今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

一番世話になっている人が一番苦手な人

(写真:大鉄球)

うちで一番怖いのは

子供に聞いてみる。
「うちで一番怖いのは?」
すると、十中八九「お母さん」と答える。
それが、「お父さん」と言われないのが寂しいところ。
最近の男は、うちに居ても外でのダメージを回復するのに精一杯だからか、家の中で権威を示す余裕がない。
勢い、自分のことだけで手一杯となる。
父親の目が届かないのを良いことに、好き勝手している子供をいちいち叱って回るのは母親である。
「脱いだものがだらしない」とか、「寝転がってテレビを見るな」とか、「食べ物の好き嫌いを言うな」とか。
いつの間にやら、お母さんは家中で一番怖い存在になっている。
おそらく父親にとっても。

うちで一番世話になっているのは

でも、「世界で一番怖いのは?」「お母さん」
そして、「世界史一番優しいのは?」「お母さん」なんだと思う。
一番怖くて、一番優しい、とても不思議な存在である。
そして、居なくなって一番困るのは、誰を置いてもお母さん。それだけ、家では何から何まで世話になっている。
母親からすれば、いつも手をかけている分、余計我が子の至らない点が目について、ついつい口うるさくなる。
思えば、実に自然な話である。
このお母さんに限らず、自分が苦手な相手を思い浮かべると、たいていいろいろと苦言を言ってくる相手である。そして、日頃一番世話になっている人でもある。

借りる時の地蔵顔、返す時の閻魔顔

お地蔵さんは、たいていニコニコと円満な顔をしている。対して、閻魔大王は眉を釣り上げ、目を怒らした物凄く怖い顔をしている。
我々が人からお金を借りる時は、「いやあ、地獄に仏とは貴方のことだ」と何度も拝むように有難がる。その時は、誰でも円満なお地蔵さんのような表情を作る。
しかし、お金の返済期限も過ぎ、再三再四矢のような最速を受け、いやいやお金を返しに来る時は閻魔様のように怖い顔である。
この諺は、自分に都合の良い時はニコニコとして、都合が悪くなった途端に同じ人に対しても閻魔顔を作る、我々の都合中心の身勝手さを教えたものである。
例えば会社の上司でも、困ったことを助けられた時は「なんて良い人だ」と感謝するくせに、自分のミスを叱られた時は「何て嫌な奴だ、顔も見たくない」と毛嫌いする。
日頃世話になっていることを思い出したら、とてもそんなことは言えないはずである。

恩を知らざるものは

よく反省してみれば、一番苦手で敬遠している相手は、一番助けてもらっている相手かも知れない。
つまり、一番苦手とは、一番接するからであり、一番手をかけて貰っているからである。
手をかけて貰いながら、いつの間にかそれが当たり前。耳に痛いことを言われたことだけを恨み憎む。
でも、相手の立場に立てば、耳に痛いことを言うのは、それだけ自分の時間を割いていることになる。
別に気になろうがなるまいが放っておけば、自分の手は取られない。それをワザワザ時間を使って、言いにくいことを言ってくれる。
それは、とても申し訳のないことである。
その他に、目に見えるところや、目に見えないところでどれだけ世話になっているか。
それに対する恩を感じなければ恥ずかしい。
「恩」は、因を知る心と書く。
自分が間違いもせずに生きていられるのは、目に見えるところで苦言を言って軌道修正し、目に見えないところで支えてくれる人がいるからである。
自分の都合にまかせて毛嫌いなどしては、「恩を知らざるものは畜生よりも甚だし」と言われる。