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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

一流は、情報より情報の出所を気にする

(写真:地上の彩り)

情報氾濫の時代

今は情報氾濫時代、言い換えれば情報食べ放題の時代です。
昔、流行ったのは焼肉食べ放題のお店でした。なにしろ、1980円くらい払えば、焼肉だけでなく、お寿司や焼きそば、スイーツ、その他オードブルの定番メニューが1時間半の間、どれだけでも食べられました。
色とりどりの料理にテンションも高まって、あれも気になる、これも食べたいと、次から次に皿に盛って何往復もします。
しかし、快調に飛ばせたのは最初の30分程度で、後の1時間ははち切れそうなお腹を抱えて、とにかく元を取る為だけに食べ続けるので、もう味なんか分かりません。
そして、1980円払っただけの満足できたかどうかは正直分かりませんでした。
むしろ、同じ1980円を払うなら味の良い専門店を選んだ方が満足感があったのではないかと今なら思えます。
もちろん、それが分からないから子供だったのでしょうが、それと同じことが今情報に対しても起きているのかも知れません。

活字の罠

昔は、情報を手にするためには非常に苦労しました。例えば、私の身近ではコンピューター言語の例があります。
一つの言語に取り組み始めると、いろいろ分からないことが発生します。今まで使っていた言語なら簡単にできたことが、新しい言語では勝手が違います。少ない資料をもとにいろいろ試行錯誤しても上手くいかず、最後は行き詰まってコンピューター専門店の書籍コーナーに駆け込むしかありませんでした。
対して、今は新しい技術にはいろいろなユーザー会が立ち上がっていてネットで情報を公開しています。それを検索すれば欲しかった情報へ簡単にアクセスできます。
同じように、政治、経済、健康やメンタルヘルス、賢いお金の使い方まで、昔ならプロを探して聞かなければならなかった情報まで簡単に入手できるのです。
特に、情報提供の大手サイトwikipediaにお世話になっている人は多いと思います。
ところが、医療関係者がwikipediaの医療関連の記述を確認したところ、かなりの割合で内容が間違っていたそうです。それでも、パソコン上で活字になって出てくると、ついつい信憑性を疑わずにそのまま受け入れてしまう傾向があります。
かつてのノストラダムスの大予言のときでも経験しましたが、活字にされると私たちは弱いものですね。

大切なのは情報の出所

最近も、テレビで都市伝説の特集が放送されていました。
それによれば、世界はたった数十人の選ばれたメンバーで牛耳られているとか、もうすぐ氷河期が来るとか、だから一部の人類を火星に移住させて種の保存を図る極秘ミッションがあるとか、まことしやかに話題を提供していました。
もし、それをそのまま受け入れたら、とても明日から平穏な日常を送る気持ちにはならないでしょう。
しかし、そこまで放送してもネタで許されているのは、視聴者が情報の提供側をなんとなく信じていないからです。
なぜならそれが真実ならば、そんな重大な秘密をリークした人間は間違いなく消されます。それが平然と芸能活動を続けられているのは、根も葉もないと世界が認めているからに他なりません。
このように、今の時代、テレビや雑誌、新聞やネットなど大掛かりな仕掛けで拡散された情報はそれだけでは真偽を判別することはできません。真偽は、その出元を洗って初めて分かるのです。

情報を泳ぎきるスキル

最近私も言われました。
『百の知識より、一つの知恵が出る十の知識の方が価値がある』。
現代は情報食べ放題の時代と書きましたが、昔の焼肉食べ放題のように、美味しそうな情報を目の前に並べられるとついつい手が出て、情報過食症に陥ります。
それが価値のある情報ばかりなら問題ないのですが、あまり信憑性のない情報も含まれた玉石混淆の状態です。
また、情報として間違いはなくても、自分にとって価値の薄い情報もたくさんあるでしょう。
ですから情報に振り回されることなく、自分にとって本当に必要な情報を吟味しなければなりません。そうでないと、情報だけに振り回されて、百の知識があっても一の知恵も生まないと言う残念な状態になります。
私も恥ずかしながら、情報に振り回されてばかりいるタイプです。しかし、情報の量の割に少しも知恵が出ないことを反省し、最近は情報を慎重に選ぶようになりました。
その時の基準は、近い将来自分が使うことができること、そして、その情報の出元が信頼でき、かつ誰かのプロバガンダのコピペでないことです。
そのように、今は情報こそよく吟味して付き合わねばならない時代なのです。