今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

初心を忘れた踊り手は引退しなければならない

(写真:落日に樹つ)

1日怠けたら、2日怠けたら、3日怠けたら

国際的な日本人バレリーナの言葉。
「1日練習を怠けたら、自分に分かります。
2日練習を怠けたら、パートナーに分かります。
3日練習を怠けたら、観客に分かります。」
いかに功成り名を遂げて、世界的に名を馳せても、少しも気を抜くことができない厳しい世界だと分かります。
そして、これでもう大丈夫と言うことのないキリのない道です。
初心のうちは、何によらず緊張感をもって、謙虚に励まねばならないことを知っています。しかし、いずれ慣れてくればもっと楽になるだろうと想像します。
ところが、実状は慣れれば慣れるほど、名を馳せれば馳せるほど、道は険しく厳しくなります。
そして、それはバレリーナばかりでなく、世の中で一流と言われる人全てに共通しているようです。

常に初心の仕事

「初心忘るべからず」
よく人の口に登るこの言葉は、能楽を完成させた世阿弥が自書「花鏡」の結びとして書いています。
曰く、
「しかれば当流に万能一徳の一句あり。 初心忘るべからず。この句、三ヶ条の口伝あり。是非とも初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。この三、よくよく口伝すべし。」
この世阿弥の言葉によれば、「初心忘るべからず」は、私たちが一般に理解している「習い始めの新鮮な気持ちをいつまでも忘れてはならない」に止まりません。
初心は、「時々」あり、「老後」にもあり、つまり生涯初心の用心をせよ、と読めます。
それは、どう言うことでしょうか。
確かに、習い始めは慣れないことばかりで、否が応でも真剣に取り組まざるを得ません。それなりに熟達をしたければ、必然的に気を張って取り組むことになります。
それが、慣れて来ると身体が覚えてしまうので、多少気を抜いていてもそれなりにこなせるようになります。するとそこに油断が出て思わぬ失敗をします。
そんなとき言われるのが、「初心忘るべからず」ですが、それにしては「生涯初心の用心をせよ」は、重い言い方ですね。

仕事はいつでも初舞台

本来私たちの仕事に慣れたということはありません。
いつも新しい顧客、新しい現場であり、その度に状況は千変万化します。そして、常に難しいことや問題は形を変えて現れます。
もちろん最初は、あそこの案件とパターンが似ているから、この手順で、またこのスケジュール感でなんとかなるだろうと想定をしてかかります。そうでないと、見積もできません。
しかし、いざ契約が交わされ、案件に着手してみると、その度に見込みの甘さを思い知らされます。そして、気を締めて臨まなくてはならないと腹を括ります。
そうして、少しずつ進んでいくのが、ほぼ毎回と言って良いのでないでしょうか。
そうすると、私たちは現場毎に初心で臨まなくてはなりません。
なぜなら、同じ現場は二つとないからです。
現場は常に初舞台の気持ちで臨まねばならないので、「時々の初心忘るべからず」はピタッときます。

初心を忘れた踊り手は引退しなければならない

でも、なぜ能楽のような演目ごとにパターンが決まったものに、常に初心が必要なのでしょうか。バレエでも、同じ演目ならば、慣れると同時にうまくなるのではないでしょうか。
それで思うのは、林芙美子氏原作の放浪記」。
森光子氏が生涯に渡り2017回も公演を続けた舞台劇です。
その公演期間は、実に1961年から2009年の半世紀近くに及びました。
そうすると主演の森光子氏は、もう目をつぶってでも演じられたのではないかと思います。しかし、観客の中には毎年観ていたファンもいたでしょうし、そんな人たちに都度感動を与えるのはたいへんだったろうと思います。
なぜなら、どんな面白いハリウッド映画も、繰り返し5回も見たらゲンナリしますしね。
やはり脚本は同じでも、毎回新たな感動を与えられたからこそ、同一キャストによる歴史的なロングランが実現したのではないかと思います。
つまり、森光子氏は公演の度、脚本の解釈を変え、新しい演技に挑戦し続けので、年々彼女の演技に重厚さが加えられたのでしょう。
そして、来年も是非観たいと言う多くのファンに支えられて、長期に渡る公演が実現したと思われます。
ですから、森光子氏にとって、「放浪記」は同じ台本、同じ配役でありながら、常に新しい舞台であり、初心で臨んでいたのではないかと愚考します。
バレリーナも同じで、慣れた舞台でも、常に新しい演目のように挑戦し続けるからこそ、長くプロとして活躍できるのでしょう。
そうすると、「初心を忘れた踊り手は引退しなければならない」も、「可能性への挑戦をやめた踊り手はプロとしはて続けられない」と読めます。
そして「初心」を、「挑戦への気持ち」と読みかえれば、私たちも非常に多くのことを学ばせて貰えます。