今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

確信から勇気、勇気から確信

(写真:紫の群生)

殿様の命に従わなかった船頭

人がことをなすには、確信と勇気が必要です。
確信が勇気を生んだ例としては、殿様の命に従わなかった船頭の話があります。
ある時、鍋島加賀守が江戸に参勤交代のため、瀬戸内海に船を走らせて、その日のうちに大阪に着こうとしていました。
海路は日和に恵まれ、追い風に乗って順調な船旅に加賀守も満悦でした。
ところが、その船の舵を預かる船頭が何を思ったか、帆の向きを変え、出た港に引き返そうとしたのです。
加賀守は船頭を呼びつけ詰問しました。
「かような日和に何ゆえ、船を港に戻そうとするのか。」
それに対して船頭は、「今にも嵐が来そうで油断なりませぬ。一刻も早く船を戻さねば取り返しのつかないことになると案じた次第でございます。」と答えました。
しかし、空を見ても一点の曇りもない晴天です。
「たわけ!かような晴天に嵐とは、そちは気は確かか。すぐに、船の向きを変えるのじゃ。」
きつい下知に一旦は引き下がった船頭でしたが、ますます水主たちを励まして、港に急がせます。
加賀守は再度船頭を呼びつけ、こう言い渡しました。

船頭の信念

「おのれ、あくまで予の命が聞けぬと申すか。もし、そちの言うように嵐にならなんだらなんとする。
きっとその首刎ねてくれるから覚悟せい。」
しかし、船頭は一歩も怯まず、加賀守にこう返しました。
「もし、嵐にならなかったら、お殿様にとってこんなめでたいことはございませぬ。
その時は、私は責任をとって腹を掻っ捌いて果てる所存にございます。」
「しかと異存はないな?」
「はい、異存はございません。」
そうハッキリと船頭が言い切った時、あれほど晴れていた空が一点かき曇り、強い風が吹き始めました。
船は急な嵐に翻弄されそうになりましたが、全員の懸命な働きで、なんとか無事に港まで帰り着くことが出来、事なきを得ました。
大役を果たした船頭は、息子にこう諭したと言います。
「良いか、一度船頭が船を預かったら何者の命にも従ってはならぬ。例え命を落としても己が信念を貫くのじゃ。今日の出来事を決して忘れるでないぞ。」
それを聞いた加賀守は、いたく船頭を賞賛したと言います。

確信が勇気を生む

何故、一介の船頭が殿様に逆らってまで、自分の思いを通したのでしょうか。
それは、如何に身分は低くとも船頭は船と海のプロだからです。
そして、一度舵を握れば、船に乗っている全員の命を預かり、無事に目的地まで届ける責任を負います。
もし自分が、「これは嵐になりそうだから航海を中断しなければならない」と判断すれば、例え何者が異を唱えようと、断固として船首を返さねば、皆の命が守れません。
ただ、どうしてこんな晴天が崩れて嵐になるかを、分かるように説明することはできません。それは、船頭の長年の経験で培った感覚であり、確信だからです。
ひょっとしたら船頭の方が間違っているかも知れません。
もし、間違っていたら、相手によっては責任を取って腹を切らされるでしょう。でも、もし間違っていなければ、船に乗っている全員の命を危険に晒すのです。
ですから、船頭は自分の経験で得た確信に命をかけて、自分の責任を貫きます。
まさに、確信が勇気を生むのです。

勇気が確信を生む

私たちのプロたる所以は言葉にできないところに現れます。
「我々のプロたる所以は、言語化できない部分に現れる。言語化できる部分は、もはやコモディティ化され、差別化の対象にはならない」と言われます。
何故、そうなるのか説明できない。
でも、結果そうなる。
そこに、「さすが」と人を唸らせるプロの凄みがあります。
それを言語化、数値化しようと言うのが最近の試みで、特に上の立場の人はそこを求めようとします。
だから、鍋島加賀守は、船頭が言葉にできない理由で船を返すことに腹を立てたのです。
しかし、言語化できなくても、自分の確信ほど強いものはありません。
つい、上司の意思に逆らって自分の意思を通したくなるのもそんな時です。
ただ、言語化できないので、叱られ、たしなめられ、取り上げられます。
でも正しいと思ったら勇気が必要です。
もちろん、言語化の努力は必要ですが、限界があるので、あとは気持ちです。
その気持ちが伝わるかどうかは自分の断固たる勇気からです。ブレてしまったら伝わりません。
そして、その勇気が自分の確信をますます揺るぎないものにします。