今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

本能に蓋をしろ

(写真:あさの難波)

ゼロサムゲーム

「ゼロサムゲーム」と言う言葉があります。
日本語では「総和ゼロの競争」と翻訳されます。
例えば、私がパイを一切れ持っているとします。みんなは、それが欲しくてたまらないので、なんとか手に入れようと努力します。
交渉を持ちかけたり、おだてたり、なだめたり、時には脅しをかけたり。
そうして、ついに誰かがその一切れを手に入れると、代わりに私は一切れを失います。
つまり、手に入れたプラス一切れと、失ったマイナス一切れで、全体から見れば合計はゼロだから「ゼロサムゲーム」です。
これは食べ物のみならず、ビジネスでも、ポジションでも限られたパイの奪い合いです。
例えば、数量限定スイーツ、どうしても手に入れたければ朝早くからお店の前で行列を作ります。そして、なんとかライバルを出し抜いて自分は手に入れることができましたが、中には目の前で締め切られる気の毒な人もいます。
ビジネスで、やっと買ってくれそうなお客さんと出会って喜んでいたら、「相見積を取るよ」と言われてビックリ。やっぱり自分が手に入れたい商談は皆んなも狙っている。無事受注して喜ぶこともあれば、ライバルに持って行かれることもあります。
あるいは出世競争でも、社長が100人と言う会社はありません。主任、係長、課長、部長、役員、常務、専務、社長と上に行くほど狭い門になります。やはり、ポジションも奪い合いのゼロサムゲームです。

本能の叫び

私たちは、そのように生まれた時から、競争を教え込まれ、勝つことを求められてきました。
自分以外と対する時は、必然的に対立構造ができます。すなわち、勝つか負けるかのゼロサムゲーム。
目に見えるものを奪い合うばかりではありません。相手に喋る隙を与えないくらい、口を開けば「自分」「自分」の人。また、虎視眈々と自己主張の機会を狙う人。つまり、場の主役を争ってのゼロサムゲームです。
あるいは、見栄の張り合い、自慢合戦、挙句に足の引っ張り合い。これも優越意識を奪いあっていると言えるでしょう。
このようについつい対立軸を作ってしまう私たちは、ひょっとしたら本能に動かされているかも知れません。
本能が「負けるな」「勝てなきゃ死ぬぞ」と叫ぶのです。
それは太古、高度に社会集団を形成するまでの私たちが、小グループ間で縄張りや獲物の奪い合いをしていたからです。しかも、文明が形成される数千年前まで何百万年も続けてきたことなのです。
縄張りを奪われたら自分や家族が飢えなくてはなりません。そのため、常に他者との関わり合いは争いや奪い合いでした。
そして、その記憶はこの文明社会の私たちのDNAにも深く刻まれているのかも知れません。

本能に蓋をしろ

しかし、現代を生きる私たちに、本能が命じるままに争いや奪い合いをすることが必要なのでしょうか。
協調や他を活かす考え方は、文明が生み出した人類の資産です。
小さなコミュニティが集まり村となり、村が集まり部族となり、部族が集まり国となります。それは強大な外敵に対抗するために協調し、力を合わせて、自たちが強くなる必要があったからです。
その国同士がぶつかった最たるものが二度の世界大戦であり、その悲惨な記憶に反省した人類は全体での協調の道を探りました。
そして、紆余曲折はありますが、人類は善意に基づいた世界作りを模索しています。
その証拠がグローバル化、お互い国の門戸を開いて人やものを受け入れています。そこにテロリストが紛れ込んでいると疑ったら、とても出来はしないでしょう。
あるいは、拡大するネット社会。無防備に個人情報を晒せるのは、漠然とネットの運営会社やコミュニティの善意を信じているからです。
また、広がるシェアリングエコノミーも、例えば見も知らぬ人を家に泊めたり、泊めてもらったりする民泊は善意の人同士でしか成立しません。
このように、現代は急速にお互いの善意をもとにした社会へと進んでいます。
この時代では、太古の本能に蓋をしなければならないのかも知れません。

人間は生かし生かされる

このところ、世間を騒がせていると言えば、アメリカのトランプ大統領です。
大統領選の頃から過激発言を繰り返し、果ては「メキシコ国境に壁を作る」と言い出しました。
「何を言ってるんだ」「いや、選挙だけのパフォーマンスだろう」「就任すればまともになるさ」と世間は考えていました。
しかし、実際に就任してからの言動は、メキシコに工場を作っている会社を非難し、メキシコとアメリカの間に国境税を導入しようと画策しています。
つまり、メキシコの安い人件費で作ったものがアメリカに流入し、アメリカの雇用や国内産業を圧迫しているから、自国の保護のためにやろうとしているのです。
いかにもビジネスマンらしいとも言えますが、私から見ればトランプ大統領は勝ち負けしか考えていないゼロサムゲームの申し子に思えます。
政治や、ビジネスにおいても、時にはまずは自分から負けに行く、つまり「サービスが先、利益は後」的な相手を生かす姿勢が求められます。
それをなんでも勝ちにいくと、周りとギスギスしてたいへんなことになるのではないでしょうか。
人間は生かし、生かされるものであり、私たち人類はそんな全体協調への発展途上です。
そこに入り込むノイズ、例えばテロ、ウィルスソフト、そして犯罪に負けず、真っ直ぐに進みたいものです。
そして、ゼロサムゲームを求める本能に蓋をして、勝ち負け以外の関係を個人間でも、企業間でも、国家間でも築ければどんなに良いでしょう。