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今日学んだこと

分かっていることは書かない。分かっていないから書いて学ぶ。だから「今日学んだこと」なのです。

子育ては親の大修行 〜一緒に親になる〜

(写真:ポニー その2)

■親には誰でもなる、何時でもなる

地球上には70億の人間がいます。
それは、何千、何万の世代を経て、親から子へと命を育んだ結果です。
男女がいて、好きあって夫婦となり、命を宿して親となります。そして、かけがえの無い命を産み落として、大人になるまで守り育みます。
やがて、次の世代も相方を見つけ、愛しあって命を宿します。
これは、人類が何百万年もの間、途切れることなく行ってきた営みです。
それは、決して特別なことでなく、ごくごく当たり前で、日常で普通にある出来事です。
しかし、そんなどこにでもあることが、私たちにとって生涯最大のイベントです。
誰でも本能に従って性愛にふければ、結果として子供に恵まれます。それは、人種や貴賤貧富にもよらず、また夫婦の年齢や境遇にもよらないことです。だから、誰でも親になるのは簡単です。しかし、親を続けるのはたいへんです。
こんなたいへんなことを人類は、はるかな太古から大勢で行ってきたのです。

■若い親、歳とった親

若くして母親になった女友達が言いました。
「ある程度、年を重ねてものが分かってから親になる人が羨ましい。」
それは、40を過ぎて親になった私への言葉でした。
その女友達は、学生を卒業していくらも立たないうちに母親になりました。昔ならいざ知らず、今ならかなり若い母親です。
社会経験も満足になく、人間関係に揉まれることもなく家庭に入った彼女は、人の親になるには余りに経験不足の自分を感じたのでしょう。
子供のやることに感情の抑えが効かなくなったり、あるいは子供の気持ちになかなか向き合えなかったり。
それに対して、世間で何十年も揉まれた人なら、少しは余裕ある子育てができているのではないかと思えたのです。

■子供と一緒に親になる

しかし私から言わせれば、それはあまり関係ないと思います。
確かに、若い時より多少は感情の抑え方を学んでいます。言って聞かせる話も蓄積しています。
それでも、親は年齢などに関係なく、子供を持った時に初めて親となるのです。
この世の世事にいくら通じたからと言って、子育てがうまくできる訳ではありません。もし、そうならば世の中で立派な人の二世は例外なく、同じく立派な人間であるはずです。
ところが、親は立派でも子供は穀潰しと言う話は幾らでもあります。
世間的に優れていることと子育ては別であり、どの親にとっても初ごとなのです。
だから、親は子供と一緒に親になる。
親から幼さが抜けきれない、あるいは考え方が短絡的で浅はか、そんなこともあります。
社会でそこを正されないままずっと来てしまうこともあるでしょう。
しかし、子供を持つと、その成長に合わせて自分自身も成長します。
子供にとって恥ずかしくない親になりたいから、自ら自覚して正すこともあります。
そのように、子供の精神年齢に合わせて、親自身も本当の親へと成長していくのです。

■子育ては親の大修行

だから、子育ては親の大修行と言われます。
そう、子育ては修行です。
まず、買いたいものが買えなくなります。食べたいものが食べられなくなり、見たいものも我慢します。
全ては、子供に喜んで貰いたいため、子供にまっすぐ育って貰いたいがためです。
たまに子供をほったらかしにして、自分のやりたいことをする親がいます。
そんな時に私たちが感じる気持ちはどうでしょうか。
親に対する憤り、子供に対する不憫さと胸の痛み。そして、それで人間か、親か、生物のルールから外れた動物ではないかと非難の声をあげます。
逆から言えば、それは私たちが何の疑問もなく子供に対して捧げ尽くす生き方を受け入れているからです。
しかし児童虐待を非難された親は、親にも欲はある、感情もある、そしてそれに正直に生きることは認めらないのかと言うかも知れません。
確かに、親になる前は自分を最優先して生きていたので、以前なら一理あると頷いたかも知れません。
ただ、一度子の親になった時、必然的に子供に捧げ尽くす人生を選びました。それは、誰に強制される訳でなく、自然な感情としてそうなったのです。
もちろん、子孫繁栄を画策するDNAに操られているのかも知れません。
ですが、親でなければ学べないことがあり、親でなければ感じられない幸せがあります。
だから、子供と一緒に大修行をして、本当の親になり、悔いのない人生を送りたいと思います。