今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

上司には考えさせてはならない

(写真:中馬のお雛様 その3)

上司には考えさせてはならない

上司には考えさせてはならない。
これは、どう言う意味でしょうか。
上司に考えさせるとは、自分の報告に欠落しているところがあり、そこを上司が一生懸命補っている状態です。
報告を聞く時、上司は真剣な顔で、自分の一言一言を漏らさないように神経を集中しています。
もし、そこで聴き漏らしや、受け取り間違いがあれば大変です。それは、そのまま上司のまた上司への報告となり、上申される度に影響範囲が大きくなります。
そのため、上司としても自分のところで間違いなく事実関係を押さえたいのです。
しかし、そこで報告する立場の自分に欠落や、曖昧な点があったらどうでしょう。
そこを補って聞く上司は相当しんどいと思います。
正直、面と向かって「君の報告はしんどい」と言われたことがあります。
それは、曖昧であったり、ブレがちな報告に対して、私の言葉の裏まで読む必要があったからです。

一手間を惜しむ

時には、決定事項と真逆の問いかけを受けることもあります。
「この件について、Bで行く計画ではなかった?」
「いいえ、Aで決まったはずです。」
「そうか、分かった。」
この時は、とても満足そうです。
そして、後で気がつきました。
あえて違う投げかけをして、自分の返答にブレがないか確かめたのだ、と。
前回の報告で自分の中にブレがあれば、今回はBに引きずられていたかも知れません。
いわば裏取りです。
そこまで負担をかけていたのかと申し訳なく思いました。これは、ひとえに報告の度に、考えさせてきた種まきの結果なのです。
では、どうして、私は上司に考えさせてしまうのでしょう。
それは一手間を惜しんで、報告の質を落としているからです。
内容が曖昧だったり、
自分の思いを入れて報告がブレてしまったり、
伝えるべき要点や、結論が不明確な報告をしたり、
あるいは、自分なりに結論を持たずに報告に行ったり。
つまるところ、自分の都合中心で相手の立場に立っていないのです。相手の立場に立てば、一手間かけて報告を組み立てるはずです。
それができていないという事は、社内の近しい人だからと甘えて、手を抜いている証拠です。ましてや、それを自覚なくやっているから、なかなか改まらないのだと思います。

顧客に対しても現れていないか

それに、このことは社内に止まりません。
「この調子では、社外のお客さんにも不適切な報告をして、迷惑をかけているのではないか」と心配をさせます。
社内でキチンとできないことが、社外で急に正しくできるようなるはずがありません。
曖昧で、欠落した報告をしているうちに、すっかりお客さんの信用を失ってしまうかも知れません。ましてや、それは社員個人の問題にとどまらず、会社としての信用を失うことになります。
時に自分の説明不足を叱責され、何故社内でそこまで厳しく言われるのかと不足を言いがちです。
しかし、社内で上司に考えさせていること自体、自分の大きな問題点と受け取らねばならないのですね。

考えさせない習慣

上司に考えさせない為には、どうすれば良いのか。
私は報告をする時に、気をつけるべき幾つかのことを学びました。
一つには、結論を明確に伝える。
二つには、事実のみを述べる。
三つには、主語、述語、そして対象を明確にする。
まず何を伝えたいか、結論を明確にしなければなりません。それが固まったら、その背景なり、理由なりを肉付けします。
そこを、言いたい気持ちだけが先走って、結論がぼやけてしまうから曖昧で実のない報告になるのでしょう。
そして、事実と自分の思いをキチンと切り分けて伝える。事実は事実です。それは毛頭ブレるものではありません。
そこに自分の都合とか、思いとか持ち込むとおかしなことになります。
むしろ、自分の思いは意見を求められてから、初めて口にするくらいで丁度良いのでしょう。
最後に、言葉を省略しない。
状況が分かったもの同士、あるいは相手が分かっていると思い込んでいると、ついつい報告の主語や述語、そして対象を省いて喋ってしまいます。それで、よく「主語は?述語は?」と問われます。
「それくらい文脈でわかるんじゃないの?」と言う心もありますが、それでは大切な報告が曖昧になったり、何通りにも解釈できる予断を生みます。
だから、言葉の欠落には気を張らねばなりませんし、また聞き直させること自体お互いの時間の無駄をしています。
上司も私も大切な時間を共有しています。
考えさせるような曖昧な報告をしたり、それで手間をかけさせるようなことはあってはならないと反省します。