今日学んだこと

生きることは学ぶこと。オレの雑食日記帳。

苦手とは、怠惰なものの言い訳

(写真:トヨアケ・ブルー)

怠惰と賢明の違い

苦手なことは逃げても良い。
苦手なことを頑張って費やす時間より、その分得意なことに集中した方が得られるものは多くあります。
だから、無理して苦手なことをする必要はないのです。
しかし、だからと言って、「苦手だから」と何でも避けて通れるほど世の中甘くありません。
「やれません」「できません」「分かりません」と簡単に言うと、「ロクにやりもしないでアッサリ言うな!」と怒られます。
だから私たちは、やったことがあろうがなかろうが、苦手だろうが何だろうが、出来なければ出来るまで石に齧り付いてでも何とかしようとします。
十分にやってみて「できない」と言うのは賢明です。しかし、ロクにやりもしないで「できない」と言うのは怠惰なのです。

食わず嫌い

やってみるまでは不安いっぱいでも、やり始めて少しずつ全体が見えてくると今までの不安が嘘のように解消することがあります。
やはり、見えないことが最大の不安の要因だったようです。
外から見ていて難しそうだから、怖そうだからと敬遠していては、いつまで経っても経験を積めませんし、世界も広がりません。
私もよく「いつまで同じことを言っているんだ」と叱られます。
「一年前も、二年前も同じことを言ってはいないか?その間、時間があったにも関わらず一歩もその場から動けていないじゃないか。時間と言う資産を無駄に食い潰しただけではないのか?」
非常に厳しいですね。
でも、一歩も動けていないのは事実です。
入り口で怖気付いて一歩も中に踏み込めていない。そして、時間ばかり消費をしていました。
しかし、一歩中に入ってしまえば意外に広い空間が開けているかも知れません。
現に世の中には、そこで活躍している人がたくさんいますから、私も決して進めない道でないはずです。
言わば、食わず嫌いなのです。

吊り橋を渡る

苦手なこと、怖いことに向き合う時、よく思い出すのは「吊り橋を渡る」話です。
吊り橋を渡ったことはありますか?
高所恐怖症の私にはとても無理です。
水面から高さ何メートル、場所によっては何十メートルの高さにかかっていて、しかも下が丸見えです。渡っていくと自分の重みでグラグラ揺れて、怖くてつかまろうにも、頼みの手すりが細いワイヤーで実に頼りない。
大丈夫と頭で分かっていても足がすくんでしまうのは何ともしようがありません。
ところが、人間の恐怖心は意外に続かないもので、同じ恐怖が続くと5分もすれば慣れてしまうそうです。
だから、吊り橋の手すりにつかまって、そのまま5分間じっとしていると、そこにいることが何ともなくなります。
それは恐怖心が麻痺するからで、怖くないからと無茶をしたらとても危険です。
しかし、取り越し苦労で怖がっているのなら、恐怖心が薄らぐのは有難いことです。
このように、私たちが苦手意識を持っていることでも、しばらくそこには身を置いていると脳が順応して普通にできるようになるのでしょうね。

2度目は必ず上手くやる

でも、そうは言っても、慣れないうちは失敗して大目玉を食らうかも知れません。
怒られたらへこみますし、ますます苦手意識が大きくなります。
でも、誰でも初めては失敗します。
一度失敗して、俺はもうこれには向かないからと諦めたら、そこから新しい世界は広がりません。
きっと二度目は少しは上手くやれるはずです。なぜなら、一度目で失敗して経験を積んでいるからです。
どこが良くなかったのか、今度はどうすれば良かったのか、その経験が生きるのです。
そして、三度目は人より少しだけ上手くできるようになり、四度目はすっかり得意分野です。
そして、この道は誰でもが通るプロセスです。
今はプロと頼られている人も、最初は失敗して苦しい思いをしながら、それでも諦めずに二度三度と挑戦して今の立場になったのです。
しかし、どこまで行っても常に初事は出てきます。 どんなプロでも失敗をするし、悔しい思いをします。それに真摯に取り組んで、また一つ経験を身につけるからますます周りから頼られます。
言わば卒業のない道です。
どんな人もこの道に変わりはありません。
特別に優れた人もいなければ、特別にダメな人もいません。
皆んな二度三度取り組んで初めて道を開いているのですから、苦手な思いに負けぬように勇気を出して取り組みたいものです。