今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

he is different

(写真:野菊の丘)

he is different

“he is different”
直訳すれば、「彼は違う」。
「違う」、そう言われたらドキッとする。
あるいは、嬉しくなる。
集団の中にいる時、「違う」と言われたら、仲間からはじかれたと感じるかも知れない。集団から追い出されたら生きては行かれない。
太古、人間の生きて行く世界が過酷だった頃は、みんな肩寄せ合ってお互いを守って生きていた。
そこで、仲間と認定されないことは死を意味する。だから、きっとそんな太古の記憶が、自分がみんなと違うことを忌避させる。
でも、人間の生きている世界は、安全に堅固になった。その世界では、必ずしも仲間を頼る必要はない。
時に集団に倦んで、そこから飛び出すことを願う人もいる。
そんな時に違いを認定されることは、特別な自分を教えられ、新たな世界の扉を開く。

日本人は恥じ、欧米人は誇りに思う

「違う」と言われると、日本人は恥じ、欧米人は誇りに思うと言う。
つまり、集団を重んじるか、個人のアイデンティティを重んじるか、文化の違いだと思う。
聞くところによれば、海外からの帰国子女がよくこの壁にぶつかる。
知っての通り、欧米の人は非常に自己主張が強い。相手が仕事のボスだろうが、堂々と意見を通す。
悪く言えば個人主義でまとまりがない。だから、リーダーがチームを結束させ成果を出すことはたいへんだと思う。そのためか、リーダー論は欧米で発達した。
反面、自立心が強いから、方向性がハッキリして、そこに意思が伴えば最高のプレーヤーとなる。
そして、彼らに対する“he is different”は高いスキルへの賞賛であり、最高の賛辞となる。
しかし、その文化に浸った少年少女が、日本に帰国すると、当然目につく。
よく言えば自立心旺盛、悪く言えば自己主張が強くて付き合いづらい。
日本では、一人一人が自分の思いや不満を抱えながらも、周囲との軋轢を嫌ってそのまま封印してしまうことが多い。
また「違うね」とか「変わってるね」と言われることは好ましく思わない。
その文化のギャップを短期間に経験するから、帰国子女にはつらい通過儀礼になるのだろう。

違いと生きづらさ

自分も「変わってるなあ」と言われる部類。ただ、欧米人のように“oh! thank you!”とは言えないが。
自分は、昔から人のルールにあまり関心が持てないし、またルールに合わせよと言われることが苦手。自分のやりたいように意思を通すから、どうしても周りから浮いてしまう。
それで、「変わってるなあ」とか「人と違う」と言われる。
本当は周りに気を配り、彼らの望む通りに振る舞うのが、摩擦もなくすこぶる楽に生きられるはず。
でも、自分は「普通そんなことするか」とか「普通そうは考えない」とか言われるのに腹が立つ。
その「普通」ってなんだ?
誰にとっての普通なんだ?
あなたの普通か?
最大公約数の普通なのか?
普通に振舞って摩擦を生む苦しさより、そんな普通に合わせて身を曲げることが苦痛に思える。
とは言え、企業人としてビジネスの常識は身につけなくてならないし、超常識人の家内にも事細かに言われるので、多少は人のルールにも気を配れるようになった。
そして、人はそれを「成長した」と言う。

違いと生きやすさ

環境によっては、人と違っていることが有利に働く。
例えば、歌や踊りがうまくて、顔がきれいでも、それだけでプロの歌手になれる訳ではない。
正直、音程がまともに取れないアイドルもいる。と言うかアイドルは歌があまり上手くないことが定説だった。
対して、バックコーラスも含めて、もっと歌が上手くて容姿も優れている人はいくらでもいる。でも、それだけではプロの歌手としては選ばれない。
人とは違う、何か光るものを持っていなければならないのだ。
それをタレントと言う。
最近、海外からはタレント・マネジメントと言う仕組みが流入している。
それは、大企業の何十万と存在している社員の特性、例えばキャリア、専門、向き不向き、実績をデータベースに登録し、企業規模のプロジェクトが立ち上がった時、その何十万人の中からデータベースに最適の人材を推薦させる仕組みだ。
いかにも、一人一人の個性、つまり、“he is different”を大切にする欧米らしい取り組みである。
まだまだ日本では、会社のルール先行で、特性のツノは矯めて生きなくてはならない。
そうでなければ、周りが許さないし、おそらく自分自身も人の違う行動は許容できていない。
でも、蒔いた種に応じてしか結果は出ない。人と同じ行動なら結果も人と同じ。人生に人以上の果実が欲しければ、“he is different”と言われても種まきを変える。
しかし、考えてみれば、人が行かない道だから、多少難路でも一人で悠々と進める道かも知れない。きっと違う景色もある。
「人の行く 裏に道あり 花の山」