたんだ。」
「もちろん、宙も大切な孫よ。宙が生まれた時も、そりゃお祖父様、デレデレだったんだから。」
「でも、俺、あんまりじいちゃんに可愛がられた覚えがないな。」
「うん、あのね。歌陽子に言っちゃダメよ。あの子、子供の頃はものすごく僻みっぽい性格でね。お祖父様やお祖母様が宙を可愛がると、すごく拗ねたのよ。だから、あまり歌陽子の前であなたのことを可愛がるのは控えるようにされたの。あなたは赤ちゃんだったし、歌陽子はちょっと難しい時期だったからね。
結局、歌陽子はお祖父様とお祖母様に甘やかされて、ちょっとポーッとした子に育ったし、その分あなたはお父様と私が東大寺家の跡取りとして大事に育てたつもりよ。」
「チェッ、なんだよ、結局ねえちゃんいいとこ取りかよ。」
「ほら、悪くとらないの。歌陽子も今そのつけが来て苦しんでるんだから。それに、毎年誕生日のたびに派手なパーティを開かれるのって、本人にとってはとてもしんどいと思うわ。今じゃ、歌陽子のためじゃなくて、お父様と関係のある人たちが集まる社交の場ですからね。でも、歌陽子は一応主役だし、精一杯愛想を振りまいたり、おもてなしをしなければならないし、ある意味いい見せ物でしょ。心ない人の声も聞こえて来るしね。
だから、そういうものを背負って苦しんできたのは間違いないわ。」
「じゃあ結局、ねえちゃんは分不相応なものを与えられて苦しんでるんだね。」
「そう、分かってあげて。宙、いずれ歌陽子とあなた二人でその重荷を分け合って、力合わせて東大寺家を支えてもらうのがお父様と私の願いよ。」
「大丈夫だよ、ねえちゃんなんかいなくたって、俺一人で十分だから。」
「宙・・・。」
「父さんは最近ねえちゃんが頑張っていると誉めてるけど、あの程度じゃ頑張ってもたかが知れてるし、今まで通りお飾りをやってればいいんだ。」
「宙、あなたも前はお姉さんのこと、あんなに大好きだったでしょ?」
「前はね。世の中がよく分かっていなかったしね。だけど、今はこの世がそんなにきれいごとばかりで動いていないって分かるし、能力もない人間が上の方にいて不幸を生み出してるってことも知っているし。」
「まさか、それお姉さんのことを言ってるの?」
志鶴には、とても今目の前にいるのが、まだ14歳の中学生とは思えなかった。
「さあね、でも俺ならねえちゃんにはもっと分相応の生活をさせるかな。」
「宙・・・、あなた、一体・・・。」
「じゃ、今日は俺もお客さん呼んでるから、そろそろ行くね。」
思わず絶句した志鶴を後に、宙は椅子から立ち、厨房を出て行くのであった。
(#54に続く)