今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

人は否定で支配する

(写真:ノラの毛ぐるみ)

肯定と否定と

人のコミュニケーションには、肯定と否定があります。
その人を肯定し、認めるコミュニケーション。
人を否定し、都度異を鳴らすコミュニケーション。
バラエティでも、肯定をベースとしている番組もあれば、否定を売りにしている番組もあります。
また、人をさんざんこき下ろし、それで笑いを取るお笑い番組もあります。
中には、そのような番組を見て、嫌な気分になる人もいるでしょう。
それは、実生活でさんざん周りからこき下ろされ、気持ちが傷ついた人です。
外で心にダメージを受け、せめて家では傷の回復を図りたいと思っているのに、テレビの中からまた否定の言葉を浴びせられる。
もちろん、そう言う番組を好んで見る私たちがいるから公共の電波に乗って拡散されるのですが、時にはそんな気持ちの人がいることを慮るのも大切です。

否定し続ければ支配できる

私は、否定とは人を支配するツールだと思っています。
否定すれば、人は怒るか、離れるか、あるいは従います。
否定されれば非常に辛い思いをします。また否定は、相手の自尊心を打ち砕きます。
人間はそれが勘違いであっても、自分に対してプライドがあるから元気に生きることができます。また、強く自己主張もできるのです。
しかし、否定はその力の元を奪います。
通常は、否定されても、何くそ!と跳ね返します。怒りを起こして、反発をします。
ところが、上下の立場が明確に決まっている時は、相手の否定を受け入れるしかありません。
例えば、雇用者と雇われ人とか、主人と妻とか、姑と嫁の関係がそうです。
否定を受け入れると言っても、正確には相手から否定されたくないから、言う通り従っているだけです。
ここに従わせようとますます否定する人間と、否定されたくなくてますます従う人間の関係が生まれるのです。

否定で支配する人たち

よくニュースで信じられないような話を聞きます。
あるところで、縁もゆかり目ない女に入り込まれた家庭が、しばらく経つうちに完全に女に支配されたと言うのです。
そこでは、もともと仲の良かった家族が、女を頂点にヒエラルキーを作りました。
その順列の基準はいかに女の関心を得たかで、ヒエラルキーの下位のものは女から徹底的に否定されます。
その否定の対象になることを、家族の誰もが心から恐れ、時に女と一緒に自分の家族を蔑み、嘲ります。
最初、女は暴力団関係者との繋がりを匂わせ、恐怖心を植え付けるのですが、女の支配のツールは恐怖ではありません。
それは否定なのです。
ついには、家族同士で傷つけあい、殺し合い、気狂ったもののように修羅の様相を呈します。
こんな悪魔のような女が本当にいるのかと思いますが、特定の誰かをターゲットにしたイジメも、ブラック企業でのパワハラも、この否定で支配する構造は変わりません。

否定に負けないには

人間、普通に生きていても、この否定の支配に絡め取られることがあります。
例えば、口を開けば人の悪口を言う人がいます。たしなめても、どこまでも自分の正当性を主張します。
すると、不思議なことに、否定を生業にしている彼には一種の力が宿ります。
それは、皆んな彼には逆らわなくなるのです。
何故でしょうね。
人間は、根本的に否定を恐れるものです。
それを口にする人間がどんなに矮小でつまらない人間でも。
それだけ私たちは、うぬぼれの塊で、自分に対する否定の言葉を受け入れ難いのでしょう。
だから、否定の言葉を言う人を恐れ、逆らわなくなる。
そのせいか、ポジティブなことを口にしている人より、ネガティヴな意見を言う人の方が偉く思えます。
しかし、よく考えて見れば、否定など誰でもできることです。なぜなら、否定しても、その言葉の責任を負わなくて良いからです。
反対に肯定すれば、事が動きます。動けば責任が生まれます。
また、肯定に対する反証は常に覚悟せねばなりません。
つまり、肯定は勇気ある行為です。
勇気あるものが、否定を口にして楽に人を支配しようとするものに負けてはなりますまい。
否定するものには、勇気を持ってまた否定を。
否定の否定は肯定なので、勇気ある肯定を実践することが、否定に負けない武器なのです。