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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

人のイメージの中の自分で生きない

(写真:月下)

診断アプリ

昔、占い、今診断。
よく、Facebookの投稿で見かける「あなたの〜度は?」的な診断アプリ。
人がやっているのを見ると、ついつい自分も気になって思わずやってみたくなります。
本質的に、占いとか診断にはそのような要素があるのかも知れません。
一番手軽な占いは新聞や雑誌に載っている星座占いや血液型占い。
毎日欠かさずそれを見て、運気が良いとか悪いとか、外出は控えようとか、積極的に行動しようとか、一喜一憂している人がたくさんいます。
でも、占いが信ぴょう性のあるものなら、例えば牡羊座のA型の運勢はどの雑誌を見ても同じになるはずですが、不思議なことに全く反対のことを言っていることが殆どです。
A誌は西に行けば吉と言い、B誌は西に行けば凶と言う。果たしてどちらに従うべきか。
それでも、堂々と世間でまかり通っているところを見れば、やはり当たるも八卦当たらぬも八卦で、その程度で許し許されているものかと得心します。
さらに、占いは高校生で卒業したよと言っている大人でも「診断」には興味津々で、無防備に個人情報を渡している実態があります。
この「診断」流行りには、それだけ自分自身に対する関心が表れているのではないでしょうか。

人の目に映っている姿

「占い」と「診断」の違い。
「占い」で知ろうとするのは自分の未来です。それに対して、「診断」で知ろうとするのは自分自身の姿です。
自分のことなのに、意外に自分のことは分かっていません。
「自分とはこんなもので、だから人からはこのように見えているんだろな。」
そんなことをいつも考えていますが、実はそれ全て想像です。
まるで、自分の顔が近すぎて見えていないようなものです。
一日で自分の顔と対面するのは、朝洗面台を睨む一時です。しかも、最高のキメ顔をしているから、私たちは自分のことを美男美女と自惚れていられます。そして、いつも変顔ばかりをしている実態には気がつきません。
同じように、自分がいけているかいないか、カッコ良いか良くないか、賢いか愚かかは、なかなか自分では分かりません。
だから、人からどう見えているかに異常な関心があります。
自分ではキメキメ、イケイケのつもりでも人から見たら無様なイタイ人になってはいないだろうか。
あるいは、周りは良いように言ってはくれているが、実は裸の王様で腹で笑われているんじゃないか。
そんなことが心配で、思わず診断アプリを使いたくなる、そんなとこでしょうね。

見えているもの、いないもの

だから、私たちにとって、とても人の評価は大切です。
立派だ、頼りになる、しっかりしている。
筋が通っている。
リーダーシップがある。
プロフェッショナルだ。
そう言われると、俄然元気が出ます。
また相手の期待を裏切るまいと頑張ります。
よく、立場が人を作ると言いますが、役職者は周りから意思決定を求められることが多いので、必然的に頼りになって間違ったことをしない人物像を期待されます。
そうすると、その人物像を裏切りたくなくて、しっかりしよう、いつも正しいことをしようと、自然に立派な言動を取れるようになるのです。
ただ、そこでキチンと理解しておかねばならないのは、周りの自分に抱くイメージは、自分の本当の姿ではなく、周りが自分に期待しているイメージだという事です。
例えば、部長や課長のような名刺を受取ると、会社を代表するリーダーとしての人物像を思い描きます。ところが、意外に期待外れの人物だと、「あれで部長か、課長か」と酷評しがちです。
つまりそれは、私たちが人をその人として見ずに、その人に期待する役割として認識をしている証拠です。

自分の本質

でも、人のイメージの中の自分と、自分の本質は別です。
もちろん、人のイメージを裏切るまいと、立派な人物を目指すのは良いことです。
しかし、自分の本質とかけ離れたイメージに無理に合わせようとしたら、逆に苦しい思いをします。
例えば、体が大きくて強面の人は、人の上に立ってグイグイ引っ張っていく役割を期待されます。当然、そのような仕事が回ってくるでしょう。
ところが、実は強面でも人に強く言えない気の弱い人だっているのです。
それを任せられるままに、無理に人を引っ張っていこうとしたら、かなり辛い毎日を送らねばならないでしょう。
それでも、周りの期待を裏切りたくなくて、頑張ってしまう人は多いかも知れません。
しかし、自分の人生を考えたら、あえて苦手なことをしているのは勿体ない気がします。
頑張っても頑張っても、なかなか思うように結果が出ない。役目が満足に果たせないから、いつまで経っても鳴かず飛ばずで終わらなくてはなりません。
ならば、人のイメージなど破っても良いではありませんか。
自分が本当にできること、やれることに集中して、出来ないことは逃げるが勝ち。
自分の本質に正直に生きたって良いのです。
最近は、海外で同性愛の結婚が認められたり、性同一性障害を告白したりと、自分の気持ちに正直に生きる人が増えてきました。
自分の人生だから、自分の一番得手な場所で、正直な生き方をしても良いのではないでしょうか。
結局、人生を振り返って満足できるのは、人のイメージで生きた人生か、自分の本質で生きた人生か、そのいずれであるかをよく考えてみたいと思います。